第2章:強面の冒訪険者と、奇跡のスープ
意気揚々と「陽だまり亭」の看板を掲げたものの、現実はそう甘くはなかった。
辺境の街の住人たちは、突然現れた元貴族の令嬢が営む食堂を、遠巻きに眺めるだけ。ボロボロだった外観を知っているせいか、誰も入ってこようとはしなかった。
開店から三日、客はゼロ。さすがに心が折れそうになった、その日の夕暮れ時だった。
カラン、と寂しい鐘の音を鳴らして、店の扉が開かれた。
「……やってるのか」
そこに立っていたのは、血と泥に汚れた革鎧を身に纏い、背中に巨大な剣を背負った青年だった。無造作に伸ばされた黒髪に、射るような鋭い眼光。誰が見ても堅気ではない、強面の男。いわゆる、冒険者というやつだろう。
「ええ、どうぞ」
初めての客に緊張しつつも、私は彼を席へと案内する。男はどかりと椅子に腰を下ろし、短く言った。
「何か食えるもの、あるか。温かくて、腹にたまるやつだ」
メニューはまだない。あるのは、この前仕込んだフォレストボアの角煮丼くらいだ。けれど、いきなりそれを出すのも芸がない。何か、彼の心を掴むような一皿を提供したい。
ふと、私は冒険者ギルドの掲示板に貼られていた依頼書を思い出した。近隣の湿地帯で**【ジャイアントスライム】**が大量発生し、冒険者たちが駆除に追われている、という内容だった。
ジャイアントスライム。物理攻撃が効きにくく、厄介なモンスター。しかし、前世のゲーム知識によれば、その体内に生成される「核」は、不純物を取り除けば最高級のゼラチン質になるはずだ。
「少々お待ちいただけますか。すぐに、とっておきの一皿をご用意しますわ」
私はそう言うと、急いで冒険者ギルドへ向かった。ギルドの買取所では、ジャイアントスライムの核がゴミ同然の値段で山積みになっている。それを安く買い取り、食堂へとんぼ返りした。
核はゲル状で、不純物が混じって濁っている。これをまず、生活魔法「洗浄」の応用で、不純物だけを分離・除去する。すると、濁ったゲルはたちまち透き通った輝く塊に変わった。
次に、近くの岩場に巣を作っていた鳥、ロックバードの骨から丁寧に取った出汁を用意する。この出汁に、先程精製したスライムの核を溶かし、冷やし固める。
出来上がったのは、キラキラと輝く黄金色のコンソメジュレ。
それを前菜として、メインディッシュである「ロックバードのコンフィ」に添えて、男の前に差し出した。ロックバードの肉を低温の油でじっくりと火を通した、フランス料理の古典だ。
「お待たせいたしました。ロックバードのコンフィ、ジャイアントスライムのコンソメジュレ添えです」
男――冒険者のカイは、怪訝そうな顔で目の前の皿を見つめた。特に、プルプルと震えるジュレに警戒心を抱いているようだ。
「……スライムだと?」
「ええ。ですが、ご心配なく。きちんと下処理をしておりますので、安全ですわ」
カイは半信半疑といった様子で、まずジュレをスプーンで少量すくい、口に運んだ。
その瞬間、彼の鋭い目が、驚きに見開かれた。
口に含んだジュレは、ひんやりと舌の上で溶け、凝縮されたロックバードの濃厚な旨味が一気に広がる。雑味は一切なく、ただ純粋な美味しさだけが喉を通り過ぎていく。
カイは無言のまま、今度はコンフィにナイフを入れた。皮はパリッと音を立て、中からはしっとりとした肉が姿を現す。ジュレと一緒に口に運ぶと、肉の塩気と脂の旨味、そしてジュレのさっぱりとした風味が絶妙に絡み合い、至福の味が完成する。
彼は、我を忘れたように、一心不乱に皿を空にした。
そして、食べ終わると、しばらくの間、静かに目を閉じていた。まるで、今の味の余韻を噛みしめるかのように。
やがて彼はゆっくりと目を開けると、懐から数枚の金貨を取り出し、テーブルの上に置いた。料理の代金としては、あまりに高額だ。
「多すぎますわ」
「……美味かった。その価値はある」
それだけを呟くと、カイは立ち上がり、静かに店を出ていった。
嵐のような初めての客。
私はテーブルの上に残された金貨を見つめながら、自分の料理が、あの強面の冒険者の心に届いたことを実感し、胸が温かくなるのを感じていた。
明日からも、頑張れそうだ。そんな確かな手応えが、私の中に芽生えていた。




