第十七話:ダンスの後で、暗闇に現れる謎の男
ユーイとアリアはパーティー会場の外に出た。
入った頃は昼過ぎで太陽も高かったのに、もう沈んで辺りが暗くなっている。
ユーイは、入り口と繋がっているテラスの端の方へ行き、手すりに背中をつけてもたれる。アリアもその後に続いた。
「もう真っ暗…」アリアは手すりに腕をのせ、頬杖をつきながら言った。
「そうだな。ここらに一人でいると危ないから気をつけろ」
貴族にも不届きな輩がいて、人目のつかないところに女を引っ張り込もうとする者もいるのだ。
ユーイはアリアに目をやる。アリアは空を見て、「星が出始めてる。キレイー」などと言ってにこにこ笑っていた。
「…お前みたいにぼうっとしてる女は特に」と付け加えた。
「私はそんなにぼうっとしてないわよ」アリアは少しむくれて言った。
「今日分かったんだけど…ユーイは昔と変わってないね」
アリアはふっと思ったことを呟いた。
ユーイはアリアが転ばないように気遣ってあえてゆっくり踊ってくれた。
今ここにいるときも危ないと言って忠告してくれた。
それは、アリアと別れる前のかつてのユーイを彷彿させたのだ。
それは、とても嬉しいことで…。
ユーイが知らない誰かになってしまった訳ではなく、ただ、時が経ったから変わったところもある、それだけの話だと思えるから。
それだけなら、きっと…また元通りになれる、そんな気がするから。
例え、記憶が戻らなかったとしても、約束が果たされないとしても。
その瞬間無表情だったユーイの表情が固まる。アリアは気付かないまま話を続けるようとする。
「優しい所とか…」
「うるさい」ユーイが固まった顔のまま言う。
「えっ?…そんな私は、別に…」
アリアは驚いた。ユーイはアリアの言葉など聞こえないように声を荒げて言う。
「煩いって言っているだろう。俺のどこが昔と変わらないっていうんだ!?知った風な口を聞くな!!」
ユーイの顔は何かに、苦しんでいるように思えた。少なくともアリアには。
その翡翠の瞳に何を見ているのだろう、そう思った。
ただ、それを知るために、ユーイの心を傷つけることはアリアには出来なかった。
だから、深くそれに触れない。触れられない。
「…ごめんなさい」
前のような初めて再会したときのような恐怖はない。
ユーイは昔のユーイと変わったところはあっても、きっと根本は変わっていないのだと分かったからだろうか。
アリアはゆっくりとユーイに言った。
「ユーイは良い意味で変わってないと思っただけだから…嬉しかったの。
ユーイは私のことを覚えていなくても、私はユーイを覚えているから、今までずっと心配だった。だから、会えてよかった…それが言いたかったの」
ユーイはフッと力を抜いた。我に返ったのか、何なのかアリアにはよく分からないが雰囲気が和らいだのを感じてとにかくホッとした。
「昔の俺は…弱かった」少し落ち着いたらしい、小さな声でユーイは言った。
「そうかな?」アリアは首を傾げた。
ユーイが弱い?確かに昔は気弱な感じだったけれど、それは弱いということではない。
むしろ、腹をくくったら一番無茶をするのはユーイで、アリアは時々それに振り回されるほどだった。
「私はそうは思わないよ。今も昔も」
ユーイは少しだけ目を見開く。でもそれはかすかなことで、誰にも分からないほどだった。
「まあ、ユーイにしてみれば、知らない人にそんなこと言われたって困るだけだよね」
アリアはユーイの顔を見ないまま話し続ける。
「…そうだ。私、ユーイに謝らなきゃいけないことがあるの」
「……」
「ユーイが記憶喪失だって知らなくて、泣いたりしてご免なさい。そりゃ、覚えてなくても無理はない話なのに。なのに…私は」
「お前が謝る必要はない。…俺が悪い」
「ユーイは悪くないよ。………記憶がなくたってユーイだし」
アリアがぽつりと言った。
「‥‥‥‥」
二人は黙ったまま外の景色を眺めた。
アリアは不思議な気持ちだった。こうして、二人で景色を眺めるのは決して初めてではなかったのに、まるで初めてのような気持ちになったから。
今まで別れていた時の空白がそれを、もたらすのかもしれない。
アリアは足下が覚束なくなって、手すりに体を預ける。
頭がぼんやりとして、景色もぼやけていくように感じる。色々なことが頭を巡る。
そうだ、フェリキアのこととか、聞かなくちゃ…。ユーイとゆっくり話す機会がこれからもあるとは限らないのだから。アリアが隣国へ行くとしても、ユーイと会うことは必然ではないのだ。
「……?」
その時、アリアの目の前の木が歪んで見えた。
あれ、おかしいな。景色がぐるぐる回って…。気持ち悪い。
「お前は…もし…」ユーイがそう言いかけた時。
アリアはユーイが何を言っているのか聞こえなかった。ただ、力が抜けていくのを感じた。
「…おい!……返事…を………し……、丈…夫……」
ユーイの声がどこか遠くに響いていく感じがして、そのまま、アリアの意識は暗い闇へと沈んでいった。
* * *
ユーイは驚いた。
「お前は…もし…」思わずアリアにそう言いかけたことも。
「…………っ」
手すりにもたれていたアリアの体がバランスを崩し、そのまま…アリアが倒れたことも。
「おいっ…………!?」
ユーイは崩れ落ちるアリアを床に体を打ち付けてしまう前に抱きとめた。その体が、熱い。
熱があるのか……。
「大丈夫か!?返事をしろ」
アリアはぐったりとして、反応がない。
顔色も悪いようだ。あまり寝ていないのか、隈ができている。隊長であるために常に部下の体調を見ているのに…。
そういったことに鈍くないはずの自分が今の今まで何故気付かなかったのか、疑問に思う。
「何で、こんなにボロボロなんだ……?」
ユーイはアリアの地獄の特訓のことを知らない。訳も分らずに少し混乱するユーイだが、結論はすぐに出た。
とにかく、医務室へ運ばなくては。
ユーイはアリアを抱き上げると医務室へと向かった。
「どうなさいましたか?」
ユーイがアリアを抱えて医務室にいると看護婦が問う。しかし、すぐにぐったりとしたアリアの様子を見てユーイが答える間もなく
「……。どうやら、急患のようですね。どうぞベッドの方へ」
そう言って医務室の奥にある六つ程あるベッドのうちの中でも一番奥の一つの方へ案内する。
「知り合いの方ですか?」アリアをベッドに移したユーイに向かって看護婦は言った。
「………まあ」
少し迷ってユーイは返事をした。
「それではちょうどいいですね。熱があるようなので、私が熱冷ましの薬を取ってくる間様子を見ていて頂けませんか?」
「いや、ちょっと待……」ユーイが言い切る前に
「では、よろしくお願いしますね」
看護婦はユーイの返答も聞かないで去ってしまった。
「……………」
ユーイはアリアをそっと見る。
顔は赤く染まり、まぶたは閉じられたままで、黒くて長い睫毛が小さく震えている。そして、小さい寝息。…どうやら眠っているようだ。
そして、首には例のペンダントがあった。
ユーイにとっては楽しかった記憶や嬉しかった記憶と、嫌な記憶、思い出したくない過去まで込められている、因縁の物だ。
今まで、思い出さないようにしてきたのに…。事実、アリアに会うまでは意識していなかったのに。
ユーイはそれに手を伸ばして触れようとする…が
『母も、妹も、守れなかったお前に今さら何が守れるというのか?守れないのなら望むな。それがお前にとっても、お前の大事な者にとっても最善だ』
その手は途中で止まる。忌まわしい記憶が、言葉が、ふと蘇る。
「………分かっている」
いちいち思い出さなくても。
「…いつまで、そこで黙っているつもりだ?用があるんだろう?」
ユーイは背後に向かって言った。
医務室の扉のすぐ横に男が一人立っていた。銀色の短い髪をした男は右頬に十字の傷があった。目は鋭い闇のような漆黒。そして、首には奇妙な文字のような黒いタトゥーがいれられている。
そして、黒い衣服を身に纏うその様はまるで死に神のように見えた。
腰には二本の細身の刀が下げられており、その立ち姿に隙はない。
男は笑いながら言った。
「いや、気付かれていたとは思わなかったな~。さすがはあの方の息子!」
息子と言われてユーイは心底嫌な顔をする。
「あいつのことは関係ないだろう?俺はあいつが嫌いだ」
「…さいですか。俺は呼びに来ただけですよ」
「そうか…」
「じゃ、そろそろ行きましょうか?まだ、仕事が残ってる」
「……」
ユーイは返事をしないで黙った。目線はアリアに注がれている。
動こうともしない様子に男はため息をつく。
これでも、譲歩しているつもりなんですけどね、男は言った。
「…分かっていますよねぇ?自分の立場」
ユーイは最後にアリアの方へそっと盗み見るように目をやった後、返事する。
「………ああ」
ユーイは銀髪の男が歩くのに続いて歩き出した。
そして、もう二度と、アリアを見ようとはしなかった。