第九話:What is 精獣?
「驚かせて御免なさいね。私はこの国の王妃よ。この男も悪気はないから…」
「すいません。悪気はなかったんです。あなた達の恋路を邪魔するつもりは毛頭ないんで…」
アリアは王妃の言葉を聞く余裕もなく、そこまで言ったところでアリアの謝罪は途切れた。
「ふふふふふふざけるな!! 私は…そんな…」という男の人の怒鳴り声と
「あはははははは、おかしいっ、私がクロウリーと? あはは…」王妃の笑い声で。
しばらく、アリアは二人の反応に言葉を失った。
え…、恋人同士じゃないんですか?アリアは男の余りの剣幕にその言葉を飲み込んだ。
王妃が、笑いすぎて涙すら流しながら、アリアに説明する。
「この人は私の…、そうねえ。執事みたいなものなの。…ちょっと、クロウリー。そんなに怖い顔でにらまなくてもいいじゃない。すっかり怯えてるじゃないの」
王妃がクロウリーという名らしい男に向かって言う。
「これは地顔です。それにこの娘が邪魔をするのが悪いのです」
そう言いながらもなおアリアを睨みつける。すごく怒りを買ってしまったようだ。
「私はかなり楽しめたけど?
見たところ、この城の侍女みたいだし…。まさかこんな所で精獣使いに会えるなんて。あら?」
ここで王妃がアリアに顔を近づける。これだけ近くで美女に見つめられると女でも照れる。
アリアは顔が紅潮せずにはいられなかった。
「珍しいのね。黒髪で赤い目をしているなんて。どっちかと言えば隣国に多いじゃない」
「ふふふ…、ぴったりね」
何がですか? アリアは尋ねたかったがクロウリーの視線が怖くて口を開けなかった。
「ここじゃ落ち着かないわね。くわしくは私の部屋で…」
妖艶な微笑みと共にそう言われると、頷いてついていく以外の選択肢はアリアにはなかった。なんか、すごいことになってる。これからどうなるのだろうとアリアは少し不安な反面どきどきもしていた。
「まずは、自己紹介から」王妃様はそう言ってアリアに語りかけた。
「私の名はヴェルスミス・レックス…後は長いので略。貴女の名は?」
「アリア・マイオリーと申します」
「そう、アリアちゃん、あなた、マイオリー家なのね」
「はい、そうです」
アリアはさすが王妃様は下級貴族の名前すら存じ上げているのだと感動していた。
「やっぱり精獣は使い手を選ぶ、か…」
王妃は意味ありげなことを言うと笑顔を浮かべた。それは人に警戒心を抱かせないような明るい笑顔だった。アリアの緊張して固まっていた表情が柔らかくなる。
「精獣っていうのわね、簡単に言えば妖精みたいなものなのよ。
純度の高いものと、純粋な思いから生まれると言われるわね。今回の場合、そのペンダントのルビーと貴女の心が合わさって生まれたのかな? ね、クロウリー?」
「はっ、私もそのように思います」
因みに妖精ならアリアも多少知識はある。
この世界を構成する要素は『火、水、地、金、木』からなりそれに派生するものは千種にも及ぶ。その力の欠片…ともいうべき存在が妖精である。妖精は人々の生活を支える上で必要不可欠で、お湯を沸かしたり、光で部屋を照らしてくれるのは全て妖精の力なのである。
妖精を扱うのは簡単ではなく、長年にわたる訓練が必要で、そのために小さな頃から訓練し、国の重要職に収まっていく貴族と、それが出来ない平民とで貧富の差が拡大しているのだ。
それでもやはり、精獣は初耳だ。ユーイもこのペンダントを渡したとき何も言わなかったし…。アリアは首を傾げた。
「なかなか精獣を生み出すだけの純粋な物なんてないのよ。このペンダントは特別なのね」
王妃様は言った。
「そうなんですか」
きっと純粋な思いというのはユーイも入っている。あれだけ大事にしていたのだから精獣が生まれたのだとアリアは思っていた。アリアがこれを持っていたのはたったの五年だ。ユーイはこれを出会った頃から肌身離さず付けていたのを思い出す。
「妖精との違いはまず、己の心で忠誠心を持って主に使えること。妖精は生まれたって気ままに生きていくけど、精獣は違う。決して裏切らないし、強い心があるから力も強い。
だから、精獣使いは一人いるだけで戦場をひっくり返すって言われているのよ」
大体軍隊一つ分の力はあるわね。王妃は唇に指をあて値踏みするように言った。
「そんなにすごいのですか?」
アリアはのどを鳴らしてアリアに甘える精獣の頭を撫でながら言った。こんなに愛らしいのに…。アリアは不思議だった。
「だから、精獣に関する情報はかなり制限されてるわ。悪しきものの手に渡らないように。純粋な思いを持つものが手にするべきなのよ。でなければ精獣を生み出すことすら出来ない。
それは私達にとっても損だから」
にっこり笑って言う王妃。
「私、戦争に行かされたりするんですか?」アリアは不安になって聞いた
「本人の意思を尊重するわ。少なくとも私は。
精獣に頼らなくては国を守れないなんて事はないから。基本的に好きにして良いのよ」
王妃の言葉にホッとするアリア。
「っで、まあ、それは置いといて…」王妃はジェスチャーを交えて言うと、少し真剣な顔になった。
「つい先日、隣国の大臣が城に来たことは知ってるわよね?」
アリアは頷いた。王妃は話を続ける。
「というわけで、会談して近々私の末娘が隣国に留学する事が決まっちゃったから、そのための侍女を捜していたのよね…」
「それって所謂…」アリアは先の言葉を言うことを躊躇った。
それは留学とは名ばかりの“人質”だ。
というよりもこんな重大なことをアリアのような庶民に言うべきだろうか?アリアは不思議に思った。
「王妃様。それ以上のことは…」クロウリーも警告する。
「だめよ、ここまで言わなくては。どうせ直に分かることだし。私はただの侍女が欲しいわけではないのだから」
王妃様は強い口調でそう言うとクロウリーが黙って仰せのままにと言うように頭を下げる。
先の読めないアリアは首を傾げる。
「…私は、この状況を利用したいのよね。分かるかしら?」
「ええと…」アリアは考えながら口を開く。ふとさっきソレイユと会話したことを思い出す。
『もし貴女が黒髪じゃなく金髪だったら一緒に情報集めも出来たかもしれませんが』
『この国では黒髪は目立ちすぎて不向きですからね』
この国では目立ちすぎて情報集めには向いていないと言われた。
では、隣国ではどうだろうか…?
アリアは王妃に向かって口を開いた。
「私に密偵兼用心棒になれということですか?」
王妃の表情は変わらない。もっと言えということだろうか?アリアは迷いながら話を続ける。
「王女様のご留学という状況で、表向き王女の世話という自然な理由で隣国に入ることが出来ます。」
そして、この国では浮くだけのアリアの容姿が、隣国では武器になる。
「隣国で茶色の髪や黒髪が多い中で金髪の侍女が目立たないように密偵をするのはかなり難しいですから。私のような黒髪の侍女ならそんなことないですし、ついでに、精獣で王女様を守護できます。しかも軍隊一個分?の圧倒的な力で」
金髪の女が色々嗅ぎ回っていると噂になるのがオチだ。その点黒髪なら、むしろ王女付きであることすら隠せば何処でも嗅ぎ回れる。
「…違いますか?」アリアはだんだん自信がなくなってきたので王妃に尋ねる。
「いいえ。その通りよ。期待以上ね…」王妃は悪戯っぽい光を目に宿して言う。
「掘り出し物を、見つけたわね。ふふ、楽しみだわ」
間違えていたら大恥だと思っていたアリアはほっと胸を撫で下ろす。
「…だから、そんなに疑わしい目で見ないであげなさい、クロウリー」
「しかし、私にはなぜあのようなところで隠れていたのか疑問ですから」
クロウリーは相変わらず鋭くアリアを睨めつけている。
王妃はふう、とため息をつくとクロウリーに諭した。
「私が信頼すると言っているのにあなたは私が信じられないの?」
「いえ…」クロウリーが続けようとするのをアリアは割り込んだ。
「…あの、私昨日落とし物を探していて、このペンダントなんですけど…」
クロウリーが怖いアリアは取りあえず疑いを晴らすため、理由を説明しかったからだ。
「大事なのね、そのペンダントが…いえ、どちらかというとそれをくれた人かしら?」
あっさり見抜かれてアリアは慌てる。
「何で分かるんですか?」
「顔に書いてあるわよ」
「本当ですか?」アリアは側の窓に映る自分の顔を凝視する。
何もついていない、普段の自分の顔が映っていた。鏡でないので細かく分からないが。
「そういう事じゃなくてね。ふふ、あなたって本当に面白い子ね。ちょっと間が抜けていると思えば聡い。聡いと思えば存外天然…、これは演技かしら?」
「ええ、どうしてそういうことになるんですか?私、演技なんてしたことないです」
アリアは慌てて言った。
「ちょっとした冗談よ。ところで、私の話、受けてくれるのかしら?」
アリアは本題をすっかり忘れていたため、少しの間何のことかと思っていた。確かに自分は間が抜けているとアリアは自嘲した。
「…私なんかに出来ますか?」
本当のところならユーイが隣国の騎士であるためにアリアは一つ返事でその話を受けたいと思っていた。数年で帰ることが出来そうだし。それも、好都合。
しかし、アリアが密偵になれば、背負うのは国の命運の一部。
恐らく隣国との関係は悪化していたのだ。この情報戦で負ければ、軍事力では圧倒的に劣るこの国は戦わずにして負けるのだろう。…出来れば戦って欲しくないのだが。
「私は…戦いたくなんかないです」
この国には、アリアの大事な人が大勢いた。でも、アリアには隣国にも大事な人がいた。
ユーイと…フェリキア。フェリキアに関しては生死すら分からないが、それでも守りたいものに変わりない。
「そうね。私もそうよ」王妃は優しく笑って言う。
「へ?」アリアは思わぬ王妃の言葉に変な声を出す。
「だって、戦争では奪うことはできても与えることは出来ない。幸せも笑顔も喜びも…。王は国民の幸せを考えて行動すべきなのに、こんな事になってしまって申し訳ないと思っているわ」
「だから…戦争を起こさせないために、力を貸して欲しいの」
アリアは王妃の顔を見つめる。
アリアにはそれだけではない、弱さがあった。怖いと思う気持ちがあった。
国が動けば、人の人生も大きく左右される。そんな責任重大な事に自分なんかが関わって大丈夫だろうか?アリアが臆するのも無理はない。
「大丈夫よ。あなたなら。なんたって私が見込んだ子ですもの」
アリアの迷いも、恐怖も王妃の言葉で吹き飛んでいく。
もし、アリアが頑張ることで守れる何かがあるのなら…
この手に転がり込んできた力で何か出来ることがあるというのなら…
「分かりました。…やります」
この手で掴んで見せよう。欲しいものを、得たいものを。
アリアは覚悟を決めると、王妃に告げたのだった。
* * *
その日からアリアは王女付きの侍女になった。
なんでも、王女はまだ御年十歳で人見知りが激しいから、と言うのが理由だ。
これはただの雑用係から執事になった並の出世で、そういう侍女は一人部屋を主人の近くにもらえるものだが、アリアはそれを辞退して一応部屋はそのままにしてもらった。
「どうして、断っちゃったのよ、憧れの一人部屋。欲しかったくせに」メイが不思議そうに聞く。
「だって、メイと同じ部屋が良かったから…」
もうすぐ隣国へ旅立ってしまうアリアは心細かった。だから出来るだけ、大事な人達と思い出を作っておきたかったのだ。だが、それを言うことは出来ない。
王女の留学はまだ内密なのだから、それを言うことも出来ない。
精獣についても、王妃から今の所は誰にも言ってはいけないと厳命されている。
「アリア…。あんたのそういう所とっても可愛い!」メイはアリアに抱きつく。
「うっ。タックルは止めてって言ったじゃない」
「これはタックルじゃないわよ。そうね、強いていうなら、愛情表現よ」
メイは唸るアリアにしれっと言った。
「…とにかく無理はしないでね。何かあったらこのお姉さんがどうにかしてあげるから」メイはそう言ってアリアを送り出した。
アリアの顔色から考えるに壮大なことに巻き込まれているわね、メイはそう思った。
幼なじみとの再会。まさかの障害。そして急な人事異動…。他の不穏な動き。
メイは点と点を繋いで直線にするようになめらかな線でそれらを繋ぐ。
そして、導き出せる答えは…。
「私もこのままじゃいられないわね…」メイはそう呟いた。