表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

復讐姫

作者: 光太朗


 鬼は腹が減っていた。

 食っても食っても満つることがない。

 すでに魚を三匹釣り上げてはいたが、それだけでは到底足らぬと思われた。

 やがて冬が訪れ、生き物はいっそうこの島から遠ざかる。

 そうなる前に、できる限りの食料を確保する必要があった。

 島に住まうのは鬼ただ一人。

 自らのことは自らの力のみで為す必要がある。

 しかし、だからといって、これほどの獲物を求めていたわけではなかった。

 うら若き娘。

 流れ着いたそれを、食すべきかどうか、思案する。

 どちらにしろ、海辺で丸焼きというやり方は好ましくない。

 加えて、弱った人間は風味が悪い。



 小屋に連れ帰り、湯を沸かす。

 釣り竿を壁に立てかけ、釣った魚を柱にぶら下げると、胡座をかいた。

 観察する。

 鬼の目の前に、横たわる娘。

 芥子色の着物に、臙脂の袴。同じ色の紐で髪を結い留めている。

 鬼には服装のいろはなど縁のないことだったが、それなりに上等なものなのだろうと思われた。海を流れてきたというのに、鮮やかな色彩は褪せていない。

 ふと、背にくくられた大きな風呂敷が、娘を締め付けているのではないかと思いついた。風呂敷に手をかけ、そっと結び目をほどいてやる。中身に興味がいったが、それよりも、娘が震えていることに眉をひそめる。

 濡れた着物でいては、弱る一方だろう。

 それでは風味が落ちていくばかりだ。

 まず、腰元の紐をほどいた。芥子色の着物を引き上げて、脱がせてやろうと背に手を回す。

 娘が、目を開けた。

 大きな瞳が、鬼を映す。鬼は無表情のまま、動きを止める。

「なにをする」

 娘は吠えて、鬼の手を振りほどいた。乱れた着物に気づいたのだろう。すぐに紐を拾い上げ、坐った状態で後ずさる。

 直後、驚いたように息を吸い込んで、鬼を指さし、そのまま止まった。震える口を開いて、そして閉じる。

 鬼には角がある。鋭利な耳は上を向き、肌質は岩のように硬い。

 人ではないことは、すぐにわかる。娘はその恐ろしさに、おののいたのだろう。

 鬼にとっては、娘の反応など慣れたものだった。怖がられないようになどと気を回す必要も、その気もない。

 鬼は正直に、答えた。

「食おうかどうしようか、考えていた」

「食う、だと」

 娘の声が、高くなる。より一層、胸元を隠すように、着物を寄せた。

「この私と、交わるというのか」

「茹でて、醤油で食おうかと」

 娘は黙った。顔を赤らめて、一度あさっての方向を向く。

「交わるというのは、どういうことだ」

 淡々と鬼が尋ねると、娘は一層顔を赤くした。

「煩い」

 一喝。鬼は顔をしかめる。

「食うなというなら、食わん。いやがる女を無理矢理食う趣味はない」

「いやがる女を無理矢理醤油で食らう趣味があったら、いっそ感服する」

 この娘は一体何に憤っているというのか。どう返そうかと思案していると、女は意を決したように、正面から鬼を見据えてきた。

「だが、食うなというのではない」

 意志のこもった強い瞳だ。鬼は思わず魅入られる。

 特別に人間を食料として好んでいるというわけではない。だが、この娘はうまそうだと、生気に満ちた姿にそう思った。

 きっと風味も抜群だ。

「食って良いのか」

「良い」

 ためらいなく、娘は頷く。

「但し、私が目的を果たしてからだ。私は一度死んでいる。いまの私は、目的のためだけに生きている。その目的が果たされれば、私の命は役割を終える。その後、存分に食うが良い」

 鬼は娘の言葉を頭の中で反芻した。

 なかなか難しいことをいう。

 鬼の寿命は五百を越える。いままで人間に会ったことも何度もある。だが、鬼を前にしても物怖じせず、逃げ惑うでも泣き叫ぶでもなく、食って良いとまで豪語し、条件を突きつけてきたのはこの娘が初めてだった。

 おもしろい、と思った。

 付き合ってやるのも悪くない。

「つまり、待てば良いのか」

「いや。協力してもらう。私の目的は、貴様の協力がなくては達成されない」

「なに」

 鬼は息を止めた。

 とっくに湯が沸いている。魚を茹でて食べようと思っていたのに、それどころではなくなっていた。

 協力しろといわれたのは、生まれて初めてだ。人里を離れて生きてきた鬼には、誰かと何かをするということ自体、経験がない。

 いや、遠い昔、まだ家族と共にいたころには、あったのかもしれない。しかしそんな記憶は、もうほとんど残ってはいなかった。鬼は長寿である代わりに、記憶力が極端に悪いのだ。

 だから、ほんの少し、胸が踊った。鬼は身を乗り出す。

「し、仕方がない。いいだろう、俺にできることなら、してやる」

 声がうわずる。娘は、好戦的に笑んだ。

「私には復讐を果たしたい相手がいる。一度死んだといったな。その際、耐え難い仕打ちを受けたのだ。そのお返しをしてやらないことには、死ぬに死ねない」

 見た目の可憐さからは想像のできない話だった。鬼はうなる。

「そいつに殺されかけたということか」

 娘は、風呂敷を大事そうに抱えていた。そこに何が入っているのか、鬼はわかったような気がした。

 おそらくは、復讐のための道具。

 そのための何かが、入っているのだ。

「いや、そうではない」

 娘は、首を左右に振った。

「幼少のころ、村の崖から落ちたのだ。よく人が落ちる危険な崖だ。注意をしているつもりでも、落ちてしまう。落ちて生きていたものはいない。私以外には」

「ふうむ」

 要領を得ない。死にそうになったことと、復讐したい相手とは無関係なのだという。それでは話が繋がらない。

「では、耐え難い仕打ちとはなんだ」

 もったいぶるようにして、娘は一呼吸を挟んだ。

「助けられたのだ」

「助けられた」

 鬼は考えようとしたが、おそらく考えても無駄だろうと、尋ねることにする。

「では、死にたかったのか」

「違う。助けられたこと自体には感謝している。だが私は、その後、その者の島にとどまり、恩返しをしたかった。もっというのならば……」

 娘の頬に朱が刺した。

 鬼は辛抱強く待つ。

「……共に暮らしたかった。私は恋に落ちたのだ。その者と添い遂げようと心に決めた。しかし、餓鬼が何をぬかすと一蹴され、村に送り届けられてしまったのだ。八つといえば立派な淑女であろう。それを餓鬼扱いだぞ。あまりに非道いとは思わぬか」

「ふうむ」

 鬼は答えかねた。

 人間でいう八つといえば、餓鬼といわれても仕方がないように思われたが、それを正直にいってはいけないのではないかと空気を読む。

「だから私は、十年待ったのだ」

 しかし、鬼の反応などどうでもよいとばかりに、娘は続けた。

 抱えていた風呂敷を、鬼と娘の間に置く。

「それは」

 鬼は息を飲んだ。

「そのための、道具か」

「そうだ」

 にやりと娘が笑う。

 結び目をほどき、中身を晒した。

 鍋。

 包丁。

 まな板。

 ついでに、枕。

「今度こそ、そばに置いてもらうぞ、鬼」

 鬼の目が豆粒のようになる。

 湯の沸いた音が、ひどく遠くで聞こえる。

「……それが、復讐か」

 答えはわかっていた。それでも聞かずにおれない。

 娘は得意げに、大きく頷いた。

「寿命が尽きたそのときには、食らうが良い。異存はないな」

 問いかけられ、鬼の頭に様々な返答が浮かぶ。

 だが結局のところ、ただそのまま、首を縦に振っていた。

 もう、娘を食おうという気はどこかへ消えてしまっていた。

 どういうわけか、鬼の空腹は、すっかりなくなっていたのだった。







 

読んでいただき、ありがとうございました。


元となったイラストは企画サイトにあります。ぜひご覧ください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
[一言] またしても拝読させて頂きました! ……や、やられました、このオチは(笑) タイトルやイラストから、かなりシリアスな話かなと思って読んでいたのですが、さすがのどんでん返しです。 淡々とした…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ