モブ令嬢は見た、ヒロインの真実とパッピーエンドのその後を
数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。
「この時を以て私ジュリアス・オスニエルはロンド公爵家息女ニキータ嬢との婚約を破棄する」
それは王立学園の卒業パーティーで起きた。
宴も酣で生徒たちがそれぞれにダンスを、飲食を、雑談を楽しんでいる最中、我がオスニエル王国の王太子ジュリアス殿下が突然、声高らかに宣言したのだ。その様子はまるで劇を演じる役者さながら、自分の役どころに酔いしれていた。
場内は一瞬水を打ったような沈黙が落ちた。その後、視線がニキータ様に集中した。プラチナブロンドにサファイアブルーの瞳、透けるような白い肌のたいそう美しい令嬢だ。容姿だけではなく学園での成績は常にトップ、気品と教養を兼ね備えた非の打ちどころない淑女の鑑だ。十年前から受けていた厳しい王太子妃教育の賜物か、眉一つ動かすことはなく毅然としていた。
「私は真実の愛を知ってしまった。それを教えてくれたのはサリーナだ。彼女と新たな婚約を結ぶことに決めた」
ジュリアス殿下はサリーナ様を抱き寄せながら続ける。サリーナ様はフワフワしたピンクブロンド、パッチリした二重の目にエメラルドグリーンの瞳、可憐で庇護欲をそそる令嬢だ。
彼女はロンド公爵家のもう一人のご息女、ニキータ様の異母妹にあたる。ロンド公爵の庶子で、王立学園入学の一年前、公爵家に引き取られたことは周知の事実だった。
殿下とサリーナ様のロマンスは学園中に知れ渡ってはいたものの、平たく言えば殿下は婚約者であるニキータ様を裏切って異母妹に乗り換えた浮気者、真実の愛などと美しい言葉で包んでも醜聞に他ならないのだ。周囲の人たちもそう思っているが口には出せない。
「婚約破棄、承知いたしました」
ニキータ様も予想していたのだろう、表情を崩すことなく冷然と言った。
ニキータ様が王太子妃の座に執着していると思っていたジュリアス殿下は肩透かしを食らったような目を向けた。
「殿下の御心は決まっているようですので私は従うまでです。婚約者が異母妹に変更しても、ロンド公爵家との関係に変わりはないのだから問題ないとお考えなのでしょう、恐らく父も同じ考えでしょう」
「そ、そうか……」
「どうやら私がいてはせっかくの卒業パーティーも場の空気を重くしてしまうだけですので、失礼させて頂きますわ。皆様はパーティーを楽しんでくださいませ」
ニキータ様は無表情で皮肉を吐いてから踵を返した。
ジュリアス殿下に抱き寄せられながら、サリーナ様は申し訳なさそうに瞳を潤ませながらニキータ様を見送った。それは演技なのだろうか? それとも少しくらいは心を痛めているのだろうか? そんなことを思いながら、私は食べかけのチョコレートケーキを平らげた。
こうして物語は私が前世で読んでいたWEB小説の通り、いいえ、断罪劇はなかったから全く同じではないが、愛し合うジュリアス殿下とサリーナ様が結ばれて〝めでたしめでたし〟のエンディングを迎えた。
私はノバック伯爵家の長女シンシア、茶色の髪に茶色の瞳の平凡な少女だ。
遡ること三年前、ここ王立学園に入学した時、唐突に前世の記憶が甦った。新入生代表として挨拶をした王太子ジュリアス殿下を見た瞬間、怒涛の如く頭の中に見たことものない風景が雪崩れ込み、倒れそうになりながらも踏ん張って入学式を乗り切った。
それは日本という島国、この世界とは全く違う、文明が発達した世界で生きていた記憶だった。三十代半ば、読書好きで異世界もののWEB小説に嵌っていた独身OL。自分がどうして死んだのか記憶はないのだが、恐らくお決まりの事故死か過労死だったのだろう。そして愛読していた『エメラルドグリーンの瞳に誓って』という小説の中に転生したようだ。
小説の内容は、愛人の子に生まれて母親と市井で暮らしていたヒロイン、サリーナが、母親の死を機に公爵家に引き取られて王立学園に入学する。王太子ジュリアスの婚約者である異母姉のニキータや取り巻き連中に様々な嫌がらせをされ、命の危険に晒されたりもするが、ジュリアスに護られならが二人は愛を育んでいく。
そしてラストはジュリアスが卒業パーティーでニキータを断罪して婚約破棄する。そしてサリーナこそが王太子妃に相応しいと、彼女との婚約を宣言するハッピーエンド。王道の中の王道、なんの捻りもないベタな展開の小説だが、健気なヒロインが大好きな私は結構ハマった。
せっかく愛読していた小説の中に転生したのだが、残念ながらヒロインでないことはすぐにわかった。茶色の髪に茶色の瞳の平凡な容姿、タイトルにある〝エメラルドグリーンの瞳〟ではなく、ピンクブロンドの美少女ヒロインとは程遠い容姿だったからだ。
まあ、それでも三十代から半分にも満たない十五歳の少女に転生できたのだからラッキーなのでは?
シンシア・ノバックの名を思い出すのに時間がかかったのは、小説には数行しか登場しないその他大勢だったからだ。覚えていたのは奇跡なくらいだ。その数行と言うのは婚約者に解消される場面だった。
小説には一瞬しか登場しないモブだけど、ここは現実の世界、シンシアにもちゃんと人生があった。
三姉妹の長女である私ことシンシアはノバック伯爵家の跡取り娘、十三歳の時にキュレネイ侯爵家の三男で同い年のトール様と、彼が婿入りする予定で婚約した。しかしずっと領地の本邸で暮らしていた私と、王都のタウンハウスで生活しているトール様とはお見合いの時以来、会ったのは三回だけだった。
それでも私はトール様に好意を持っていた。黒髪にラピスラズリの瞳、キリっとした顔つきの美少年に私は恋をしてしまったのだ。
王立学園に入学して、やっと初恋の彼と婚約者らしい交流が持てると思っていたが、そうはならないようだ。
優秀なトール様はジュリアス殿下に認められて将来の側近候補に選ばれる。殿下と行動を共にすることが多くなり、婚約者との交流は後回しにされる。そして卒業後、正式に王太子の側近として採用されれば、婿入りして領地経営の携わるのは無理だ。それに将来の国王の側近になる方がキュレネイ侯爵家の利になる。そういう訳で、田舎伯爵令嬢の私との婚約は解消されるのだ。
入学式を迎えた今はまさに小説の世界に突入する寸前だ。
現時点ではトール様の婚約者だが、ストーリー通りに進み、婚約はたった数行で解消される未来が待っている。
わかっているのなら、今から婚約解消されないように手を打てばストーリーを変えることが出来るかも知れない? 一瞬、そう考えもしたが、私はヒロインのような美少女ではない、所詮数行で消えてしまうモブなのだ。トール様の心を繋ぎとめるのは無理、抗ったところで無駄だろう。
まあ、前世も平凡なOLだったし波乱万丈の人生を望んでいる訳でもない。転生したこの世界では平穏に長生きしたいものだ。だからこの語りの中枢にいるトール様とは距離を取ったほうがいいのかも知れない。初恋は実らないものと諦めて、物語には巻き込まれずに傍観者でいたほうが気楽だと思うことにした。
そうして私の学園生活は始まり、程なく物語は動き出した。
* * *
ジュリアス殿下とサリーナ様の運命的な出逢いがあるはずだ。
関わり合うのを避けると決めたものの、本当に小説のストーリー通りになるのか好奇心には勝てず、現場で待ち受けていた。
「キャッ!」
休み時間の渡り廊下で小さな悲鳴が上がった。
たちまち出来た人だかりの輪の中心には、王太子ジュリアス殿下と婚約者のニキータ様、側近の人たち中にはトールの姿もある。そして、その麗しい一団の前には両手をついて倒れているピンクブロンドのヒロインの姿があった。一見したところ、王太子殿下の目前で転ぶという失態をしてしまったように見えるが……。
「大丈夫か?」
ジュリアス殿下は彼女の傍に膝をついた。
「殿下!」
王族が簡単に膝をついてはいけない、ニキータ様は殿下の行動に思わず驚きの声を上げた。サリーナ様はニキータ様に怯えたような目を向けた。普段からニキータ様に虐げられているような表情だ。
側近の一人、ヴェッルチ伯爵令息のアルド様も慌てて殿下の横に屈むが、殿下は気にする様子もなく、
「君はサリーナ嬢だったな、ニキータの異母妹にあたる」
サリーナ様は返事も忘れてただ潤んだ瞳で殿下を見上げた。
ジュリアス殿下が優しい瞳でサリーナ様を見つめる。なんて美しいツーショットなのかしら! 健気なヒロイン推しだった私は感動に震えた。
「申し訳ございません、殿下、異母妹がお目汚しをしてしまいまして。サリーナ、早く立ちなさい」
ニキータ様は冷たい口調で言い放った。
その言葉にビクッと硬直するサリーナ様に殿下は優しく手を差し伸べる。
「足を痛めたようだな」
「だ、大丈夫です、このくらいたいしたことはありません」
「医務室まで送ろう」
殿下がサリーナ様の手を取って歩き出すと、自然と人混みが割れて道を開いた。
信じられない殿下の行動をニキータ様は憮然と見送った。
その様子はヒロインを助けるヒーローそのもの、ストーリーに即した展開と言えばそうなのだが……。
最初から特等席で見ていた私は、美しいツーショットの感動でスルーしそうになっていたが、殿下が通りかかるのを見計らってサリーナ様はダイブしたんじゃないかと気付いてしまった。
いいえ、きっと見間違いよ、清廉潔白なヒロインがあざといことをするはずないわ。
その時はそう思ったのだが……。
* * *
「キャ!」
ガチャーン!!
王立学園の学生食堂に短い悲鳴と食器がトレーごと床に落ちる派手な音が響いた。
学食内にいた全員が注目し、一瞬、食堂内に沈黙が落ちた。
学食はビュッフェ形式、普段は自分で給仕などしない貴族の子女がトレーを持って自分で食事を席まで運ぶ。原因となったサリーナ様はひっくり返ったトレーと床に散らばった料理を茫然と見下ろしていた。そして少し離れたところにいるニキータ様が冷ややかな目を向けていた。
また始まったのね。
私はこの小芝居を間近で見れる特等席に座っていた。
出逢いのシーンだけではなかった。ジュリアス殿下と絡むシーンのことごとくが仕組まれたモノだった。見間違いではなかったのだ。私はあの出会いのシーンから一年以上、何度も目撃して確認していた。
まあ、そんなことをしている私の学園生活はどれだけ暇を持て余しているのかと言われても仕方ないが、好奇心には勝てず、ジュリアス殿下とサリーナ様の観察を欠かせなかった。
細かいところはともかく、小説通りに事は運びつつある。
そして今日もサリーナ様の思惑通りのタイミングで、ジュリアス殿下がこちらに向かって来た。
銀色の髪にアイスブルーの瞳、その見た目から〝氷の王子〟と呼ばれていたが、殿下の心の氷を融かしたのは心優しいサリーナ様だと、学園で二人の仲は噂になっている。そして、それを面白く思わないニキータ様がサリーナ様をイジメていると言う構図が既に出来上がっていた。
だからこの場面を見た生徒たちの多くが思っている。
また悪役令嬢ニキータ様の陰湿なイジメが始まったのだと……。
サリーナ様はまるでニキータ様が突き飛ばしたと言わんばかりに怯えた目を彼女に向ける。目尻には涙が溜まり、今にも零れ落ちそうなのを必死で堪えている。だが零すのは今じゃない、そう、ジュリアス殿下が到着してからなのだ。
「大丈夫か、サリーナ!」
そして予想通り、ジュリアス殿下が駆けつけたタイミングでサリーナ様の目から大粒の涙が零れ落ちた。
見つめ合う二人の姿は美しい一枚の絵画、アニメ化を期待していたWEB小説、しかしそれを見ることなく前世での寿命を終えた私にとって、目の前で繰り広げられえるシーンは尊いはずだったのだが、今はもうそう思えなくなっていた。
あれは文章の中、読者の想像力によって美しい恋物語に彩られていくものだ、生で見せつけられると、ただの浮気男と略奪女、美しいはずがない。
「怪我はないか」
「ええ、大丈夫です」
ジュリアス殿下がサリーナ様の手を取って、彼女を胸の中に引き寄せる。
サリーナ様は殿下の胸の中で涙を零した後、潤んだ瞳で残念そうに床に散らばった料理の破片を見下ろした。あえてニキータ様のことは口にしない。
「私ったらドジで、せっかくのランチをダメにしてしまいました」
「すぐに替わりを用意させる」
目配せされた側近のアルド様がすぐに動いた。新しいランチを用意しに走ったのだろう。
「あちらの専用席で一緒に食べよう」
そう言いながら殿下はチラリとニキータ様に冷ややかな視線を流す。
「で、でも……」
サリーナ様は一応困った様子を見せる。王族専用席は殿下と婚約者で準王族のニキータ様が座るべき席なのだ。
「かまわない」
ジュリアス殿下はサリーナ様の肩を抱き寄せて、王族専用席に向かって歩き出した。
目の前で勝手に繰り広げられた小芝居を言葉もなく見届けたニキータ様の表情はもう諦めの境地と言う感じだ。
今日もサリーナ様の大勝利、また王太子殿下の心をグッと掴んだようだ。視線一つで物語るテクニックはたいしたものだ。
「お前、いつもいちばん近くで見ているよな」
いつの間にか私の横にトールが座っていた。
ストーリーから少々外れていると思われる展開もある。
それが私の横に馴れ馴れしく座っているトールだ。彼はジュリアス殿下に気に入られて、側近候補になったはずなのに常に侍っているわけではなかった。
「まるでサリーナ嬢を観察しているように見えるのは気のせいかな?」
「あなたこそ、こんなところにいてもイイの? 殿下たちと一緒にランチしなくても」
「俺は婚約者殿との親睦を深めたいんだよ」
そう言いながら顔を近づける。
トールは入学時よりさらに背が伸びて逞しさが増し増し、少年っぽさが無くなった精悍な顔つきは令嬢たちの心を鷲掴みにする。なぜ私のような地味な女が婚約者なのかと詰め寄られることもあるが、親同士が決めた政略なのだもの、私に言われても困る。
小説通りに進んでいたら今頃私たちの関係は冷え切っていて、交流もなく婚約解消は秒読み段階のはずだ。しかしまだそうなっていなかった。
「あなたが私にくっ付くせいで、嫉妬されて迷惑なのよ」
「俺たちは婚約者なんだから一緒にいてなにが悪いんだ? 嫉妬するほうが変なんだよ」
確かにそうなのだ、私は浮気相手ではなく正式な婚約者、誰になにを言われる筋合いはない。
「あなたって無駄にモテるから」
「まあ、美男に生まれた罪だな」
悪戯っぽく前髪をかき上げると、どこからか悲鳴と溜息が聞こえる。
彼がなぜ未だに私の傍にいるのかは理解できなかったが、考えられることは、前世を思い出した私の行動が変わったから、だろうか?
小説の中のシンシアは控えめな少女でセリフは皆無、婚約者なのにトールと絡む場面は書かれていない。私は、どうせ婚約は解消されるのだから気を遣うことはないと、入学時から飾ることなく素で接した。言葉遣いもタメ口で遠慮しない。『見合いの時とは別人だな』とトールに驚かれたが、なぜか興味を持たれたようだ。
「なんでそんなにサリーナ嬢を気にするんだ?」
「ただの好奇心よ、サリーナ様の行動が妙で面白くて」
前世で読んだ小説の行動と照らし合わせているなんて言えない。
「最初から見ていたよな」
「最初、とは」
「入学した数日後、誰かに突き飛ばされたように殿下とニキータ様の前に転がって、その上、ニキータ嬢に虐げられているような怯えた様子をして見せた」
あの時、トールは殿下の側に仕えていた。
「あなたも気付いたんだ」
「ああ、見え見えだったのに他の奴が気付かない方が不思議だったよ。王太子殿下と側近がそんなんで、この国は大丈夫なのかと心配になった」
「だから王太子殿下と距離を置いているの?」
「ノバック伯爵家に婿入りする身だから、王太子の側近になるつもりはない」
「このまま私と結婚するつもりなの?」
「当然だろ」
「…………」
「そこは泣いて喜べよ」
トールは私の頭に大きな手を置いて、髪をクシャッとした。
もしかしたら物語通りに進まないこともあるのだろうかと期待してしまう。
登場人物たちは微妙に小説とは違うことに気付いていた。前世を思い出した私を筆頭に、そんな私に興味を持ったトール、ニキータ様は悪役令嬢ではないし、ジュリアス殿下もスマートなヒーローではなく抜けているところが多い。そしてなにより、清廉潔白な優しい少女だと思っていたヒロインが、設定とは違うあざと女だった。
ここは前世で読んだWEB小説の世界とそっくりだが似て非なる世界、私も他の人たちも確かに生きている、自分の意思で行動しているのだ。だからこそ、どんな結末を迎えるのか見届けたかった。
* * *
その後も大まかには小説通りの展開になっていた。
サリーナ様は学園内でニキータ様とその取り巻き令嬢たちに嫌がらせを受けたことになっている。
お決まりの教科書破られる事件、二階の窓から水を浴びせられる事件、階段から突き落とされそうになる事件etc。私も四六時中観察している訳はないからどれが真実で、どれが偽装なのかはわからない。
ただ、サリーナ様を観察するために自分で思うより接近し過ぎていたようだ。私も嫌がらせをする仲間に名前が上がってしまった。
ただ、そこにいただけなのに!
そして被害が直接及んだ。
この世界でも読書好きに変わりなかった私はよく図書館にいた。
私が一人でいるときにサリーナ様が現れたのだ。今日は殿下や側近方と一緒ではない……なんか嫌な予感がした。
「なぜ、私の周りをうろついているの?」
バレていた。目立たないモブのつもりだったが、意外と目立っていたのかしら?
「ニキータの回し者なの?」
あら、呼び捨てなの?
前世で読んでいた小説のヒロインがあなたなので気になってつい見ていたなんて言えない。
「あなた、トール様の婚約者だったわね、相手にされないから、大事にされている私に嫉妬しているの?」
「私たちの婚約は政略です、お互いに恋愛感情はありませんし嫉妬する理由などないです」
「じゃあ、なぜ私を監視しているのよ、私の行動に気付いているんでしょ、どうするつもりなの? 暴露する? 無駄よ、あなたの言うことなど誰も信じないんだから」
それはそうだろう、私はただのモブ、こんなふうに話をする場面もないはずなのだが。
「私の邪魔をするつもりなら、潰すわよ、ようやくここまで来たんだから。私はあなたたちとは違って、市井で貧しい中で育ったの、知っているわよね。母は来るはずもない公爵を待ち続けた挙句に亡くなった。皮肉なものね、亡くなってから現れるなんて、生きているうちに来てくれたら、それだけで母は喜んだのに」
寂しそうに目を伏せたサリーナ様は無垢な少女ではない、ドロドロとした闇を心に抱えるダークヒロインだったのだ。
「わかったの、ただ、待っているだけではなにも起きない。だから自分から行動しているだけよ。運は自分の手で掴み取るものよ、待っているだけじゃ訪れない」
「だから事件をでっちあげているのですね、誰かを悪者にして」
「そうよ、今日悪者になるのはあなた」
サリーナ様は手にしていた本を放り出して床に倒れ込んだ。
「サリーナ!」
殿下の声、そう言うことか、殿下からは私が突き飛ばしように見える角度なのね。
殿下はサリーナ様に駆け寄ると、茫然としている私を睨みつけた。私、なにもしていませんが、それは通用しませんよね。……詰んだかもしれない。ニキータ様のような高位令嬢とは違い、私はしがない伯爵令嬢、どんな処罰が待っているのやら。
「シンシア様は私とイード様の仲を誤解されて気分を害されていたようなのです。彼女の気持ちを慮れなかった私が悪いのです」
変わり身早く、サリーナ様はいつもの可憐なご令嬢に大変身、エメラルドグリーンの大きな瞳に涙を浮かべた。
「公爵令嬢に暴力を振るったんだ、見過ごすわけにはいかない」
「俺の角度からは、シンシアが突き飛ばしたようには見えませんでした」
イードが庇うように私の前に立った。ジュリアス殿下に歯向かうなんて正気なの?!
「あの……俺にも、サリーナ様が足を縺れさせて転ばれたように見えました……シンシア嬢との接触はなかったかと」
驚いたことにアルド様も同意してくれた。
「お前たち」
ジュリアス殿下が信じられないと言った目を二人に向けた。
「シンシア嬢との話の内容はともかく、サリーナ様が倒れられたことは別ですよね」
サントロ様も口添えしてくれた。
その間、私はいつの間にかイードに抱き寄せられて彼の胸の中にいた。
「もし、シンシアがそんなことを言ったのなら、それは俺の責任です。婚約者を大切にしなかった俺が悪いんです。罰は俺が受けます。だから彼女に対しては穏便に済ませていただけませんか? 俺のせいで彼女は心を病んでいるようです。そんな彼女を罪に問うのは酷です、お優しいサリーナ様なら許して下さいますよね」
なんで庇ってくれるの?
格上の令嬢に無礼を働いた、ことになっているのよ、婚約解消の口実に出来るじゃないの、なのに、なぜ?
庇ってくれる必要などないと言いたかったが、私はイードに強い力で抱きしめられて、身動き一つとれなかった。というより、苦しい……、息が……、気が遠く……なって……。
* * *
「気が付いた? ゴメン、力を入れ過ぎた」
目を開けると見慣れた天蓋、そして私を覗き込むトールのどアップ。
美しい……神様は不公平だわ、男性にこんな美しい容姿を与えて、私には平凡な顔しかもらえないなんて。
「死ぬかと思った」
私はノバック家タウンハウスの自室に運ばれたようだ。
「ほんと、ゴメン」
一応、貧血という診断だったが、窒息しかけたことはトールが一番よく知っているはずだ。
「でもお前が気絶したから、あの場は収まったよ、罪には問われない」
「罪なんか犯していないわ」
「だろうな、いい加減、みんな気付き始めている、いまだにわかっていないのは殿下くらいだよ」
「だからアルド様とサントロ様も庇ってくださったの」
「彼らにも婚約者がいるから他人事じゃないと言っていた」
「まさしく恋は盲目ね」
「魅了薬でも使っているんじゃないかと疑うくらい、サリーナ嬢に夢中なんだよ殿下は」
そんな設定はなかったから、本当に恋なのだと思うけど。
「なあ、お前、このまま一カ月程寝込んでくれないか?」
「はあ?」
「愛する婚約者の看病のために、俺は側近候補を辞することにしたんだ、もうあの二人の茶番に付き合っていられない」
「はあ?」
愛する婚約者って、方便だとしても、なんてこと言うのよ!
期待させるようなことを言うなんて残酷過ぎるわ。
前世の記憶が甦り、ここがWEB小説の世界と酷似しているとわかった瞬間、トールのことは諦めたつもりだった。どうせ婚約解消されるのならイイ子でいるのを止めた。
でもそれがかえってトールの興味を引いてしまい、一緒にいる時間が増えた。そして不覚に諦めたはずの恋心が再燃してしまった。ほんと、私ってバカよね、心は自由にならなかった。捨てられるとわかっているのに、そんな相手を愛してしまうなんて……。
でも大丈夫、中身は三十路の逞しい女だもの、きっと忘れられるわ。
「わかったわ、幸い出席日数は十分足りているし、成績も上位をキープしているから、一カ月くらい休んでも卒業できるわ」
「凄いなお前、俺はこれから取り戻さなきゃな。ノバック伯爵家へ婿入りするのに恥ずかしくない成績で卒業したいし」
トールは宣言通り、その後ずっと私の傍にいてくれたけど……。
それは今だけで、結局は考え直して王太子殿下の側近になるんでしょ?
海に面していて風光明媚だけど、特産品もなく栄えてもいない港町があるだけのノバック伯爵領に来る気なんかないでしょ? 婿入りなんかしないくせに。
どうせ私を捨てるくせに。
わかっているわ、半年後、卒業したら私は一人で領地へ帰ることになる。
恋心は王都に置いて行くわ。
そしてアッという間に卒業を迎えた。
* * *
迎えた卒業パーティーでジュリアス殿下はニキータ様に婚約破棄を告げた。
ニキータ様に瑕疵はないのだから破棄ではなく、解消、もしくは白紙にすべきなのだが、派手なパフォーマンスがしたかったのだろうか?
もうみんなは気付いていた、ニキータ様は悪役令嬢ではない、この婚約破棄はただの浮気だと。サリーナ様はやり過ぎたのだ。
しかし冒頭でも述べたように、物語は私が前世で読んでいたWEB小説の通り、愛し合うジュリアス殿下とサリーナ様が結ばれて〝めでたしめでたし〟のエンディングとなった。
後から聞いたのだが、ニキータ様はこうなることを予想して、王太子妃教育を中断していたそうだ。もし、卒業に会わせて終了していれば、王家の秘密を知った令嬢を野放しには出来ない、一生、王宮に幽閉されるか、もしくは毒杯を賜ることになっていたかも知れないのだ。
ジュリアス殿下は知っているはずだ、それでもこの時期まで婚約を続けていたと言うことは、なんの罪もない彼女が死んでもいいと思っていたのだろうか? それともそこまで考慮出来なかっただけなのか?
いずれにせよ、この人が将来の国王になるのかと思うと、この国の未来に一抹の不安を覚える。
「学友たちとのお別れは済んだのか?」
チョコレートケーキを頬張りながら傍観していた私の横に、トール様が同じようにチョコレートケーキの皿を持ちながらやって来た。
「タウンハウスまで迎えに行ったんだぞ、婚約者としてエスコートするのは当然だからな、なのに、なんでさっさと女友達と入場するのかなぁ」
学園で親しくなった令嬢の中にはまだ婚約者がいない下位貴族の令嬢も多い、私は彼女たちと会場入りした。
「まあ、ドレスは着てくれたからよかったけど、それも無視されたのかと冷や冷やしたよ」
トールはパーティー用のドレスとアクセサリーを贈ってくれた。そしてエスコートを申し出てくれていたが、私は彼を待たずに会場入りした。
「お前を捜していたせいで、一大イベントを見逃してしまったじゃないか」
「そうなの、残念だったわね、私は特等席でしっかり見終えたし、そろそろ帰ろうかしら」
「俺と踊らずに?」
「思い出なんかいらないわ、婚約解消の書類は家を通して送ってくれれば、サインして返送するから」
「はあ? なにを言ってるんだ?」
「王太子殿下の側近になるのでしょ、我が家への婿入りは無しでしょ」
「なんでそうなる。お前がサリーナ嬢に言いがかりをつけられた時に、側近候補を辞退したと言っただろ。ついでに言うと、アルドとサントロも辞退したよ。学生時代に殿下が傍に置いた側近候補は誰も残らない」
「えっ? なぜ?」
「今日のことだって皆が止めたらしいぞ。公の場で宣言する必要はない、ロンド公爵と陛下の話し合いで穏便に済むことだろ。ニキータ嬢に恥をかかせる必要があるとは思えなかった。でも殿下は、ニキータ嬢がサリーナ嬢をイジメていたと思い込んでいたから、証拠もないのに断罪したかったんだよ」
恐らくほとんどがサリーナ様の狂言だ、証拠などどこを探しても出て来ない。
「みんなバカではない、泥船には乗らないよ」
「泥船?」
「いつまで王太子でいられるかわからない人について行くのは危険だと判断したんだよ」
「あなたもそう判断したの?」
「俺は最初からノバック伯爵家に婿入りするつもりだったよ、お前と生涯を共にしたいと思ってるから」
「えっ?」
「なんだよ、その顔は、俺と結婚したくないのか?」
「違うわ、あなたは側近になって王都に残ると思っていたから、婚約解消を告げられて傷つくのが怖かった……」
「バカだな、なんでそんなことを思ったんだ? お前を不安にさせるようなことをしたか? 俺はお前に惚れてるのに」
「えっ?」
「解消したいと言われても、絶対放してやらないからな」
トールが私のことを好き?
信じがたい告白。
予定とは違うエンディングに目頭が熱くなった。
ジュリアス殿下とサリーナ様のハッピーエンドは揺るがなかったけど、その他は異なる。そしてエンディングを迎えたその後のことはわからない。ここからは小説に囚われない、本当の人生があるのかも知れない。
「やっぱりもう帰ろうか、殿下に捕まったら面倒だから」
馬車の中でトールは私の肩をしっかり抱き寄せて離さない。
茫然としている私の耳の奥にはトールの声が谺していた。
〝お前に惚れている〟
トールが私に?
本当に?
心臓が早鐘のように打っている。体温が上がり、顔はきっと完熟トマトのようになっているだろうが、トールの耳が赤いのも見逃さなかった。
そりゃ、ちょっと面白い奴だと興味を持たれていただろうけど、恋愛感情を持っているのは私だけだと思っていた。
「あ、あの」
さっきの言葉は本当なの? 確認したかったが、
「ジュリアス殿下はこの先苦労するだろうな、婚約者が姉から妹に変わってもロンド家の後ろ盾は変わらないと思っているのだろうけど、実際は全然違うんだよ。貴族は血筋を重視する、庶子で半分平民のサリーナ嬢を王家に迎えることを良しとするはずがない。貴族はどこまでいっても血を重んじるからね」
トールは早口で話を逸らす。照れ隠しかしら?
「ロンド公爵は娘可愛さのあまり失念しているようだが、王妃殿下は幼い頃から王太子の婚約者と定められて厳しい教育を受けて来られた生粋の貴族令嬢だった。だから同じ境遇のニキータ嬢を可愛がっておられたんだ」
「そうよね、十年も見て来られたんだものね」
「今は恋に浮かれたジュリアス殿下になにを言っても聞く耳を待たないだろうから表面上は許しても、半分平民のサリーナ嬢を決して受け入れはしないよ。恐らくサリーナ嬢は子に恵まれない、そのように仕向けられるだろう」
「お世継ぎが生まれなければ……」
「王太子は側室を迎えざるを得なくなる。もしくは、第二王子、第三王子も優秀だから王太子の交代も有り得るだろうな」
「サリーナ様はどうなるの?」
「さあね、どうなっても自業自得じゃないか? 姉の婚約者を奪うような女だぞ、自分の立場もわかっていない」
「庶子に生まれたのは彼女のせいじゃないわ」
「そうだな、幼少期を市井で平民として育ったサリーナ嬢が貴族になったのは入学の一年前、貴族の教養やマナーは勉強で身に付いても、心の中までは貴族になり切れない、貴族という人種がなんたるかは理解していなかったんだよ、本気で王妃になれると思っているんだから」
彼女は物語のヒロイン、王太子妃になっていずれ王妃になるのだろうと言うところで物語は終わっている。しかし現実は読者が想像するような未来にはならないのね。
「恋とは人を変えてしまうけど、激しい恋情は一生続くものじゃない、三年もすれば目が覚めるし、王妃殿下の思惑にも気付くかもしれない。その時、王族としてジュリアス殿下はどうするだろうね」
「王太子の座を護るために側室を受け入れてサリーナ様を切り捨てるか、それともサリーナ様との真実の愛を取って地位を捨てるか」
「まあ、俺たちには関係ない、ノバック領は王都から遠いし、よほどの用がなければ来ることもない」
「本当に、ノバック家へ来てくれるの?」
「何度も言わせるな」
そう言って、トールは私の唇をキスでふさいだ。
* * *
五年後。
私は久しぶりに王都に来ていた。そして王家主催の夜会に出席するため、夫のトールと共に馬車で王宮へ向かっていた。
「噂では近々王太子の交代が発表されるらしいぞ」
トールの読みが当たっていたのか、サリーナ王太子妃は子宝に恵まれないまま三年以上が経過し、ジュリアス殿下に側室を迎える話が浮上した。それを聞いたサリーナ様は心を病んで、離宮で静養しているそうだ。
結局彼女は幸運を掴みきれてなかったのね。
王太子の執務を代行していた優秀な王太子妃が引き籠ったことで、王太子の執務はたちまち停滞してしまった。
「ジュリアス殿下の失速に加えて、第二王子派閥が台頭してきてからな、優秀な第二王子を推す声が拡大しているようだ」
第二王子妃の実家の公爵家は着々と勢力を伸ばしている。それに対してロンド公爵家は衰退の一途を辿っている。もうジュリアス殿下の後ろ盾になれる家柄ではなくなっていた。王太子の交代は止められない流れになっているようだ。
「サリーナ王太子妃のことが気になるか? 学生時代、妙に興味を持って観察していたものな。俺なんかに目もくれずに……」
「昔のことよ、今はあなたしか見てないわよ」
私はトールの頬に額にキスをした。未だに不意打ちを食らわせると耳が赤くなる可愛い夫である。
私たちは王立学園卒業の一カ月後に結婚した。二年後には第一子の女児、さらに二年後には男児に恵まれ、幸せな日々を送っている。
トールの手腕と私の前世の知識も役に立ち、我がノバック伯爵家はたった五年で目覚めしい発展を遂げた。整備した港には外国船が頻繁に寄港して貿易が盛んになり、伯爵領に富をもたらした。一番のお得意先は海の向こうのサザール帝国、あの後、ニキータ様がお嫁入りした国だ。
ニキータ様のお母様ロンド公爵夫人はサザール帝国の公爵令嬢だった。ロンド公爵が留学中に知り合い、大恋愛の末、国境を越えて結ばれたのだった。でも、その五年後には浮気をしていたことが、サリーナ様を引き取った時に発覚した。
その時点でロンド夫人は離婚を考えたらしいが、王太子の婚約者である一人娘のニキータ様が足枷となっていた。しかし婚約破棄され、傷ついた娘をロンド夫人は母国に連れ帰った。ロンド公爵家衰退の原因は夫人との離婚だろう。
ニキータ様はサザール帝国の高位貴族と結婚して、今は幸せに過ごしているらしいと貿易商人から聞いた。
前世で読んだWEB小説は、五年前の卒業パーティーでジュリアス殿下とサリーナ様が結ばれてパッピーエンドで幕を閉じた。しかし小説はそれで終わりでも、それぞれの登場人物にはその先の人生が確かにあるのだ。
ハッピーエンドのその後が、ハッピーなまま続くとは限らなかった。
もう前世には囚われない、この先は小説から完全に離れたオリジナルの世界が続いているのだ。
私はトールと子供たちと共に自分たちの意思で未来を歩んで行く。
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございました。
婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしていますので、他の作品も読んでいただければ幸いです。
☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。




