第十話:王女付きの侍女に昇格しました
王女の部屋の前でアリアは深呼吸をした。
緊張するがそれも当然だろう。ドアの先にいるのは王女なのだから。アリアの身分から考えて雲の上の人のような存在である。緊張するなという方が無理だ。
心を決めて、そして、ドアをノックする。
「失礼します。マリシア王女様。今日から新しく仕えることになりました、アリア・マイオリーでございます」
取りあえず暗記してきた言葉を言う。そして、おじぎ。王族の顔をむやみと見てはいけないのだ。
少ない時間でアリアが王女付きの侍女になるために覚えた数少ない事項の一つだった。
「顔を上げて」女の子のかわいらしい声が聞こえてアリアは顔を上げる。
マリシア王女は一言で言えば美少女だった。まあ、母があの王妃様という時点で分かっていたが。
見事な金髪は王女にしては短めで肩より下、腰より上、でそれを編み込んでいる。
澄んだ海のような目に傷一つない滑らかな白い肌、華奢な体。まるで人形のようだ。
「あなたが新しい侍女ですか。大体母様の企みは読めましたわ。密偵…、かしら?よくもまあ、あなたのような人が都合良く転がっていたこと」
訂正。マリシア王女は正真正銘、王妃様の娘だ。
十歳とは思えない聡明さに、会って一分も経たない間にアリアは舌を巻いた。
「あと、アリアと呼んでよろしいかしら?もっと言葉は砕いたものを使って頂戴。
あなたの言葉が聞きたいのよ」
「は、はい…」勢いに押されてアリアはたじたじだった。
「ねえ、どうして、アリアは向こうが姉上でなくて私を選んだと思う?」
ひとしきり世間話をした後、マリシアはアリアに唐突に質問した。
それは、アリアも疑問に思っていたことだった。
マリシア王女の上の第一王女ミネル王女は確か、十五歳。もう婚約できる年だ。
手っ取り早く国を手に入れるなら、自国の王子へと嫁がせるのは普通だ。
だから、そのためにミネルを留学させて、婚約させる手もある。
それをあえて、時間のかかるマリシアを指名する理由…
「…ヒント、私の年齢、よ」マリシアはアリアに言った。
何か、最近人に試されることが増えた気がする。アリアは頭を出来るだけ早く回転させる。
「マリシア様の年齢は十歳ですよね。幼すぎると思います…。
いえ、むしろその幼さこそが利点、とか?…」
マリシアは目を瞬いた。
その瞬間、アリアの頭の中で閃くものがあった。
「ああ、そういえば、そうですね。マリシア様は幼いため、まだ御しやすい。そう隣国は思っているのですね!」
ミネルはすぐに婚約、結婚させることが出来るだろうが、あの手この手で、祖国の不利になるようなことは邪魔をしそうだ。
それに比べれば幼いマリシアを、と思うのはもっともだ。そうだと思うと納得出来る。
「…だと思いますが」アリアは申し訳程度に敬語をつける。
王族付きの侍女ならば、いやそれだけじゃなく常識のある人間ならそれは敬語じゃなく丁寧語だとつっこむだろうが。アリアは敬語は苦手なのだからしょうがない。
「…思ったよりも使えそうな方ですわ。私の侍女たちはヒントを五つは出さないと分かってくれませんの」良かった。良い評価をもらえてアリアは微笑んだ。
「マリシア様は賢い方ですね。私なんか十歳の頃は木に登っては親にしかれたり、ままごとで母の口紅を塗りたくったりして怒られていましたから」
今思えばかなりのお転婆娘である。ユーイがその後ろを若干ビビリながらついてきていたが、今は懐かしい昔話だ。
「…姉上や兄上には及びませんの」
これより上が後二人…。化け物だ、この王族は、とアリアは思った。
しかし、そういって口を尖らせて拗ねた様子のマリシアからは年相応の寂しさを感じる。
恐らく甘えたことなどほとんどないのだろう。
アリアはマリシアに優しい声で言った。
「マリシア様は聡い方だと、皆は思っているのでしょうが、マリシア様はそのことで遠慮する必要はないと思います。どうか、泣きたいときは泣いて、怒りたいときは怒って下さい。せめて私のような者にぐらい我が儘を言って下さい」
マリシアは驚いて、口を開けたままアリアを凝視する。
どんな顔をしても可愛い子は可愛いんだなあ、羨ましい。アリアはそんなことを思った。
「マリシア様を初めて見たとき、人形のような可愛らしい方だと思い…」「私、人形じゃありませんの」
マリシアは小さな声で、しかしはっきりした声で割り込むように言った。そして俯く。
「……はい。それは、分かっています」アリアがそう言ったもののマリシアは俯いたままだ。
「………」
「私はこのように深く考え、多くの感情を抱く人を人形だなんて思いません」
アリアはきっぱり言って微笑んだ。
マリシアが顔を上げる。
「本当?本当にそう思っているの?」その顔は少し赤くなっていた。
「はい!マリシア様。何処の誰が言ったか知りませんがマリシア様はとっても可愛らしい性格の女の子ですよ」アリアがそう言うと、マリシアは嬉しそうに笑う。
笑うとさらに愛らしい…。アリアはマリシアの笑顔を見て、とても嬉しくなった。
マリシアは少し、間を置いて口を開いた。
「それじゃあ、少し、我が儘を言ってもいいかしら?」
マリシアが小首を傾げて言う。
可愛い。これに逆らえる人間は恐らくこの世にはいないだろう。アリアは頷いた。
「二人の時は私の姉様になって下さいな」
アリアは聞いた瞬間固まった。
* * *
「どう?マリシアとはうまくいってるの?」アリアは尋ねられて振り返ると王妃がいた。
一日目の侍女勤めを終えたところである。王女の部屋の廊下で、たまたま王妃が通りかかったようだ。
「はい。まあ…。怖れ多いことに私に姉になって欲しいというので対応に困りましたが…」
王妃が驚いた声で言う。
「あの子が?へえー。珍しいものね。あの子は滅多に人にお願いなんてしないのに。もう、母としては寂しいぐらいにね。…やっぱり私の目に狂いはないわ」
「ええ、ありがとうございます!でも、マリシア様は寂しそうでいらっしゃいました。差し出でがましいと思いますが、もし時間がおありなら会いに行かれて下さい」
アリアは寂しそうにしていたマリシアの姿を思い浮かべながら言った。
多分、アリアのことを姉になって欲しいのいうのも、家族に会えない寂しさからだとアリアは思っていた。
「…そうね。そうすることにするわ。ああ、それと…」王妃がアリアに告げる。
「あなたマリシアが勉強している間は暇でしょ?その時間で密偵になるための訓練と精獣使いのための授業を受けてもらうから」
「…はい、分かりました」
急にハードなスケジュールになりそうである。
ちなみにアリアは自分を慕ってくれるこの精獣にフレイという名を付けた。
必要なときや呼んだときだけ出てきて、後はペンダントの中に居る。どういう構造になっているかは皆目見当がつかない。
時間に余裕が出てきて、この状況に慣れ、王妃から許可が下りたらメイやマリシア様にもフレイを見せてあげようと心の中でアリアは決めた。
しかし、アリアは知らなかった。これが、まさか地獄の日々の幕開けになるとは…