無色透明。
「あの……、どこかへ行きませんか?」
「……なんで?」
「久しぶりに人と話すので、なんだか楽しくて」
「……うん」
しぶしぶながら山内くんは私の提案に乗ってくれました。
彼は嫌そうな顔をしながら私の後ろをついてきました。
「あ、そうだ。これ、なにしたの?」
彼は私と繋がっているのか手首の白い糸を見てそう言いました。
「私も分からないんです。気がついたら繋がってました」
「これを辿って俺のとこまできたの?」
「はい」
「ふぅん……」
彼はじっと手首を見つめていました。
私にはこの糸が、なんだか人と人の繋がりのように思えたのです。
誰からも見られなくなった代わり、誰からも見られないものが見られるようになったように思えたのです。
この糸が現れてくれたことで、私と山内くんとの間に切っても切れない糸で繋がったような気がしたのです。
そうだったらいいな、と思えたのです。
山内くんを誘ったもののどこに行くのか決めてませんでした。
とりあえず電車に乗り、行けるところまで行きました。
名前の知らない駅を幾つも通りすぎ、何本ものトンネルを抜けていきました。
気がつけば、海岸線を走っていました。
夜の海は真っ暗で、なにもない無だけが空間いっぱいに広がっていました。
電車が止まってしまったので、私たちはそこで降りました。
数分歩くと海岸に出ました。
波の音が不気味に響いていました。
誰もいない夜の海岸は、闇そのものでした。
真っ暗よりももっと深い黒が、果てしなく広がっていました。
その中にぽっかりと浮かぶ月が、橋をかけていてこの世界の隅っこまで繋がっているような気がしました。
山内くんが足元に転がっていた貝殻を海に放り投げました。
「海で生まれて海で育ったのに、こんなところに流されるってかわいそうだね」
と言いました。
私にはよく分かりませんでした。
山内くんはそのあとも、拾っては海に放り、拾っては海に放りを繰り返していました。
そうしないと落ち着かないようでした。
辺り一面の貝殻を海に戻し終えると、夜はすっかり深くなっていました。
もう車の音も聞こえなくなりました。
聞こえるのは波が死んでいく音だけです。
「ねぇ、宮本さんって彼氏いたんだよね?」
「いましたよ」
「じゃあ、セックスはした?」
「……」
「したんだね」
「そりゃあ、恋人同士だったら誰だってしますよ。普通のことですよ」
「うん……。わかってるよ。恋人同士だったら、なんにもおかしくなんかない」
「……山内くん?」
「……でも、なんでかなぁ。俺が経験ないせいかなぁ。汚れちゃったよ。あんなに綺麗だったのに、汚れてしまった」
「……汚れることではないですよ」
「うん……。わかってるよ……。でも、彼女にはそういうことしてほしくなかったんだ。ごめん。俺、ほんとガキだから。汚れてるのは俺なんだ」
「……汚れてないですよ。綺麗なままです」
「そうかな……。そんなことないと思うよ。確かに人間は子孫繁栄のために生まれてきた。自分たちの遺伝子を残すためだけに作られたこの体は、セックスをすると一番気持ちよく感じるようにプログラムされてんだ。そんなふうなことを考えてしまう。なんのために生まれたのか。人間はなんのために生まれるのか。誰が脳にこんなプログラムを仕組んだのだろうね。たとえばもっとさ、空を見上げるだけで快感を得られるような、そんな生き物に生まれたかったな。ごめんね。ダメだね。俺はもうダメだ」
なぜか私はこのとき、山内くんは自殺をするんじゃないかとそう思いました。
私以外の誰からも認知されることのない存在のまま、死んでしまうのではないかと、そう思いました。
「山内くん、私としてみますか?」
普段の私なら、こんなことは絶対に言わないでしょう。
でも、死んでしまいそうだったから。
なんとかして心を救いたかったのです。
そんな私に山内くんは優しく微笑んで言いました。
「ううん、ありがとう。でも、宮本さんは俺の中で綺麗なままでいてほしい。宮本さんは俺にとって、何も知らないままの友人でいてほしい。無色透明の友人として存在していてほしい。そうしたら、自分がいつか汚れてしまったとき、また綺麗だった頃の自分を思い出せる気がするから」
そうして私たちは、海岸線で夜を見送って朝日を迎えたのです。
汚れることでは、ないんですよ。
それとは別のところで、私も十分汚れています。
知らないから、見えないだけです。
私たちは始発電車に揺られて、海辺の町を去りました。