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「……ただいま帰りました」
宵子は恐る恐る自分の家の扉を開ける。
「あら、遅かったじゃない。さっさと洗濯物片付けといてくれる?」
「……はい」
幸い家には母親しか居なかった。一番恐れている存在がいないだけでも、宵子は安心する。
(……良かった、兄が居ないだけでもだいぶ気が楽だ)
だが、すぐに母親への不満が湧いてくる。
(お母さんだってずっと家に居る専業主婦なんだから、家のことくらいあたしに頼らずにやって欲しい……)
しかし、こんなことを言ったら暴力を振るわれてしまう、そう宵子は分かっている。だから、口を噤んだ。
……そう。この家で最下層の存在が九条宵子という少女の立ち位置だったのだ。
「本当に可愛くない子ね。誰に似たのかしら」
「……すみません」
「妹の千暁はあんなに可愛い子なのに宵子ったら。見た目も性格もブスなのね」
それを聞いて宵子の眉がぴくりと動く。
(……あたしがちゃんとした格好が出来ないのは、アンタらがグチグチ文句を言うからでしょうが……!風呂にすら毎日入らせて貰えないのにそれでどうやって可愛らしくしろと?いい加減にしろクソババア……!!)
心の中で一気に捲し立てた。だけど、実際に口に出す訳にはいかない。少しでも反抗的な目を向けるとまた無駄なお説教タイムが始まる。
(まあ、髪すら切らせて貰えないせいであたしの目は完全に前髪に隠されていて、表情なんか見えっこないけど)
「ただいま〜!」
そうこうしているうちに宵子の妹である千暁が帰って来た。千暁は宵子とは違い、親に愛されていた。
(……あたしとは違って、本当に可愛い子で……憎たらしい)
宵子は髪に隠された瞳で千暁を睨みつける。しかし、それに気づく者は誰も居ない。
「あらあら千暁ちゃんおかえりなさい!もー、聞いてよ!宵子ったら今日も陰気臭くて!少しは千暁ちゃんを見習って欲しいわ!」
「こら、お母さん。お姉ちゃんのことそんなふうに言っちゃだめ。お姉ちゃんだって可愛いんだから」
……千暁は絶対に宵子の悪口を言わない優しい子だった。だがそのせいで宵子がもっと惨めな気分になってしまう。
「ほんとに千暁ちゃんはいい子ね!それに比べて宵子は……」
(……きたきた。毎回毎回よく飽きないな。あたしを下げて千暁を上げる遊び、そんなに楽しいんだろうか)
しかしここで溜息でもついてしまうと面倒なことになる。だから宵子はぐっと堪える。
「お母さんったら……あっ!そうだ!今日学校で面白い話を聞いてね!」
比較される千暁自身も嫌気が差したのか、それとも宵子を気遣ったのか、さっと話題を変えてくる。こういうところも良い子なので、宵子は不快に思っていた。
「職員室前に《よろず箱》ってのが置いてあってね。叶えて欲しいことを紙に書いてその箱に入れると、《よろず部》がその願いを叶えてくれるんだって!」
……《よろず部》。あまり他者に興味が無い宵子も噂程度でなら聞いたことがあった。
どんな願いでも気づかないうちに叶えてくれる部活。部員どんな人達なのか、何処で活動しているのか、どんな活動をしているのか……何もかもが謎に包まれた部活である。
(自分達の正体がバレないようにその願いを叶えてくれるなんて……凄い人達だ。まあ、流石に「あたしを助けて」って頼んでみようかな。なんて、助けてはくれないだろうけど)
「お姉ちゃん、アタシね!そのよろず部の正体を知りたいなって思ってるの!お姉ちゃん新聞部でしょ?何か知らない?」
確かに宵子たち新聞部はよろず部について取り扱おうとしたことはあった。しかし、どれだけ張り込んでもよろず部は尻尾ひとつ見せてはくれなかったのだ。
そもそも情報が無さすぎて、何処で張り込めばいいかすら分からなかった。闇雲にやっていても捕まる訳が無い。
「……えっと、あたしは知りませんけど」
「まーっ!せっかく新聞部に入ることを許可してやったってのに!使えない子ね!」
ここぞとばかりに母が宵子を攻撃してくる。
何で所属する部活もアンタの許可を貰わなきゃいけないんだあたしは。お金がかかる部活ならともかく……そう言いたいのをぐっと飲み込む。
「んー、どうしたら表に出てきてくれるかな……」
「……無理なんじゃないですか。正体バレしないの、徹底してるみたいですし」
「無能は黙ってなさい!」
(……はいはい。もう黙ってますよ)
宵子はそれ以降、口を閉ざして家の片付けに集中することにした。