第四話
ちょっと照れたように彰人さんがしてくれた話はとても面白かった。
富山県高岡市という場所はモノづくりが盛んな場所で、その中でも特化したのが高岡銅器という伝統工芸の一つらしい。昔から鋳物の街として発展してきた場所だった。
広く言えば工場部品から公園のベンチまで、さまざまな金属を加工するのに使われている技術が鋳物。けれど高岡銅器と総称される鋳物は、彰人さんが言っていた仏像や仏壇仏具の小物を中心に作っているらしい。
「あとはブロンズ像とか記念碑とかな。工場によって得意分野が違うから大小様々ってやつ」
「彰人さんのお勤め先は何が得意なんですか?」
「うちは完璧に焼型だからでっけぇブロンズ像とかかな」
「焼型……?」
えーっとと自分の知識の中にそういう単語がないことで思わず漏らしてしまった言葉に、彰人さんは思わず罰悪そうな顔をしてすぐさま謝罪の言葉を口にした。
「あー悪ぃ。わかんねーよな、こういう話」
「ううん、そうじゃなくて。分からないからこそ教えてほしいなって」
駄目かな? と思いながらじーっと食い入るように彰人さんを見つめる私。彰人さんは私の反応を見て安心したようなちょっと不安交じりの苦笑を浮かべて見せたから、私はますます首を傾げてしまったけれど。
「いや、本当に興味あって聞いてくれてんだなって思って。俺、こういう話しか出来ねぇから、女の子につまんねぇって思われることよくあるらしくって」
ようやく彰人さんが危惧していた事が理解できた私は、そういう事かと納得して思わず笑ってしまった。
「うーん、確かに普通の子は興味ないって言うかもしれないですけど。私、デザイン専門学校出身なんです。だからモノづくりの話にはどんなことでも凄い興味示しちゃって。逆にご迷惑でしたか?」
肩を萎縮させながら小さく切ったハンバーグを口に含む。彰人さんは驚いた様子で「へぇ」と言って。
「デザインの専門学校ってスゲェな。俺んトコの周りにも結構いるけど、建築関係だったのか?」
たぶん、私がさっき仕事内容から予測したらしいけれど、残念ながらと小さく首を横に振って答えた。
「いいえ。まったく関係なく……グラフィックデザインをしていました」
「グラフィックデザインか!」
これはすごいと声を高揚させる彰人さんの姿に、今度は私が苦笑する番で。
「本当は広告デザインの会社に就職したかったんですけど、やっぱりそういう世界って本当に才能がないと厳しくて。結局はCADを使えるってだけで今のところにギリギリ滑り込めたんです」
今更口にするのは少し恥ずかしい経歴。
絵を描くのが好きで好きでたまらなかった私は親に無理を言って馬鹿高い授業費を払ってもらい専門学校に行ったけれど、そこで待ち受けていたのは辛い現実だった。
私はあくまで絵を描くのが好きってだけで、伝えたいものが何一つなかった。
切磋琢磨しあう同級生達の才能に嫉妬し、嫌悪し、卑下し、いつしか自分の絵を描かなくなって、苦しい気持ちのまま就職活動をした結果、夢を諦めるしかなくて。
大卒しか取らない今の会社に滑り込むように入れたのも、先ほど言った通りCADが使える即戦力になりそうだったからというただそれだけ。
実際、会社で使っているCADは会社独自で開発したソフトだったために結局即戦力にはならなくて、同期の連中にどんどんと先を越されるという悪循環が入社当時の私を襲った。
苦々しい記憶が表情に出ていたのか、彰人さんが私の様子をじっと見つめている事にようやく気が付く。
「うまくいかないことばかりで困っちゃいますよね、本当」
私が笑って誤魔化しても、彰人さんは笑ってくれなかったけれど。
「……話戻るけどさ。焼型って原型師が作った原型を元に周りを土で固めて焼いて、そうやって型を作る方法を言うんだ」
唐突に話を戻した彰人さんの言動に、私は少しホッとしながらもうんうんと相槌をうってみせる。
「これがすげぇ難しいの。実は」
焼型に限らずだけど、と急におどけた態度を見せた彰人さんに思わずキョトンとしてしまったけれど。
「型なんてスポンッと取れるもんだと思ってるヤツが多いけど、実際は焼いた型を分割して切り取って、もう一回パズルみたいに組み合わせて使うんだ。原型が複雑だと余計に、どこを切り取ればうまく型が取れるかとか、どうやったら原型の味をうまく出せんのかとか。意外と頭使うわけ」
「……はい」
「面倒になっちまうときだってあるけど」
「はい」
「……うまくいかねぇことばっかで困るよな?」
ニカッと笑った彰人さん。胸がズクンッと痛みを訴えた。
ちょっと泣きそうになったのをぐっとこらえるように小さく唇を噛みしめる。どうしてこんなにも私を甘やかすのが上手いんだろうって、嫌になってしまうほど彼の言葉が嬉しかった。
ひとつひとつの気持ちを丁寧に救い上げてくれる。一生懸命自分の言葉で伝えようとしてくれる。全部が全部、そう簡単にはうまくいかなくて当然。きっと彰人さんはそうやって私を慰めてくれたんだろうけれど。
「……流石に分かりにくい例えでしたよ彰人さん」
「ありゃ? ちょっと苦しかったか?」
ふふっと涙をこらえながら誤魔化すように零した言葉に、彰人さんは失敗だと言わんばかりに顔をクシャッとさせて笑ってくれたけれど。
◇◆◇
食事をすすめながら他愛もない話を続け、それなりに区切りのいいところで二人で席を立った。
お礼をするはずだったのに自分が楽しませてもらったと弾む気持ちで会計へ向かった私を待ち受けていたのは、またもや彰人さんの裏切りだ。
レジの前で店員さんから事実を告げられ、唖然としている私の後ろを悠々とした足取りで通り過ぎ、私から逃げるように店を出て行った彰人さんの後を慌てて追う。
「彰人さん! なんで会計済ませちゃうんですかっ!」
彼の背中に抗議しながら小走りに寄れば、彼は振り返って「バレたか」と笑って済ませようとする。ようやく彼の隣に追いついて見上げれば彼はサラリと後ろに流れる長い黒髪を鬱陶しそうにかきあげて隣を私を見下ろした。
「女の子が簡単に奢るもんじゃありません」
「でもお礼なのに、これじゃあお礼にならないじゃないですか! 大体、いつの間に払っちゃったんですか!? 伝票も持って行ってないのに!」
「伝票なくても融通利かせてくれんだよ、ああいう店は。女の子に飯奢ってもらう趣味はねぇし、ここは素直に奢られとけって」
「それじゃあ私何のためにっ」
せっかく気持ちよく食事が出来たと思っていたのに、こんなのあんまりだと思わず声を震わせてしまうと、彼は私が泣くと思ってギョッとした表情を浮かべて。
「なんっ……な、泣いて……?」
「こんな事で泣きませんっ。怒ってるんですよ私はっ!」
納得なんてしてあげるもんかとばかりに頑なな抗議を繰り返せば、彼は安堵しながらも次の瞬間には苦笑して私の後頭部を軽くぽんぽんっと叩いた。
「悪かったよ。んな怒んなって。俺だって礼くらいさせてくれよ」
「私、お礼されることなんてしてません……むしろご迷惑ばかりかけちゃってるし」
だんだんと言葉をすぼめていった私に、彼は歩調を合わせてくれながらもふんわりと笑った。
「慣れねぇ場所で、知り合いなんて一人もいねぇし、一人寂しく飯食ってた昨日までが嘘みてぇに今日は楽しかったんだよ」
眉をハの字に垂れ下げたまま彰人さんを見上げると、彼は困ったように笑ったままだった。
「それに、女の子と二人きりで食事なんてもっと久々だったし。一緒に飯食ってくれた女の子は滅茶苦茶いい子だったもんだから、いい子の前では男は見栄を張りたいもんなの」
たとえハンバーグでも、と場の雰囲気を和ますように零した彰人さんの言動に、私は頬を赤らめてしまう。
出会った時からだったけれど、この人はすごく素直に自分の気持ちを伝えてくる。今年で30歳になる私に対して、彰人さんはずっと『女の子』として扱ってくれるのがとてもこそばゆい気持ち。
どこにでもいるちょっとやんちゃな容姿を持った男性だけれど、私は彰人さんこそ本当のイケメンって呼ばれる人だと思う。食事の仕方も一度に口へ運ぶ量は異性を思わせたけれど、男性とは思えないほど綺麗だったし、セットでテーブルに並んでいたサラダもぺろりと平らげた。
一ヶ月前に別れた恋人が野菜嫌いだったからこそ目についたのかもしれないけれど、私の周囲に居る男性とは違った感じがする。女性の扱いがうまいというより、人の気持ちを汲むのがうまいんだろうなと納得した私は、結局絆されたように笑って。
「じゃあ次こそ私が奢りますからね? それだけは譲りませんよ?」
「……次?」
思わず零した言葉に彼が瞬時に表情を変えた。
あんなに穏やかに笑っていたのに、彰人さんはピタリと足を止めて怪訝そうな視線を私に向けている。数歩先に進んで足を止めた私は、一瞬彰人さんが何を思ったのか理解できなかったけれど、すぐに納得して「あっ」と狼狽えた。
食事をしてお互いに抱えていた緊張がすっかり解れたから、何気なく私はそう言ったけれど、彼にとって私は次の約束をするほどの仲ではないと悟ったからだ。
そうだよ……今回の食事、元はと言えば私のワガママに彰人さんを付き合わせただけだったんだ。
目に見えたお礼なんていらないと言ってくれた彰人さんを強引に誘ったのは私。彼の中でそれが次に繋がるなんて最初から思ってなかったんだ。
これが正真正銘、最初で最後。
せっかく仲良くなれたのに、こんな風にあっさり切れる縁なんて……やっぱり嫌だ、と決意を新たに顔を上げたものの、彼の険しい表情は変わることなく私に向けられていて。
「あ、彰人さん……」
「ダメだ」
私が何を言おうとしたか察したらしい彰人さんは、それ以上言わせないよう遮るように言う。
「これが最後だって言ったのは千穂だ。最後だって言われたから俺は食事に付き合ったんだ。次はない」
はっきり、きっぱりと断ってきた彰人さんの言葉に、私は今度こそ泣きそうになって。
「なんで……だって、私……ちゃんと彰人さんにお礼できていないもの……奢るって言ったのに彰人さんが勝手に」
「それでも駄目だ」
頑なに私の気持ちを拒み続ける彰人さん。彰人さんにとって、さっきまでの楽しい食事の時間が総べてだったんだと思うと、視界が潤み始める。ずずっと鼻をすすって、こぼれそうな涙を必死に瞳に押し込めながら、これ以上優しい彰人さんを困らせたくなくって俯いてしまうと。
振り返ったまま立ち止まっていた私に、彰人さんがゆっくりと近づいてきて、彼の靴がうつむいた私の視線に入った。
「何度も口酸っぱく言ってたつもりなんだけど、まだわかんねぇのかよ千穂は」
呆れたような声色に、私の全身が強張る。
何? 私、何を言われていたっけ? と必死に記憶を手繰り寄せるも、混乱した頭では彼の言葉を完全に理解はできなくて。
「そう簡単に、俺みたいなヤツを信用するなって言ったろ」
ようやく彼が言いたかった事を理解した私が顔を上げると、彰人さんはムスッとした表情を変えないまますぐ目の前で私を見下ろしていて。
「少しは警戒心持て。会ったばっかりの男をそう何度も誘うな」
「だっ……て……違うっ! 私は彰人さんだからっ――!」
「俺が詐欺師だったらどうすんの? 名乗った名前も偽名で、優しいフリして金を無心する野郎だったらどうすんだよ? いきなり豹変して千穂を襲うような男だったら?」
「彰人さんは違う!」
「そうかもしれねぇだろうがっ!」
ビクンッと体が大きく跳ねた。彼が怒鳴るなんて初めての事で。
異性に怒鳴られるなんて、上司くらいだった私にとっては驚く以外に反応なんかできなかった。険しい表情を携えたままの彰人さんは、冷たい目で私を見下ろして続けた。
「こうやって、怒鳴られるだけでもビビッてんのに。男を簡単に信用すんな」
吐き捨てるような言い方だった。
でも、私にはそれが酷く優しい言葉に聞こえたなんて、私の耳はどれだけ都合が良過ぎるんだろうか。私の身を案じて怒鳴ってくれる人が、騙すような人なんて思えるわけがない。
確かにずっと最初から言い続けてくれていたけれど、あんなに無邪気に笑う人に警戒心を持てなんて無理な話だって、彰人さん自身は気づいてないんだと思う。自分が悪者になってでも人の心配をできる人。それが彰人さんなんだと思えば。
グッと涙をこらえるのに、思わず唇を噛みしめた。
けれど次の瞬間には無理矢理笑みを張り付ける。きっと作り笑顔だってバレバレの顔だったと思うけれど、今ここで泣くのは本当に彰人さんを悪者にしてしまうから。
「彰人さんなら、私騙されてもいいです」
彼が私にはっきりと伝えてくれたように。私も自分の気持ちをはっきりと口にする。私の言葉を聞いた彰人さんは驚いたように目を見開いて、すぐに狼狽えるように視線を泳がせて。
「私、彰人さんが本当に優しい人だって知ってます。こうやって知り合ったばかりの私を叱ってくれるくらい優しい人だって。だからいいんです。私は私が信じたいと思うものを信じます。それでもし、私が傷ついたら……それは信じた私の責任です。彰人さんは悪くない」
だからお願い。これで終わりなんて悲しいこと言わないで。
私の気持ちが伝わるように、まっすぐに視線を向けたまま。それからゆっくりと本当に笑って。
「それに、彰人さんの言ってる事はちゃんと肝に銘じます。私が注意するのは、彰人さん以外です」
ふるりと唇が震えた。込み上げてきた感情が、涙で出てきそうになったのを必死に耐えたから。私の言葉に戸惑いを浮かべつつもしっかりと耳を傾けてくれた彰人さんは、やがて「あー」と唸り声を上げながら、ガシガシと自分の頭を掻いて。
「……お前、ホント馬鹿だな」
ぽつん、と降参したようにつぶやいた彰人さんの言葉に、私は「はい」と元気よく肯定してみせると、彼は顔を上げてさっきまで見せてくれた苦笑いを再び浮かべて私を見た。
「そう言って貰えるのはすげぇ嬉しいよ。けど、やっぱり次の約束すんのはやめとこう」
「……どうしてですか?」
せっかく私の気持ちを理解してもらえたと思ったのに、どうしても一線を引こうとする彰人さんに弱い声で尋ねれば。彼は目を細めて笑った。
「なんつーかな……俺も自分でほとほと頑固だとは思うんだわ。千穂の気持ちはよく分かったし、このままっつーのも勿体ねぇくらい楽しかった……だからな、一回は俺に警戒しとけ」
「……え?」
「千穂は俺に助けられたって気持ちで先走ってるようにも見えんだよ。なんつーんだっけ、こういうの? えーっと」
「吊り橋効果?」
「あーそれそれ。そーいう気持ち? になってんじゃねぇかなと」
「そんなこと……」
「ないって言いきれねぇだろ?」
穏やかな口調ながらも、必死に私を説き伏せようとしているような彰人さんの言葉を否定することが出来なくて。
「時間経てば俺がしたこと、実は千穂に不愉快だったことかも知れねぇ。今は気持ちが高揚してて、そう思えねぇだけかも知れねぇし……だから。一回は他人に戻ろう」
彰人さんが示した提案に私が不安を表情に浮かべると、彼は穏やかな口調で続ける。
「約束しちまったら次ができちまう。だから約束はなしだ。もし、俺がこっちに居る間に偶然またどっかで会えたら」
「運命?」
「ばぁか。んな恥ずかしい事言うか」
「違うんだ?」
思わずクスクスと笑みを漏らせば、彼はようやくホッとした様子で私を見つめて。それ以上、彼の口から言葉は続かなかった。
彼がいつまでここに居るかは聞いていない。聞いたら最後、もっともっとと欲が出てしまう気がして怖かった。
彼にとってここは諸事情で訪れた場所。偶然出会える可能性はほとんどない。
「……彰人さんの宿泊してるホテルのロビーで待ち伏せしてもいい?」
「アホ。それじゃあ偶然になんねぇだろ」
「偶然を装って」
「ダメだって」
「……彰人さんのケチ」
「ケチで結構」
そんな軽い口調で掛け合いのような会話を続けながら、いつしか互いにクスクスと笑みがこぼれてしまったのは必然で。
「……どっかで偶然会えたら。そん時は、俺と仲良くしてくれ」
「……ん、わかった」
約束しないはずだった私達が、そう、二人で交わした約束。
再会できるか分からない不透明な約束をした私達は、静かに一度目の縁をプツリと切った。