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エッセイ臭

『生きること』と『生きること以外』

作者: 志賀飛介

頑張れないことってあるじゃないですか。

頑張れなくなる病気とか言ったりしますが、その『頑張れない状態』についてちょっと考えてみたんです。


今の社会は『生きること』が前提にあって、その上にある『生きること以外』の努力値を比べているわけです。具体的には勉強とか仕事とか人のためになる事とか。


でも、そもそも前提となっている『生きること』に使うエネルギーが違うから比較にならないと思うんですよね。


例えば勉強が得意な人がいれば苦手な人もいるように、『生きること』にも得意な人と苦手な人がいて、

生きることが苦手な人は得意な人よりも『生きること』に使うエネルギーが多いから、その分『生きること以外』に使えるエネルギーが少なくなってしまうんじゃないかと。


つまり『頑張れない状態』というのは、精神的に病んでるからってだけではなくて、量的にも元々『生きること以外』を頑張ることが難しい人だからっていうのも原因の一つとしてあると思うわけです。


もちろん、生まれ持ったエネルギー量はみんな同じだ、とも言い切れませんし、

エネルギー量は上限値を超えない、とも言い切れませんが、

単純に『生きること』をもっと重要視しても良いのではないかと思うのです。


まあ、そうは言っても、比較無しには資本主義社会が成り立ちませんし、そうなると数値化できない『生きること』そのものは前提にせざるを得ませんし、

ましてや、頑張れる人だけが頑張ればいいなんて意見はまかり通るはずがありません。


でも、もっとこう、全体的に上手くいく方法はないものですかねぇ。

生きるのが苦手な人が頑張れない分を頑張れる人が補う、みたいな。

現状、見えざる手のナントカみたいな力でそれに近い状態にはなっているのかも知れませんが。


『無理しなくてもいい』が本当の意味で『無理しなくてもいい』に

『疲れたら休んでもいい』が本当の意味で『疲れたら休んでもいい』になるような、


そんなユートピアみたいな世界に憧れます。




こんなことばっかり考えてるから他のことが終わらないんですかね(笑)

僕はかなり面倒くさい生き方をしてるような気がします。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんとなーく言いたいことはわかる気がします。
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