未完成同士
スタジアムの外で響き渡る熱狂とは裏腹に、チームの控室の空気は氷のように冷え切っていた。
「――だから言っただろ」
低く、押し殺した声。だが、その中に含まれる苛立ちと優越感は隠しきれていない。
声の主は、チームのリーダーであり、先ほどの試合で使われた機体を設計した男――プレイヤーネーム『ドウジマ・ジ・エンド』だ。
彼は腕を組み、壁際に立つ少女を見下ろしていた。
「あんなパーツの多い異形は、人間の操作限界を超えて自滅するだけだ。お前の反射神経やセンスは認めてやる。だから、次からはおとなしくテンプレの『オリジン』に乗れ。そうすれば勝てた試合だった」
怒声ではない。堂島はあくまで『正論』を説いているつもりなのだろう。結果がすべてを証明していると、そう信じ切っている顔だった。
だが、壁際に立たされた少女――『しろっぷ』は、堂島の言葉など一切聞いていなかった。
彼女は手元のホログラム端末に先ほどの試合の『敗北の瞬間』の映像を映し出し、無言で何度も巻き戻しては再生を繰り返している。
「おい、聞いてるのか。結果がすべてだ。負けた時点で、お前のそのプレイスタイルは“間違い”なんだよ」
堂島がイラついたように声を荒らげた、その時だった。
「……違います」
部屋の空気が止まった。
数人のチームメンバーたちの視線が、一斉に声のした方へ集まる。
部屋の隅、メンテナンス用のコンソールに寄りかかっていた少年――凪が、静かに口を開いた。
「負けたのは、彼女の操作じゃない。あなたの設計です」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、部屋の空気が一気に冷え込んだ。
「……は?」
堂島の鋭い視線が、ゆっくりと凪を射抜いた。
「今、なんと言った? ただの裏方の調整係の分際で」
「事実を言ったまでです」
凪の口調は淡々としていた。感情はない。相手を煽る意図すらない。
ただ、システム上の絶対的な事実を述べているだけだ。だからこそ、プライドの高い堂島には深く刺さる。
「機体の人工神経の伝達経路と、重心制御が根本から破綻していました。彼女の極限の入力速度に対して、出力が完全に遅れている。あれでは、誰が乗ろうといずれロックが掛かって自滅します」
「……言いたいことは、それだけか?」
「はい」
凪は即答した。
数秒の沈黙の後、堂島は額に青筋を浮かべながら、小さく息を吐いた。
「――出ていけ」
誰に向けた言葉かは、明白だった。
「ノイズだの、思想だの、完成度だの……。口だけの理屈屋はもう要らない。結果も出せないオカルト信者の裏方は、俺のチームには不必要だ。お前はクビだ」
しろっぷの肩が、わずかに揺れたのが見えた。
だが、凪は一度も彼女を見なかった。堂島の顔すら見ていない。
「……わかりました」
凪はそれだけ言うと、あっさりと踵を返した。
背後で、チームメンバーの誰かが何かを言いかけた気配がしたが――凪にはもう、どうでもいいことだった。
控室を出た先の廊下は、驚くほど静かだった。
試合の喧騒が分厚い防音壁に遮られ、まるで水底にいるような錯覚を覚える。
凪は立ち止まらず、そのままエントランスゲートへ向けて歩き続ける。
(……予定通りだ)
驚きも、悲しみもない。むしろ、少しだけ遅いくらいだった。
あのチームに、機体の“完成度”という真理を理解できる人間はいない。あるのは、効率とテンプレと結果だけだ。だから、いずれこうなることは分かっていた。
未練があるとすれば、ただ一つだけ。
「……で」
不意に、背後から声がした。
足を止めて振り返る。そこには、控室にいたはずのしろっぷが立っていた。
彼女は壁にもたれかかり、相変わらずホログラム端末をいじりながら、こちらをじっと見つめている。
「どこ行くの?」
「別に。チームを出ただけです」
「ふーん」
興味のなさそうな返事。だが、その指先は止まっていない。リプレイ映像を、何度も何度も巻き戻している。
数秒の沈黙。
やがて、ぽつりと、彼女が言った。
「……ねえ」
「はい」
「なんで負けたの?」
その問いは、驚くほどフラットだった。
悔しさでも、怒りでも、堂島への不満でもない。ただ純粋に、パズルが解けない子供のような、理解できないという響き。
凪は一拍も置かずに答える。
「設計ミスです」
「……」
しろっぷの眉がわずかに動いた。ホログラムを操作する指が止まる。
「どこが?」
「全部」
間髪入れずに返す。
空気が、少しだけ張り詰めた。しろっぷが端末から目を離し、初めて凪の顔を真っ直ぐに見た。
「……は?」
「尾の重心移動に対して、右脚のサスペンションの復帰が〇・〇四秒遅い。翼を動かす疑似神経のルートが副腕の処理と干渉している。結果、あなたが完璧な入力のピークを迎えた瞬間に、システム側で処理落ちが起きています」
凪は淡々と、見えていた景色をそのまま並べ立てた。
「だから、あの勝負を決めるタイミングで、機体が止まった。あなたのせいじゃありません」
しろっぷは黙ったまま、もう一度手元の端末に目を落とした。
数秒、映像を確認して――。
「……ほんとだ」
小さく、呟いた。
「全部見えてたのに、そこだけ引っかかった。絶対にいけたのに……」
少しだけ、不機嫌そうに彼女は唇を尖らせる。
「気持ち悪いんだよね。あのオッサンの作った機体。頭では全部繋がってて、この形なら絶対に勝てるってわかってるのに、身体が全然ついてこないの。泥の中で泳がされてるみたいで、すっごくイライラする」
「機体が遅いんです」
凪の言葉に、しろっぷが顔を上げる。
「じゃあ、どうすんの?」
即座に返ってきた言葉。迷いがない。
凪は、初めてしろっぷの目をしっかりと見返した。
「直せます」
「どれくらい?」
「全部」
一拍。
しろっぷの大きな瞳が、少しだけ細くなる。野生の猫が、初めて見る得体の知れない獲物を値踏みするような目だ。
「……ほんとに?」
「はい」
間を置かずに答える。
その一瞬。
二人の間の空気が、明確に変わった。
「じゃあ、やって」
軽い声だった。あまりにもあっさりと。
数分前まで所属していたトップチームのシード権など、欠片も惜しくないというように。
「ちゃんと動くなら、なんでもいいよ。私を、気持ちよく戦わせて」
そして彼女は、少しだけ挑発的に目を細めた。
「……それにさ。あの終わり方、すっごくムカつくんだよね。さっきの負け、ちゃんと私の勝ちに上書きしたいし」
数分後。
スタジアムに併設されたプレイヤー用の簡易トレーニングルーム。
真っ白な仮想空間の中に、しろっぷのアバターと、先ほど大破したはずのモンスター型機体のデータがホログラムとして再現される。
凪は空中に展開されたコンソールに手を伸ばし、迷いなく操作を始めた。
プログラム言語を打ち込むような無機質な作業ではない。仮想の粘土を捏ね、関節のトルクを調整し、人工筋肉の繊維を一本ずつ紡ぎ直していくような、極めてアナログで芸術的な『造形』のプロセス。
「全部を完璧に創り直すには、時間がかかります。だから――今は一箇所だけ」
「どこ?」
「中枢神経ラインの配線と、メインバランサーです。余計なノイズを削り落としました」
しろっぷは小さく頷く。
「それだけで変わる?」
「……変わります」
数秒後。
凪の指が止まり、コンソールが緑色に発光した。
「……試してみてください」
しろっぷがアバターを機体に同期させる。
起動音。
クリサリスの瞳に光が灯り、ゆっくりと動き出す。
一歩。
二歩。
そして――。
「……え」
しろっぷの声が漏れた。
極太の尾が動く。
背中の翼が、空気を掴むように連動する。
右半身の副腕が、本体の動きを邪魔することなく自然に追従する。
今までバラバラで、常にどこかでブレーキが掛かっていた挙動が――まるで一本の糸で結ばれたかのように、“ひとつ”に繋がっている。
「なに、これ」
彼女はもう一歩、強く踏み込んだ。
違和感が、ない。
「……気持ち悪くない」
むしろ――。
「軽いっ……!」
加速。
真っ白な空間を、クリサリスが弾丸のように駆け抜ける。
壁を蹴り、空中で急旋回し、翼の手で仮想の標的を粉砕しながら、尾で着地のバランスを取る。
複数の処理が干渉することなく、彼女が頭の中で思い描いたイメージが、一ミリの遅延もなくそのまま物理的な暴力となって出力される。
「全部、繋がってる……!」
その声には、先ほどまでの退屈そうな響きは一切なく、初めて明確な“熱”と“快楽”が乗っていた。
自分の才能のすべてを受け止めてくれる器を見つけた、圧倒的な全能感。
数秒後、クリサリスが急停止し、ピタリと動きを止める。
静寂。
ハッチが開き、しろっぷが顔を出した。その頬は、興奮で微かに紅潮している。
「……ねえ」
しろっぷが、信じられないものを見るような目で凪を振り返る。
「今の、どれくらい直したの?」
「一箇所です」
凪の答えに、しろっぷは目を丸くした。
「……は? 意味わかんないんだけど。たったそれだけで、ここまで変わるわけ?」
「全体の一割も触っていません。コンセプトの思想は破綻したままですし、装甲の流体バランスも最悪です。ただ、あなたの命令が機体に届くようにパイプの詰まりを掃除しただけです」
沈黙。
天才少女が、絶句していた。
「……なにそれ」
やがて、しろっぷは小さく笑った。
一歩、コンソールの前に立つ凪に近づく。
その目は、もう天才の孤独を抱えた退屈な少女のものではなかった。
「じゃあさ。あんたがこれを『全部』直したら、どうなるの?」
凪は、ホログラムの残骸から目を離し、彼女を見つめ返した。
そして、静かに答えた。
「――完成します。世界で誰も見たことがない、絶対的なバケモノとして」
一拍を置き、凪の瞳の奥に、静かな、けれど強烈なエゴが灯る。
「……こんな設計が否定される世界の方が、間違っている。証明しますよ。必ず」
それは、凪が初めて他人の前に見せた『執着』だった。
その言葉を聞いたしろっぷは、即座に言った。
「やろう」
迷いは微塵もなかった。
「次、いつ? いつやってくれるの?」
「いつでも」
「じゃあ、今から」
間髪入れずに。食い気味に。
その様子があまりにもおかしくて、凪はわずかに口元を緩めた。
「……了解です」
「ねえ。機体が完成したらさ……ランク、潜る?」
「ええ。壊しに行きましょうか。あいつらが縋りついている、今の『最適解』を」
未完成だったのは、機体だけではない。
机上の理論だけを持て余していた凪も、直感だけの才能を持て余していたしろっぷも。
そして――この二人の関係も。
だが、その致命的に欠けていたピースは、今、完全に噛み合い始めていた。
世界の常識を根底から叩き潰すための、最悪で最高の組み合わせとして。




