「文豪ストレイドッグス 明治 -MAGE-」②
① 中島敦
武装探偵社、会議室。
「エミール・G、アレクサンドル・D、フォルチュネ・B、ヴィクトル・H、サイモン・N……」
ホワイトボードに貼られた被害者たちの顔写真を示しながら、国木田独歩が一人ずつ名前を読み上げていく。
「先月から欧州で多発している、異能力者たちが謎の怪人に襲われ、能力を奪われるという事件の当事者たちだ。そして彼らの異能が、警官たちが証言した、昨夜山田風太郎宅を襲撃したという異能力者のものと酷似していた」
「という事は、犯人はやっぱり……」
敦は、微かに顎を引いて考え込む。
昨夜未明、異能力者を自称する山田風太郎という男子大学生が太宰によって保護され、探偵社に移送されてきた──らしい。
らしい、というのは、その時社内には偶然泊まり込んでいた国木田しか居らず、敦たちが山田青年と顔を合わせたのは出社後であったからだ。山田は見ているこちらが辛くなってくる程に怯えきり、支給された毛布に包まって今にも失神しそうな程に震えていた。
「死んでいました……本当に死んでいたんですよ、人が!」
事情聴取に伺った敦と泉鏡花に、山田は声を上擦らせて言った。
「医大では、解剖とかもするんでしょう?」
いつものように淡々と尋ねた鏡花に、山田は「とんでもない!」と首を振った。
「解剖は別です、その時は何というか……医者モードというか、臓器を見たり触ったりするのも平気なんです。けど、自宅の庭、夜、いきなり! 急に目の前に、警官の死体ですよ? 駄目ですって、そういうの!」
パニック気味の山田から詳しい事情を聞き出す事は難しく、社は軍警からの情報共有を待つ事になった。それで分かったのは、彼が二週間前に誘拐の犯行予告を思わせる怪文書を受け取っていた事、そこに彼が持っていると主張する異能「魔界転生」が目的だと書かれていた事などだった。
「……黒岩涙香」
国木田の後を引き継ぎ、椅子に深く凭れ掛かった太宰がそう言った。
「えっ?」
「奴は『無惨同盟』という団体名を口にした。欧州で暗躍している犯人はそうは名乗っていないみたいだけど、例の異能とその無惨同盟の名から敵の正体はそうと見て間違いないだろう」
「どんな異能力者なんですか、その涙香って?」
「んー、大本は不明としか言いようがないね。ただ時計塔の情報では、涙香の異能を使用された異能力者は自らの力を奪われるらしい」
時計塔──「時計塔の従騎士」。それは、欧州の由緒正しい異能組織だった。
太宰は昨夜、異能特務課の坂口安吾から事の次第を聴き、彼の要請を受けて山田宅へ応援に向かったそうだ。犯人の逃亡後、彼はすぐに安吾に掛け返して先方と連絡をつけたに違いない。
「とはいっても、奴が時計塔の管理下に居たのは昔の事だ。アガサ女史も、記録されている以上の詳細は知らないってさ」
「異能力の奪取、ね」
与謝野晶子が呟く。
「この間も、それと同じような事件があったわね」
「澁澤龍彦のような、収集系異能の使い手という事でしょうか?」
あの恐ろしい「コレクター」の事を思い出し、敦は自らも疑問を差し挟んだが、太宰は「いや」と否定した。
「涙香の使っていたものは、似通っていながら元の異能とかなり性質が変わっているようだった。能力名も、似ても似つかないものになっていたしね。考えられるとすれば、彼は他の異能力者から力を奪い、似て非なる別の能力に改変してしまう術を持っているという事だろう」
「それともう一つ」
国木田は、眼鏡の位置を直しながら手帳に目を落とした。
「涙香と思しき怪人に襲撃され、能力を奪われてさる機関に保護された異能力者たちが、昨夜の山田宅襲撃までに忽然と姿を消したそうだ。各捜査機関が足取りを追っているが、現在もそれは掴めていない」
社員たちは、皆緘黙した。
ばらばらだった複数の事件が有機的に結合した結果、事は予想以上に大きく膨れ上がってしまった。それも、断片的な情報は判明しているからこそ複雑怪奇な様相を呈している。
「……無惨同盟」
暫しの無言の後、ぽつりと呟いたのは鏡花だった。
「海外での事件では、犯人はその名前を言わなかったんでしょう? 似た異能が使われたとはいえ、すぐにそれが黒岩涙香に──かつて時計塔に居た異能力者に結びついたのは何故?」
「無惨事件だ」
不意に、会議室の入口から声がした。
皆の視線が集中する。そこに、社長の福沢諭吉が江戸川乱歩を伴って立っていた。
「社長!」宮沢賢治が声を上げる。
「山田青年の様子は如何ですか?」と国木田。
「谷崎兄妹が付き添ってくれている。まだ混乱が冷めやらぬようだが、ひとまずパニックは落ち着いたらしい」
「良かった……」
敦はひとまず安堵の息を吐いた。与謝野が「それで」と促す。
「社長も、涙香について何かご存知なのですか?」
「かつて欧州のある街が、原因不明の大規模な爆発事故で灰燼に帰した事がある。この事件は後に『無惨事件』と呼称されるようになったが、その際唯一生き残ったのが、当時齢五つだった黒岩涙香だ」
「勿論名前だけで判断出来る訳じゃないけど、涙香は時計塔に保護された後に自身の能力に目覚め、今回のように他の異能力者から力を奪い、改変して見せた。その後の記録は途切れているみたいだけど、彼は最終的に何らかの理由で時計塔から脱走、現在も行方を晦ましたまま、だ」
太宰は社長の後を継いで語り終えると、また椅子に深く凭れて目を閉じた。
「こら太宰、寝る気か!」
国木田は注意したが、すぐに咳払いして声の調子を戻す。
「ここまで重なれば、山田宅襲撃犯及び欧州異能力者連続襲撃犯は黒岩涙香と見て間違いないだろう。一つだけの符合ならば、まだ単なる偶然で済ませられるかもしれないがな」
「また、現れるんでしょうか……その人は?」
賢治が、不安そうに言った。
「間違いなく現れるね」と太宰。「彼がそう言ったんだもの」
「山田青年の護衛は、我々探偵社に引き継がれた。敵は詳細不明ながら、強力な異能を使う事は確かだ。一般の警官では、今回のように守る方も守られる方も危険が大きすぎる。理想は社内で匿う事だが……乱歩さん」
国木田は、乱歩に話を向ける。
「彼には、その措置に納得して貰えましたか?」
「駄目だね、全然」
乱歩はお手上げというように両腕を開いた。
「彼は大学生だ、その場合事件解決まで休学しなきゃならない。けど、山田君はいつ復帰出来るか目途も立たないなら、そんな事は出来ないって頑固でさあ。近々ある発表やら、研究やらで忙しいんだって。あんなに怖がっていたのに、危険が去った途端にそっちが大事になるみたい」
「まあ、それはそれ、これはこれって事かも」と賢治。
「説得は困難か……」頭を押さえる国木田。
「我々が尊重すべきは、クライアントの意思だ」
判断を下したのは、社長だった。
「我が社に居れば絶対安全という保証はなく、また彼の自宅が現場であってもこちらで守る事が不可能という訳でもない。……中島敦、泉鏡花」
突然指名され、敦は慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい」
「君たちには山田氏の自宅に泊まり込み、彼の護衛を行って貰う。無論常に隣に居ろという訳ではないが、見える範囲で見守りを続けるのだ」
「分かりました」
鏡花が、間髪を入れずに肯く。敦も一礼するしかない。
「他の者は、黒岩涙香と無惨同盟について更なる情報がないかを引き続き調査。同時に、護衛二人の報告から山田氏が本当に死者を蘇らせる異能力を有しているのかの判定も行う」
社長はてきぱきと指示すると、声に力を込めた。
「人命保護依頼に失敗は許されない。気を引き締めて事に当たれ」
「了解!」
探偵社員たちの答えが、会議室に重なって響いた。




