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産女観音

作者: 西洋


子を孕んだまま死んだ女は、成仏できぬという。


石女の罪。子殺しの罪。血の池地獄に落ちるという。


川の流れに杭をさし、赤く染めた布を水にさらし続ける。色が褪めれば、なにかの仏縁により救われた証と言うが、三年たっても色は褪せぬ。


 沙那はまだ十五だった。



 「成親の絵は、夜叉ばかりなり、じゃ」

 深川の僧都は、呆れたように絵を放り投げた。

 「菩薩も、天女も、顔がまずい。白拍子でも傀儡子女でも、美女というものを眺めてくるがよい。この顔では誰も金は払わぬ」

 僧都はわずかの銭を儂に施して、席を立った。女人の描けぬ絵師では、使い物にならぬ。


 傀儡子の長者のもとへ婆を使わして、姿のよい女人を求める。婆には、歌舞音曲はできずともよい、絵に描きたいのだと念を押す。婆が連れてきたのは、やせ細った小娘であった。確かに調った顔立ちではある。

「旦那様のお足では、傀儡子は招けません。この子は、傀儡子の長者が、最近、人買商人から買い取ったそうで……姿が良いので芸を仕込もうと思ったら、おしだったそうで……しょうがないので飯炊きにつかっているとか。この子であれば、売っても構わぬと……」

「買うてきたのか?」

「いえいえ、今日は一晩のみでございます」


 とにかく娘に湯を使わせて、その間に部屋に幕を張らせる。沙那の着物の中から、春を思わせるような花の模様のものを選んで娘に着せた。化粧をさせ、燈明のもとに座らせると、幼さは残るもののあでやかな女になった。


 とにかく何も考えることなく、目の前のものを紙に写すことだけに集中する。美しい女の顔を描かねばならない。美女を間近で見ることなぞ、そうないのだから、描いておかねばならない。見ずとも描けるように、こつをつかまねばならない。一心不乱に、一晩、筆を動かし続けた。 


 その後、儂が描いた絵の顔は僧都のお気に召したと見えて、仕事が増えた。これも仏縁。娘を苦界から買い取ってやることにした。

 娘の名は、布津。歳は十四。口がきけぬのではなく、耳が聞こえていないのだということが分かった。口は全くきけぬのではなく、聞こえないのでしゃべらないのであった。遊ばせておくほど、我が家もゆとりがない故、飯炊きや掃除、洗濯をさせておく。

「旦那様、あれでは女房は務まりませぬゆえ、早ようにどこぞより貰うてくださいませ。これでは、婆は隠居できませぬ。家に女主人は必要にございます」

 婆は口うるさく言うが、その気になれぬので、通いの弟子であった重光を養子にして家のことを掌らせた。


 僧都の紹介で、ある公卿の持仏堂の本尊に千手観音を描くことになった。今まで請けたことのない大作。多くの下絵を描いたが、中でも肝心なのは、観世音菩薩の顔である。布津を座らせ、何枚もの絵を描いた。

 しかし、何かが違うのだ。千の手で衆生を救う観世音菩薩の表情が分からぬ。布津に話しかけ、笑わせ、和ませ、変わる表情をとらえても、そこには仏はおらぬ。儂はあせった。仏はおらぬのだ。

 徹夜で絵を描き続け、朝を迎えるころ、布津は疲れた目を上げてうめいた。ただならぬ様子に何事かと見ると、布津の小袖の腰から下が血でびっしょり濡れている。慌てて、重光に婆を叩き起こさせた。婆ははい出るようにしてやってきたが、布津の様子を見ると、「旦那様、赤不浄じゃ。この娘は、女子になったのじゃ」とこともなげに言った。


 布津が月の障りで忌んでおる以上、その姿をして仏画を描くことはできぬ。しばし本尊の下絵は止めて、背景などの絵を描きためた。一週間たっても、本人の気分が優れぬという。婆や重光に時々様子を見に行かせるが、おもわしくないとのことで、作業が再開したのは一月半も過ぎてからのことであった。

 久方ぶりに見る布津は、色気を増したように見えた。上気したような肌の色もなまめかしい。布津は美しい女になった。その姿を描きうつしながらも、しかし仏は見つけられずにいる。


 ある夜、小用に起きたら目が冴えた。何気に作業部屋へ向かうと、人の気配がする。息を殺し、中をのぞいた。眼が慣れると、状況ははっきりと分かった。重光が布津と交わっている。同じ屋根の下に、若いものを置いておいたのだ。そのようなこともあろう。驚きはしなかった。儂はだだ薄明かりに見える布津の表情を追っていた。仏がそこにいるのかどうか。それだけが問題であった。


 翌日より三日三晩、寝食を忘れて絵を描き続けた。布津を座らせて描いているのだが、布津を描いているようで布津ではなく、そうでないかというとやはり布津なのであった。悩み苦しんで行きついた絵に納得した儂は、布津を下がらせ、自分もその場で仮眠をとった。

 暫くして、人の気配に目を覚ますと、下がらせたはずの布津が絵をひろげてじっと見ていた。

「何をしている」

 布津は朱を溶かした皿を右手に持ち、気配を感じてこちらを向いた。

「……妾の顔でない」

 皿は手から滑り落ちて、絵の上に血のような染みをひろげた。駆け寄って、覗き込んだ観音菩薩は、誰でもない、沙那の顔だった。


 それから布津を使って絵を描くことはなくなった。布津は下女として仕えていたが、重光が妻を迎えると酷く扱われたようで、やがていなくなった。


 相変わらず女人を描くのは得手ではないが、儂の描く女人や菩薩を気にいってくれる上客を見つけることはできた。仏を描くのでなく、絵の中に仏がいる。そしてそれは、決して成仏できぬ女人の体を持った沙那の姿をしていた。


 川に晒しておいた布の朱がようやく消えた。


以前書いたものを手直ししたものです。

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