「ロスト・ミレニアム」(『キディ・グレイド』二次創作)④
* * *
経済格差という言葉を絵に描いたような星だった。
都市部にこそ、リジル傘下の諸企業に勤める市民の”生活”が見られたが、車で郊外へと移動するに連れて大きな建物は目立たなくなり、次第に老朽化した一軒家や公団住宅が目立つようになった。やがて、それらも崩壊した建物を廃材で継ぎ接ぎしたようなスラム街に取って替わられた。
第二次限定戦争の戦火を免れた星でありながら、それらの建物には弾痕や、明らかに爆撃を受けたと思われる痕跡が見られた。これらは恐らく、今から三十年前、第一次限定戦争の際に惑星が被った被害に違いない。
復興ブームの波に乗って恩恵を受けるのは、常に既得権益を保持する者たち。その構成は、何度戦争を繰り返しても変わらないらしい──。
「彼らは本当に、彼ら自身の生活を維持していけるだけの収入を得られているのでしょうか?」
口に出すつもりのなかった疑問が、無意識のうちに言葉になってしまった。ゴグがぎょっとしたようにマゴグを見つめ、助手席に座るハフナー氏のバックミラーに映った目がすっと細められる。
「今はたまたま、戦後の低迷期というだけですよ」
領主は、大した事でもない、というような調子で言った。
「むしろここは、他よりもずっとマシな星なのではないですかね。リジルがあるという事で、まず働き口は見つかる。彼らから税金を受け取るだけの私どもには知ったような口は利けませんが、大企業というものは幾ら労働者が居たって、居すぎるという事はない」
「そういうものですか……」
「もうじき、領主と私兵によって治安維持が行われてきたこの星も、新政権の方針に則った管理局主体の体制に移行されますよ。評議会とのパイプという意味で、私は管理官というポスト名に変わりますが、そうすればより大きな戦力の保持が認められ彼らを外患から守る事が出来る。その対価としてこちらは租税を、それを生み出す生産力をリジル経由で受け取っている」
ハフナー氏は、一層抑揚を付けて饒舌に語った。
「大事を挙ぐるは人を以て本と為す、というでしょう? 何事も基礎となるのは人であり、彼らも労働力という意味では立派な資源です。それなくして、我々は見返りを与える事は出来ない。
彼らに不満が出るのだとすれば、それは即日支払いの報酬しか見る事の出来ないという彼ら自身の問題でしょう。リジルのお偉方も骨が折れるでしょうな、ほぼ惑星全域の労働者たちの不満を、コンプライアンスという柵の中で受け止めねばならないのですから……はっはっは」
「………」
ゴグ、マゴグは顔を見合わせた。
パートナーの彼も、何とも表白し難い気持ち──違和感にも似た引っ掛かり──を覚えているに違いない。しかし、彼はあくまで「特務は特務である」として、それ以上の余計な事に必要以上に気を回すような態度は見せなかった。
自分たちは、実行者たるESメンバー。その”実行”の発端が誰の意思であったとしても、こちらが必要以上に恣意を持ち込む事は許されていない。
それ以上何かを口に出さないよう、マゴグは沈黙で会話を打ち切った。
車は、郊外に黒く佇む山並みを目指して走り続ける。
と、その時不意に、ハフナー氏の懐から電話の呼び出し音が響いた。
「ちょっと失礼。……私だ」
ハフナー氏は応答すると、「何?」とやや声を上擦らせ、何事か一方的に報告を受けているらしく相槌を打ち始めた。十数秒間そうした後、運転手に向かって車を止めるようジェスチャーを送る。
「ゴグさん、マゴグさん」
彼は振り返り、通話口に手で蓋をしながらゴグ、マゴグに言ってきた。
「前方で、道路を封鎖している武装集団が確認されました。例のテロ集団と見られます、直ちに制圧に当たって下さい」
「えっ?」
──まさか、本当に?
さすがにその思考は、口に出す訳には行かなかった。
「承知」
ゴグが間髪を入れずに応じ、車外に出る。マゴグも、半ば慌てて外に出た。
同時に、坂道の先から大勢の人々が現れた。横断幕を持ち、農具や工具のようなものを掲げ、それらを打ち合わせて錆びついたような音を掻き鳴らしている。半ば不協和音と化したシュプレヒコールが耳に届いた。
「テロ集団? あれが?」
──私服や作業着に、廃材で造ったと思しき即席の防具。
──武器のように見えたものの中に、軍で採用されている火器は見られない。
「輸入規制を緩和しろー!」「公正貿易求む!」「エギル・ハフナーは謝罪を!」
──要求……経済政策の見直し。
対象……ハフナー氏。=グニタヘイズの支配階級。
「あれはテロリストじゃない……デモ隊じゃないの?」
「何をしているのです、ESメンバー!」
ハフナー氏が、助手席のドアから身を乗り出して叫んできた。
「奴らの接近を許してはなりません! 連中は、明らかに武器を手にしているではありませんか!」
(違う……あれは、武器なんて呼べない)
その時、ゴグが傍らから消えた。
一瞬の後、彼がマゴグの遥か前方に再出現する。それはまさに、自分たちが先の戦争末期に協力していた高速巡航艦ミレニアムの相転移航宙回路のシミュレーション映像のようだった。
これが、彼の特殊能力だった。ゲネシス、物体の速度を司る能力。
あくまで一度の加速では、移動する座標間の軌道上全てのポイントを通過せねばならないので、正確にはワープではない。自身で操作出来る物体はせいぜい視認範囲に含まれるものが限界だが、それは初速度で亜光速にも及ぶ。
「承知」
彼の声色が変化した。普段のシニカルな響きが影を潜め、感情の一切が欠落したかのようなものに。
ゲネシスが引き起こす現象は、加速だけに留まらない。減速もまた然りであり、それも対象範囲内に属する任意の物体を、素粒子レベルで動かす事が出来る。それは血管内に含まれる内分泌物質でも、神経伝達物質でも良い。
快楽を引き起こす物質であるドーパミンは、また不安や罪悪感をも司る。彼は”修羅場”で分泌されたドーパミンの伝達を、脳内の任意のポイントに集中させる事で感傷を消し、任務遂行の為に最適化された精神状態を作り出す。彼にとってそれは、即ち虚無だった。
「な、何だお前は!? ハフナーの私兵か?」
デモ隊の先頭でプラカードを掲げていた男が、突如現れたESメンバーに怯えたような声を出し、すぐに自らを奮い立たせるように吠えた。
「そこをどけ! 俺たちの用があるのは、ハフナーの親父だけだ!」
「デルセロアブソルート」
ゴグが微かに呟いた瞬間、男が叫んだ表情のまま真っ白になった。
凍結──粒子の運動が、完全に停止した状態。=絶対零度。それは、ゲネシスによる減速の限界に挑んだ結果だった。
「ゴグ──」
マゴグが言いかけた時、凍りついた男が目を盲さんばかりの光を放った。それも刹那の事で、ビネットの掛かった視界の外縁部が元に戻ると共に、男が居る──否、居た場所がまた見えるようになる。
男の姿は、最早何処にもなかった。彼の立っていた場所のコンクリートが、酷く焦げついて溶岩のような小さな塊が爆ぜている。その周囲の人々は、大火傷を負った顔や腕を押さえて呻いていた。
完全減速の逆──超高温。ワープ同様の加速を行う際は、光速を超えた物体に流れる時間は相対的な遅延がマイナス値となる為時間が巻き戻り、その高温によって素粒子レベルに分解される事はない。しかしそこまで到達出来なければ、状態変化は不可逆的なものとなる。
人体の限界を試された男は、文字通り塵一つ残さず消えた。
ゴグが命を奪ったのだ。
「う……うわあああああっ!!」
人殺し──人殺し──人殺し──。
デモ隊が、口々に叫びながら殺到した。投げつけられる石くれや食べ物、ゴミ。しかしそれらは、ゴグに届く前に空中で停止し、落ちるか、光焔を放って分解され消えていった。
踏み潰される横断幕やプラカード、縺れ合って転倒する人々。
自身への攻撃を一通りいなすと、ゴグの破壊の手は人体へと及び始めた。明滅する視界の中、人々の悲鳴が空気を劈いては掻き消されていく。
「マゴグ! 何をしている、務めを果たせ」
「わ、私は──」
許されていない反射──躊躇い。
ゴグ対デモ隊……一対数百。彼がゲネシスで作用しきれなかった者たちが、怒りに身を任せて猛り狂い、マゴグの後方でハフナー氏の搭乗する自動車を叩き壊さんと向かって来る。
「それが、俺たちの特務だ。嫌でもやれ、命令違反は大罪だぞ」
「マゴグさん!」
痺れを切らしたように、ハフナーが絶叫する。
マゴグは血液が滲む程に下唇を噛み締め、その苦い鉄の味を吐き捨てた。
「……ゴグ。私にも”調整”をお願い」
「承知」
ゴグが、さっと手を振る。途端に、マゴグの中で躊躇いが霧消した。
心理変化を自覚する暇もない。変化の過程を説明する言葉が、マゴグの中に生じる余地もない程、それは問答無用の大きな作用力動だった。感じる事がないから、感じない──その同語反復が正当化される程。
マゴグは、自身の能力を──シェオルを発動した。
重力操作……ベクトル、任意。
迫り来ていたデモ隊の一人が、上方から襲い掛かった強烈な重みに膝を突いた。がくりと両膝を折り、掌を、肘を、上体を、やがて全身をコンクリートに押し付けるように徐々に倒れていく。シェオルによる干渉はそこで終わらず、地面に人型が残る程にその体が押されて軋みを上げる。
やがて、内圧との拮抗にに限界が訪れた。マゴグの能力を受けていたデモ隊員の全身が、ぐしゃりとトマトの如く潰れた。地面に刻まれた人型の窪みに、その血液や肉片が流し込まれたように溜まる。
足元に投げ出されたプラカード。
『ALLOW US TO FORM LABORS UNION!!(労働組合結成を許可せよ)』
最早、彼らに抵抗の意思は残されていなかった。
逃げ惑う人々を、ゴグとマゴグは徹底的に凍結/焼却、或いは圧殺していった。