16.属性にあった育成大事。
湿ったイヌの毛のにおいがする……。
うぷぷ。なにそれ。ワインのテイスティングかいな。
寝ぼけた頭が自己ツッコミ。
ふつうに臭かったので顔を背けたら、今度は清潔なワンコのにおいがした。ひなたぼっこを連想させる乾いた獣のにおい。
ぱちり。
目をあければ銀灰色の毛。レンハルトのふさふさ胸毛のどアップ。
……うぅん?
あぁそっか、と思い出す。
昨日、病院からワンコを連れて帰ってきて。寒いってうなされ震えてたから、わたしとレンハルトがいっしょに寝たんだっけ。ヒト肌で温っためてあげるために。
さすがにすっぽんぽんじゃないです。パンツとタンクトップ的な下着は身につけてます。レンハルトは……うん、まあ。ワンコも着てない。うん。
毛皮のある人たちだからニュアンスが違うんです!!
あらためてワンコの方を向く。……よし。多少ぴすぴすいってるけど、おおむね穏やかな寝息だ。快方に向かってると期待できる。
しかし……。
昨日はこの「ワンコくんに」わたしとレンハルトがくっついて寝てたはず。なのに今朝は「わたしに」ワンコくんとレンハルトがくっついて寝てる。これ如何に?
どんな寝相が展開されたのか……謎めくのう。
とりあえず起きよう。
……うぬ? くっ、のっ。ふたりの手足がからみついて……とれん!
男ふたりの手足と身体の一部。かなりの重しだ。うまいこと抜け出せずに奮闘してたら、ふっと軽くなった。
おりょ?
「……おはよう、主」
はうっ。
れ、レンさんや……。朝から低音ボイスで不意打ちするのはやめてくれんか。
ああうん隣のワンコを起こさないための囁き声。わかってるけど心臓に悪い。朝から血圧あがるわー。
「お、はよぅ……」
「早いな」
「そう? ……朝ごはん、作るね。レンさん、シーツ替えてあげてくれる?」
「了解……」
ワンコの寝汗がひどいようなのでシーツ交換を頼んだ。レンハルトはまだちょっと眠そう。とろんとした目もとが色っぽいのう。あくび。おっきなお口ですのう。
あぁ。なごんだ。
レンハルトの協力で二人の間から抜け出した。ベッドを降りる。昨夜脱いだ部屋着をかぶってから、着替えを片手に部屋を出た。
ごはんをつくる前にお風呂で汗を流しておこう。
ちょいちょい様子をうかがう必要があるので、ワンコくんは2階の部屋に寝かせることにした。
いつも使ってるこの部屋、家主さんの部屋と続きになってる。内壁の一部がドアサイズで切り取られてて、しかも戸板ではなくカーテンで仕切られてて。主に何かあったらすぐ駆けつけられるよう、獣僕さんが控えてた部屋って感じ?
ワンコくんの体調がよくなったら、3階の部屋を使ってもらってもいいかな。
ベッドは2台あるから、この部屋でもいいけどさ。さすがに大人だったら、ひとり部屋がいいって言うかも。まだ空き部屋あるんだし。
……大人でもレンハルトはいっしょに寝てるけどね!
普段はここで、わたし、メルト、レンハルトが寝てる。わたしにメルトがひっついて、さらにレンハルトも、っていう。
なんでそんなことになったんだっけ?
あらためて考えるとよそ様には言えない実態だ。なんだかおかしい。獣族と寝てるとか抜きにしても。
昨夜はテレスにお願いしてメルトといっしょに寝てもらった。
テレスは普段ひとりで3階の部屋を使ってる。
3階は、男性向けっぽい部屋と、女性向けっぽい部屋があって、テレスは女性向けっぽい方をとった。そっちの方が若干広い。家具も多い。女性の方が衣装もちだったりするからかな。
窓からの眺めはどっちもどっちかなぁ。女性向けっぽい方が通り側(玄関側)で明るい。男性向けの部屋は裏のお庭側なんだけど、四方建物で陽のあたる時間が限られてるので。
しかもお庭は草ぼーぼー。お手入れした方がいいのかなー。そう思いつつ、手が回ってない。
ちなみに2階の部屋は、家主さん部屋が通り側。通りに面した窓も片方はデカイ本棚で容赦なく潰されてるっていう読書家大喜びのお部屋だ。
今日はどうしようかなぁ?
昨日休んじゃったし、今日は仕事に行くべきか……。
ダメだ。やめとこ。小康状態っても、さすがにあのワンコくんを置いては行けないよな。テレスひとりにメルトもワンコくんもじゃ負担が大きすぎる。メルトは絶対そばに来させないように注意しながらって難易度高いよね。
かと言って、レンハルトだけに出掛けさせるのもなー。心配だなー。獣族だからって、よそのひとにイジワルされるかもしんないし。
「主。今日はオレひとりで採取に行ってこようと思う」
「へ?」
わたしの葛藤を読んだような提案をレンハルトからされた。
か、顔? また顔に出てた?
いやいやいや……考えてたのは料理中で。いまは食事中だ。
「べつにひとりでも平気だぞ?」
「うん」
「信用してないな。野山でオレに追いつける人族なんていない。以前追われてたのはな、あれは魔術師の仕業だ。主に誓約をしたことで吹き飛んだが」
「へー」
そうだったのか。今さら知った。
「だから大丈夫だ」
「昨日の奴みたいな魔術師にからまれるかもよ?」
「出掛けに魔力をくれ。主の魔力は純度が高い。小物になど負けはしない」
「彼に任せた方がいいよ、主サマ。ボクらのこと上手に使わなきゃ。信頼して仕事を任せてもらえないと、拗ねちゃうよ?」
答えあぐねていたら、テレスにまで言われた。そうか。そうだな。
「子離れならぬ獣僕離れします。……さみしー! なにこれさみしー!」
「レンの留守中はボクに甘えてよ」
「テレスさんは、甘えるっていうより、むしろ甘えられたい」
「そう? じゃあ、いっぱい甘えてあげる」
あ・げ・る(はぁと)って言われたー! 生(はぁと)だー!
「間にあってます。メルトと遊びます。遊んでもらいます」
「残念だね。メルトじゃ出来ない遊びをおしえてあげるのに」
「朝っぱらからよしな、おっと、むずかしい遊びは結構です。メルトと遊ぶ方がたのしいもんねー」
と話を振ったら、メルトは大っきなコバルトブルーの目を見ひらいてキラキラさせた。あそぶあそぶ!!と興奮してる。尻尾もぴーん。
「あぁ、ごはんはぜんぶ食べてね。順番に。きちんとしよう」
こくこくうなずいて、もぐもぐ再開。ああ。メルたんかわいい。マジ天使。ごはんボロボロさせててもいいよもう。
というわけで、暫くの間、看病に集中させてもらえることになりました。
ひとまえで魔力をあげるのって、ひとまえでイチャつく並みに精神破壊力があるわー。
イチャついたことなんてないけどさ。
い、いや、高校生時代におつきあいしたことはあったよ!? でもお互い地味キャラだったから、そんな大それた真似なんて出来なかったの!
……相変わらず、レンさんってば色っぽいんだよなあ。魔力あげるとき。
くぅんって堪えながらもかすかに鳴くのとか反則です!
なんであんなにいやらもといっっっ!!
――ぼんのうたいさーん、ぼんのうたいさーん!!!
ええと。
意外とテレスはそこそこ。マッサージされて「あーいいわー」くらいの反応。ほんとあっさり。それでも色気は匂いたつので二人きりではしないようにしてる。
かえって居間でやっちゃう。なるべく「あっ、そうそう、魔力ね!」ってお小遣いとかお弁当わたすみたいなノリで。
レンハルトにあげるときは何となくこそこそしちゃうんだよね……。
今日はお出掛け間際にあげる必要があったから、玄関先でしたんだけどさ。あんな潤んだ眼で外に行かれると、あの、あの、誤解を受けませんかね?
ますますレンさんの身が案じられる。
あんな美形オオカミが色っぽいのはまずいと思うんだ。いくら逞しくても。
……身びいき?
でもレンさん、以前そのテの嗜好がある魔術師に追われてた実績があるしさ。ん? あ、前例か。追われてた前例がある。そいつから逃れたい一心で、出遭ったばかりのわたしに誓約したくらいだし。
ほんとに大丈夫かなあ?
なにかあったら呼びなさいって遠隔連絡用の魔道具は渡してあるものの……しんぱいだー。しんぱいだったらしんぱいだー。
あ、いかん、いかん!
主たるもの己の獣僕を信じなくてどうする。普段あんだけ頼りにしといて。レンハルトは絶対負けない。そうだろう。
あんまり過保護におろおろするのもフラグ建設っぽいし。
堂々と構えるのだ。
食後、テレスにメルトを見てもらってる間に、テーブル片づけて皿洗いを済ませて。2階の病人の様子をうかがいに行った。
寝てた。ぴすぴす言いながら。まだ熱がひかないようだ。
たった一晩でも、昨日よりはマシになった気がする。先生の言う通り、ちゃんとしたベッドで寝かせてあげたのがよかったのだろう。二人がかりで温めてあげたしね。
……あ、目をあけた。
やさしそうな茶色の目。毛並みは明るい茶色。柴わんこって感じだ。
すがるように、おびえるように、わたしを見る。体調が悪いせいか、目の焦点があわせにくいみたいで、頭をもぞもぞさせた。
「だいじょぶ。まだ寝てていいよ。もし飲めそうなら、スープがあるけど」
「す……ぷ……」
「食べられそう?」
うなずいた。隣のベッドから枕をとってきて重ね入れる。まだ低いかなぁ。ベッドにあがって自分の脚も入れてみた。よし。片方膝を立てて調節。
まるっきりワンコの口だからね。寝たまま食べさせるの難しいんだよね。啜ることができる人間でも難しいけど。
ちょっと噎せさせてしまったりもしたけど、何とか半分くらいは食べてくれた。あとはただのお水がいいって。
「ありがと……ございます……」
「うん。眠い? おしっこは?」
尿瓶アリマス。先生が貸してくれたよ。先生もご近所さんから借りたもんらしい。もともと入院体制ないとこだもんね。又貸し承諾してくれたご近所さんには今度お礼しよう。
ワンコはいましも眠りそうにぼんやり。
おしっこ出ないかー。汗だくなのに意識がないから、昨日は唇(は無いんだけど、濡らした布を口の端にあてて)しめらせる程度しか出来なかったもんなあ。
次に起きる時にはおしっこ出るといいねえ。
ちっこは健康のバロメーター。みよしさんは玄関傍に設置したトイレも使ってくれたので助かったよ! お散歩の時じゃないと絶対しないってコもいるからねぇ。
「……おやすみなさい」
枕をなおして、掛け布を襟元まで引き上げて、これでいいかなと立ち上がろうとしたら。
「どうしたの?」
袖をつかまれた。ワンコくんに。
「おれ……すてられた……?」
うっ。その件か……。ワンコだけに気になるんだろうなあ。
「大丈夫。かならず新しいお家を見つけてあげる。いい人に引き取ってもらえるまで、責任もってつきあうよ。それまではわたしが面倒を見ます」
「……あなたは……だれ? まじゅつしさま……?」
「うん、そう。だから安心して」
「おれ……使えない? 役立たず……?」
――あの守銭奴野郎。金○つぶしてやりゃあよかった。
「そんなことない。絶対にない」
「……ほんとに?」
「うん。わたしが保証する。だから心配しないで。よくなるものも良くならなくなっちゃう。なにも考えずに寝てなさい。もう誰もあなたを叱ったりしないから。元気になってね」
「うん……はい。がんばります……」
「がんばらなくていいよ。寝てるだけでいいんだよ」
思わず笑い声を立てながら言ったら、ちょっと安心したらしい。ワンコくんの目にもほんのり笑みの気配があった。ワンコヘッドでわかりにくいものの。
「げんきに……なったら……はたらく から……」
……あかん。泣きそうや。
「そっか。じゃあ、いっぱいお手伝い頼んじゃおうっかなあ。うちって小さい子もいるんだ。構ってあげてね。たのしみだなぁ。お料理のお手伝いなんかもしてもらっちゃおうかなー」
「うん……する」
「名まえ、何ていうの?」
「アルト」
「よし。アルト。いい? あなたを上手に使ってあげるのは魔術師の仕事。あなたの仕事はよく休んで健康でいること。わかった?」
「はい、ご主人さま……」
へ?って口走りそうになったのを、寸前で飲み込んだ。
え、ぇええぇええ? まだ主従の誓約してないよね? 寝ぼけてしちゃったとかじゃないよね?
あ、してないしてない。朝起きたとき、右腕と右脚にしか模様はなかった。まさかの顔に出来てたら、他のひとたちに言われる。っていうか、レンハルトもいっしょだったんだし。ないわー。
仰天発言をした柴わんこ風獣人くんは、またぴすぴすと眠りについていた。
……あ、そだ。ご主人様、だったよね。主呼びとは違ってた。単なるよそのひと向けの敬称なのかも。
あー、びっくりした。
べつに嫌だったわけじゃないよ?
個人的にはかなり好みだ。柴わんこだし。かわいいし。
こっちでの世間的評価はどうなんだろな。このもっさりとした感じは見目よい獣族とは言えないかもしれない。
レンハルトはもう見るからに「立派!」な獣族で。
テレスは「綺麗」な獣族だ。
メルトはまだ未知数だけど、いま相当にかわいい。子どもなのを抜きにしても。
間近でそういうの見てきたからわかる。この柴わんこは完全に彼らに見劣りする。でもブサじゃない。平凡なのだ。ふつーなのだ。
ああっ……親近感わいてきた……!
わたしもべつにブサイクってわけじゃない。と思いたいが。真面目っ子風貌で地味なのは間違いなくて。ビビッドカラーとかパステルカラーとか、まったく似合わないタイプで。
……この明るい茶色なら似合うかもしれない。
いやいやいやいや。同情だけで考えちゃダメだろ。先輩に言われただろ。
しんきゃくめっとう!
ん?
心頭滅却だったわー。あーもー。あーもーぉおおぉう。
……うん。わたし、ウザイ。
ワンコくんも眠ったことだしと、スープの残り皿を持って退散した。
この日丸一日ぐっすり眠って、ワンコくんはさらにだいぶ容態がよくなった。依然として熱はあるが、うわごとを言ったり、魘されたりすることはなくなり、自力で食事もとれるようになった。
トイレにも行った。自分で歩いてった。レンハルトが手伝いつつ。
尿瓶は出番なしか……。
つ、つかってみたかったとか、ちょっとしか思ってないからね!? しかも実際そうなったらレンハルトにお願いしてたに違いないヘタレとかないからね!?
……ごほん。
あ、そうそう。
レンハルト単独の採取仕事もうまく行きました!
採ってきてくれた薬草の大半はおっちゃん先生の病院にお届けして、残りの薬草とあれこれは自家用に。余ったら、後日また病院に持ってくか、売りに行く予定。
いつも通り即ギルドに卸さなかったのは、獣族の彼が単身でギルドを利用することができないからだ。
それでもレンハルトは満足そうだった。
やはり一人前の男として仕事を成し遂げることは重要なのかも知れない。彼らの生き甲斐的な意味で。
本来なら、わたしの手なんか借りなくても、彼ひとりで野山を駆けめぐって生きていくことができる。獣族は強い生き物で、その中でもレンハルトは立派な成人男性だ。
魔術で束縛される恐れさえなければ、わたしの保護なんて必要としない。
魔術師から逃れるために魔術師にたすけてもらわなきゃいけないなんて皮肉な話だ。
普段のレンハルトは気にした様子も見せないが。
保護者然とした魔術師にひっついてこられるより、ひとりの方が気楽だよねえ。たまには思うさま走りまわりたいんだろうなぁ……
たとえ彼が形式的にはわたしの獣僕であっても、男の自尊心を重んじるよう、これからは気をつけなくっちゃ。
……そーいえば、テレスはどうなんだろう?
今ンとこ何をするでもなく、まるで囲い者みたいな生活ですが。今回の件ではメルトのお世話を引き受けてくれて助かってるけど。
何かしたいこととかないのかなあ? 今度聞いてみよーっと。




