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「文豪ストレイドッグス 明治 -MAGE-」④


          *   *   *


 黄昏(たそがれ)も過ぎ、ヨコハマの空が薄紫色に染まって街灯が点き始めた頃──。

 夕食の為に一度家に帰った山田と共に、敦たちが大学に引き返そうとバス停に向かって歩いている時、その集団は突如として現れた。

「無惨同盟が出たぞーっ!」

 往来を歩いていた住民の誰かが叫び、通行人たちが一斉に逃げ惑い始めた。親に手を引かれて帰り道を歩いていた子供は泣き喚き、葱の飛び出した買い物袋を提げて歩いていた婦人連はそれを投げ出して(まろ)ぶように走る。パトロール中の警官たちも、その例外ではなかった。

 敦たちも騒ぎに放り込まれ、人波の中で揉みくちゃにされた。何とか流されないよう踏み留まり、道路を押し寄せるように近づいて来る集団を見る。

「あれが……無惨同盟?」

 髑髏(どくろ)の面を被り、香を焚いているのか、林檎酒のような、甘く、それでいて喉がひりひりするような匂いが芬々(ふんぷん)と漂う。作戦会議の際に見せられた写真──先日の襲撃の際軍警が撮影していた──に映っていた涙香を複製したかのように、亡霊めいたおどろおどろしい姿で歩くそれらは、顔を隠すその面も相俟って何処か死神めいた印象を与えた。

 接近するに連れ、敦はそれらが身の毛も弥立(よだ)つような悍ましい嘆きの声を上げているのが分かった。

「捕まる前に帰っちまえ!」「ああ、もう嫌……!」

「……ねえ、何か変」

 鏡花が、いつの間にか抜いていた短刀を油断なく構えながら言ってきた。

「この人たち、無惨同盟って言葉を知っているみたい」

「た、確かに……」

 敦は、逃げて行く人々に素早く目を走らせる。彼らは怯えてこそいるものの、何処か街に棲み着いてしまった獣と共生し、それが動き始めたら逃げる、というような受容が見られた──何と言うか、恐怖の性質が自分たちの理解を超えたものに対しての恐れとは違っているようだった。

 少し逡巡し、敦は擦れ違った一人の男に「すみません!」と声を掛けた。

「何だよ、こんな時に!?」

「ごめんなさい、あの……皆さん、あれが何なのかご存知なんですか?」

「あんた、ふざけてんのか!」

 男は頭を抱え、常軌を逸した叫び声を上げた。

「小さい頃から言われてんだろ、悪い事をすると無惨同盟が来て連れて行かれちまうって……あいつらに捕まったら、死ぬより酷い苦痛を受けながら彷徨い続けるんだって!」

「小さい頃から……?」

 首を捻っていると、男はそれ以上何も言わずに駆け去ってしまった。

 ──ヨコハマの秩序が、変化しつつある。

 今まで有り得ないものだったルールが、昔からそこにあったもののように存在を開始している。

 そんな、自分でも思いも寄らなかった思考がふと萌した。

「あなたは」鏡花が鋭く言った。「その人を連れて逃げて」

「鏡花ちゃん……?」

「『夜叉白雪』!」

 彼女は夜叉を招喚すると、共に迫り来る”亡者”の群れと相対する。

「私が、あの敵を食い止める」

「鏡花ちゃん一人じゃ危ないよ!」

 敦は、両腕を虎のものに変化させる。が、鏡花は首を振った。

「第一は山田さんの安全。虎の俊足を持つあなたの方が、彼を安全に逃がせる」

「うわあっ、こっちからも来た!」

 山田が悲鳴を上げる。彼の指差す方を見ると、”亡者”たちは真横の路地からも現れていた。路地という路地、暗がりという暗がりから増殖するように湧き出しているようだ。

「……任せていい、鏡花ちゃん?」

 敦は両足も虎に変え、「失礼します」と断ってから山田を抱え上げる。鏡花はこくりと肯くと、夜叉と共に”亡者”たちに向かって飛び出した。

「無茶はしないでね!」

 叫び、敦は駆け出す。最早”亡者”の数は、街の一角を埋め尽くす程に増大していた。これら全てを掃討する事は、自分たちの力ではまず不可能だ──それだけは、痛い程によく分かった。

 敵の進みは、足を引き摺るようにじりじりと遅かった。しかし、如何(いかん)せん何処からでも現れる上数が尋常でない。囲まれてしまえば、虎の脚力でも脱出するのは困難だろう。

 予想──彼我の戦力差──一対数千。

 それが、間違いなく涙香の意思によって山田を狙っている。

「ひいいいっ! 来るな、来ないでくれーっ!」

「山田さん、しっかり掴まっていて下さいね!」

 敦は、道を塞ぐように現れた新たな一団を睨む。まだその人垣は薄い。向こう側の道路に抜けられそうな場所を探し、左腕で山田を抱え込みつつ右腕と両足に力を込める。

「『月下獣』……半人半虎!」

 太く膨れ上がった腕の筋肉に加速を上乗せし、鉤爪を振り被る。”亡者”たちはそれぞれの手に壊れた工具や農具を思わせる武器を振り上げたが、

「やあああああっ!!」

 虎の爪は、それごと”亡者”たちを袈裟懸けに引き裂いた。干乾びた木乃伊(みいら)に刃を入れたような軽い手応えが返り、切り裂かれた”亡者”は赤黒い塵のように崩れ、大気に溶けるように消える。

(こいつら……人じゃない?)

 敦ははっとする。刹那、

「敦さん!」

 山田が叫んだ。肉壁の欠けた穴を、新たな”亡者”たちが埋めようとしている。

 敦はそこを通り抜けつつ、足を左右に振ってそれらを蹴り倒した。低姿勢で、左腕に山田を抱えたまま、右手も使って三足歩行に移行する。

 半人半虎の発動から、加速も相俟って、新たに道を塞ぐように出現した無惨同盟は突進だけで粉砕出来るようになった。とはいえ、この形態の継続はかなりの体力を消耗する。この強行軍がそう長くは続かない事は分かっていたが、敵を倒し尽くす事が出来ない以上終わりが見えない。

「黒岩涙香ーっ!」

 駆けながら、何処に居るのかも分からない相手に向かって叫んだ。

「卑怯だぞ! 直接出て来て戦えーっ!」

 ──それには及ばぬ、異能力者よ。

 地の底から響くような低音が、何処からともなく聞こえてきた。

「涙香? 何処だ!?」

 ──無惨同盟の秩序を受け容れよ。さすればあらゆる疑心は解け、貴様らの不合理なる宿世は完璧なる調和を持った形へと整合される。

 声は、陰々として耳を打った。否、それは頭の中に直接響いてくるような、耳を塞いでも無駄だろうと思わせるものだった。聞いているうちに、徐々に頭が痛くなってくる。

 横丁を何度も曲がり、通り抜けた。何十もの”亡者”を屠り去り、敦の疲労がピークに達しようとした時、不意に視界が開けた。

「あーっ、僕の家が!」

 山田が叫び、敦から体を離そうと暴れ始めた。

 敦はぞっとする。いつの間にか、自分たちは山田宅前に戻って来ていた。その竹垣の前にもアプローチにも、”亡者”は絶え間ない嘆きを上げながら群がっている。土煙が濛々と立ち込め、家は軋みを上げていた。

 敦は引き返そうとしたが、今し方出てきた路地から追手が追い着いてきた。門前の道路にも、左右から無惨同盟は大挙して押し寄せて来る。

 完全に囲まれてしまった、と理解した時、限界が訪れた。

 苦痛と共に、四肢の力が抜けた。山田が滑り落ち、アスファルトに尻餅を撞く。

「あ……敦さん……!」

「山田さん……逃げて下さい……っ!」

 それが出来ない事だとは分かっていても、そう言うしかなかった。

 武器を誇示するかのように掲げ、”亡者”たちがじりじりと囲いを狭めてくる。じわじわと恐怖を煽り、嬲り殺しを愉しむかのような彼らの手の中に、松明(たいまつ)のようなものも散見された。

 その炎の一つが、竹垣に掛かった。乾いた竹はたちまち燃え上がり、それが土埃に引火して火球が飛ぶ。表の植木や屋根に飛び火したそれを見、山田は腰が砕けたように座り込んでしまっていた。

「嘘でしょう……こんなの、嘘ですよね!?」

 彼を守りながら戦う事は困難だ。それ以前に、今の自分が戦えるかどうかも定かではない。

 敦は(ほぞ)を噛んだ。

 先頭の”亡者”の一体が、腐蝕した(すき)のようなものを振り上げた刹那だった。

「お母さん……!」

 山田が、土下座をするように蹲って絞り出した。

 転瞬、彼を中心に発光する螺旋が立ち昇る。その中から、湧き出すようにしてほっそりとした人影が現れた。

「………?」

 それは、着流し姿の女性だった。ぼんやりと燐光を帯びてはいるが、エフェクトのように半透明ではない。美しくも意志の強そうな顔を凛然と上げ、山田を庇うように彼の前に立ち塞がっていた。

「お母さん?」

 山田の呟きを聞き、敦ははっとする。女性の正体に気が付くと共に、彼の”異能”が発動されたのだと分かった。

 ──「魔界転生」は、実在した。

 そう確信すると同時に、

「異能力──『魔界転生』!」

 現れた女性が、更に叫んだ。今し方の山田と同じように、体を取り巻くように螺旋状の光が立ち昇る。

北村(キタムラ)透谷(トウコク)!」

 女性の声と共に、光の中から新たな人物が出現する。今度は男で、和服の上に足枷やら腰縄、切れて両手首に垂れ下がった手錠などが目に付いた。

 透谷と呼ばれたその男性は、たじろいだように動きを止めた無惨同盟に向かって右手を突き出す。

「異能力──『(わが)牢獄』!」

 敦が動く(いとま)もなかった。山田の母に招喚された男性──彼も異能力者だったらしい──が作り出したのは黒鉄(くろがね)色の果てしない格子で、それに寸断された”亡者”たちは怒りの声を上げながら拳を振り上げるが、それは破れないようだった。

(絶対防壁を出現させる異能……)

「──行きなさい」

 女性が、(おもむ)ろに言った。敦は面食らう。「えっ?」

「透谷が……私がこの敵を食い止めている間に、ここを離れるのです。一時的とはいえ、目下彼らの注意は私たちに向いています。本来の標的であったあなたたちを見失えば、彼らは消えるでしょう」

「しかし、お母さん……」

 山田は瞼を腫らし、顔をぐしゃぐしゃにしながら言う。

 敦は器官をキュッと絞られるような気がしたが、意を決して彼に言った。

「行きましょう、山田さん」

「待って──」

 返事も待たず、山田の手を引いて駆け出す。

 山田は悲しそうに振り向いたが、母親の姿は既に荒れ狂う”亡者”たちの中に見えなくなってしまっていた。

 嘆きの声を背に、敦と山田は住宅街へ駆け込む。

 背後で、炎上する家が崩れ落ちる音が(こだま)した。

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