第五話:夜のひととき、二人の攻防
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幸せすぎる。
取りあえず、頑張ります。
突っ走ってここまで来てしまったのだが…。
アリアは自分の短慮を嘆く。どうしてメイは止めてくれなかったのかと責めるのは筋違いだろう。
こんな時間に尋ねたらダメじゃない。非常識な事だ。
問題はそれだけではないのだろうがアリアはそれには気付かなかった。
アリアは元々逢い引きなどといった概念はないのだ。
それ以前にユーイの部屋って何処よ。
ソマリア城は王族がいる本館、ソマリア国の重臣たちのいる東館、来客が泊まる所、西館の三つで構成されているのだが、西館まで来てしまったアリアは引き返そうとする。
アリアの住む場所は侍女練。これは城の奥の方に立てられていて結構西館とは距離があるのだが、アリアはそこまで爆走していたのだ。
「何故お前がそこにいるんだ」
おかしい。アリアは自然と動き出した足を止められないまま。
もう一度、ユーイにあったら、ちゃんと話そうと思っていたのに。
なぜ、彼から逃げているのだろうか?
「…あっ」アリアの足が止まった。否、止まらざるを得なかったというのが正しい。
「俺から逃げるなんて百年早い」ユーイが息も絶え絶えなアリアの前に現れたから。
息一つ切れていないのも当然だ。彼は誉れ高い騎士の中でもトップの隊長なのだから。
そういえば、二年ほど前に噂が流れていた。隣国に史上最年少で騎士の称号を受けた者がいると。
アリアが城に仕える前で、情報に疎かった頃でも充分騒がれていた。
まさかそれがユーイだなんて考えもしなかったが。
その頃から、糸は繋がっていたのだ。アリアの知らない形で。
「何?」アリアは尋ねた。もう逃げないと決めた。だから逃げない。
「もう一度聞く。何故お前がここにいる?」
「えっと。夜の散歩…じゃダメ?」
「お前、本気か?」
「…」アリアは黙った。理由を言うのが躊躇われたのだ。
覚悟は決めたものの、やはり、聞くのは怖い。
「まあいい。それよりも…」ユーイの声が廊下に響く。その声は冷たい。
「あのペンダントは元々俺のものだ。どこで拾ったんだ?」
アリアは反論した。
「違うわ。ユーイが約束の証に貸してくれたんじゃない」
「約束…?」
ユーイが黙った。沈黙が二人の間に漂う。
「私のこと、覚えてないのよね?」アリアは唐突に質問した。
「ん…ああ」ユーイは曖昧な返事をした。
「じゃあ、自己紹介をしなきゃね。だいぶ遅くなったけど…」
「私の名前は、アリア・マイオリー。一応あなたの幼なじみ、だけど…」
ユーイは驚いているような顔をした。アリアは訳が分からず首を傾げた。
視線が交差する。目が合うとユーイは顔を背けた。
「…もうこれ以上聞かないが、とにかく俺のペンダントなのだから、返してくれないか」
「嫌って言ったらどうするの?」
ドン、音がしたと思うと、アリアは壁に手首を押しつけられていた。
「嫌とは言わせない…」
左手首を乱暴に捕まれている。痛いのは手首なのだろうか。アリアはそれすら分からずユーイを見つめる。頭がふわふわしてうまく考えられない。
かつての輝く翡翠のような瞳は翳りそこに憎しみなのか哀しみなのか、何とも言えない感情が渦巻いているように見える。
分からない…。ユーイが何を思っているのか、昔は手に取るように分かっていたのに…。
アリアは顔が歪んでしまった。
「…嫌よ。脅迫されて差し出すなんて、御免だわ」
アリアは開いている右手でペンダントを自分の衣服の奥へしまい込む。
これは、アリアとユーイを繋ぐ唯一の形あるものだった。
例え、これが元来ユーイのものであったとしても、今、この状態で渡したくなかったのだ。
やろうと思えばユーイはアリアから無理やりペンダントを取り上げることも出来たが、何故か出来なかった。強いて言うならば、掴んだ彼女の腕が余りに細く華奢で扱いに困ったせいだろうか。
だから、ユーイは少し、手の力を緩めて言った。
「俺にこれ以上構うな」
「何故?」
「何でもだ」
突き放したようにユーイは言う。
「決めたから。諦めないって」
ユーイはアリアの瞳を見つめた。赤い瞳は意志を持った強い光を放っている。
何処か既視感を感じるもののそれがなんなのか分からないまま、何を思ったのか自分でも分からぬままにユーイはアリアから手を離してその場を去った。
ユーイの姿が消えたと同時に緊張の糸が切れ、アリアはその場にしゃがみ込んだ。
そして、声を殺して泣いた。
彼の目は孤独と哀しみで溢れている気がしたからか。その深さにおののいたのか。何故泣いたのか分からなかった。
でも、分かっていることがあるとすれば、それはユーイがアリアを拒絶しているということだった。
胸が張り裂けそうに痛くて熱いのに、酷く空気が冷たかった。
* * *
そう言えば、何故アリアのことを覚えていないのか、聞くことが出来なかったな…
今さらながらにアリアは気付いた。いつも、目の前のことにいっぱいいっぱいで、肝心なことを忘れてしまう…。少し自己嫌悪に陥りそうだ。
朝日が差し込む。アリアはいつの間にか部屋に戻ったのか気が付くとベットの上だった。
重い体を起こす。
まるで昨日の出来事は夢だったのではないかというぐらい何も変わらない日常がそこにあった。
安心してアリアが目線をおとすと、違和感を覚えた。
首の所がぽっかり空いているような。
アリアはその違和感の正体に気付くと狼狽した。
「っない!ないないない…」ペンダントがないのだ。
いつも欠かさずかけていたのに…。あの時取られていたのだろうか?それともどこかで紐が切れて?やはり、昨晩いた場所とかに落ちているのでは?
探しに行かなければ、ユーイよりも先に取り戻さなければいけない。
そうでなければ、ユーイのことだから、拾われてアリアの手には戻ってこないだろう。
「お早う、アリア」メイが声をかけてくる。
ただその目は悪戯っぽく輝いている。例えるなら、悪戯好きな子供が罠を仕掛けて大人が引っかかるのを今か今かと待っている感じだ。
「お早う…メイ。何か顔にでもついてる?」
アリアは窺うように言った。メイに振りまわされるのはいつものことだが、今は状況が悪い。
「何よ!そんなんじゃないわよ。あれ、もしかして…覚えてないの?」
「何が?」
アリアは顔を傾げた。何か昨日されたっけ?ユーイとの再会が劇的すぎてそれ以外余り覚えていないというのが正直なところだ。
「あら、もったいない。昨晩あなた部屋を飛び出したっきり帰ってこないから心配になって部屋の辺りの廊下をうろうろしていたら…」
その次にメイが発した言葉にアリアは目が点になる。そして一拍おいて。
「ええ――――!」
朝一番、侍女の部屋の一室で悲鳴が上がった。