「文豪ストレイドッグス 明治 -MAGE-」⑪
⑧ 太宰治
「DOG EATS DOG!! DOG EATS DOG!!」
短く文節を刻みながら、鬨の如く唱和する”亡者”たちに太宰の手が触れる。彼らは蒸発するように消えたが、それで安心してはならない。
「なるほど、やっぱりそうか……彼らの呪縛を解くには、涙香の”翻訳”した異能を戻す必要があるみたいだね。それにはやはり、異能の大本である涙香自身を断つしかない」
とはいえ、彼ら自身にも一時的に効果が働くと分かった事は大きい。
太宰は、虎の爪で絶え間なく”亡者”を切り裂いている敦を見た。
「敦君、君は先に行ってくれ」
「えっ? でも、涙香の異能を解除させるには、太宰さんが居なきゃ……?」
「今回の場合、奴自身が異能のようなものだ。解除させる事と倒す事が等価のようになっている。そして、私の『人間失格』は触れなければ発動しない。ここは身体能力が私よりも高い君と、芥川の方が有利だ」
「芥川がこの先に? 太宰さん、何故……」
何故マフィアの配置を知っているのか、と聞きたいのだろう。理由は簡単──太宰が涙香出現の報を受け取った相手が、芥川だったからだ。
涙香が武装探偵社とポートマフィアを潰すべく、街中に”亡者”を放った時、いの一番に連絡してきたのは芥川だった。
『あなたからの情報通りだ、太宰さん。あの黒岩涙香という男は、マフィアのアジトに直通する貿易港を襲っている。恐らく”亡者”の討伐状況から割り出したものと推測。……これで宜しいか』
「ああ、よく教えてくれた。敦君を伴い、そちらに急行しよう」
『人虎を? それは──』
「分かってはいるだろうが、芥川。彼との約束は……」
『無論だ、太宰さん。契りを果たすまで、僕は奴を襲いはせぬ!』
時計塔からの情報も、既に安吾経由で伝わっていた。記録から抹消されていた、涙香の真の異能力。太宰は皆にこれを共有、社員たちは改めて涙香討伐に向けて動き出した。
涙香が、死者を蘇らせる異能力を持つ山田を狙った理由も明白だった。敦たちは愕然としていたが、涙香が最後の行動を起こしたと情報が入るや否やすぐに各々が分担箇所に向かって移動を行った。山田は谷崎の『細雪』に身を隠しつつ、”亡者”が向かっているオフィスを出て安吾の元へ向かった。
「それにしても、わざわざポートマフィアのアジトの入口に探偵社を──しかも裏切り者の私を呼ぶなんて、森先生に知られたら大目玉だろうね」
『ボスのお叱りは覚悟の上だ。しかし、この状況に至ってまで保身を優先させる程僕は臆病者ではない』
「そうだね」
──君は昔よりも、ずっと勇気があるよ。
その台詞までは、太宰は口に出しては言わなかった。
太宰は、既に火の手が上がっている埠頭の方を見ながら敦を促した。
「行ってくれ、敦君。君ならやれる」
「……はい!」
敦が、虎に変えた四肢を使って這うように駆け出す。武器や松明を揚々として誇示した”亡者”たちだったが、強度を上げた敦の体に衝突したそれらは交通事故に遭ったかの如く吹き飛ばされ、蒸発した。
「さて……こうも沢山来られると、誰が誰か分からないけれど」
太宰は独りごつと、”亡者”たちを素早く見回す。皆顔は隠されているので判別出来ないが、包帯でタイトに巻き締めているだけに体格差は分かりやすい。何人かは心当たりのある者の姿もあった。
「違っていたらごめんね」
言いつつ、太宰は狙いを付けた一人に飛び掛かる。
「DOG EATS DOG!!」
叫びながら振り下ろされた松明を躱し、懐に入り込みつつ顔に手を伸ばす。異能解除で消してしまわぬよう気を付け、その顔を覆う髑髏のマスクを剝ぎ取る。灰色の顔は、それでも依然喚き続ける。
「そういう事だね。これが君たちの”翻訳”された姿か」
太宰は、僅かに口角を上げる。
目の前にあったのは、エミール・G──先月欧州で、涙香によって異能を簒奪された被害者の一人の顔だった。
⑨ 中島敦
「芥川!」
叫びながら、四方をコンテナに囲まれた校庭半分程の広さの空間に躍り込む。その中からは、剣戟にも似た激しいぶつかり合いの音が響いていた。
「異能力──『白髪鬼』」
「羅生門・叢!」
背の高い影法師──涙香が招喚した、鏡花の夜叉白雪やポートマフィアの尾崎紅葉が使役する『金色夜叉』にも似た異能生命体が芥川に襲い掛かる。芥川は手状に変形させた「黒獣」を操り、それを打ち払う。
周囲では、コンテナの陰に”亡者”たちが群がりながら手に手に松明を振り上げて乱舞していた。彼らが戦闘に加わらないのは、涙香が目の前の異能力者を自らの手で屠りたいという意思を反映させているのか。無惨同盟は、涙香の手足の如くダイレクトに意思を映し出すものなのか──。
「芥川」
敦はもう一度呼び掛けながら、爪を振るった。側面から「黒獣」と渡り合っていた白髪鬼は無防備な体側を大きく抉られ、無数の光の粒子に分解されながら消滅していく。芥川は、大きく跳び退りながら鼻を鳴らした。
「遅いぞ、人虎。太宰さんのお手を煩わせたな」
「人虎? ……なるほど、貴様が”道標”か」
影法師が、低く唸るように言った。芥川の隣で身構えた敦に対し、何の前触れもなく片腕を突き出してくる。
「異能力──『幽霊塔』」
「STRAAAAYYYY────!!」
「SCAPEDOG────!!」
嘆きの咆哮を上げ、掌からぬらぬらと海藻の如く絡まり合った影法師──涙香の分身のような姿──が溢れ出して飛来した。敦は虎の両前脚を交差させ、その波動めいた攻撃を受け流しきる。
「黒岩涙香!」
周囲の”亡者”の叫びに負けぬよう、声を張り上げる。
「お前の求めている真実は、ここにはない! これ以上無関係な人々を傷つけ続けたら、それこそお前が思い悩んだ無惨事件と同じ結果を生むだけだ!」
「全ては大いなる整合の為だ」
涙香は、聴く気はないとばかりに言った。
「これは死ではない、異能力たちよ。貴様たちは知らなすぎた……基本原理を透明化しないまま技法を用いる事に、人は慣れすぎていた。私は必然的に、疑心を抱かざるを得なかった。それこそが我が異能であり、その孕みし矛盾故に異能力者の理を整合せねばならなかったのだ。
この者どもを見よ、異能力ども。彼らは我が”翻訳”に身を委ねし新世界秩序の申し子。あらゆる法則とその無視、既存の秩序と、混沌たる異能力の交わる次元に存在する者ども。不合理を新たなる合理として頒布せし無惨同盟となり、人を超越した真の異能力者よ」
「何を述べているのだ、この男は……」
芥川が眉を潜める。敦は、涙香に視線を固定したまま彼に応じた。
「芥川、これが涙香の異能力なんだ。異能という存在に懐疑を呈する異能……今ある異能の在り方を否定してしまう異能なんだよ」
「解する者が居たか。然り、それこそが法則を無視するが故に無限の可能性を持った異能力の、必然的に突き当たる逆説。我が『萬』の真実だ。我が支配下にあり、また支配者たる私を奴隷に貶めた忌まわしき異能よ」