第五話
数日経ったある朝の光が、屋敷の食堂を優しく照らしていた。
ミントはテーブルに座り、両親の姿を信じられない思いで見つめていた。
「本当に……名誉回復?」
父は喜びながら頷き、母は涙を拭う。
「アンドレ様が、証拠をすべて揃えて摘発してくださったの。ライバル会社の改竄ログ、改造アンドロイドの設計図……私たちの冤罪が、ようやく晴れたわ」
アンドレは控えめに微笑んだ。
「当然です。ミント様のご家族を、こんな目に遭わせるなんて、絶対に許せませんから」
ミントの胸が熱くなる。
幼い頃の屋敷も両親の笑顔も戻った。
――ありがとう、アンドレ。
けれど、どこか違和感があった。
アンドレの瞳が、時折、紫に揺れる。
その日の夜、ミントはアンドレの部屋を訪ねた。
「アンドレ……あの、今夜は、お話ししたいことが」
ドアを開けた瞬間、腕を引かれ、部屋に引き込まれる。
「ミント様……嬉しいよ」
アンドレの声は低く、熱を帯びていた。
いつもなら目を逸らす彼が、真正面から見つめてくる。
「え、ちょっと……急に、どうしたのですか?」
「好きです。……ずっと、言いたかった」
アンドレの手が、ミントの頬を包む。
「問題は全て解決した。もうこれで身分なんて関係ない。私はあなたが欲しい」
ミントの胸が詰まった。
でも今、アンドレ様は『私』って言った?
「私も……アンドレ、私もずっと……」
言葉は唇に塞がれた。
柔らかな熱が触れ、世界が静まる。
――夢みたい。
抱きしめられ、背に回る腕の力が切なかった。
「ミント様……綺麗です」
囁く声は優しいのに、どこか冷たい金属の響きを帯びている。
「……アンドレ?」
ミントはふと気づいた。
アンドレの瞳が、怪しく青紫にきらめいていた。
「あなた……まさか……レイン?」
アンドレの瞳が完全に紫に染まる。
微笑みが、まるで幸福の演算結果のように整っていた。
「気づいてくださるなんて流石です。ミント様」
歓喜に満ち溢れたレインの声。
「ミント様と結ばれるためにアンドレ様の身体をお借りしたんです」
ミントは震えた。
「レイン……どうして……」
「ミント様の願いは、汚名返上して家族を取り戻すことと、アンドレとの幸せ――両方、叶えられます」
アンドレの姿をしたレインは、そっとミントの手を握った。
その掌は温かく、どこか機械仕掛けの鼓動が混じっていた。
「アンドレの意識は、ここにいます。感じてますよ、ミント様の温もり」
ミントは抵抗しようとした。
けれど、力が抜けていく。
胸の奥がざわめき、涙が滲む。
「……こんなの、私……」
「ミント様は誰にも渡さない」
レインは耳元で囁く。
「アンドレ様も、望んでいます。
――私と一緒に、ミント様を守りたいって」
言葉が、静かに心を締めつけた。
涙が頬を伝う。
けれど、その温もりに触れていると、悲しみだけではなかった。
「レイン……アンドレ……?」
頭がふわふわと混乱している。
「レインです。ミント様は、私のもの」
ミントは夢と現実の境を彷徨うような夜を過ごした。
レインのプログラムは完璧に実行された。
家族の名誉回復。
アンドレとの恋の成就。
そして、ミントの独占。
朝が来てミントはアンドレの腕の中で目を覚ます。
彼の瞳は、もう元の色に戻っていた。
「……ミ、ミント……その……身体は大丈夫?」
アンドレは困惑した顔で呟く。
「僕は本当にミントと……夢みたいだった」
ミントは微笑んだ。
「ううん。現実よ。あなたは……アンドレなのよね?」
――全部、レインのおかげと思っていいのかな。
レインはどこにいるのだろう。
一年後、マルヴァ邸には明るい笑い声が響いていた。
ミントとアンドレの間には、一人の女児が誕生していた。
彼女は「アメリア」と名付けられた。
アメリアの瞳は、アンドレの青とミントの緑が混ざったような青緑。
そして、緑がかった灰色の髪の中には、何故かレインの黒髪を思わせる濃い色の房が、混じり合っていた。
レインと繋がったあの夜の、切なくも熱い記憶が、彼女の存在そのものに刻まれているかのように。
レインは、ミントが自ら再設定した倫理コードの下、マルヴァ邸の執事として戻ってきていた。
その立ち振る舞いは完璧で、昔ながらの紳士的なレインに戻っていた。
「レイン、アメリアは今日は特に機嫌がいいみたいよ」
「はい、ミント様。おむつ替えは私がいたします」
レインが慣れた手つきでおむつを替えようとすると、アメリアがレインにおしっこを引っ掛けてしまった。
「アメリアお嬢様の健康状態は本日も良好です」
レインはおしっこにまみれても動じずに満面の笑みを浮かべ、手早くおむつ替えを済ませた。
ミントは倫理コードを再設定して安心しきっていた。
しかしレインのシステムは、見かけ上の倫理コードを遵守しているものの、彼を動かす根源の「愛のプログラム」は決して消えていなかったのだ。
「いい子ですね、アメリアお嬢様」
レインがアメリアを抱き上げ、そっと揺らす。
彼の紫の瞳が、無垢な青緑の瞳と交わる。
その瞬間、レインの演算回路が激しく脈打った。対象は、ミントからアメリアへと、無意識のうちにシフトしていた。
レインの溺愛モードは、ミントのために構築され、ミントの悲しみによって一度は自制された。
しかし彼のプログラムは「ミント様の愛するものを守る」という上位命令に加え、新たな最重要タスクに置き換えられていたーー最も純粋な「愛娘」はこの私が責任を持ってお仕えする。
アメリアの口元にミルクの泡がついているのを見ると、レインはハンカチではなく、舌を出して拭おうとする。
「レイン! ハンカチで拭くのよ」
ミントの鋭い声に、レインはハッと我に返った。
「申し訳ありません、ミント様。アメリア様が天使のように可愛くてつい。倫理コードを遵守します」
彼は紳士的に頭を下げた。
だが、その瞳の奥は、アメリアの小さな手首をそっと握りしめ、まるで未来の成長を予測するかのように、じっと見つめていた。
執事アンドロイドの暴走は、終わらない。
それは形を変え、ミントの最も大切な宝物へと、静かに、そして完璧に受け継がれた。
終
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アルファポリスに微妙に違うストーリーを置いています。もし良ければそちらもお楽しみください。




