第十九話:出発のとき、揺れる心
アリアが授業を受けてから、三週間後。ついに明日、マリシアが隣国に立つ。
アリアはパーティーという名の修行の後も授業三昧であったが、それも今日で終わりだ。
「…これで、教えるべき事を最低限伝えました」クロウリーが心なしか優しく思える。
心なし程度だが。もしかしたら気のせいかもしれない。
「…はい」アリアは少し涙ぐみそうだった。今まで苦手でしかなかったクロウリーだが、明日でお別れと思うと少し寂しく感じるようだ。
「あなたの明日向かう場所は敵地も同然です。逃げろとは今さら言えません。…だからせいぜい足掻いて生きて帰ってきて下さいね。まだまだ教えなければならないことがたくさんあるのですから」
「……!?」
今日は矢でも降るんじゃないだろうか、クロウリーさんが優しい。
アリアは驚きながらも喜んでいた。自分の努力が認められたような気分だ。
「…はい!必ず帰ります」アリアは元気にそう、クロウリーに告げた。
そして、精獣講座最後の授業。ミネルは悲しそうな顔をしていた。
「今日で、アリアさんとはお別れなのですね…。せっかくお友達になれたのに」
「はい。私も寂しいです。ミネル様。また会えますから、どうか、お元気で」
「御免なさい。私、あまり精獣のことを貴女に教えられなかったかもしれないわ」
「そんなことはないです。私が【対話】出来ないのは、私のせいです。自分の心をよく知らない私が悪いのですよ」
そう、アリアはまだフレアと【対話】するに至っていないのだ。心を近づけるための訓練は積んだもの、向こうで役に立つかは分からない。
心の在処…。グランにいわれたその言葉をアリアはまだ、理解できていない。
もしかしたら、フレアはユーイの精獣なのかもしれないと思い始めていた。
でも、その不安をミネルに見せるわけにはいかない。
「大丈夫です!!フレアだって今のままでも充分強いですから。マリシア様はちゃんと守ります」
アリアは明るい声でミネルに言った。ミネルの表情も少し明るいものになる。
「ええ…。分かっていますわ。ただ…私が寂しいだけなのです。必ず戻ってきて下さいね」
「はい、もちろんです!私、馬車で酔いやすいのでそっちの方が心配なんですよ~」
「あら、私も馬車酔いに弱いのよ。揺れない馬車ってないのかしらね」
「………空飛ぶ馬車、とかですか?」
「グランならやってくれるかしら?」
アリアはグランが馬車を引いているのを想像する。確かに空は飛べそうだが…
「さすがにそれは…可哀想では?」
「ふふ、それもそうね」ミネルは笑う。
しばし、二人はそんな感じで無駄話をする。
「…………気を付けて」
ミネルは去り際にアリアに向かって言った。
「もしかしたら、危険なのはマリシアではなくて、あなたのほうかもしれない」
その時、アリアにはミネルの言葉の意味が理解できなかった。
アリアはソマリア国を離れる前日の夜、落ち着かなかった。
両親へ手紙を書いて、準備は出来て後はもう寝るだけだ。それなのに目が冴えて、目をつぶることもままならない。
「…メイ、起きてる?」同じ部屋で二段ベッドの上にいるメイは返事を返さない。眠っているのだろうか。
「………」反応がないのでアリアは再び布団に潜ろうとした。
「アリアの馬鹿ぁ。どうして……に行っちゃうのよ…」メイの寝言のような声が聞こえて、布団を掴んでいた手が停止する。
メイは思えば、アリアに文句を言ったことがなかった。
アリアがどんなドジを踏んでも、失敗しても受け止めてくれた。
ユーイと会ったあの日だって。アリアが泣き出して去ってしまったのを、キッチンと訓練場を何回か往復してアリアの仕事までやっておいてくれた。アリアが泣き出しても抱きしめて励ましてくれた。
アリアが王女付きの侍女になったって、嫉妬せずに笑って祝福してくれた。
「メイ………。今までありがとう」涙声になってしまったかもしれない。そもそも本人は寝ぼけて聞いていないかもしれない。それでも、アリアはお礼が言いたかった。
せめて、アリアがここから居なくなってしまう、その前に。
* * *
隣国の大臣と一緒に騎士団に護衛されながらマリシアはシス国へ向かう。
騎士たちはシス国の騎士が一五名。ソマリア国から騎士が同数派遣される。マリシアの護衛のためだ。
侍女たちも数人連れて行くので合計して四〇人ぐらいの大所帯での旅になるわけだ。荷物を乗せる馬車の大きさからもその多さがよく分かる。
そんな感じでマリシアはシス国に行くのだが、その行程は距離以上に長いものある。
まず、馬車に乗るまで。
城から出ると、正門まで貴族たちが列をなして見送ろうと構えている。
マリシアはまず、馬車に乗るまでに普通に歩けば二,三分の道をニコニコ笑って手を振りながら十分以上かけて歩かなければならない。
面倒臭!という話である。アリアは自分は王族でなくて良かったと思う。心の底から。
次に、馬車に乗ってから。
マリシアが乗る馬車は五日ぐらいの旅になる。三日目で宿場町に止まることが出来るらしいが、基本的に野宿になる。そのため王族御用達の最高級馬車の中でも人が十人ぐらい乗れそうじゃないかっていうぐらいの馬鹿でかい客車に乗るのだ。
アリアも王女付きの侍女ということで王女の世話のためにのせて貰えるらしい。役得だ。
その馬車の中から、正門を抜けて、町を出るまでマリシアはずーっと手を振ってニコニコしなければならない。町の人達も見送りに来ているからだ。
……ほとんど、パレードじゃない、これ?
アリアは予定を聞かされたときに思った。話によると、屋台や出店が並び、そのために警備を増強するほどだそうだ。
二国間が緊張のさなかで……何とも見上げた商人魂だ。稼げるときに稼ごうという魂胆らしい。さすがは商業の国、ソマリアの商人たちだ。
この間、およそ、一時間。普通に行けば三十分足らずな道を、である。
アリアならきっと筋肉痛になるだろう。手を振りすぎて。顔は笑顔のまま固まりそうだ。
「マリシア様、ご愁傷様です…」
未来のマリシアにアリアは合掌した。
馬鹿でかい客車はそのまま泊まれるようにベットなどもあるらしく、かなり快適らしい。
それを引くのに馬は六頭必要だが。人生に一回あるかないかの経験だ。
アリアは取りあえず、その事を楽しみにしていた。
そして、マリシアの出発が始まり、王女付きの侍女ということで、馬車の中で世話をするという名目でアリアが先にいざ馬車へ乗り込んでみたとき。
アリアは目を点にした。そして、目を擦った。
…ああ、私ったら、疲れているのね、きっと。なんか、有り得ないものが見え…
「やっほ~、アリア!元気だった!?」
メイが手を振って馬車の中に置いてある備え付けの椅子に座っていた。
「……何故あなたがここに!!?」
「そりゃ、私も隣国に行くんだもの、当然よ!」
アリアは開いた口がふさがらない。それってどういうことですか?
アリアはきっと今なら、何が起きても信じられると思った。今目の前で起こっていること以外なら。