第一話:とりあえず事のあらましから…
初めての投稿です。
至らないところが多々あると思いますが、どうぞよしなに。
ーーそれ故に、彼等は互いに引きつけ合う。それは、まるでmagnet(磁石)のようにーー
「仮にこの盤の上を世界としたら、私は一体何なのでしょうね?」
豪奢な城の華美な一室の中で、女は長い指でチェスの駒を弄びながら言った。
「女王かしら?王様かしら?それともただの兵?」
女の艶やかな唇が紡いだ言葉を聞くと、側でチェス盤を見つめていた男は顔を上げた。
男は微笑みながらチェスの駒を移動させて言った。
その微笑みは臈長けた狼のようであったし、もしくは優美な猫のようでもあった。
「今はまだ…何とも」
女は眉を上げて男を見た。男と視線がぶつかり合う。女の駒が倒された音がした。
「チェックメイト」
女はまるでその男の言葉を待っていたかのように笑う。
「そう。勝負はこれから…」
どちらが王者でどちらが駒と成り下がるのか?
* * *
少年と少女は草原を駆けた。
その草原は少女の家の私有地で家と近かったせいだろう、少年と少女の格好の遊び場になっていた。
母親が親友同士という都合もあり、少年は少女の家で過ごすことは多かった。少年の母が病気で療養するために、少女の母の元に滞在していたのだ。
それは小さい頃からそうであったし、それがずっと続くのだと無邪気に少女は思っていた。
「僕、明日から自分の家に帰るんだ…」少年は悲しそうな顔をして少女に言ったその時までは。
少年はおよそ十歳くらいであろうか、背が低く華奢なせいか少女にも見える。この地域に珍しくはない真っ直ぐな金髪。色素の薄い緑の目は、今は哀しみの色に染まっていた。
一方、少女は少年より年上のようで少年より頭一つ分背丈が大きい。肩まで届く黒髪は猫っ毛で、赤く意志の強い瞳が前髪の間から伺える。
少女は口を閉ざしたまま俯いた。
少年の家は遠く、少女はその正確な場所さえ知らないのだ。もう、会えないと言われたも同然だった。
その沈黙を埋めるように風が少年と少女の髪をそよそよと遊ばせる。
草原がサアッと音を立てて揺れる。この草原は少女の家の近くで、二人の遊び場だった。
それも今日で、最後だ。
少年は今日の今日まで黙ってきた。少女が悲しむのを見たくないから黙っていたのだ。
ここが瀬戸際だった。
「……もう、戻ってこないの?前みたいに」少女は俯いたまま少年に聞いた。
「分からない。お母さんは何も言ってくれなかったから。でも、僕は戻ってくるよ、絶対」
「期待させるようなこと言わないで。無茶しちゃダメよ」
少年はクスリと笑う。いつだって無茶をしてきたのは自分ではなく、目の前の少女であったから。
「何よ。なんで笑うのよ」少女はふくれ面をした。
その目元が赤い…。これは泣く一歩手前なのだと今までの経験から少年はよく知っていた。
「はい、これ」少年は自分の首にかけていたペンダントを少女の首にかけた。
「これって…あなたが大事にしていたペンダントじゃない」
少女は驚いて目を見開いた。少年が今までこのペンダントをどれだけ大事にしてきたか知っているからだ。
「うん。分かってるよ」
「私の家に来たばかりの頃、私がこれを隠したのを、あなたは三日三晩探し続けて熱を出したのに?」
「今ではいい思い出だね」
「カラスに盗られたとき、私も探すのに付き合わされて、日が暮れても探し続けてお母さんに大目玉を食らったのに?」
「…そんなこともあったね。懐かしい」
「後…」
さらに口を開こうとした少女に、少年は「もう十分だよ」と言った。
「僕は君にこれを預けるよ。あげるんじゃないよ。必ず会いに来るから、その時、返して」
「……約…束?」いいの?と尋ねるように少女は首を傾げる。
「うん、約束だよ」
少女の首元でルビーが填められたペンダントは光を受けて鈍く光った。
これは、少女と少年が交わしたたわいもない約束。
それは、運命の歯車となって二人の思いを置き去りに廻りだした。
そして、その行く先を知る者は誰もいない。