「文豪ストレイドッグス 明治 -MAGE-」⑦
④ 芥川龍之介
「『羅生門』……顎!」
「『落椿』」
外套から生じた「黒獣」が、群がる影法師を貪り尽くす。狩り漏らした敵に対しては、すかさず飛び出した広津柳浪の異能による斥力が襲い掛かり、容赦なく跳ね飛ばして行った。
その奥では、立原道造と銀、彼ら黒蜥蜴を自分と共に率いる樋口一葉がコンテナの隙間から引っ切りなしに湧き出す影法師を倒していた。立原と樋口は拳銃を撃ちまくり、銀はそれらの弾丸の間を素早く縫って走り、短刀で敵を切り裂いている。立原の異能力「真冬のかたみ」は金属製のコンテナを浮かせて敵の集まる場所へ飛ばす事も出来、それが正体不明の敵たちに更なる追い討ちを掛けた。
とはいえ──。
「くうっ、やっぱこれだけ大きいものを動かすのはキツいか!」
彼らも消耗しているようだ。影法師たちは耐久力はないが、その分を数の多さで補っている。その上、連中の振るう武器はその腐蝕した外見に似合わず予想外の攻撃力を秘めていた。
ポートマフィアの縄張りである港を占拠した影法師たちは亡者の如き怨嗟の声を上げながら、警備に当たっていた構成員たちをたちまち蹴散らした。同様の出来事は夕暮れと共に、ヨコハマの各地で活動していた構成員たちからも報告され、連中が市民によって無惨同盟と呼ばれている事も分かった。
「何故我々も知らない敵の存在を、一般人が知っている?」
芥川は混乱したが、事態を放置する訳には行かない。すぐさま首領・森鷗外の指示で幹部たちが出動させられ、芥川と樋口も黒蜥蜴を引き連れてここ──アジトに直通する貿易港を守る事になった。
「先輩っ!」
樋口が、悲鳴に近い声で叫んできた。
「もう限界です、私と立原君の弾が尽きます!」
「くっ……! 銀、お前は持たせられるか?」
「行けます」
妹は短く返してくるが、そちらも苦しそうな声だった。唯一近接格闘戦を行う彼女は、動き回る分消耗は樋口たち以上だろう。
芥川自身も、体力に限界を覚えていた。長時間の激しい戦闘により、喘息の発作が起こりかけている。仲間たちには隠しているので気を張り詰めて抑え込んでいたものの、精神論だけでどうこうは出来ない。
短期決戦。今更遅すぎるが、多少無理をしてでも押し通すしかない。
「総員下がれ! 黒蜥蜴は円状に包囲網を作り、射撃を継続。全弾撃ち尽くしても構わん!」
「先輩は──」
「僕の事は気にせず撃ちまくれ! 『羅生門』……天魔纏鎧!」
全身を覆い尽くすように「黒獣」で巻き締め、芥川は黒服たちが形成しつつある包囲網の中に飛び込んだ。天魔纏鎧の防御力であれば、誤射されたところでこちらの身に銃弾は通らない。
仲間への合流路を断たれた無惨同盟の”亡者”たちは、包囲網の中で身を寄せ合いながら銃弾に砕かれていく。徐々に減少していくそれらは、大きな昆虫の死骸が蟻に食い荒らされ、縮んでいく様を彷彿させた。
そこに躍り込んだ芥川は内側から稲妻型に変形させた「黒獣」を四方に放ち、生き残った”亡者”たちを喰らい尽くした。自分の離脱を確認すると、構成員たちによる射撃がぴたりと止んだ。
「何とか片付いたな……」
言った時、不意に眩暈が襲って来た。今度こそ踏ん張れずにがくりと膝を突いてしまい、天魔纏鎧が解除される。樋口が「先輩!」と叫びつつ駆け寄って来た。
「お怪我は……」
「案ずるな。多少疲れただけだ」
芥川が言った時、
「見事だった、ポートマフィアの者たちよ」
不意に、聞き覚えのない声が頭上から降って来た。
見上げると、コンテナの上に人影があった。暮れ泥む空を背景にしており、ほぼシルエットしか見えないが、それはその人物もまた芥川と同じような黒外套を纏っているからという事もあった。
但し、その裾は煙の如くぼやけていた。擦り切れ、ほぼ襤褸同然になっている事が窺える──あたかも、今まで戦っていた”亡者”の集団のように。
「何者だ!?」
広津が、鋭い声で誰何した。
「無惨同盟の奏者──黒岩涙香」
人影は、ひらりと軽い身のこなしでコンテナから飛び降りて来る。逆光が失われるに連れ、その人物が体中に巻いた包帯と鎖が見えるようになった。包帯には無数の英字が刻まれ、顔にも右の顳顬から左頰に横断するような形で一際大きく刺青が施されている。
──STRAY DOG
「貴様は異能力者か?」芥川は油断なく問う。「その無惨同盟という連中は、貴様の生み出した異能生命体か? 貴様の異能は、異能生命体を具現化させる類の能力なのか?」
「彼らが? 否……彼らは我が疑問を解き糺し、真なる形象へと整合された者たちの集まりだ。我が”翻訳”により、異能力者は人にして孕みし不合理から、人ならざる異能力者へと合理化される。異能と秩序の相互性は補填され、同一の意味を持つようになる。それこそが新世界秩序であり、その秩序に参画せし異能力者たちは人の生存を失う。真に自分たち自身の摂理に服い生きる、生まれ変わりし無惨同盟となって調律を遂行するのだ」
涙香は言いながら、両腕を広げて近づいて来た。黒蜥蜴の面々が銃を構えるが、それを気にした様子もない。
「新世界秩序だと?」
「然り。我が”翻訳”による整合は、第一に異能力の普遍化。人ならざる異能力者の集まり、無惨同盟をこの世の影として落とし込む事。この段階に於いて、異能力に目覚めた人間たちに新世界秩序は影響しない。ポートマフィアよ、私は不合理故の貴君らの力に敬意を表する」
突然の賞賛に、身構えていた芥川も他の者たちも戸惑った。
涙香は抑揚のない口調で続ける。
「ヨコハマは、新世界秩序の良きテストケースとなった。ポートマフィアよ、貴君らはこの魔都の闇なる者ども。この人外魔境に於ける既存の秩序を、裏の面から支える者どもだ。だが、闇と影は似て非なるもの。闇は光が強くなれば消えるが、影は光が強くなる程その濃度を増す。我が同志となれ。そして、我が最大にして最後の疑心を整合に導いて欲しい」
「──それは」
芥川は、拳を深く握り込みながら問うた。
「僕たちに、無惨同盟に加われという事か? あの人とも魔ともつかぬ影法師の中に加わり、貴様の目的の為に戦えと?」
「否。貴君らの異能を”翻訳”するのは最後だ。我が疑心の土壌となった異能に、私自身がこれ程魅せられるとは思わなんだ。貴君らはその不合理を維持したまま、私に力を貸して欲しい」
「して、目的は?」
「最重要要素である『魔界転生』を持つ者──山田風太郎の確保。彼は目下、武装探偵社によって匿われている。この強奪に貴君らマフィアが協力するというのなら、今回の如く無惨同盟が貴君らに仇成す事がないよう調整を行おう」
涙香は、赤い目を爛々と輝かせて言った。
それは共闘の申し出の皮を被った脅迫だった。協力しないのならば、今宵と同様の襲撃を繰り返す。或いは、訳の分からない集団に組み込む。涙香がどのような能力を有しているのかは定かではないが、芥川は今し方戦った”亡者”たちの事を思い返した。あれは、尋常のものではなかった。
「………」
芥川は、ちらりと横目で広津の方を見る。彼が片眼鏡の位置を整えながら肯くのを確認し、改めて涙香に向き直る。
「断る!」
我ながら、この上なく毅然とした口調だった。
「……その理由を問おう」
「目下、僕たちと探偵社が抗争に突入するのは得策ではない。魔人フョードルの暗躍している今、先の『共喰い』による全面戦争を辛くも回避したばかりで新たな対立を招く事はリスクが高すぎる」
──太宰さん。
芥川は言いながら、彼の事を想う。今彼は、かつての彼と中原中也に代わる「新双黒」の確立を──自分と敦による新たな主力の誕生を急いでいる。その意図は、「共喰い」事件に於いてあのイワン・Gを撃破した事で十分に理解していた。
あの人虎と、本気で力を交える日も遠くはない。それまで、自分が早まった行動を取る訳には行かなかった。
「敢えて、我が影となる事を拒むか……」
「ポートマフィアは独立した秩序だ。何人の意思に服う事もない」
きっぱりと言い切ると、視界の隅で広津が何処か満足げに肯いた。樋口もぱっと顔を輝かせ、こちらを見つめてくる。
涙香は伏し目がちに黙り込んだ後、「交渉は決裂か」と絞り出した。
「表裏一体の新世界秩序を否定し、あくまで既存の裏に徹する事を選ぶか……古き者どもよ。いいだろう、私は今この瞬間を以て、貴君らを整合すべき異能集団と見做す。近日中に、更なる調整体が組織を襲撃する」
「その自信があるのなら、挑んで来ればいい」
芥川が言った瞬間、涙香が跳躍した。昇り始めた月に影を映すように宙空で身を反らし、飛翔に近しい速さでコンテナの上を駆け出す。
黒服たちが、一斉に銃の弾道を上方に向けた。が、すかさず広津が
「撃つでない!」
彼らを押し留めた。
ある意味では、自分がゴーサインを出したのだと思った。
恐らく、既に探偵社は涙香を追い始めている。涙香の方も、それを分かっていながら敢えて隠密行動はせず、マフィアへの直接襲撃を有言実行に移すだろう。その報せから行動に出るであろう探偵社を、返り討ちにする為に。
囮。分かっていながら、探偵社から見て、芥川はポートマフィアがそれに徹するよう動いたのだ。ヨコハマ全体が危機に瀕している今、それを最前線で守るのはマフィアの矜持でもある。が……
──強くなったね。
「組合」を交えた三社戦争の後、太宰に掛けられた言葉を思い出す。
今は、心の師である彼への義理が勝る。