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会社小説  作者: 古河晴香
2/11

「もう結婚しない人」

恵は、同僚から、「もう結婚しない人」と思われている。


30代半ばで、仕事にもそれなりに力を注ぎ、

フェミニンなファッションはせず、

シンプルでビジネスライクに装い、

さっぱりと姉御肌であるため、

そう思われるらしい。


20代後半までは、

「彼氏はいないの?」「結婚は?」と聞かれることもあったが、

今となってはすっかり気を使われて、

聞かれないのが逆に楽である。


しかし、その分そういった話は

舞い込んでは来ないし、

気恥ずかしくて今更同僚に、

「誰か紹介して」、とは言いにくい。



恵よりちょっと上の世代は、

「仕事か結婚か」の二者択一だった。


今、会社に残っている女性の先輩はというと、

仕事を取って、結婚はしない、と、

潔く割り切った武士のような人か、


もしくは世間が変化していくのを感じ、

それなら私も、と、

遅まきながら30代半ば以降で結婚した人が大半だ。


もちろんそうではなく、

中には恵の向かいに座っているベテランの小川さんのように、

子育てをしながら仕事を続けた女性の先輩もいるが、


その頃は今のような育児休暇や時間短縮の制度も無かったため、

子供を産んだ後、

仕事を休んだのもほんの数ヶ月ですぐに職場復帰したりと、

周囲のサポートがなければなりたたない

かなりハードな局面を切り抜けてきている。

そんなパワフルな人は稀だ。


なので、事務所内を見渡すと、

男性の平均年齢に対し、

女性の平均年齢の方が圧倒的に若い。


恵はといえば、周りが結婚退職や出産退職をしていく中で、

仕事が面白くなってきた時期だったので、仕事を選び、

なまじ真面目なだけに両立は無理と考え、

脇目もふらずがんばったために、


いつの間にか、年は過ぎて行き、

「もう結婚しない人」に分類されるようになった。


金曜の夜に飲み会があるからと、

仕事を途中でも切り上げて飲みに行くような生活をすれば、

今頃は違っていたかと、ふと思うこともある。


最近同僚の若い子が結婚をした。

「私、家事全然してないんですよ~。

できるようにならなきゃとは思うんですけど~」


そんな呑気な声を聞いていると、

そんなことで”奥さん”が務まるなんて、

なんて甘い考えなんだろう、

と、一瞬カチンとした惠だったが、

それは、いつも頭の中で聞こえてきた、

自分を非難する男の声と同じ台詞だと気がついた。


以前、多少なりとも「付き合った」と言えなくもない

男友達を部屋に呼んだとき、

彼は、恵の片付いていない部屋を見渡し、ため息をつき、

「女なんだから、もうちょっと何とかしたら?

こんなんじゃお前、嫁に行けないぞ」

と言われた。


そのときは、

「確かにそうだ。

こんなんじゃ、嫁に行けないな」と、

素直に思った記憶がある。


その声が、結婚を考えるたびに、

まだ頭に響いてくるのかもしれない。

「こんなでは、まだ嫁に行けない」と。


思えば自分は、

仕事から一人暮らしの部屋へ帰ると、

疲れきって何もする気が起きず、

散らかった部屋で、

コンビニで買ったお弁当を温めて、

レンタルDVDで話題の映画を見ながら

黙々と夕飯を食べる毎日だ。


もしも結婚したら、

ご飯を作ったり、

掃除・洗濯といった家事を

しないといけないと思っていたので、

結婚なんて、今の生活では

とても無理だと思っていた。


でも、同じように仕事をして、

疲れて帰ってくる一人暮らしの男女が、

たまたま一緒に暮らすようになったからといって、

今まで散らかった部屋でコンビニ弁当を食べていたのに、

なぜ改めて”家事”をしないといけないのだろうか。

と疑問に思う気持ちが沸くこともあった。


相手の男性も、

今まで自分がしていた疲れきった生活は、

結婚することによって、

手作りの料理と片付いた部屋に

変化することができるという、

夢を持っているのだろうか。


「家事できないんです~」という後輩が

それで”奥さん”が務まるか務まらないかは、

”だんなさん”が判断することだし、

それで本人同士が良ければ、

それでいいのだろう、と、思い直し、

頭の中の、過去の男の声を振り払った。


恵のその男友達は、

結婚相手には専業主婦になってもらいたいようだった。

惠に対して、そんなことを匂わされたような気がしないでもない。

それも過去のことだ。



そんなある日、

社内で新規プロジェクトが立ち上がった。


隣の部のグループ長の三輪が、

このプロジェクトの部門リーダーである。


キックオフミーティングで初めて顔を合わせたが、

40歳前後で、まるでスポーツの試合に挑むような、

まっすぐで意志のある目をして会議に臨む人であった。

よく通るいい声である。


久々に、なんとなくときめかずにはいられなかったが、

そんな自分に対し、「年甲斐もなく」といった

厳しい自嘲を感じ、

「こんな人には大抵、

サポートしてくれる専業主婦の可愛い奥さんが

いるんだろうな」と、

自分にブレーキをかけつつも、

その会議の間中、何か新鮮な風が吹いたような気持ちだった。



その後、恵のグループと

三輪のグループとで、

個別の打合せがあった。


恵の上司であるグループ長の高橋は、

事前にベテランの小川さんに

プロジェクトの実現可能性や

クリアすべき課題をヒアリングしていた。


それにも関わらず、

打合せの場面で高橋は、

腕を組んだまま、難しい顔で黙りこんだのである。


これは恵に、リーダーシップを取って話せ、

という暗示なのだろうか?


とも思ってみたが、

やはり恵も慣れないメンバーでの打合せに

同じように黙り込む。


爽やかな表情で回答を待っている三輪が目の前というのに、

小娘でもあるまいし、

打合せで黙り込むなんて恥ずかしい、と、

再び自嘲しつつ、それでも黙っている。



結論イコール「難しい」という、

気まずい空気の打合せを終え、

こっそりと高橋に確認したところ、


「作戦だよ」と言う。


事前に小川さんに聞いて、

向こうの提案がなんとか「できる」と分かっていても、

こちらが簡単に「できる」と言ってしまうと、

相手にとってはそれが一番楽なので、

本当にその案に決まってしまう。


そうなると、苦労するのはこちらだ。

「できる」手があることが分かっていても、

ここは「難しい」と黙るのが得策だ。


とのことである。


老獪な高橋に対し、

直球勝負の恵は、自分の持てる情報は

全部開示して、相手と自分と協力的に

物事を進めようとするため、

そんなやり方はうまくできない。


うまくできないからこそ、

今までさまざまなことを「かぶって」きたのであり、

「そんなふうに要領悪いから、

結婚できなかったのかな」というように、

そんなとこへ思考を繋げてみたりもする。



だが、プロジェクトが進行するにつれて、

三輪は自分と同じタイプの人間ではないだろうか?

駆け引きをせずに、フェアプレイをするタイプの

人間ではないだろうか?

と思うような場面が多々あった。


向こうも時々、

上司を介さずに直接、恵のデスクまで、

相談しに来ることもあった。

信頼されているのだろうか、とも感じた。


一度など、

「綺麗な人からそう言われると、

はい、としか言わざるを得ないな」と笑ったので、

何のことかと、一瞬、耳を疑った。

返答に困って思わず聞かなかったふりをして流してしまったが、


その反応が自意識過剰だった、と、

後から自己嫌悪に陥った。


気づかれただろうか。



しかしそんな自己煩悶劇場も、

ある日突然終わった。

プロジェクトが、採算が合わないとのことで、

白紙に戻ってしまったのだ。


今までの苦労や、打合せの日々もムダに終わり、

恵はすっかり力が抜けてしまった。


もう打合せをすることも無く、

三輪と今までのように頻繁に顔を合わせることも無くなるだろう。

それはともかくとして、

打ち込んできたプロジェクトの中止に、

三輪はさぞかし肩の力を落としているだろう、

と思ったのだったが、


「こんにちは」

いつものよく通る声がしたので顔を上げると、

変わらず試合に向かうかのような活き活きとした表情で、

恵のデスクの横に三輪が立っていた。


「あのプロジェクトは中止になっちゃったけど、

実は新しいプロジェクトがあるんだ♪」


全くめげた様子もなく親しげに話しかけてくる三輪に、

恵も思わずにやりと不敵な笑みのポーズを作る。

「今度は何ですか~?」


プロジェクトは霧散しても、

人間関係は残る。

こうやって、一つ一つ関係を繋げて、組み立てて、

だんだん足場や、岩場を登るためのロープを手に入れて、

山は登りやすくなる。


再び三輪と打合せ机に向き合って座り、

出来たての資料に2人で顔を突き合わせていると、

確実に山に登っている、

試合に一緒に向かっているチームメイト、

という感じがした。


可愛い「嫁」には一生なれないかもしれない。

だが、もし人生というプロジェクトの

「戦友」を求めてもらえるのなら、

喜んで一緒に戦える。


恵はこっそりと、三輪の左手の薬指に

指輪が無いことをを確認しながら、

男性は指輪をしない人も多いけど、

今度、ちょっとその辺、軽く突っ込んでおいてもいいかもな、

と、珍しく思ったのであった。


本人に自覚は無いのだが、

恐らく、何も気づかれずに

自然に尋ねることなどできないに違いない。


実は、資料を見る振りをしながら、

恵が横目でちらりと薬指を確認していることも

すっかりばれているのである。




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