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会社小説  作者: 古河晴香
3/11

続「もう結婚しない人」

「もう結婚しない人」のその後が気になるというご感想をいただいたため、

ちょっとテイストが変わってしまったかもしれませんが、

続きを書いてみました。

「遅くまで残業しているとろくなことがないからな」


そう言われても、残業せずにはいられない日もある。

引き出しの中の非常食、カロリーメイトのメープル味は

黄色の箱の中の二袋とも、勢いにまかせて食べてしまった。


パソコンに向かって資料の文面を練り直し、

グラフを見やすく作り直して

図のコピー、貼り付けして、位置を整えて、としているうちに、

背後で次々と人が帰って行く気配がし、

振り返ると、もう恵一人しか残っていなかった。


はあ、と大きなため息をつく。

30代半ばになり、仕事の要領は得るようになった反面、

残業すると正直「しんどい」と感じるようになったのは

認めたくはないが、年のせいだろう。


今日はうちに帰ったらサラダだけにしよう、と思う。

遅くに食べると太るし、カロリーメイトも食べてしまった。

30代半ばで独身で、かつ太ってしまっては

自分としてもいたたまれない。

自信に満ちて輝いている素敵な女性を演出しなければ、みじめになる。

後輩から憧れられる存在であれば、自分の心の中がどうであれ、救われる。


もうすぐ22時だ。

明日の朝、この作り直した資料を上司の高橋に見せる。

これで勘弁してもらえるだろうか。

資料の体裁を整えることは、

必要と分かっていても、

どこか徒労のような気がしないでもない。


明確な終わりの無い作業だが、

22時以降の残業は上司の許可が無ければ許されていないため、

逆にあきらめもつく。


恵は資料を上書き保存すると、パソコンをシャットダウンし、

荷物をまとめた。


うす暗い廊下でエレベーターを待ち、

乗り込んだところで、

隣の部の扉が開いたようなので

<開く>ボタンを押して待っていると、


乗り込んで来たとたんに「おっ」と言って少し身を引いたのは、

隣の部のグループ長、三輪であった。


ここで運命を感じるほど、恵はロマンチックではない。

三輪はグループ長のため、許可が無くとも

22時以降の残業も可能だが、

22時を区切りにして帰ることは十分考えられる。


多忙な三輪がいつも22時前後に帰っているとすれば、

たまに恵が22時に帰ったときに、

帰りが同じタイミングになることも全くおかしくはない。


そのため、「これはこれは都築さん、遅くまでお疲れ様」

と、爽やかな笑顔であいさつされたときにも

「三輪さんこそ、遅くまでお疲れ様です」と、

変な態度にならず、自然な受け答えができた、と自分でも思う。

都築というのは、恵の名字である。


エレベーターの中でも、

どうして遅くなったのかの理由をお互い話す、という

いたって自然な会話が繰り広げられた。


雲行きがおかしくなったのは、

帰りの交通手段の話になったときだ。


「あ~、この時間だと、確実にタクシーですね。

遅くなると、最寄り駅からタクシーで帰るんです」と、

恵が言う。


「都築さん、電車通勤? 最寄り駅どこ?」

そう聞かれて、最寄り駅を答えると、

「うち、――駅だから、近いな、車で送ってくよ」とのこと。

「え!? いいですよ、そんな。遠回りになってしまいますし」

「そんな変わらないよ。タクシーなんて使ったらもったいないし」

そう言われると、断る理由も見つからない。

固辞してしまうと、逆に不自然だ。

「それじゃあ……、お言葉に甘えて……」

そう言って、駐車場へ向かう三輪の背中を追う。


自意識過剰だと思いながらも、

知っている人に見られていないか気になる。

恥ずかしいのと、嬉しさで心臓がどきどきする。


恵は前から三輪のことが気になっていたのだが、

仕事上の関係者の域を超えておらず、

それ以上になるきっかけを掴めずにいた。


三輪の車は少し尖った働き盛りをターゲットにした車だった。

車には個人の好みが現れる。

三輪らしく、妥当なところだろう。

助手席に乗り込むと、

黒革のシートの乗り心地が良く、

得をした気分になった。


「さてと」三輪がエンジンをかける。


車は男女のための装置だと思う。

手軽に密室が作り出される。

しかも二人は向き合うのではなくて

同じ方向を向いているため、

向き合うのに比べると緊張しないが、

二人の距離は近い。


車は駐車場を出て、夜道を走り出す。


恵は進行方向を見ているが、

三輪の分厚い肩からの体温が

空気を通じて恵にも伝わってくるようで、

うっとおしいような、困ったような気分になる。

自分の心に素直になれば、「魅かれそう」になっている。


しかも残業して疲れているため、

もうこのままどこへでも連れて行ってくれ、という

まな板の上の鯉のような気分だ。

横目で分厚い肩を見ると、

心をさらけ出してほほを預けてみたくもなる。


しかし、だめだめ、とそんな気持ちを振り払う。

そんなことをしてしまっては逆セクハラだ。

若い可愛い女の子にそんなことをされるならともかく、

もはやおばさんと呼ばれても文句は言えない年の自分がしても、

可愛いどころか薄気味悪いだけだろう。


それに、助手席に乗ったとたん、

恋愛気分でそんな行動に出るようでは、

尻軽な女のようで、品性を疑われる。

ただ送ってくれるだけだというのに。


ましてや社内で、仕事上の関係者だ。

今後気まずくなってしまったり、

逆にそんなことをしたことを言いふらされたりしても困る。

まさかそんなことをする人ではないと思うけれど。


そんなことを考えているとは全く表にも出さず、

恵は節度を保って微笑みを浮かべている。


だが、ひょっとして、三輪も自分のことが

気になっているのではないか、という期待もかすかにある。

少なくとも、送ってくれるぐらいだから嫌われていないのは確かだが、

打合せをしているときに、ふと視線に気づいて顔を上げると、

目が合って微笑まれることも多々ある。

恵はそんなとき、とまどいながらも微笑みを返す。

もしかして、という期待を、確かめたい。


だが、恵は今一つ恋愛に対してスキルが低いため、

ムードのある会話にはならない。


「こんな遅くまで残業してると、お腹空かない?」

そう聞かれて、

「残業食にカロリーメイト食べちゃったんで」

という色気の無い返事をついしてしまった。


「そっか。俺は腹減ったなあ」

その言葉を聞き、もしかして一緒にご飯でも食べない?という

お誘いなのではなかっただろうか、と思いながら、

そうだ、ここだ、と気付き、鎌をかけてみた。

「奥さんがおいしいご飯を作って待ってるんじゃないですか?」


すると、

「昔はそういう時期もあったねー。でも……、逃げられちゃったから」

とのこと。

「え、すみません……」

バツ一だったのか。


「海外出張が多くてさ。海外赴任もしたし。

奥さん、英語ができないから行きたくないって、

単身赴任してたら、他の男との間に子供ができたって話で」


そんな事情まで私に話してしまっていいのだろうか、

と恵は驚く。


「そうだったんですか……」

「奥さん、子供欲しがってたから、

あせってたみたいで。

俺のこと待てなかったんだよね。

俺も、子供が産まれたら一緒に暮らして、

大きくなるところも見たかったから、

一緒に海外について来るか、

もう少し待ってほしいって言ってたんだけど」


そんな事情があるとは知らなかった。

「都築さんは?」

流れで、そう聞かれた。

恵は『もう結婚しない人』と思われているため、

その質問をされたのは久しぶりだった。


「いえ、私は……」

手をひらひらと振って、自分のことを話すのは遠慮した。


だが、子供と聞いて思い出すこともあった。

「私、弟がいるんですけど、

弟が産まれたときに、

母に赤ちゃんを抱っこさせてくれって頼んだら、

危ないからだめって言われて、

恵が大きくなって、自分の赤ちゃんができたら、

いくらでも抱っこしなさいねって。

そう言われて、自分の赤ちゃんを抱っこするつもりだったんですけどね」


まだ結婚や出産を期待していると

思われるのが恥ずかしく感じられて、

既に過ぎた過去の可能性のように話したのだが、


「まさか私、自分の赤ちゃんを抱っこできないなんて、

思ってもみなかったですね」


そう話しながら、なんだか涙が出てきてしまった。

年を取ると涙もろくなるというのはこのことか。


会社の人に家まで送ってもらっている最中に

泣くなんて、どんなに迷惑な奴なんだろう、と自嘲する。


「子供、ほしいですか?」

と聞かれて、

「今まで忙しくて、考えてなかったんですけど、

改めて思うと、やっぱり、ほしかったなあ、と思いますね」

「俺も、子供ほしいなあ、と思うよ」

「そうなんですね」


そこから、しばし沈黙。

さすがにこの流れで、じゃあ作りましょう、は、

いくらなんでも無いとは思う。


話はまた別の話題に移って行き、

三輪は恵の涙については触れなかった。


普段何を食べているのかという話になって、

恵は正直に答えた。

コンビニ弁当か、近所の0時までやってるスーパーのお惣菜。

見栄を張って後でぼろが出るよりいい。

三輪はといえば、時々自炊もするそう。

「冬はとにかく一人鍋だね。キムチ鍋、味噌鍋……」

そういえばそろそろ鍋が恋しい季節だ。


飲みに行ったりするかという話になり、

「そういえば最近は会社の親睦会以外は行ってないですね……」

三輪はといえば、気の合う同期の仲間とたまに男だけで飲むという。

「その飲み会には女性はいないんですか?」

そう聞くと、三輪の仲間は奥さんのいないところで男だけで飲みたいと思っているそう。


また、一度三輪のために若い独身女性を連れてきてくれたこともあるそうだが、

その子が専業主婦になる気満々で、早く仕事を辞めてお嫁さんになりたい、

と話すのを聞き、その子のブランドバッグも目にすると、

自分のお金目当てに騙されそうな不安を感じたそう。

若さに目はくらむけどね。

ただ、一緒に歩くパートナーって、そんな下心同士で結婚しても、

お互いに長続きしないと思うし。


そんな話をしていると、穏やかにお互いの価値観を確かめ合っているというか、

ステップを一歩ずつ進めている気がする。

まだ決めなくてもいい。お互いのことを知らなさ過ぎる。

動物的な熱情だけで恋に突き進むような時代は過ぎている。

ゆるやかで穏やかな熱で心地よい。

そう思うのは、恵だけの勝手な思い込みだろうか。


そうしているうちに、もうすぐ恵のマンションだ。

「そこの突きあたりを右に行って、

奥のマンションです」


そう言うと、三輪は突きあたりのT字路で車を止めた。

深夜の住宅街の細い道なので、

後続車もない。


三輪はまっすぐ前を見たまま、

「右か左か、どっち行く?」と言う。

「え? マンションは右ですよ……」

そう言ったが、三輪は黙っている。


そう言われれば、

「じゃあ左で」

と恵が答える。

三輪は左へ曲がって、車を走らせる。


「……いいの?」

「まだいいですよ。帰って軽く食べて寝るだけなので」

「そう」

三輪は何か考えながら車を走らせている。


まだ話し足りないのだと思い、さきほどの飲み会の話の続きをする。

「三輪さんはお酒はお強いんですか?」

「んー、まあ弱くは無いな」

「じゃあお強い方なんですね」

「都築さんは?」

「私は残念ながら弱いですよ。お酒は好きなんですけど、たくさん飲めなくて残念です」

「お酒は何が好き?」

「ワインも日本酒も焼酎も好きですよ。でも全種類飲めないのが残念です。

ワインならグラス2杯までですね。

前に日本酒を1合以上飲んだら、うちに帰る途中でふらふらで大変でした」

「危ないなあ。ちゃんとタクシー使わなきゃだめだよ」

「そうですね。その日は一次会で帰ったので油断して歩いて帰ったんですけど」


そう話しているうちに、

ぐるっと回って来てまた同じT字路に来た。


「どっち?」

と、また三輪がまっすぐ前を見たまま聞くので、

「えー」と言って笑って、そう聞かれれば、と思い、

「じゃあ、左で」

と、おどけて言うと、

「ちょっ、都築さん」と、

三輪さんも笑ってこっちを見てくる。

「え、だって聞かれたから」と言うと、

「あ~、今日が金曜日だったらなあ」と三輪が言い、

「あのさ、今度飲みに行かない? 金曜日」

と言うので、恵は心の中で「やった!」と思いながら、

「いいですよ。今週でも空いてます」


そう答えながら、恋愛の常套手段では、

あまりほいほいと予定が空いていては

だめだったんだっけ、と思いながら、

そんな駆け引きをする器用さは無いため、

素直に告げる。


「じゃあ、今週の金曜日。何時に上がれる?」

「何もトラブルなければ20時には上がれると思います」

「じゃあ、――駅に21時でどうかな。

よく行く居酒屋があって、料理もおいしいんだけど」

「ありがとうございます。楽しみです」


すんなりOKしてしまっていいものかと思いつつ、

そんな駆け引きもできないので、

素直に嬉しい気持ちを言葉にして微笑んだ。

三輪とばっちり目が合うが、

三輪はいつもの二割増しな微笑みをしている気がする。


「よし。決まりだ。じゃあ、待ち合わせに遅れたら連絡できるように、

連絡先を聞いてもいい?」

「あ、はい」

連絡先を交換し合う。


なんだか今更ながら、その行為自体が恋愛の第一歩のようで、

前に進んだという実感が湧いた。


今後、お互いがお互いに持った印象に誤解が無いことが分かって、

このまま上手く進んでいってくれるといいと思う。


だが、もう後が無いからといって、あせりは禁物だ。

不自然な行動を取れば、その不自然さが仇となって自分に返ってくる。

無理に自分を偽れば、その無理をし続けるはめになるか、どこかで破たんするかだ。


もう後が無いからこそ、自分の人となりを正直に出して行くしかない。

虚勢もはらず、正直に結婚や出産も

本当はしたいのだという気持ちも出してしまおうか。

飾らないということは気楽なようでいて、怖くもある。


「今日はもう遅いから」

そう言って、三輪はハンドルを右に切った。

恵は黙っている。


マンションに着いた。

「今日は送ってくださって、ありがとうございました。

金曜日、楽しみです」

そう言って車を降りる。

「ああ」


そう言って、三輪はちょっと黙ったが、助手席側の窓を下げて、

「ああ、ちょっと待った。お前、お前さあ、ああゆうの、危ないからな。

次やったら知らないからな」

そう、指さして言うので、

去りかけた恵がきょとんとする。


「何のことですか? 日本酒1合以上飲んで歩いて帰っちゃだめって話ですか?」

「ああ、だから、違う! 男は狼なんだから気をつけろよ!」


そう言って、さした指を振るので、恵は笑って、

「えー? そんな、三輪さん。狼なんですか? 

ちゃんと送ってくれたじゃないですか」

と言うと、

「知らないからな。他の奴には絶対するなよ。俺は紳士だからいいんだ。

じゃあな!」

そう言って、助手席側の窓をオートで上げて走り去った。


恵はほっこりとした気持ちで、

自分もまだまだ女として見られてるんだな、と思いながら

自分の部屋へと帰った。


まさか今日こんな展開になるとは思ってもみなかった。

「遅くまで残業しているとろくなことがないからな」

そうですね。大変なことになっちゃいますね。

今日は嬉しくてなかなか寝付けそうにもない。


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