表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

桜の木の下には頼れる猫が眠っている

掲載日:2017/04/07

 4月、家が近いからという理由で選んだ高校への道を、少女は歩いていた。この道を3年間歩くことになる訳だけど、別にこれといって思い入れは無かった。なぜならそもそも近所だったから。目新しい物も無いし高校生になったからといって何が変わるわけではない。


 と、少女は思っていた。


 閑静な住宅街を抜けると、若干シャッターの目立つ店の並ぶ3車線の道路に出る。シャッターが多いのは朝だからという理由だけではない。この辺りには《通り町通り》というおかしな名前がつけられている。朝だからか、渋滞しているわけでもない車たちでさえ忙しそうに見える。実際そうなのかもしれないが。

 そこを更に抜けると、少し開けた場所にでる。その奥に、少女の通う高校はあった。

 当然、学校に向かう道は生徒で溢れている。たわいない話をしてやけに盛り上がる女子生徒、クラスメイトの誰が可愛いとかそんなような話をしている男子生徒。


 少女はどれにも属さない。それで良かった。


 誰かに話しかけられても面倒なので、鞄から文庫本を取り出そうとした時だった。


「どうしたんですか?」


 後ろから声が聞こえた。自分にかけられた言葉では無いことはすぐにわかった。自分は誰かに心配されるようなことはしていない。分かっていたのに、なぜか、振り返ってしまった。


 後ろにいたのは少女と同じ制服の男子生徒。ともすれば同級生か先輩であろう。男子生徒は隣に立ったスーツ姿の若い男性と話しているようだった。男性は猫を抱いていた。


 男子生徒は辺りを見回した。少女と目が合った。

 男子生徒は、一瞬何かを考えたかと思えば、ポケットから生徒手帳を取り出すと少女に投げた。少女は「わっ」となったがなんとかそれをキャッチした。

 生徒手帳には《長谷川良平》とあった。

 少女が顔をあげた時、長谷川良平と思われる男子生徒も、スーツ姿の男性もそこにはいなかった。


◇◇◇


 いつもより幾分か早く弁当を食べ終えた少女は、2年の教室に向かった。


 長谷川良平という人は、2年生だった。朝、生徒手帳を渡してきたのはおそらく、会いに来いという意味。それはきっと、少女にもスーツ姿の男性がから。


 2年3組の教室に入ろうかどうしようかと悩んでいるとき、朝とは違う男子生徒に声をかけられた。少女より少し背が高いくらいで、変な髪型だった。ベレー帽を被っているのかと思った。


「君1年だよね、何か用?」


「あの、これ、拾ったんですけど……」


 少女は持っていた生徒手帳をその男子生徒に見せた。男子生徒は「ちょっと待ってて」と言って教室に消えた。

 少女が生徒手帳を両手に持ち替えるかどうかというタイミングで良平は教室から出てきた。今丁度教室を出ようとしていた所だったのだ。


「先に購買に寄っていいかな」


「あ、はい」


 ちょっと変な声が出た。


◇◇◇


 良平は購買でカレーパンと焼きそばパンを買うと、自販機で緑茶を買った。それから、それほど遠くない場所にある空き教室に行った。長らく使われていない机やイスが重ねられていて、静かに眠っているようだった。


「ちょっと埃っぽいけど、ごめんね」


「あ、いえ……」


 良平は重ねられたらイスを1つ取って床に置き、埃を払うと、少女に勧めた。少女はそれに座った。イスが少し高くて、足が浮いているが気にしない。良平は少女と向き合う位置にある机に座った。

 良平はカレーパンの袋を開けてそれに噛みついた。


「食べるとこ、見ていてほしいんですか」


「君なかなか辛辣なこと言うね。初対面なのに」


「今朝会いました」


 良平はカレーパンを袋に戻して緑茶を一口飲んだ。


「俺は長谷川良平はせがわ りょうへい、って知ってるか」


相良莉乃さがら りのです」


「自分は吉岡淳よしおか あつしって言うッス」


 莉乃は知らない声が聞こえて声の方を見た。少し申し訳無さそうに立っていたのは今朝良平と話をしていたスーツ姿の若い男性。20代くらいだろうか。目が座っていて、にこにこしていた。いや、にやにや、へらへらしているという方が正しいかもしれない。

 しかし今は特にへらへらする理由も無いから、きっと元からこういう顔なのだろうと勝手に納得した。


「この人、どうするんですか」


「そりゃ、成仏してもらうよ」


「どうやって?」


「未練が無くなればいいみたいだ」


「へえ」


 莉乃は表情ひとつ変えずに言った。


 莉乃は昔から幽霊が見える体質だった。幼い頃からその才は顕著に姿を表し、莉乃の知らない所で莉乃は孤立した。しかし莉乃にとってそれは苦ではなかった。もともと積極的な性格では無かったし、読書が好きだったから、周りが話しかけてこないなら読書の邪魔にならないのでそれはそれで楽だった。

 ただ、いつしかそれは幽霊に対しても同じになった。幽霊だって話しかけてくるのだから、邪魔になる。それなら無視するしかない。


「じゃあ、未練って何なんですか?」


「すみません、わからないんスよ……」


「はぁ」


 どうしようもないじゃないかという目で良平を見る莉乃。


「先輩は幽霊を成仏させたことあるんですか」


「あるよ。1度だけ」


「そうですか。じゃあ、後はお願いします」


「え?」


 声をあげたのは淳のほうだった。莉乃が空き教室を出て行くまで唖然としていたが、莉乃が教室を出て行ってからは、またへらへらして「なんかあったんすかねぇ」と呟いた。


「何も無かったから、ああなんだろうな……」


 良平はカレーパンにかじりついた。


◇◇◇


 猫はじっと莉乃を見ていた。莉乃もじっと猫を見ていた。


 午後のホームルームが終わり、さて帰ろうとしたとき、担任の先生に声をかけられてしまった。沢園とかいう名前の先生で、長い間この学校にいるらしい。プリントを運ぶのを手伝えというから、手伝って国語準備室まで着いて行った。沢園先生は莉乃をイスに座らせると「何か悩んでることはないか」なんて聞いてきたのだ。

 「特にないです」と答えたが信じて貰えなかった。なら最初から質問しなければいいのに、なんて言わなかった。沢園先生は、莉乃が入学してから誰かと会話している所を見たことが無いらしい。

 そんなことないと納得させるのに思ったよりも時間がかかってしまった。車で送っていこうかと聞かれたが丁寧に断った。

 そういう訳で莉乃はもう日が沈みかけているこんな時間に、帰宅しようとしているのだった。


 途中、猫を見つけた。もしかしたら、猫に見つけられたというのが正しいかもしれない。

 猫は、今朝良平と会った場所でずっとうろうろしていたようで、莉乃を見つけると、猫らしい柔らかいステップで莉乃の所までやってきた。そして、莉乃の目をじっと見ていた。

 だから莉乃も、猫をじっと見ることにした。かくして3分程が経った。


 猫は飽きたのか、自分から目をそらしてどこかに歩いて行ってしまった。


「なんだよ。猫」


 猫はもう行ってしまったから、誰に言うでなく莉乃は愚痴ると、家に向かって歩き出した。その頃にはもうすっかり日は落ちていた。

 通り町通りを抜けて人のいない住宅街にさしかかったところで莉乃は気づいた。


 誰かが後をつけている。


 多分、通り町通りの辺りからだったと思う。後ろに誰かいる。ほんの少しだけ歩調を早めてみる。後ろの誰かも同じく歩調を早めた。ついてきている。確信した。

 家の場所を知られないように、少し遠回りで住宅街を歩いてまわった。今日ほど誰かが気づいてくれたらと思ったことはなかった。


 息が荒い。そもそも運動は得意ではないけれど、足がやけに重かった。それなのに、注意していないと走り出してしまいそうだった。幽霊を見たって怖くないのに、なんで、こんなのが怖いんだろう。自分に嫌気がさした。


 ふとカーブミラーを見た瞬間、後ろの誰かの姿が見えた。

 上下黒いシャカシャカした服に、同じく黒いキャップを目深に被り、マスクをつけていた。全身真っ黒なのにマスクだけ白くて、カーブミラーの近くに立っている白い街灯に照らされて、マスクだけが浮いているようにだって見えた。

 しかし迂闊だった。もしかしたら1秒だってカーブミラーを見ていなかったかもしれないのに、後ろの誰かと目があった。

 キャップとマスクの間から覗く血に飢えたナイフみたいな眼孔が、莉乃の本能に危険信号を出した。


 振り返ろうとしてももう遅かった。


「……っ!」


 後ろの誰かは莉乃の腕を掴んで、もう片方の手で莉乃の口を抑えた。

 男の人だ。と思った。

 買わされたばかりの教科書の入った鞄は投げ出され、カーブミラーにぶつかって地面に落ちた。こういう時どうしたらいいかなんて知らなかった。多分抵抗して、声を出せばいいのだろうけど、声なんてでなかった。どんなに叫ぼうとしたって、喉に蓋がされてるみたいになって声が消えてしまう。かろうじて出た拒絶の声だって、誰かの手が握り潰した。

 

 どうやったかなんて覚えてない。捕まれていた腕がブレザーの袖からするりと抜けた。そのまま抵抗しようとしたら、肘が誰かのお腹の辺りに当たった。一瞬拘束が解けた。莉乃は走り出そうと足を踏み出した。


 この瞬間、莉乃は自分の運動神経を呪った。右足が左足を蹴り飛ばした。なんとか右肩から落ちたけど、痛いなんて言う間もなく、誰かが莉乃に覆い被さった。

 やっぱり声なんて出なかった。誰かは莉乃の二の腕を抑えた。


 もうだめかもしれないと思った瞬間、莉乃の中で、何かが壊れた。


「……もう、好きにすれば……?」


 言い終わるかどうか、誰かは殴り飛ばされたみたいになって近くの外壁にぶつかって動かなくなった。

 莉乃ははっとして我に返った。誰かは動かない。死んでいるかもしれない。しかしそんなことどうでも良かった。莉乃は壊れた何かを拾い集めて、家に向かって走り出した。


「あ、今朝の……」


 角を2回程曲がったところに、淳がいた。

 淳は、どうもすみませんというようにへらへらしながらそこに立っていた。


 幽霊なのに、幽霊だけど、バカみたいにほっとしている自分がいることに気がついた。なぜか涙が溢れて、その場にうずくまってしまった。


「わわっ!なんで泣くんすか!自分なんかしたっすか!?」


「なんで、も、ない、です……気に、しないで、下さい……」


「そ、そうっすか……?」


 莉乃はひとしきり泣いてから、外壁にもたれるように膝を抱えて座った。

 街灯が2人を照らした。でも淳には影ができない。本当に幽霊なんだなと莉乃は思った。


「昔から、コンプレックスだったんです」


 何が、と聞かなくても淳はわかった。

 莉乃は膝を抱えきれていなかった。原因は、膝と体の間にある、高校生にしては大きな胸。それを押しつぶすみたいに体を縮こめている。


「これのせいで、変な人に声かけられる事も結構あって。高校だって本当は別の所が良かったんです。でも、受験の日、痴漢に遭って、乗り換えた後もまた……それで、電車嫌いになっちゃって、合格辞退したんです。それで、歩いて通えるこっちの高校に……」


「誰かに相談とかはしたんすか」


「親くらいのものです」


 淳はしばらく考え込んだ後、ぽんと手を叩いて言った。


「自分、動物と会話できるんすよ」


「え?」


「猫とか犬とか、あと頑張れば魚もいけるっす」


「幽霊だから?」


「違うっす。生前からっす」


 莉乃は一瞬ぽかんとして、ふっと笑みがこぼれてしまった。


「なに、それ、信じると、思ってるんですか?」


「ホントっす!ホントに喋れるっす!」


 慌てる淳を見て、莉乃はまた笑ってしまった。

 莉乃は笑いをどこかに収めながら、ゆっくり立ち上がってスカートを払った。


「ありがとうございました。えっと、淳さん」


「え、あ?うっす」


「あの、さっきの人、死んでないですよね」


「さっき?なんのことすか?」


 莉乃はまた可笑しくなってクスクスと笑ってしまった。


「じゃあ、また明日」


 莉乃は淳に一礼して帰路についた。途中で、鞄を忘れた事に気がついたけど、家についてみたら玄関に置いてあった。多分淳がやったのだろう。

 莉乃は、ちょっとくらい協力してもいいかな、と思った。

 ちなみに、帰ってから「こんな時間まで何してたの!」とめちゃくちゃ怒られた。


◇◇◇


 莉乃は、昨日と同じ空き教室を訪ねた。

 案の定、淳も良平もそこにいた。


「いつもここでお昼食べてるんですか」


「そうだけど」


「友達いないんですか」


「いるわ」


「へぇ」


 昨日とあまり変わらないやりとりを交わして、莉乃はイスに座った。それからあまり大きくない弁当箱を広げて「いただきます」と言ってからおかずを口に運んだ。


「淳さん、昨日はありがとうございました。凄い怒られましたけど」


「そうだったんすか。それはお気の毒っす……でも自分ホント何もしてないっすよ?」


 良平はぽかんとしていた。


「何、いつの間に仲良くなったの」


 莉乃は無視した。淳はいつも通りへらへらしている。


「ところで淳さん、未練、思い出せないんですか?」


「申し訳ないっす……」


「えっと、淳さん、これ、聞いていいかわからないんですけど……」


「交通事故っす」


 莉乃の声を遮るように淳が言った。変に莉乃に気を使わせたくなかったのだ。この時の淳はへらへらしていなかった。


「何か他に、憶えていることってありますか」


「自分、確か……そう!猫っす!猫を助けて事故ったっす!」


「猫か……」


 良平は呟いてカレーパンを食べきった。お茶を飲んで口の中のカレーを流して、何かを考え始めた。


「猫に、復讐?」


「穏やかじゃないですね」


 そんなはずないと慌てる淳に、良平が「冗談だよ」というと淳はほっとしてその場に座り込んだ。莉乃は玉子焼きを咀嚼している。


「まぁ、猫と関連づけて考えるなら、猫にお礼を言ってもらうってのが筋かな」


「自分が助けた猫、色とか全然覚えてないんすよねぇ」


 良平も莉乃もうーんと唸ってしまった。その時ちょうど昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴った。


「じゃあ、猫を探してみることにする」


「校門で待ち合わせでいいですか?」


「協力してくれんの?」


「淳さんには借りがありますからね」


 良平は「じゃあそれで」と言って先に教室を出た。自分の教室に戻るところで木村に会った。


「また空き教室?……まさかお前昨日のおっぱい大きい子と不純異性交遊を……痛ってぇ!!」


「蹴るよ?」


「蹴ってから言うなよ!ていうか加減しろよ!」


「お前が変なこと言うからだろ」


「いやでもさぁ……順序が逆なんだよなぁ……はー痛い痛い」


 木村は蹴られた足を庇いながら教室に戻った。


◇◇◇


「あの、センパイ……」


 良平はこの頃ある疑問を抱えていた。本人としては最近、もしかしたらそうかもしれないと思い始めていたのだが、認めてしまっては自分が自分でいられなくなる気がして、そう思うのを防いでいたのだが、もう無理だった。


「その、前に道で見かけてからずっと気になっちゃってて……」


 目の前にいるのはさっき初めて会った後輩と思われる女子生徒。と、その仲間たち2人。


「好きです!付き合って下さい!」


 自分は割とモテるらしい。


「あ、えっと、気持ちは嬉しいんだけど、ごめんね」


 後輩と思われる女子生徒は目に涙を溜め、後ろの2人に抱きついた。仲間たち2人は、子どもをあやすみたいに女子生徒を慰めている。

 用があるからと足早にその場を去った良平だが、これから莉乃と猫を探しに行くのだという事を知られたらと思いぞっとした。


 校門の脇に莉乃はいて、文庫本を読んでいた。


「ごめん、待たせた」


「いえ、それより先輩、随分おモテになるんですね」


「見てたのか」


 莉乃は文庫本をしまいながら小声で「羨ましい」と言った。良平には聞こえなかった。


「じゃあ、淳さんと初めて会った場所に行きましょうか」


 校門を抜けて歩道のある幅の広い道に出る。良平が淳と初めてあったのはここより少し行った先の歩道だった。良平はこの辺りで事故に遭い、病院に搬送され、後に死亡が確認されたらしい。

 複雑でもないし、開けた道である事から車を運転していた運転手の責任が一時問われたが、目撃者等の証言から、加害者である淳が一方的に道に飛び出したものとなり、事態は収束に向かったようである。


 良平たちのいる側の反対側の歩道、つまり事故のあった場所には、いくつか花束が置かれていた。そこに、灰色のパーカーを着た人が立っていた。

 顔が見えた訳でもないのに知り合いなような気がして、良平は駆け寄ろうとしたが、目の前を車が通ったせいでそれは直ぐには叶わなかった。しかし車を見送った時にはその人はいなかった。


「相良、今向こうに誰かいなかったか?」


「いました?」


「気のせいなら、いいんだけど……」


 車通りを見計らって、事故現場に向かったけど、やっぱり灰色のパーカーの人はいなかった。目当ての猫もそこにはいなかった。淳もどこかで猫を探しているらしいが、どの猫かわからないなら望みは薄いだろう。


シャン


 一瞬鈴の音がした。莉乃が振り返ると、そこに猫がいた。


「あ、猫」


 良平が振り返るより先に猫はどこかに向かって走り出した。

 

「追いかけます」


 良平は声なく頷いて、莉乃について走った。


「先輩、次の、かど、あっ、公園……多分、そこ、です……」


 莉乃が先にバテたので、良平は若干呆れながらも莉乃の言葉を信じて公園に向かった。しかし猫はどこにもいなかった。遅れて莉乃も来た。


「先輩、猫、います……?」


「いや、見当たらないな。それどころか人っ子一人いない……相良大丈夫か?ちょっと休もうか」


「すみ、ません……」


 良平は莉乃をベンチに座らせて、自販機に走った。


 ふと公園の入り口に目をやると、猫がこちらを見ていた。さっきの猫だった。

 莉乃が立ち上がろうとしたその時だった。ベンチの後ろから黒い手が伸びた。黒い手は莉乃の口を抑えると、ベンチを乗り越え、莉乃を押し倒して馬乗りになった。

 すぐに気がついた。昨日と同じ人だ。


「ん!んんっ!」


 持てる全ての力で拒絶した。こいつに適わなくたって、良平が気づいてくれる。そう願った。


「おい!莉乃から離れろっ!」


 莉乃の願いが届かなくたって、良平は気づいただろう。

 良平は莉乃に覆い被さっていた誰かを引き剥がすと、そのまま腹部に蹴りを入れた。


「……ッ!」


 黒い誰かは後ずさりすると、ポケットからカッターを取り出して限界まで刃を出した。


「卑怯者はそういうの持ってるんだな……」


 しかし黒い誰かは良平ではなく莉乃を捉えていた。

 すぐにそれに気づいた良平は、素早く莉乃を庇うように立ちふさがった。

 だいぶ離れている筈なのに、黒い誰かの息づかいが聞こえる。狂気に満ちたその眼球は充血していて、今にも飛び出しそうだった。

 黒い誰かが最初の一歩を踏み出した瞬間、入り口の方で声がした。


「猫なんてどこにも……あっ君たち!なにしてるんだ!」


 先に気づいたのは入り口側に向かって黒い誰かと対峙していた良平だった。何かを探してここまで来たと思われる警官がそこにいて、黒い誰かが振り向くや否や組み伏せてしまった。


「君ね、カッターはダメだよ、カッターは」


 事情を説明された警官は、トランシーバーに向かって何か言った。すぐにパトカーが来て、黒い誰かを連行していった。詳しい話は後日という事らしい。


 ひとまずの危機を乗り越えた2人は、少し冷めた缶の紅茶を飲みながらベンチに座った。


「先輩、さっき私のこと名前で呼びました?」


「あ、マジ?ごめん」


「別にいいですよ。それに、莉乃でいいです」


「じゃあそうするよ。莉乃」


「はい先輩」


 豆腐屋のラッパの音が聞こえた。


 莉乃は良平の制服を掴んで涙を零した。ただ、良平に顔を見られたくなかったから良平の胸に顔を埋めた。

 良平は一瞬困ったような顔をして両手を上げたが、やがて莉乃の頭を撫でた。良平には姉と妹がいたから、こういうとき男は黙っていればいいことは分かっていた。


「凄く…怖かったです……」


「……」


 莉乃は、誰にも聞こえないように「ちょっとかっこよかったですよ」と呟いた。

 その時、良平の視界を猫が横切った。


「あ、猫」


 莉乃も振り返ると、確かにそこに猫がいた。

 猫はじっと2人を観察していた。莉乃が立ち上がって猫に寄ろうとすると、猫はどこかに向かって歩き始めた。さっきまでみたいに走るのではなく、時折こちらを振り返っては、ついてきているかどうか確かめるような素振りを見せた。

 莉乃も良平も、前を歩く猫について行った。


 猫はある木の下で足を止めた。白い小さな花のついた木だった。


◇◇◇


 良平と莉乃、それから淳も、昨日と同じ公園にいた。


「淳さん。成仏する方法、わかりましたよ」


「ホントっすか!いやぁ幽霊の体だと色々自由効かないんで困ってたんすよ~」


 淳はいつも通りへらへらしている。


「にしても、自分の未練って、猫にお礼をいってもらうことでしたっけ?全然想像つかなかったっす」


「それがどうやら、違うみたいなんです」


 莉乃は昨日見つけた木の下に歩いていった。木の下にはアイスの棒が刺さっていて

《3がつ13にち サクラのおはか》とマジックで書かれていた。


「サクラ?ハムスターっすかね?金魚っすかね?」


「猫です」


「猫……」


「俺も最初は見えてなかったんです。猫。淳さん、初めて俺と会った時、猫を抱いてたらしいですね」


「そうだったっすかね……」


「幽霊になったら、こっちの物には基本的に触れない筈なので、猫なんか抱くどころか触ることすらできない筈なんです。あくまで俺の考えですけど、淳さんは、猫のを追いかけて、道路に飛び出したんじゃないですか」


 淳はもうへらへらしていなかった。


「自分が助けようとした猫の名前がサクラで、ここに眠ってるってことっすか……」


「サクラはもともと捨て猫で、ちょうどこの場所で、ダンボールに入れられていたんです。近所の子どもたちがここでこっそり飼ってたみたいです。でもある時、縄張り争いに負けちゃって、この場所で……」


 淳はアイスの棒の前に屈み込んだ。

 すると、木の裏から、一匹の猫が出てきた。サクラである。


「そうか……おまえ、サクラっていうんすね……」


 淳はサクラを抱き上げた。


「淳さんがここにいる理由は、猫にお礼を言ってもらう為じゃなくて、猫がお礼を言う為、つまり、順序が逆だった訳です」


「自分はオマケだったってことっすね」


 表現に違いはあれど、あながち外していないせいで、否定できなかった。


「サクラ……」


「みゃー」


 サクラが鳴いたその刹那、淳とサクラを淡いピンク色の光が包んだ。淳はサクラを抱いて立ち上がると、莉乃と良平に向き直った。


「ありがとうっす。2人のおかげで、安心して成仏できるっす」


「みゃー」


「サクラも事故には気をつけろって言ってるっす」


 莉乃と良平は顔を見合わせて笑った。


「あ、そうだ、莉乃さん。もっと、周りを頼っていいんすよ。結構みんな、助けてくれるもんっすよ。自分とサクラみたいに」


 莉乃は小さく頷いた。


「じゃあそろそろ……」


「みゃー」


 淡い光はやがて粒になって弾けて消えた。サクラの鳴き声だけがその場に残って、地面に溶けるみたいにゆっくりと聞こえなくなった。


◇◇◇


 帰り道、良平は、莉乃を家まで送っていた。


「莉乃の本が無かったら気づかなかったかもしれないな」


「これ、先輩も読んでみますか?」


 莉乃が鞄から取り出したのは一冊の本。


梶井基次郎《檸檬》


 檸檬は幾つかの短編からなる短編集で、その中の有名な作品に《櫻の木の下には》というのがある。その冒頭部分で「桜の木の下には屍体したいが埋まっている」という文がある。莉乃は、近所の子どもの話を聞きながら、この文を思い出していた。


 実際にサクラが埋められていたのも、桜の木だった。4月の下旬に咲く桜で、緑萼桜りょくがくざくら、別名ミドリザクラと呼ばれる種類の桜である。若草色の萼に、小さな白い花をつける。


「そういえばさ、淳さんから色々聞いちゃったんだけど……」


「先輩ならいいですよ別に」


「ならよかった。でさ、一個言っときたいことがある」


「はい?」


「お前、胸無くたって普通に可愛いと思うよ」


「え」


 ちょうど莉乃の家の前だった。


「じゃあな。また明日」


 莉乃は何を言われたのか飲み込めないまま良平を見送った。家の中に入ってから、ようやく全部飲み込んだようである。


「先輩のばかああぁぁぁっっ!!」


「ちょっと莉乃!うるさいわよ!」


 この後ちょっとだけ怒られた。


◇◇◇


 莉乃を家まで送り、ついでに家の中から聞こえる莉乃の咆哮を流した良平は、来た道を戻って公園まで戻ってきていた。昨日莉乃といたベンチには、灰色のパーカーを着たその人がいた。


「2ヶ月ぶりかな」


「昨日会ったはずです」


「あれは会ったとは言わないだろう?」


 良平は黙った。


「前回ちょっと喋りすぎて怒られてしまったからね」


「上下関係でもあるんですか」


「あるけど、まあ、前回は同僚にね」


「芹澤のこと、お礼を言いたかったんです」


「あれは僕の我が儘だ。君にお礼を言われるいわれはないよ」


 良平はそれでも頭を下げた。しかし顔をあげたときその人はもうどこにもいなかった。


 その時良平のスマホが軽く振動した。莉乃からの着信だった。


「もしもし……」


『先輩のばかああぁぁぁっっ!!』


 スマホをだいぶ耳から離して莉乃の絶叫と説教を聞いた。

 信頼してくれているという証だなと良平は勝手に思った。もし莉乃が自分を頼ってくるようなことがあれば、ちゃんと協力してあげたいと思うし、自分も何かあった時は莉乃を頼ろうと思う。

 それでも不安になるのなら、またここに来ればいい。


 猫は人ではなく家に懐くと聞くが、サクラは既に死んでいる自分を助ける為に命を落とした淳にお礼を言う為に、ここに留まったのだ。だとすればサクラはどの猫よりも義理堅い猫だったに違いない。

 何かあれば、サクラも猫の手を貸してくれるだろう。


 桜の木の下には頼れる猫が眠っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 人物のキャラがしっかりとしていてよかった。 [気になる点] 特になし [一言] 素敵な小説家になれるように頑張ってください!応援してます。
2017/07/26 21:28 HALKA(*゜▽゜)ノ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ