第3話 動かない身体と受け入れた関係
「怜音くん、まずは左足から少しずつ、意識を向けていきましょう」
看護師の優しい声が、まるで魔法の詠唱のように聞こえた。
レイ――いや、“怜音”は、うっすらと眉を寄せる。
動かない。
かつて、自分の魔力ひとつで空を飛び、敵をなぎ払っていたこの魂が、
今はわずか数センチ、つま先を持ち上げることすらできない。
「う……くっ……」
筋肉が言うことを聞かない。
呼吸だけで精一杯だった身体が、急に動こうとしたのだから当然だ。
けれど、ベッドの横から差し出された手は、決して離れなかった。
「ゆっくりでいいの。焦らなくていいから」
志穂――母と名乗る女性は、今日もずっと、そばにいた。
手を握り、声をかけ、時には涙ぐみながら、彼の“人生”を受け止めようとしてくれていた。
レイは、本当はその手を振り払って、自分が“別人”であることを告げるべきなのかもしれないと、思ったこともあった。
けれど、彼女の手は温かくて、細くて、震えていて――
たった一人で20年間、いつか目覚める事を子どもを信じて守ってきた、母の手だった。
「……しばらくは、“怜音”でいてもいいだろうか」
心の中でそうつぶやいたとき、
わずかに、足先が動いた気がした。