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第三話

よくよく考えれば私ってば助けてもらった人に酷い態度をとっていたんだなと猛反省した。


身なりはやんちゃそうだとは言え、義理難く私を助けてくれた人に怯えるなんて最低な行為かもしれない。彼に下心がなかったら、の話ではあるものの、自分が眠たいのを我慢してベッドを譲ってくれた人だからこそそんな人じゃないと否定できる。

手を出さないほど私に魅力がないのかとも考えたけれど、それはそれで自分の考えが恥ずべきものだと再び自己嫌悪。


このご時世、何が起こるか分からないのに親切にしてもらった人の気持ちを無碍にするなんて馬鹿げているなと思った私は、約束の夕方に再び彼が居るはずのビジネスホテルを訪れていた。


その場所は私が思わず飛び降りた駅から数分先にあるホテルだったらしく、同時に安心してしまったのも事実。全く知らない場所から一人で帰れと言われるよりはよかったし。


自宅マンションに帰って悶々と彼へのお礼を考えつつ、まずシャワーを浴びた。ようやくすっきりとした気持ちになってから、元々休日に行おうと思っていた家事を一気にやって、はたと気づけばもう彼と約束した時間の一時間前。


慌てて身支度を整えて、軽く化粧を施した私は、ヒールの低いミュールを鳴らして飛び出したけれど。


うあー……緊張するぅ。


部屋を出るとき覚えた番号を頼りに、部屋の前まで来た私は立ち往生していた。約束した時間の10分前には到着したけれど、かれこれ5分ほどはもだもだとしている。

助けてもらった人なのに名前も聞いていない男性の元を訪れるなんて、やっぱりやめておけばよかったかもなんて今更な事が脳内を占める。よしっと気合を入れて震える手の甲でコンコンッとノックを二回。数秒の間を置いて、ドアが内側からガチャガチャと鍵を開ける音を鳴らした事に、私は一歩身を引いて。


がちゃりと開いたドアの向こう側から、今朝会ったばかりの彼が、私を見た瞬間に驚いた表情を浮かべていたけれど、すぐに破顔して無邪気な子供のように笑った。


「マジで来てくれたんだ?」


――うわぁっ! この人、こんな顔できるんだっ。


今朝会った時は眠たそうな不機嫌そうな表情しか見ていなかった私にとって、彼の表情は破壊力満点だ。


彼の言葉の意味がイマイチ分からず、頬を紅潮させながらも「すみません」と謝れば、彼は慌てるように言い訳を始めた。


「責めてるわけじゃねぇって! ……ほら、俺、朝機嫌悪かっただろ? 眠すぎてちょい八つ当たり気味だったから悪かったなぁって。あんな態度だったから、来てくれねぇだろうと思ってたから嬉しいよ」


ああ、あれは眠かったからあんな態度だったのかと思うと納得できた。


同時に、彼にあんな態度をさせてしまったのはベッドを占領してしまった私のせいだ。意を決した私は改めて彼に向き直ると大きくお辞儀をして見せた。


「あの、昨日から今朝にかけては本当にありがとうございました。親切にしていただいたのに、すごく不躾な態度をとってしまった気がして」


誠心誠意を込めて頭を下げて謝れば、目の前に立つ彼がなんとなく固まったように見えて。恐る恐る視線を上げれば、彼は困ったように頭を掻きながら苦笑した。


「いや、むしろソレ普通じゃね? 知らねぇ男にホテル連れてこられて警戒しない方が無理っつーか。ほら、俺こんな身なりだし逆に警察に訴えられたらどうしようかと思ってたくらいだし」

「そ、そんなことっ!」

「ん。まぁね。世の中にはいろんな人がいるって事だし、アンタも今後気を付ければいいって話だからさ。律儀にお礼しに来たアンタも大概お人よしっつーか……もう少し警戒心持った方がいいぜ? 俺に対しても」

「あのっ、でもお礼はさせてほしいです」


彼の忠告はもっともだったけれど、やはりこれだけ迷惑をかけているのだからお礼はさせてほしい。少し尻すぼみになってしまった主張に対し、彼は苦笑を浮かべたまま続けた。


「『じゃあお礼は体で』って俺が言いだしたらどうすんの?」

「えっ!? あっ、いや……それは……」

「まぁンなとこ言わねぇけどさ、やっぱ約束したからって知らねぇ男んとこひょいひょい来るもんじゃねぇと思うぞ」


そんな風に肩を竦めていう彼を見ていて、私はますます居た堪れなくなった。


……どうしよう、この人、めちゃくちゃいい人だ。


見た目で判断した自分が猛烈に恥ずかしい。


こんないい人に迷惑をかけてしまったという事もさらに追い打ちをかけてしまっている。恥ずかしすぎて穴を掘ってでももぐりたくなった私がうつむいてしまったけれど、彼がふっと微笑んだのを頭上に感じて顔をあげると。


「そういうことだから。もうちょい警戒心持ってくれ。それが一番の礼だ」


その言葉に私は思わず目を見開いた。私が午前中家事をしながらあれやこれやと考えていたお礼とは全く違うお礼の方法を導き出した彼の言動に驚いたからだ。これで縁が切れてしまうというのが勿体ないとも思った。彼がいくら満足できる対応が出来たからと言って、迷惑をかけた私が納得していない。

たぶん、私がこの場から立ち去るのを待っていてくれるらしい彼に対し、私は食い下がった。


「あの、今後はご迷惑をおかけしないように気を付けます。でも、別のお礼もさせてください」

「……アンタ、俺の話聞いてたか?」

「分かってます! ちゃんと理解もしてますっ! でも、それだけじゃあ私の気が済まないって言うか……ご、ご迷惑をおかけするのはコレで最後なので、私のワガママに付き合ってもらえませんか!? 別の形でお礼させてください!」


もう言っていることが支離滅裂だなと自分でも思う。


迷惑をかけないと言った次の瞬間にはもう迷惑をかけているなんて分かってる。私のワガママに付き合わせる義理なんてこの人にはないってことも理解しているけれど、納得ができないのだ。必死に食い下がる私を見た彼は、思った以上に困った表情を浮かべていて。


「……はっきり言って迷惑なんだけど」


表情とは裏腹に冷たい言葉を投げかけられた私は体の芯がひんやりとした。心臓が思いきり切り裂かれたみたいで、自分が傷つく義理がないのを分かっていながら馬鹿を見ている気分だ。


どうしよう……呆れられてしまった。


迷惑に迷惑を重ねて自分は何をしたいんだろうと顔を真っ赤にしてこの身に掛かる羞恥に耐えかねていると、彼はおもむろに口を開いて見せた。


「……って、言えたらいいんだけどな」

「……え?」


思わず潤んだ瞳でもう一度彼を見つめれば、彼は困った表情に喜びを含ませているようで。


「女の子にそれだけ言われて嬉しくない男なんていねぇよ」


そう苦笑した彼の言葉に、私は嬉しさがこみあげてくる。


私の表情の変化を読み取った彼は、クククッと喉の奥で笑いながら自分の髪をかきあげながら質問してきた。


「で? 何してくれんの?」

「お、お食事でもどうですか? 何か食べたいものがあったら奢ります。もしよかったら手料理でも構いません」

「それはダメ」

「あ……」


せっかくお礼が出来そうだったのに、はっきりと断られた事に思わず落胆すると、彼はため息交じりに続けた。


「だからさ、アンタ。人の話聞いてねぇだろ……今朝は緊急事態だったからホテルに連れて帰ったけど、手料理ふるまうっつったらホテルじゃ無理だし、だったら消去法でアンタんチだろ? 知らねぇ男を易々と自分の部屋に入れようとすんな。料理じゃなくて自分を美味しく食べてくださいっつってるよーなもんだぞ」

「そ、そんなつもりは……」

「男にとっては据え膳になっちまうんだよ」


アンタにそのつもりはなくてもな、と彼は言う。


「だから、飯食うなら外行こう。ちょっと着替えてくるから五分ほど待っててくれっか?」

「は、はい」


ぶっきら棒な物言いだったけれど、今朝より温度を含むかれの言葉遣いに、私は素直に頷いた。じゃあ、と彼が踵を返したものの一瞬迷ったように視線を泳がせて、振り返ると途端にボンヤリと立っていただけの私の手首を引いて自分の元へ寄せる。


――抱きしめられるかと思った。


でもそれは杞憂で、彼との距離は数センチ。


引き寄せられた背中でドアがガチャリとしまったのを聞きながら、部屋の中に自分が立っていた事にようやく気が付く。


「悪いけどここで待ってて」


部屋で着替えるとなれば、当然私を入れるわけにはいかない。先ほど彼が語った事も含めるならば、彼はそういうことを望んではいないと分かってる。

けれどドアの向こうで待たせるよりも、ドアの内側で待たせるという配慮をしてくれたのだとようやく理解したのは、彼が私から離れて部屋の奥へ入っていたのを見送った後。一気に全身の血が沸き立つのを感じながら、自分の馬鹿過ぎる勘違いに全身から湯気があがるようだった。


「……恥ずかしすぎる」


ぽつりとつぶやいた独り言は、もちろん彼に聞こえないように。熱く火照った頬に冷えた手を当てながら、自分の中にある冷静さを探すことにした。


 ◇◆◇


着替えを済ませた彼とビジネスホテルを後にし、向かった先は近くのファミレスだった。


もっとオシャレで豪華なものをごちそうしようと思っていた私は肩すかしを喰らった気分だ。その気持ちをそのまま彼に伝えれば、彼はいたずらっ子のような無邪気な笑みを浮かべて「ここのハンバーグ好きなんだ」と、これまた子供っぽい嗜好を披露してくれた。


「じゃあ、遠慮せずにおっきいハンバーグ食べてくださいね」


妥協した私がこれだけは譲れないと意地悪く言えば、テーブルを挟んで向かいのソファに座った彼は肩を竦めてみせる。


「じゃあ目玉焼きが乗ったのにすっかな」

「チーズが乗ってるのもありますよ?」


彼の言葉にクスクスと笑いながらメニューを指さして伝えると、彼は「それも捨てがたい」と笑う。結局、彼が頼んだのは300gのハンバーグセットで、私はその半分、150gの和風ハンバーグだった。


「そう言えば名前聞いてなかったな」


注文を受けたウェートレスが去っていくのを横目に、彼がお冷のグラスに口を付けながら言うと、私もそう言えばとようやく自己紹介する事になった。


加藤千穂(かとうちほ)です」

「俺は冴島彰人(さえじまあきと)

「冴島さん――」

「彰人でいいよ。俺も千穂って呼んでいいか?」


ほぼ初対面の男性に名前を呼ばれることなんて滅多にないことだから、思わずどきっとするものの、彼の人柄から名字を呼ばれるのは逆に抵抗を覚える気がしてすぐに首を縦に振り了承する。


「彰人さんの事、色々聞いても?」

「もちろん。これで俺の身の潔白が証明されるなら甘んじて」

「やだ、そんなつもりはないですよ?」

「だから、俺みたいな男を簡単に信用すんなって」


出会った時から感じていた事だけど、彼は自己評価が少し低い気がする。確かに見た目で判断してしまった事は否めないけれど、彰人さんはそれを自分でも理解していて貶めようとしている。


出会ってまだ間もない、ほんの少ししか会話していない私でさえ彰人さんはそんな人じゃないってわかるのに、どうも彼は私に警戒心を抱かせたいようで。そう思ったけれど、出会ったばかりの人にソレを指摘されるのは彼にとっていいことではない気がしたから、私は彼の言葉を否定も肯定もしないまま話を振った。


「彰人さんっておいくつですか?」

「俺は今年で35」

「そうなんですか……」

「……え、ちょっと、それどういう反応?」


思ったより年上だったことにちょっと驚いた反応だったけれど、彰人さんは腑に落ちない様子で苦笑いしている。


「もう少し年が近いかと思ってたんです」

「千穂は何歳?」

「今年で30です」

「お、三十路仲間」

「ちょっと、それ女性に言う言葉じゃないですよ」


ぷくっと頬を膨らませて抗議すると、彼はケタケタと笑って「悪ぃ悪ぃ」と絶対悪いと思っていない軽い態度で謝ってくる。そんな彼の態度に絆されて、私は「まったくもう」なんて思ってもないことを口にしながら、次の質問を繰り出した。


「ビジネスホテルに泊まってらっしゃるってことは、出身はここら辺ではないんですか?」

「そ。ちょっと色々野暮用があってね」

「……出身はどちらなんですか?」


ちょっと質問する声が上ずったかもしれない。何気なく緊張してしまった私の動揺を悟ることなく、彼は「ああ」と言って。


「富山」


あっけらかんと言ってのける彼の言葉に落胆したのはなぜだろう。せっかく出会った縁なのに、と思ったのかもしれない。思わず浮かんだ動揺を悟られないよう、私は話題を提供し続けた。


「富山に方言はないんですか? 話してるとあまりにも標準語だったので、気がつきませんでした」

「元々こっちに住んでた事もあっからかな? 郷に入っては郷に従えってやつで、あっち戻ったら方言出まくり」


ちょっと恥ずかしそうに肩を竦める彼の姿に、方言を話す彰人さんを見てみたいと内心で思いながら。


「仕事は何されてる方なんですか?」


当然の流れで尋ねた事だったけれど、この時初めて彼は言葉を噤んだ。


「なんか見合いみたいだな」

「えっ!? あ、いや、そんなつもりは……」


知りたい欲目が丸見えだっただろうかと頬を赤らめると、彼はケラケラと笑いながら切り返してきた。


「そういう千穂は? どんな仕事してんの?」


そう切り返されるとは思ってなかった私は一瞬「え?」と呆けてしまったものの、すぐに自分の仕事を思い浮かべてわかりやすい言葉を選びながら伝えた。


「普通のOLです。営業補佐の事務、ですかね」


ちょっと恥ずかしいながら答えると、彰人さんは理解できなかったようでちょっと首を捻って見せて。


「……黒澤不動産って分かりますか?」

「あのでっけぇ会社だろ?」

「その黒澤不動産本社はビルやホテルなんかの大きな建物を施工するのが仕事ですが、そのグループ傘下には個人住宅を主とする企業もいくつか入っているんです。そのうちの一つですね」

「へぇ、営業補佐って見積りとか作んの?」

「えーっと、私の場合は設計を担当しています。他の会社はどんなふうに成り立っているか知らないですけど、私の会社では設計って営業さんと下請け業者さんの間に挟まれる感じで……」


これ以上は仕事の愚痴になってしまうから言わないけれど、私の説明を聞いていた彰人さんは感心したようにはぁと大きく息を吐いて、それから気まずそうに視線を逸らした。


「あの……すみません、わかりにくかったかもしれないですね……」


申し訳なくなりながらそう言うと、彰人さんは驚いたように顔を上げて全力で否定してきた。


「いやいや、それだけで充分! それ以上説明されても頭悪ぃ俺にはわかんねーし! スゲェ仕事してんだなって感心してただけだって」

「すごくなんてないですよ。基本さえ押さえておけば誰にだってできる仕事ですから……」


自分で言っててちょっと泣きそうになった。


もっとこうしたら営業さんの意見通りに動けるのにとか、もっと私がしっかりしていれば下請け業者さんの負担も減るのにとか、そういう気持ちにしかならない。本当、誰だってできる仕事。私が居なくなったとしても、かわりなんていくらでもいる。

思わず気持ちが沈んでしまったところに、空気を読まないウェートレスが、注文の品を携えてやってきた。ちょっと覇気のない間延びした口調でメニューを言われ、私と彰人さんの前にアツアツのハンバーグが並ぶ。ウェートレスが去っていたタイミングで、私は気を取り直したようにテンションを上げた。


「おいしそうですね! 熱いうちに食べましょう!」


嬉々として私がフォークとナイフを持てば、彰人さんも「そうだな」と笑ってフォークを持つ。気恥ずかしさから顔を上げられないまま愛想笑いを浮かべてハンバーグにナイフを入れると、じんわりと肉汁が零れ落ちた。


「……誰でもできる仕事だから全力でやるんだろうな千穂は」


突然投げかけられた言葉に、私は顔をあげないまま動きをピタリと止めてしまった。あまりにも唐突なセリフに私がゆっくりと視線を上げると、彰人さんはフォークを握りしめたままフッと笑ってくれる。


「基本を押さえればできる仕事だって分かってるんだから、千穂はやっぱりスゲェと思う。その基本をちゃんと押さえてなければンな事言えねと思うぜ俺は。体調悪くても仕事に行って、吐気堪えて頑張ってんだろ?」


わかってるよ、って言ってもらえた気がした。


彼の優しさがじんわりと疲労していた心に染みわたっていく。意外と私、頑張ってたんだ。それで弱ってた。だからこんな優しさが身に染みるほど嬉しいと思える。じんわりと目に涙が浮かび上がってきたけれど、それを必死隠しながら笑った。


「ありがとう彰人さん。そう言ってもらえると、また月曜日から頑張ろうって気持ちになれる」


素直に感謝を伝えると彼はククッと笑って「エラそうに言って悪かったな」と謝ってくる。そんな謝る必要なんてないのに、って言葉を呑み込みながら、同時進行で一口サイズにしたハンバーグを口に含んだ。

そんな私の姿を見て安心したのか、彰人さんもフォークで柔らかなハンバーグの身を切りだして。じんわりと口内に広がる熱いハンバーグを咀嚼して呑み込んだ私は、次に口へと運ぶ塊をつくりながら彰人さんに尋ねた。


「それで、彰人さんはどんな仕事してるんですか?」

「……それ、聞く?」


初めて嫌そうに呟いた彰人さんの口調に、ちょっとだけ驚いた。


「人に言えないような仕事なんですか?」

「いや、そういうわけじゃねぇけど。一発で理解されない職業ではあるな」

「……? それって?」


意味が分からないという気持ちを素直に表現すると、彼はふふっと笑って。


「……じゃあヒント。職人」

「職人? もしかして黒澤不動産系列ですか?」

「いやいや、そんなでっけぇ会社じゃねぇよ。そもそも職人とは程遠いじゃねぇか」

「黒澤不動産は辿れば建築関係で下請けさんは皆職人さんですよ」

「まっ、建築系ではないな」

「うーん、じゃあなんだろう?」

「たぶん当たんねーぞ」

「もう、意地悪しないで教えてくださいよ」


そう言ってハンバーグを頬張ると、彼は私よりもさらに大きいハンバーグの塊を頬張りながら「んー」と考えているようで。ようやく思いついたように、彰人さんはおもむろにポケットからスマートホンを取り出して操作する。


ようやく目当てのものが映し出されたのか、彰人さんは少し恥ずかしそうにスマホを私に差し出した。


「こういうの、作ってる」


視線をスマホに集中させたまま、フォークとナイフを置いて両手で彰人さんから受け取ると、私の視界に飛び込んできた意外過ぎる写真に私は声をあげた。


「ぶ、仏像!?」


スマホに写っていたのは金色に輝く仏像だったのだ。


鋳物(いもの)職人なの、俺」

「い、鋳物……?」


初めて聞く言葉に、私はスマホと彰人さんの顔を交互に見つめてしまう。彼はふっと笑いながら自分の仕事を説明してくれた。


「仏像だけじゃなくて、仏壇仏具とか。あとは寺の鐘なんかもそうだけど、型に鉄を流し込むのが鋳物の基本かな。俺のオジさんが富山の高岡っつーところで鋳物工場経営してて、そこで世話んなってんだ」


初めて聞く職種に私は目を丸くするしかない。


流石に仏像の良さをわかることはできなかったけれど、彰人さんの仕事は私と正反対であることぐらい理解は出来た。スマホを彰人さんに返しながら、私は興奮冷めやらぬ口調で呟いた。


「すごい……手に職を持ってるって素敵です」


本当に羨ましいと気持ちを込めて言えば、彼はスマホを受け取り肩を竦めながら苦笑した。


「いや、逆にこれしか仕事選べなかったってのもあるんだよな。俺、中卒だし」

「そ、そうなんですか?」


輪をかけて真実を突きつけられた事に私が驚けば、彼は苦笑というより悲しそうに笑みを浮かべて。


「頭も悪かったし、ガキん頃に馬鹿やらかしてたっつーのもあんだけど。経済的によゆーもなくて、今世話んなってるおやっさんトコに行くしかなくってな」


笑って語った彰人さんだったけれど、たぶん、それはコンプレックスだとすぐに悟った。私だったら、という考えもあるけれど、このご時世に高校にすらいけないという子供は滅多にいない。どんなに頭が悪くても受け入れてくれる学校というのは探せばいくらでもあるもので。


それすらできなかったというのは、よほどだったのかもしれない。


彼の素行なのか経済的理由なのかは分からないけれど。それでも私みたいに誰でもできる仕事より、手に職を持っている人というのは羨ましいと思ってしまうのは、やはり無いものねだりだろう。


「それでも――今の仕事に誇り持ってやれてる自信くらいは、ようやくついたかな」


そう言ってもくもくとハンバーグを口に運ぶ彼の姿に、私はホッとしてしまって。


「鋳物って、仏像とか仏壇仏具? しか作らないんですか?」

「いや、インテリアとか色々。型さえ取れたら基本的には何でも作れるし」

「へー? 例えば?」


興味津々で尋ねてみると、彰人さんはちょっと呆けた。


「……興味ねぇのに無理して聞くことねぇぞ?」

「えー? 興味深々ですよ?」


本音を返したのに彼は納得いかないらしい。


「女の子が仏像――鋳物に興味あるとか聞いた事ねぇ」

「そんなこともないですよ。歴史好きの歴女が居るなら、仏像好きの仏女も居るくらいなんですから」

「何それ、初めて聞いた」


本当に驚いている彰人さんに、私は思わずクスクスと笑みがこぼれる。


「カプセルトイって分かります?」

「いや、わかんね」

「えーっと、あれです。硬貨入れてハンドル回すと玩具のカプセルが出てくる」

「ガチャガチャ?」

「あはっ。ソレです」

「あれってカプセルトイって言うんだ?」

「正式名称はそうらしいですよ。で、そのカプセルトイのシリーズで仏像フィギュアがあって。それを集めてる友人が居るんですよ」

「あー、それ知ってる。会社のヤツが全部当てて持ってきて喜んでたな」

「あははっ、やっぱりプロの方ってそういうの魅力的にみえちゃうんですかね?」

「フィギュアってーのも元をたどれば加工する素材が違うだけで、鋳物と作り方が変わんねぇけどな」

「へぇ! そうなんですね。さすがに私も仏像に興味はないですけど、鋳物にならちょっと興味あります」

「そう?」


軽やかに進む会話の中で、いまだに信じきれないという疑惑を含んだ視線を投げかけてくる彰人さんに、私はふふふっと笑って。


「本当は、彰人さんがどういう仕事をしているか興味がある、って言った方が正しいかもしれないですけどね」


ペロッと小さく舌を出しておどけて見せれば、彰人さんは絶句して大きく目を見開いたものの、やがてソファに深く腰掛けてずるずると体を滑らせた。


「……あー。千穂、ヤバいってそれは」

「え? な、何か変な事言いました?」


本当に参ったように呟かれた彰人さんの言葉に困惑すると、彼は気恥ずかしそうに笑って。


「嬉しすぎるわ馬鹿」


くしゃっと顔を歪めてみせた彰人さんがあまりにも可愛くて。とうとう私はお腹を抱えて笑ってしまった。

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