僕はこんなラブコメを知らない。
肌を撫でるほどの風が僕の体温を下げていく。同時に僕の空虚な妄想も浄化されるようだった。空を見上げれば数える程の雲が空に散らばり、その間からはまるで彼ら彼ら祝福をするように星が煌めいていた。
今頃、彼は彼女に想いを告げている頃だろう。この平原は彼女がよく好きと言っていた場所だ。「自分をさらけ出せる場所なんだ」彼女のはにかんだ笑顔が映画のフィルムのように脳内に浮かぶ。僕はまだ彼女のことが好きなみたいだった。彼に、託したと言うのに。僕に申し訳なさそうに「すまない」といった彼を最後に後押ししたのは間違いない、僕だったのに。
彼が立ち去ってから数刻がたった。
「主人公にはなれないか」
その一言は、風では拭えなかった心の戸惑いを拭うように、ため息混じりに声に出た。
どうやら僕の親友は、見事なアプローチを遂げて学年で1番と噂される程の美少女と付き合うこととなったそうだ。「堀北 杏子」彼女が越してきたのは高校1年の春、親の転勤が理由だった。活発な子だった。よく笑いよく怒り、よく泣いた。その姿を僕は「瀧上 蓮」と共に隣で見てきた。そしてそんな彼女に惹かれるまでそう時間は費やさなかった。
「優也、俺、杏子のこと好きになったんだ」
その一言を聞いても何も、驚くことはなかった。「やっぱりそうだよな」心の中で吐き捨てた。僕が先に蓮に伝えていれば、きっと僕にもチャンスはあったのだろうか。過去をふりかえっても後悔しか生まれないことだって、僕はこれまでの人生で分かっていたはずなのに。
昔好きだった少女漫画を思い出した。主人公、親友、そして美少女。恋の争いの果ては、いつだって主人公が美少女と繋がる。様々な駆け引きを経て幸せを掴み取った彼らのこのシーンは、読者である僕らの心を大きく動かした。
そしていつだって、親友は俯く主人公の背中を彼女の元へとあと押しをしていた。俺はお前を応援してる。そんな言葉を主人公に向けられたものなら、さらにこの後の感動は大きくなることだろう。
僕は、そんな親友に今なれただろうか。きちんと笑えていただろうか。声に淀み淀はなかったか。
「親友ポジションにも、なれなかったかな」
大きく息を吐いた。これで1人反省会は終了。今度こそ彼らを全力で祝福をしよう。
彼らの元へと1歩、足を踏み出そうとした瞬間だった。
「そんなことないじゃないですか」
思わず肩がぴくりと動いた。まるで叱られているような、感情的な発声だった。おそらく声の主は女性だが、聞き馴染みはない。一体誰だ、おそるおそる後ろを振り向いた。
「君は、?」
振り向いた先に居たのは、僕の肩ほどの身長の可愛らしい女の子だった。だが強く眉をひそめ唇を噛み締めていた。スカートの裾を両手で強く握りしめている。見れば誰でも気づくほどに、かなりお怒りのようだった。
「さっきの発言、取り消してください」
僕の問いは彼女の元には届いていなかったようだ。この少女のことは知らないけれど、不思議と彼女の声に耳を傾けていた。依然表情を変えずただじっと僕の方を見つめる。その目には小粒の涙が溜まっていくのが見えた。まるで怒った時の杏子を見ているようだなと内心思ってしまった。
「取り消してください」
彼女の声はいっそう大きくなった。だが彼女の目の先は僕を見つめたままだ。彼女が大きく息を吸うのと同時に、両肩が上がるのが見えた。
「『親友ポジションにもなれなかった』なんて、そんなことないじゃないですか」
真っ直ぐに僕の耳に届いたその声は、怒りや叱りとは違い、僕を励ます声に聞こえた。
彼女は続けた。
「ゆーやさんは、自分の気持ちを堪えて蓮さんを後押ししたじゃないですか」
頬を涙が伝う。
「ゆーやさんは、本気で、好きだったじゃないですか」
声にならない声を最後に漏らしながら、彼女は両膝を地面に着けた。先程まで強ばっていた表情も、両手に塞がれ見えなくなっていた。どうして名前を、どうしてそんなことまでも知っているのだろう。僕は彼女について何も知らないのに。
若干の不安を抱えながらも、必死で言葉を紡ぐ彼女の声には、自然と聴き入ってしまった。
「ありがとう。そこまで慰めてくれる子がいるなんて僕は幸せだな。でも、もう大丈夫だから」
気にしないで、そんな言葉を口に出そうとした。けれどそれをかき消すほどの声が、平原に響いた。
「私がゆーやさんを幸せにしてみせます。だから、もうそんな顔は二度とさせません」
思わず口をつぐんだ。聞き間違いか、僕はたった今、告白をされたんじゃないだろうか。いや気のせいだ。何かの間違いだ。
自分に言い聞かせる。僕はあくまで、親友ポジションなのだから──
「ゆーやさんは、私にとっての主人公なんですから」
月の明かりに照らされた彼女の両目は少し赤らんでいるように見えた。口元はプルプルと震えている。
対して僕は、状況が上手く理解できないでいた。失恋をしたさなかに突如現れた少女に告白を受けているのだ。こんな物語は、僕は知らなかった。
「ありがとう」
まずは感謝を伝えるべきだ。僕を励まそうとしている彼女の思いを無下にするわけにはいかない。
「けれど、ごめん。僕は君のこと知らないんだ。この状態で君の言葉に答えても君を笑顔には出来ないと思う」
少し心は痛んだが、これが最適解だろう。ここで彼女の思いに首肯するような人間は、僕の目指すものとはかけ離れている。
「……たちばな さよ、」
うまく聞き取れなかった。俯いて、小さく漏れ出たその声に先程までの覇気は無かった。橘、そう聞こえた気がするが後半は風にかき消されて耳には届かなかった。
だが次の瞬間、意を決したように目を大きく開き僕に向かって声を上げた。
「橘 さより。ゆーやさん、あなたのことを1年間、毎日毎日想い続けて、追い続けてました」
想い続けて、追い続けた?聞き間違えた。きっとそうだ。たった今初めて会った人間にそんなこと言うはずがない。いや、彼女の方からは面識はあったようだが僕には覚えがない。だって、だってその言葉は……
だってそれではまるで彼女が僕の──
「ゆーやさん。私はあなたのストーカーです」
ストーカーじゃないか。
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僕にもストーカー来ないかな。