彼は不器用に笑いました。
「透明人間同士はお互い見えるのか……」
男の子は顎に手を当てて、真剣な顔つきで言いました。
でも科学的根拠もないし、そもそも根拠なんてあったところでどうだっていいので、私はうんうんと頷いていました。
「名前を教えてもらってもいいですか? 私は宮本といいます」
「俺は山内です」
彼はぶっきらぼうに名乗りました。
「山内くんは学生さん?」
「高校二年。宮本さんは……?」
「私はただのしがないOLです」
「あ……てっきり学生だと……社会人……」
「別に敬語とかいいですよ……」
山内くんの前髪は長くて、目元がいい感じに隠れていました。
今風のオシャレっていうか、どっちかというと野暮ったいかんじでした。
でも不思議と不潔な印象は感じませんでした。
体は色白で線は細く、いつ消えてしまったもおかしくないくらいの存在感なのに、透明人間になってしまって余計に影が薄くなってしまったようです。
なんとか世界に存在している。
そんな繊細な雰囲気を身に纏った不思議な青年でした。
彼は髪と髪の隙間から、私を見つめています。
目つきは悪いほうだと思います。
なんというか、少し怒ってるんじゃないかと思ってしまうくらいです。
でも、怒られる覚えもありません。
きっと彼の目つきの悪さは生まれつきなのです。
「宮本さんは、透明人間に会ったのは初めて?」
「はい、そうです」
「俺もだよ。よかった……。同じ人間がいて」
彼は不器用に笑いました。
普段あまり笑わないのでしょう。
笑い方が下手くそでした。
でも、なんだか可愛かったです。
「あの、なんで私が透明人間だって分かったんですか?」
「影がなかったから」
私は足元を見ました。
彼の言ったことは本当でした。
私と彼には影がありませんでした。
なんだか気味が悪く不気味さでした。
本当はもう死んでいるのではないでしょうか。
あの頭からかけられた薬は、実は硫酸とかそういう類のもので、私は殺されたことすら気づかずに、街をさまよい続けている幽霊なんじゃないでしょうか?
なんとなく、そっちのほうが納得できるような気がしてきました。
透明人間になるより、幽霊になるほうが現実的です。
「俺たちはまだ死んでないよ」
私の心を読み取ったのか、彼はそう言い切りました。体が透明になってしまったら、心まで透けてしまうのでしょうか。
「宮本さんは、顔に出やすいタイプだね」
山内くんは私の顔を正面から見ながらそう言いました。
私は恥ずかしくなって頬を紅く染めてしまいました。
「やっぱり」
山内くんはまた小さく笑いました。
恥ずかして顔から火がでそうでしたが、彼が笑ってくれるのなら、それでよかったと思いました。
「宮本さんは透明人間になって今まで何してた?」
私は今まで自分がやったことを伝えました。
山内くんはつまらなさそうな顔をして「まぁ、俺もそんなところだよ」と言いました。
「結局、どれだけ自由になろうと、俺たちは一人だったらできることは少ないんだな」
と、山内くんは寂しそうに言いました。
彼はやっぱりどこか聡明なのだと思います。
それか十代の感受性の豊かさが、彼にそんな言葉を吐かせているのでしょうか。
どちらにせよ、私はそんな難しいことを考えてはいませんでした。
「こんなにたくさん人がいるのに、誰も俺たちのことを認知できないんだ」
山内くんは映画館の前の人混みを見てそう言いました。
でも私にはどこかそれが特別なことではなく、いつもの風景のようにも感じたのです。
こんなにたくさんの人がいても、たとえ私が透明人間になっていなくても、私の名前を呼んでくれる人はここにはいないのだと、いつも街を歩くたびに感じていたからです。
きっと私は寂しい人間なのだと思います。
「これから宮本さんはどうするの?」
「山内くんはどうしますか?」
「俺はちょっと用事あるから」
「じゃあ、連絡先交換しませんか? せっかく出会えたのですから」
山内くんは一瞬嫌そうな顔をしてから「いいよ」と答えました。
「宮本さんは、彼氏いたの?」
「いたけど、振られちゃいました。私、ダメな人間ですから」
そのとき、冷たい風が吹きました。
彼の前髪が揺れて、隙間から優しい瞳が見えました。
私はうっかり見とれてしまいました。
その目があまりにも綺麗だったからです。
「……山内くんは、彼女さん、いたのですか?」
「彼女……いたよ……。でも、もう忘れられてしまった。透明人間になったら、存在そのものがなかったことにされるから」
そして彼の前髪は、また彼の瞳を隠して見えないようにしました。
心の中まで見られてしまわないように。
私はなんとなく別れるとき、彼と握手を交わしました。
おそらく私は人間の温もりに飢えていたのだと、そう思います。
彼の手は大きくて、そしてとても温かかったのです。
それは優しい心を持つ人の独特の温もりでした。
「それじゃあ」
「はい……」
私は誰にも認知されない彼の後ろ姿を見送りました。
光の中に溶けていったように見えました。
また私は世界で一人ぼっちになってしまいました。
喧騒の中、どこかでポツンという音が聞こえた気がしました。