第四話:まさかの再会、変貌した幼なじみ
「ユーイ?」思わずアリアは口に出してその名を呼んでしまっていた。
ユーイという名前は珍しく、そうそう聞く名ではないのだ。
このとき、アリアは混乱していたのだと思う。だってこんな所でその名を聞くとは思っていなかったから。
「ユーイ、隊長って…」誰なの?アリアは震えた声で尋ねる。
「なんだ、あんたユーイ隊長の知り合いか?ユーイ隊長も隅に置けないな」
調子に乗った騎士の一人が冷やかすように言った。
一番奥の席に、彼は座っていた。
アリアがゆっくりと目を向ける。
アリアの目に映るのは、訓練用の騎士の衣に身を包み隊長であることを示す白の服に銀の徽章をつけた青年。
金髪は長く、肩より十㎝下まである。それを首辺りで無造作に括っており、目は昔と変わらない翡翠のような色。飾り気のない洗練された風貌はまぎれもなく、ユーイであった。昔よりも背格好がしっかりして、別人のようだ。
昔は女の子のようだとからかわれていた顔は、年を経て男らしくなり、今は美形と言われる類のものに該当するであろう。
そして、その変貌異常にアリアを一番驚かせたのは、優しげな容貌に釣り合わない近づくものを全て焼き尽くしてしまうそうな、剣呑な目。
触れたら、身が焼き切れそうだとアリアは思った。
喜びよりも先に恐怖が先行する。
これが、ユーイなの?思わず疑ってしまうほど鋭い目をしていた。
「さあ。お前、誰だ?…」
「嘘!」
思わず叫んだアリアの声が異様に練習場で響く。アリアの様子が急変したため皆がしゃべるのを止めて静まっているから余計に響いた。
騎士達は一体何なのだろうかと言わんばかりに、そして推量するようにアリアとユーイを見つめる。
冷たい声がアリアの頭の中でに響いて、無機質なその声にアリアは泣きたくなってしまった。
信じられない。
目が、耳が…この男はユーイだと告げる。ただ、心でそれを拒絶しているだけで。
なのに。どうして…
「私のこと、覚えてないの?」そして、交わした約束も。
目の前の男は反応しない。それは無言の肯定だった。
「馬鹿みたい…」アリアは小さな声でそう言った。
余りに小さい声だった。
アリアはぶんぶんと頭を振って顔を上げる。泣いちゃダメだと自分に言い聞かせる。
状況は掴めない。わけが分からない。色々な言葉がアリアの頭をよぎっては消えた。
けれどもアリアはもう、子供ではない。だから、みっともない真似はしたくなかった。
そして、侍女として今は事を荒げるべきではないのだ。
アリアなるべく、何事もなかったかのように笑う。これも、侍女の仕事。
アリアの感情一つで、この場所を、雰囲気をぶち壊すようなことがあっては侍女失格だ。
「…そう、ですか。すいませんでした。私の勘違い、です」
そのつもりだった、のに…。
「何故、お前は泣いている?」
そう言われて初めてアリアは自分が泣いていることに気付いた。
「私、泣いてるの?」足下を見ると水滴が落ちて床を濡らしていた。
「…っ」
公衆の面前で涙を流したことに対する羞恥か、目の前にある受け入れたくない現実からの逃避か、アリアは逃げ出した。
どうしよう…侍女失格だ。
訓練場のすぐ側の壁にもたれかかるようにアリアは立っていた。
涙が堰を切ったように流れて止まらない。目が腫れてしまうのに。
後で、皆に何と言って言い訳したらいいのだろうか。
声を押し殺すことと言い訳を考えている事に夢中で後ろの気配に気付かなかった。
「…いつまで泣いている気だ。お前」冷たい声…。
アリアが振り返ると一番会いたくなかった人物が側にいた。
「これだから女は苦手だ」ユーイは昔の面影を残したままの冷たい声で言う。
その姿でそんな目を、そんな声をしないで欲しい。涙が止まらなくなるから。
身長は、昔はアリアの方が高かったのに今ではユーイの方が頭一個分より高い。
「ごめんなさい。迷惑かけて」アリアはしゃっくりを上げないように出来るだけ平静の声でユーイに言った。
アリアは悲しいときや不安なとき、ペンダントを握りしめるのが習慣になっていた。
そして、この時も例外ではなかった。
アリアの手元を見てユーイが顔色を変える。
「これは…!…おい、お前、これを、どこで見つけた?」
アリアはただただ驚いて、言葉が出なかった。
やはり、目の前にいるユーイは確かにアリアの探していたユーイだった。
そのことにアリアは絶望してしまう。
アリアのことは覚えてなくてもペンダントのことは覚えているのだ…。
何故?どうして?
アリアは胸の内に起こる言葉を心の奥へ懸命に押し込める。
自然と顔が下がり、目に力を入れる。ユーイの前でこれ以上泣きたくなかった。
今はそれしか考えられなかった。
「吐け。さもないと…」ユーイはアリアの肩を興奮のあまり揺さぶる。
アリアはもう限界だった。泣きそう…!!
「や、やめて…!これは五年前に貴方からもらったの!悪い?」
アリアは自分の肩に置かれたユーイの手を振り払って怒鳴る。
「五年前…?」
ユーイが固まったのを好機とばかりに泣き顔を見られないようにアリアは駈け出して逃げた。
「はあ、はあ、はあ…」アリアは息を荒くして立ち止まる。胸が苦しい。
そして、隠れるのにちょうど良い訓練所へと続く廊下の側に生える木の下で声を殺して泣いた。
何故…。ずっと心配だったのに。
アリアはユーイに一目会えるだけでも良いと願っていたはずなのに。ユーイが無事に生きていてくれたらそれだけで良い、約束なんてどうでもいいと思っていたはずなのに。あの時、アリアは喜ぶべきだったのに…。
「どう…して………?」
何故、涙が止まらないのだろう。
ユーイはもう追いかけてこなかった。
そして、アリアが朝餉を食べた後の食器を持って戻らなければならないのに戻れない事に気付くのはもう少し後になってからだった。
* * *
それから、なんとか恥を忍んで食器を取りに行った後、メイが全てを片づけてくれたらしくアリアの努力は空振りに終わった。騎士たちが妙にアリアを気遣うのも痛かった。
その後、調子が悪くなったアリアは忙しい時だというのに皆に休めと言われて無理やり寝かされた。
そのせいで、夜一睡も出来ない…。眠りすぎた。
寒くなってきた時期なので上にガウンを羽織って部屋から出た。
心が苦しくてしょうがないのだ。
三日月が窓から顔を覗かせているのが見えた。
そんな月を見ながら歩いてくると少しは心が落ち着いてきた。
全てを微弱ながらに包み込む光はアリアの傷ついた心を癒すことは出来なくても紛らわすことは出来た。しばらく部屋の辺りをうろうろしていると、後ろから声をかけられる。
アリアは一瞬体が強張ったが、その声がユーイでないことに安心する。
「どうしたの?こんな所で?」そう声をかけてきたのはメイだった。
「メイ…」
「どうしたの?そんなに目を腫らして。今日のお昼にアリアの顔を見てびっくりしたわよ。可愛いアリアをいじめた不届き者はお姉さんが懲らしめといてあげるから安心しなさい」
アリアは首を横に振った。
そして力無い声でメイに囁いた。小さな声で。
「ユーイが、いたの…」メイはその言葉を聞いて頷く。
「そう…」
それは、メイも知っていた。あの場所にメイもいたのだから。
けれども、一言二言会話したと思ったら、アリアがすぐに駈け出してしまったから。そのためメイは何も言えず、アリアの分まで仕事をこなすことしかできなかった。あの時メイはそうすることしか出来なかった。…今、やっと聞ける。メイはアリアの声に耳を澄ませた。
「私のことは覚えてないくせに…ペンダントのことは覚えてたしショックで…」
「…うん」
「私は、ユーイが死んでたら、どうしようって、心配してたのに…なぁ」
会話がぐだぐだで、何を言っているのか分からない。それでも、メイはそれを問いただそうとはしなかった。
「知ってる」
それは、ずっと見てきたから。
「本当は、喜ぶべきだったのに…、泣いて、困らせちゃった…。嫌われたら、どう…しよう……」
涙は枯れ果てたと思っていたのにまた出てきた。どうして止まらないんだろうとアリアは不思議に思った。
それから、メイはアリアをそっと抱きしめると宥めるように背中をとんとんと叩いた。
「うぅ…」その優しさに堰を切ったように涙が出る。
そしてひとしきり、アリアは泣いた。
アリアが泣きやんできた頃、メイは静かに力強く言った。
「アリア。まだ何もかも終わってないじゃない。自分の思いをちゃんと言った?これで引き下がって納得できるの?泣くのはまだ早いと思うわ」
アリアはそういわれて初めて気付いた。
私、何も言ってない。ユーイが私のことを覚えていないからといってただ泣いただけ。
はっと我に返る。何故?どうして?こうなったのか、アリアは何も知らないことに気付いた。
「思っているだけでは言葉は伝わらないわ。言葉だけでは伝わらないものもあるけど、かといって思いだけではすれ違うこともあるの。思ったことをちゃんと伝えなさい。
そして、知ることを、傷つくことを怖れて逃げてはダメ。そうでなければ、すれ違ったまま。何も変わらないままよ」
アリアはメイの言葉に黙って頷く。メイはそれを見て声を優しくして言った。
「……もしそれで泣くことになったら私が慰めてあげるから」
アリアは顔を上げてメイを真っ直ぐ見つめた。そして、涙で濡れた顔で笑顔を浮かべた。
「うん。分かった。私言ってくるわ」
アリアはメイに言い残すとメイの前から去っていった。
そう言ったアリアの目に一切迷いはなかった。
「何処に行くのよ、全く。本当に猪突猛進なんだから…」
ま、そういうところがかわいらしくて放っておけないかもしれないが。メイは苦笑した。