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『いらっしゃい、トワ。初めまして、ノイ・ジェンティーレ・ファムです。今日は来てくれてありがとう』
部屋に入ると、30代くらいの女性が優しい笑顔で迎えてくれた。
春の日差しを受けた葉のような、淡い黄緑色の髪が良く似合っている。穏やかで、でも少し天然そうな雰囲気が、メールそっくりだ。
『初めまして、渡永久です』
そう挨拶したが、全く初めましてな気がしない。
ファムさんは貴族じゃないということもあり、俺は騎士団に来てから久々に肩の力を抜いて会話を楽しんだ。
……
『―― これが、俺がノイにいた頃に撮った、レイの写真です』
雑談を交わしたあと、本題とばかりに俺はスマートフォンを取り出す。
ファムさんはスマートフォンに写るレイの写真を見て、目を潤ませる。
『あぁ、レイ……! こんなに大きくなって……!』
『ファム、君によく似ている』
『そうね……。でも目元はアヴァンによく似ているわ……』
2人は本当に愛しいものを見るように、レイの写真を眺める。
その姿を見て、俺はおずおずと口を開く。
『……あの、余計なお世話かもしれませんが、おふたりは……ノイに戻らないんですか? やっぱりレイも、2人に会いたいと思います……』
もしかしたらレイは、親の顔を覚えていないのかもしれない。それはとても寂しいことだと思う。こんなにレイを愛しく思っているであろう2人が、ノイに戻らない理由が分からない。
『もし騎士団の仕事が忙しいなら、俺がカードルさんに休みを貰えないか聞いてみますよ?』
団長に休みを言い出しにくいのかと思い、俺は言葉を重ねる。
元社畜として、忙しい現場で休みを言い出しにくく感じる気持ちは痛いほど分かる。騎士団に有給という制度があるのか分からないが。
俺ならカードルさんと直接話す機会が多いし、騎士団所属の者ではないので、団員からは頼みにくい話もしやすい。
すぐに休みを貰うのは難しいかもしれないが、カードルさんなら考慮してくれるだろう。
しかし、アヴァンさん達は俺の言葉に静かに首を振り、俯く。
『……少し、事情があってね……。ノイには帰れないんだ』
『……帰れない?』
『……あぁ。俺の実家が原因でな』
俺はふと、カードルさんの言葉を思い出す。
―― 『アヴァンは元々ノイの貴族だったそうだ。妻のファムは平民出身だったから、一緒になる時はそりゃあ揉めに揉めたらしい』
―― 『アヴァンは諦めず、愛のために戦ったそうだ。失ったものも多かったが……アヴァンは最愛の妻と、可愛い娘を得た』
貴族と平民の、身分違いの恋。
アヴァンさん達が失ったもの。
『トワ、レイを知る君には……知っておいて欲しい。俺達がレイを捨てたのではないのだと。レイを……今も愛し続けているのだということを。……聞いてくれるか?』
アヴァンさんの言葉に、俺は深く頷く。
アヴァンさんも一度頷いたあと、静かに語り始める。
『俺の実家はノイの貴族で、ファムと結婚をしたいと話したら……そりゃあもう大反対だったんだ。俺が一方的にファムに惚れたっていうのに!』
『誤魔化せばよかったのに、アヴァンは正直に相手が平民だと話してしまったのよ』
やり場のない怒りをぶつける様に、アヴァンさんは顔を歪める。ファムさんは少し悲しそうに、困ったような声音で付け加える。
『父上達に……! いや、彼等に……! 誠心誠意話せば、分かって貰えると思っていたんだ……!』
アヴァンさんが悲しげに叫び、項垂れる。
きっとそう信じる程度には、アヴァンさんと両親の関係は、悪くないものだったのだろう。
『結局……話は平行線を辿り、俺は家を捨てた』
アヴァンさんは吐き捨てるように言う。
『……その時ね、私のお腹にはレイがいて、もう生まれそうだったの。だからアヴァンは、ご両親に理解して貰って、私とちゃんと家庭を持とうとしてくれたの』
『だがそのせいで……! 俺の浅はかな考えのせいで……! ファムは生まれたばかりのレイをペール達に預け、ノイを出る羽目になった……!』
ファムさんの言葉に、アヴァンさんが悲痛な声を上げる。
『どういう……ことですか……?』
俺はファムさんがノイを出るに至った経緯が分からず、おずおずと問い返す。
『……アヴァンのご両親は、大切な息子を誑かした平民の女が許せなかったの。その女を見つけ出して命を奪おうと……平民街に刺客を放ち、若い女性……特に妊婦や幼い子供を持つ女性を調べ回った』
ファムさんは苦い笑みを浮かべながら『あの時……若い女性を全員殺すという選択がされなくて、本当によかったわ……』と語る。
貴族が私情で平民を殺すことは、一応禁止されているそうだ。
適当な理由をつけて処刑を行う貴族もいるが、当然度が過ぎれば王族に目をつけられる。アヴァンさんの両親も、王族に目をつけられるのは避けたかったのだろう。
日本でいう戸籍のようなものもあるそうだが、王族や一部の権力者しか見れないものらしい。アヴァンさんの実家は戸籍情報を見れなかったため、平民街で大規模な聞き込み調査が行われたそうだ。
『……レイを生んだばかりの私は、必死に身を隠したわ。母はレイを自分が生んだのだと主張し、街の皆は口裏を合わせてくれた……』
姿を隠しても、魔力感知で人がいるのはバレてしまう。
街の外に身を隠すのは、出産を終えたばかりのファムさんと、生まれたばかりの子供では、体力的に厳しい。
それに街の人が食料等を何度も届けていたら、行動を不審に思われ気付かれてしまう。
そう考えたメールは、生まれたばかりの子供を、自分とペールの子だと主張した。
そしてファムさん自身は別の家で匿い、街の人達も皆口裏を合わせて、子供はメールの子で、ファムさんはメールと何の関わりもない、他人だと主張したのだ。
今より少し若かったとは言え、メールが生んだと言うにはかなり厳しい年齢だ。
しかし、正直に話せばファムさんが、他の女性にお願いしたらその女性が、貴族に狙われてしまう。メールは自分の命を懸けて、ファムさんを守ろうとしたのだ。
このメールと街の人達による命懸けの嘘は、意外な結果をもたらした。
貴族は、息子を誑かした悪女を探すと公言してしまっていた。しかし平民街を探し、"妊婦や幼い子供を持つ女性" という条件に該当したのはメールだけだ。このままメールを処刑すれば、自分の息子は夫を持つ熟女に誑かされたことになってしまう。
メールが嘘をついていることは明白だ。
そう考えた貴族はメールを殺さず、調査を続けることを選択した。更に幸運だったのは、レイの命も一緒に見逃されたことだ。
こうして、メール、レイ、ファムさん、全員が少しだけ命を繋いだ。
しかし、それは一時しのぎだ。
貴族は依然として平民街の調査を続けている。ファムさんの素性がバレたり、何らかの方法で関係を調べられてしまえば終わりだ。その上、ファムさんとメールはよく似ている。いつ貴族に気付かれてもおかしくない。
だからファムさんは、アヴァンさんと共に、ノイを出ることに決めた。
『……ノイでレイの成長見守るか、ノイを出るか、本当に迷ったわ。でも……私の命と共に、レイや家族の命も危険に晒されるかもしれない』
『……生きてさえいれば、きっとまた会える。俺はそう言ってファムを説得した』
『ノイを出ると決めて……レイを旅に連れて行くかも……最後の最後まで迷った。でも……生まれたばかりの子が、耐えられるような旅路になるとは到底思えなかった……』
『……だから俺達は、レイをペールとメールに預けた』
ファムさんとアヴァンさんの悲し気な声は、それがどれだけ辛い選択だったかを物語っていた。
『ノイを出た後はナーエに向かった。ナーエにも刺客が放たれていて、俺達は逃げるようにベスティアの森に入った。危険な選択だったが……近場でのレイノでは、ナーエと同様に刺客がいる可能性が高かったからな。そしてボロボロになりながら森を彷徨っている所を、団長に拾われたんだ』
カードルさんは話を聞き、アヴァンさん達を騎士団に招き入れてくれたそうだ。そして騎士団の屯所にアヴァンさんとファムさんの部屋も用意してくれた。
―― 親に置いていかれたファーレス。そして子を置いていかざるをえなかった、アヴァンさん達……。
カードルさんにも、何か思うところがあったのかもしれない。
『でも本当に……! レイもペール達も、無事でよかった……!』
アヴァンさんは心の底から安堵したように、目を潤ませながら言葉を紡ぐ。
きっとノイを出た後も、レイ達に何かあったらと気が気じゃなかったのだろう。
『……トワ。君がもし、レイにもう一度会うことがあれば、こう伝えてくれないか? 「レイのお父さんとお母さんは、ずっと君を愛しているよ。いつか必ず迎えに行くよ」と……』
アヴァンさんが俺の右手を強く握りしめ、頭を下げる。
『私からも……お願い。トワ』
ファムさんも俺の左手を強く握りしめて、頭を下げる。
アヴァンさん達はレイがもう少し大きくなるのを待ち、ゆくゆくはノイに迎えに行って、ロワイヨムに連れてこようと考えているそうだ。
ノイにもう一度行くかは、正直分からなかった。
でも俺は元の世界に帰る前に、ノイの皆に感謝と別れを告げるため、そしてレイに大切な事付けを伝えるため、ノイにもう一度行こうと心に決める。
『……レイに会ったら、必ず伝えます。お約束します』
異世界生活521日目、俺はそう言って、アヴァンさんとファムさんの手を強く握り返した。




