第二話:朝の給仕という名の戦争
懐かしい、夢を見た。
あなたと約束を交わしたあの日の夢を。私は今も覚えている。
どうか、あなたも忘れないで…
そうでなかったら、私は…
時は経った。
少女は積み重ねた時のなかで、少女から女性へと変貌する時期に差し掛かっていた。
そして、約束は果たされないまま。
少女であったアリアはその思いを留めたままであった。
そして、アリアは今年でもう、一八歳になる。約束の日から五年の月日が流れていた。
「うーん…」
小鳥のさえずりが聞こえる。なんてすがすがしい朝だろう。
豪奢な城の中、アリアはベッドの上で伸びをした。そして、さっと首にペンダントをかける。長年の習慣のせいだろうか?これがないと落ち着かないのだ。
寝坊しつつある朝日が顔を出したばかりのようで朝焼けが綺麗だ。
ただ一つ、不満なことがあるとすれば
「…これで朝の給仕がなければいいのに」城勤めの侍女、アリアは布団を抱いて呟いた。
朝の給仕は、戦争だ。
「誰か、皿が後五枚ほど足りないんだけど」と言われれば戸棚から五枚の皿を出し、
「盛りつけが遅い。料理が冷めちまうよ」と言われれば手伝いに行き、
「早く運んでくれないかい。料理が邪魔で通れないんだけど」と言われればさっと皿を一度に四つ持って運ぶ。端から見ればサーカスの出し物に見えるかもしれない。
アリアはてきぱきとテーブルに皿を並べる。そろそろ侍女になって三ヶ月経つからだろうか、だいぶこの作業になれてきた。
この大広間で大半の貴族達は立食形式で談笑しながら優雅に朝食を取るのだが。
その一時間前はこんなものなのだ。侍女達が全速力でキッチンと広間を往復する。
優雅な朝食の裏にはこんな苦労があるのだ。
貴族も自分のすることは自分でやればいいのに…。
アリアは貴族がせっせと朝ご飯を準備している場面を思い浮かべて、あまりの滑稽さに思わず笑みを浮かべる。に、似合わない…。
アリアは侍女の仕事が板に付いてきているが侍女の心得はできてないらしい。
むしろ、したくないというのが正しいだろうか?
「アリア、そっちは大体片づいた?手伝って欲しいことがあるんだけど…って何笑ってるの?怖いんだけど」
そう声をかけてきたのは同じ侍女仲間で最も仲の良い少女でルームメイトのメイだった。
メイは侍女の仕事のために、淡い栗色の滑らかな髪を一つに括り両サイドは下ろしている。そして瞳は青く、この国ではさほど珍しくない容姿をしていた。
ここ、ソマリア国では色素の薄い人間が多く、多くの人間は金髪か薄い茶髪なのだ。目は、緑や青、時々茶色と言ったところだろうか。
ちなみにアリアは黒い髪を腰まで伸ばしているが、くくると柔らかい髪に跡がついて痛んでしまうので括らない。侍女の仕事中はバンダナで我慢していた。
顔は本人曰くつり目なのが嫌らしいが、アリアには分からない。一つに束ねられた髪がメイの動きに合わせて激しく動いた。
「えっと…大したことじゃないから気にしないで。それで、まだまだ忙しくて手が放せそうにないから手伝えない。ごめんね。」
「アリアって本当に面白いわ。観察のしがいがあ…ごほんごほん」
「ん?何か言った?」
「いえいえ、お気になさらず!それよりもお腹空くわね。まだ朝ご飯食べてない人にこれは拷問よね」
「それは同感」
だからついつい目の前のご飯によだれが出そうになる。
ああ、いけない。アリアはつまみ食いをしたい衝動を懸命に堪えた。例え目の前にあるものがアリアの大好物の蜂蜜たっぷりトーストだったとしても。
一個ぐらい…と囁く誘惑を振り払うようにアリアはメイに尋ねた。
「ところで手伝って欲しい事って何?後からだったら手伝えるけど…」
しゃべりながらだが二人の手はいっさい止まらず機械的に動いている。
「ん。そうね、…後で手伝ってもらうから、その時に言うわ。ふふふ…」
含み笑いをするメイにアリアは怪訝な顔をする。
「何か不穏なんだけど…。また何企んでいるのよ」
メイがこういう顔をするときは決まって、アリアに悪戯するときだけなのをさすがに三ヶ月の付き合いにもなるアリアは学習済みであった。
「いや、絶対面白いから大丈夫。アリアの悪いようにはしないわ!」
メイは良い笑顔で言い切った。その目にはもはや使命感すら感じられる。
どうにも逃げられそうにない。アリアはため息をついた。
大体…
「面白いって何よ…?」アリアは一人呟いた。
* * *
メイが最近アリアに悪戯しだしたきっかけは、ペンダントだった。
「そのペンダント、すっごく大事にしてるみたいだけど、恋人からもらったの?」
思わずアリアは顔を赤くして言った。
「っ違うわよ。幼なじみからもらったの。次会ったときに返す約束だから、大事に扱わなきゃなんないの!」
「幼なじみ?男?」
なぜ、アリアは話すごとにメイの目が次第に爛々と輝きだしたことに気づけなかったのか未だに後悔している。
気が付けば、約束の話を全てメイにぶちまけていて、その話を聞いたメイは
「ス・テ・キ…。良いわね、純愛ね。ウォッチングに最適の物件だわ…」
よく分からない言葉をぶつぶつと呟いた後、アリアの手を握って
「アリアを応援するわ!その相手、私が見つけ出してあげるから!」
そう高らかに宣言したのを、アリアは覚えている。
それからというものメイは何かとおぼしき男を見つけてはアリアの前に連れてくる。
助けはありがたいのだが…むしろいきすぎてありがた迷惑だ。
それに頭を抱えるようになるのに時間は掛からなかった。
そもそも侍女というのは実は結構貴族の娘がいたりする。貴族と言ってもはしくれの下級貴族だが。アリアも下級貴族の娘である。
下級貴族の家の娘はここで働いて、ここで結婚相手を探すのが普通だからだ。
見初められて玉の輿という手もあるため少女達の夢は大きい。
しかし、アリアは城に侍女勤めに来ているのは、お金を稼ぐためでも結婚相手を探すためでもない。
ただ、このままでは一生約束は果たされないような気がして、とにかく自分から動き出したかったのだ。
元々アリアはじっとしているのが性に合わないのも理由の一つだ。
そもそも五年も経っているのに何の連絡も寄こさず姿をいっこうに見せないのが悪いのだ。
しかも、母に話を聞いてみても曖昧に言葉を濁すばかり。
これは何かあるに違いない。まずは必要な情報を集めよう。
そう思ったアリアは渋る両親を説得して侍女になった。
アリアは、知るために来たのだ。
会いに来ない理由が悪いものでないことを祈るばかりだ。
アリアは心の中で呟いた。
せめて、無事でいなさいよ。…ユーイ。
会うことのない、幼なじみの名を昔の思い出と重ねながら。