第六巻 くまちゃんと針女
初心者が書いています。気になる点があるかもしれませんが、温かい目で流してください。
「雷羽先生。さようなら」
「おう、じゃあな」
雷羽先生は河川敷で、大きな戦いをしたと耳にした。その戦いでかなりの傷を負っていたのに、今ではもういつも通りの生活を送っていた。
生徒の目に入れば、声をかけられる。自分が普通じゃないって分かっているはずなのに、周りと全く違うって分かっているはずなのに、雷羽先生はどうして人間とあんなに親しくなれるのだろう。
第一話「家庭科教師の悩み」
月は皐月になり、季節は夏を迎えようとしていた。俺も生徒もゴールデンウィークの前半が終わり、週央の平日を過ごしていた。
キーンコーン…カーンコーン…。
六時間目の終わりのチャイムがなり、それに合わせて授業を終える。
「起立。礼」
「「「さようなら」」」
帰りのホームルームも終え、今日の業務が終わる。会議もないし、残業になるようなお便り作りも終えている。今日清々しく帰れそうだ。
「雷羽先生…」
「なんだよ。帰ろうとしたのに!!」
「わーっ!?ごめんなさい!!?」
つい声を大きく上げてしまう。仕事の終わりの貴重な自由を、赤い丸眼鏡とか奇妙な理科教師に奪われるかと思ったから。
「なんだ、マチ先生か」
「すみません…。また日を改めます」
「いやぁ、いいよ。別の間抜けかと思っただけだ」
「間抜け…?」
「気にすんな」
やれやれ…。仮にもかわいい後輩だからな。しっかりと面倒を見てやらないとか。
「それで何のようだ?」
あまり時間の食わないことだと良いんだが…。
「相談事がありまして…」
悩み事か…。他の教員の声を借りれば良いのに、わざわざ俺の所に来るってことは、結構深刻かもな。
「聞いてやるよ。話してみな」
鞄を置いて、話を聞く体制になった。
「ありがとうございます」
マチ先生は自分の椅子を持ってきて、俺の近くに寄って小声で話を始めた。
この前の濡れ女戦の俺ぐらいになってたらどうしようかと思っていたが…、思ってたよりは深刻じゃなくて良かった。
「人間ともっと親しくなりたい、か。もう十分な気がするがな」
「そうですかね…」
「ああ。実際、あんた今、一人の生徒を気にかけてるじゃねぇか」
「え?」
俺は知っていた。マチ先生がある女子生徒のことで悩んでいることを。
「多分だが、白井だろ」
「なんで、分かるんですか」
簡単なことだ。昨年、俺が教師になって初めて手を焼いた生徒が、今マチ先生のクラスにいる白井の兄だったからだ。
「小虎さん、少し変わってるんです」
「全く、兄貴そっくりだな。兄妹揃ってシャイとは…」
「えっと…別にシャイとかじゃないですよ」
なんか予想と違ったな。てっきり人見知りで周りと付き合えてないのかと思ってた。
「普段はとても周りと仲良くしてるんです。ある時を除いては…」
「ある時?」
「お弁当を食べる時です」
頭にはてなが浮かんだ。きっと顔もぽかんとした表情をさせているだろう。
「随分とピンポイントだな。ていうか、弁当の日ってついこないだじゃねぇか」
うちの学校では月に一回お弁当の日がある。給食のおばちゃんたちの働き改革がどうとかで設けられている日だ。生徒たちには、人同士の関わりを増やすために社会科の一環として、学校内の好きな場所で食べて良い時間になる。図書室以外でな。
そんな日がついこの前あった。そして明日、その月に一度の弁当の日だった。どうやら、給食のおばちゃんたちはゴールデンウィークの連休を増やしたいんだそうな。
「なぜ小虎さんがその時だけ、一人なろうとしたのか、どこで食事をしていたのか。私、気になって仕方ないんです」
「目の付け所が独特だな、あんた」
マチ先生は鈍感なのか、全くその気はないようだ。
「そこまで気になるなら、その目で確かめれば良いだろ」
「まぁ、そうですけど…」
「一人じゃ不安か?」
マチ先生は目を逸らした。彼女の気持ちを察した俺は面倒ながらも手を貸すことにした。
「しゃあねぇな。人肌脱いでやるよ」
「本当ですか。ありがとうございます」
俯いた顔は嬉しそうな笑顔になっていた。教員の先輩として、少し格好つけてみるか。
「雷羽せーんせ」
マチ先生との話も終わって、やっと帰ろうとした時、馴染みある嫌な声と共に肩に重さがのし掛かった。
「なんだよ…木戸…」
哀しい気持ちをだだ漏れにしながら応えた。マチ先生も少し気まずそうな顔をして、頭を下げてから残業に取り掛かった。結局この日の晩は、木戸との飲みに付き合わされた。ちなみに一滴も酒は飲んでいない。ひたすら鶏の唐揚げを食べていた。
第二話「ムービング・ドール」
木戸と居酒屋で別れた後、俺は明日の弁当の日に備えて食材を買うためにスーパーに向かっていた。
唐揚げはさっきたらふく食ったからな、明日は焼き魚が無難か…。
そんなことを考えながらぼーっと歩いていると、近くから夜の静けさによく響く咆哮が聞こえた。
「なんだ?」
俺は聞こえた場所付近まで行き、周りを見渡しながら咆哮の主を探し回った。
「やめろ…!!来ないでくれ!!」
咆哮の声に近づくにつれ、それとは別の怯えるような情けない男声も聞こえてきた。
たどり着いたのはどこかの路地裏。俺はそっと暗がりの先を覗くと、壁に追い込まれ、何かに怯える中年のサラリーマンの姿があった。しかし、肝心の何かが分からない。
「大丈夫か?おっさん」
何かを確かめるため、直接サラリーマンに近づき声をかける。すると、彼は震える体で対象物を指差した。
「クマのぬいぐるみ?」
紛れもないクマのぬいぐるみだった。ちょこんと座って、とても人間を襲うようには見えなかった。しかし、この場所に置いてあるのも不自然だし、少しだけ悪霊の陰気を感じた俺は、サラリーマンをぬいぐるみから遠ざけるため、ちょっとした芝居をする。
「おっさん、少し飲み過ぎなんじゃないか?こんなかわいいぬいぐるみが、動くわけないだろう。ト◯・ストーリーじゃないんだからさ」
サラリーマンは壁に背をつけ、クマのぬいぐるみを目から離さないように表側の方に行き、情けない声を出しながら逃げ去っていく。
「さてと…」
サラリーマンがこの場から完全にいなくなったのを確認すると、座って動くことのないクマのぬいぐるみを観察する。
「持ち帰るか…」
所々ほつれていて、少し不気味なぬいぐるみを恐る恐る手に取り、持っていたポリ袋に入れ、パーカーのフードにしまい、家に帰った。
家に着いて、帰宅のルーティン(手洗い、うがい、風呂の水を抜く)を済ました後、部屋に戻って、クマのぬいぐるみを机に置いてみた。
「妖気は感じてるんだ。早めに正体を現せば、痛い目は合わないぞ」
話をかけても返事が無ければ、動くこともない。だが俺は蜘蛛妖怪だ。悪霊が取り憑いた人形の本体をあぶり出し方は分かっている。
「デェリャーッ!!」
ドコッ!!
「ウゥリャーッ!!」
バコッ!!
やり方は簡単。まずは対象の人形(今回の場合はぬいぐるみ)を痛めつける。このように、全力で投げて、床や壁に強く打ち付けまくる。こうする事で俺への怨みを溜めさせる。
「木ィ戸ーッ!!」
日頃のストレスをぬいぐるみにぶつけた後、台所に移動する。そして、刃物の付近にぬいぐるみを置いて、あとは放置するだけ。
「ふぅ…スッキリした。寝るか」
台所から部屋に繋がる廊下に出て、その場で足踏みをする。悪霊に俺が台所から離れたと勘違いさせるためだ。少しづつ足跡を小さくしながら、あたかもその場を離れたように仕向けさせ、俺はその場に待機して、彫刻刀を取り出す。すると…、
キィ〜…。
と、金属の包丁立てから包丁を取り出す、金属の擦れる音が台所から聞こえてきた。
「今だっ!!」
俺は彫刻刀をぬいぐるみに投げる。見事に命中し、ぬいぐるみはコロンと台から転がり落ちる。
「ぎゃーっ!?」
ぬいぐるみから悲鳴を上げながら、悪霊が現れた。怨みを持ちやすいこいつらの習性を活かした作戦は上手くいったようだ。
「痛みが…なぜ…?」
「当然だろ。その彫刻刀の刃は妖力や霊力を打ち消す効果を持つ鉱石で出来てるからな」
得意気に説明すると、悪霊は怒りを剝き出しにしながら、こちらに向かって襲いかかってくる。
「貴様ーッ!!」
俺は二本の短鎌を取り出して、右手の鎌を逆手に持ち、こちらに向かってくる悪霊に刃を向ける。
「悪霊退散だ」
「なんだと!?」
悪霊と衝突する寸前に避けて、すれ違い様に鎌で斬り付ける。だが、悪霊は何ごともなく、悠長に話し始める。
「どうやら外しちまったみたいだな」
不気味に笑いながら、俺の方にゆっくりと振り向く。一方俺は相手の方を向かずに言葉を返す。
「いや…。しっかり当たったぜ」
俺はそう言って、術を発動するために手のひらを胸の前やり、力強く拳を作る。
「『糸術・籠目籠目』」
術を唱えると、その瞬間悪霊から悲鳴が上がった。糸術・籠目籠目。相手をすれ違い様に斬った対象に一瞬で糸を巻き、その糸を引くことで相手に斬り刻む技は、悪霊を消滅まで追い込んだ。
「やれやれ…」
ぼろいクマのぬいぐるみに憑りついて、人間を襲うとは趣味の悪い悪霊だったぜ。それにしても、本当にぼろいぬいぐるみだな。なんだか少しかわいそうに見えてきた。よし…。
この時の俺は、次の日の弁当のことをすっかり忘れていた。にも関わらず、ホームセンターに綿を買いに行った。
第三話「友達とお昼ごはん」
結局、昨夜は弁当のことは思い出さずに、日を跨いだ。思いだした時には、朝日が顔を出していて、最悪な気分になった。
「今日はコンビニで済ますか…」
しょんげりしながらそう呟く。
冷蔵庫を開けても冷凍庫を開けても、あるのは調味料と山で拾った大小様々な蛙のみ。さすがに蛙をこのまま持っていくのも気が引けるし、今から調理も出来そうにない。仕方なく俺は支度を済ませて、学校に出勤ついでにコンビニに向かった。ちなみに、朝飯は蛙になってもらった。土蜘蛛の子だし、蜘蛛妖怪に育てられたかなのか、踊り食いも抵抗がない程のため、美味しく頂けた。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」の返ってこない、今は誰もなき家に挨拶をして、家を後にした。
「おはよございます」
「おう。おはよう」
校門を潜って登校してくる生徒たちと挨拶交わす。いつもなら校庭の、生徒に目のつかない桜の木に登って、くつろいでいるところだが、今日は生憎の挨拶登板だった。ほとんどの生徒は挨拶を返してくれるし、服装違反をしているやつに注意しても基本的には聞き入れてくれるから、別に嫌ではない。だが怠け者の俺としては、日向ぼっこしてた方が良いと、心の底から思ってしまう。
キーンコーン…カーンコーン…
朝一発目のチャイムが鳴り、ぎりぎりに登校してきた生徒は走って教室に向かう。その背中を見送りながら、俺も職員室に戻った。
「おはよう、雷羽先生。あれ?お弁当は?」
職員室に着いて、自分のデスクに座るやいなや、隣で仕事していた木戸が話をかけてくる。いつもとは別に、レジ袋に入れて持っていたからだろう。木戸はすぐに俺が弁当を持っていないことを指摘してきた。
「コンビニ飯だ」
バカにされるのが目に見えている上で、木戸に話を返す。予想通り木戸は揶揄しながら、ウザ絡みしてきた。
「今すぐにでも、お前のその赤い丸メガネをかち割りたいところだが、今日は暇じゃない。後にさせてもらうよ」
と、言い残して、話しながら書いていたマチ先生への置き手紙を彼女のデスクに置いて、荷物を持って教室に向かった。
時刻は回り、四時間目の授業を迎えていた。普段ならこの時間に授業を持っていないため、職員室にいるが、今回はマチ先生のクラスの自主学習時間を見ることになった。なんとも、理解の担当教師が休みなんだとか…。豪羽のやつ…。通常なら担任に任せる状況だが、マチ先生は他のクラスで家庭科を教えにいっているため、行かざるをえなかった。
「昼飯まで後一時間だ。集中してやるように」
そう生徒に言って自習を開始させる。教室を一周して、しっかりと取り組んでいるかどうかを確認した後、俺は教師の席に座る。自分がいつも座る椅子じゃないのが、少し落ち着かない。だが、何もしないのも退屈だ。そこで俺はとある作業に取り掛かる。
それは昨日拾ったクマのぬいぐるみの修復だ。俺は持ってきた裁縫道具を開いて、短針を手に取る。そして、糸を術で生み出し、操って針の穴に通す。
一応昨夜、これ以上ボロつかない程度に、洗剤で手洗いして、しっかりと乾かしてはある。除菌スプレーも振りかけている。完全とはいえないだろうが、そこそこ綺麗にはなっているはず…。まぁ別に誰かにあげるわけじゃないから、気にはしないけど…。
そんなことを考えながら針を進めていると、なにやら視線を感じた。
「…あっ…」
視線を感じた先に目線をやると、一人の女子生徒がこちらを見ていた。彼女は目が合うとすぐに逸らしてしまった。
あいつは確か…。
マチ先生の机のマットに挟まっている座席表を見る。
「…やっぱり…」
彼女がマチ先生が気になっていると話していた生徒、白井子虎だ。俺の作業が気になるのか、その後も高頻度でこちらを見ては、目が合う度目を逸らした。
キーンコーン…カーンコーン…。
授業の終わりの鐘がなり、挨拶も済ませる。周りが弁当を食べるための場所取りでざわつくなか、どさくさに紛れて白井の後を付ける。途中にマチ先生とも合流して、尾行が周りからも気付かれぬように自然な立ち回りで、後を追った。
後を追って辿り着いた先は、体育館の裏。人気がまるでなく、静けさが漂っていた。そんな中、白井はカバンからシート取り出し、地面にそれを敷く。一人で使うにはかなり出かかった。
「誰かと待ち合わせしてるのでしょうか?」
最初は俺もそう考えた。だが予想が外れていることがすぐに分かった。白井はデカめのシートを敷き終えると、再びカバンに手を入れ、いくつかのぬいぐるみを取り出した。うさぎや虎、クマなど多種様々だった。
「いただきまーす」
ぬいぐるみを並べると、楽しそうに食事を始めた。ぬいぐるみに話しかけては、自分の声を変えて、まるで会話をしているように振る舞う。
「普段の白井さんじゃないみたいです…」
「なるほどな…」
彼女が先ほどジロジロこちらを見ていた理由を察する。あいつはかなりのぬいぐるみ好きのようだ。そして、人との関係に不安を感じてる。だからあいつは、一人になれる時間、この弁当の日を利用して他人に打ち明けられない自分をぬいぐるみ相手に出していたんだ。
「なぞが解明したな」
「はい…」
マチ先生は少し浮かない顔を浮かべていた。
「どうした?」
「いやぁ…私、白井さんの気持ちを気づいてあげられなかったなあって…」
「仕方ねえだろ。あんたはまだ新人なんだ。それに純度百パーセントの妖怪だ。人間の気持ちを理解するには難しいに決まってるだろ」
俺もまだ教員二年目だ。だからマチ先生の言ってることもよく分かる。
「すぐに一人前になろうとしなくて良いんだ。俺だってまだまだ半人前なんだ。ゆっくりじっくり成長してけばいい」
少しそれっぽいこと言えたか…。先輩として良いアドバイスが出来たと良いのだが…。
「私、正直まだ雷羽先生をどこかで敵視していたところがあったんですけど…」
マチ先生が言葉にしていた途中、白井の座っている目の前に、大きな落下音とともに、二体の妖怪が落ちてきた。
第四話「蜘蛛妖怪、現る、現る」
土煙を立てるほどに勢いよく落ちてきた。土煙が晴れると、二体の妖怪が武器で争う姿があった。そのうちの一体は正体がすぐに分かる人物だった。
「蟻蜘蛛兄さん」
突然の出来事に俺は思わず名前を呼んで、物陰から身を出してしまう。そのせいで、白井もこちらの存在に気づいてしまった。
「やべっ…」
一方、蟻蜘蛛兄さんともう片方は戦いに必死になって、こちらには気づいてはいなかった。
「蟻蜘蛛…。いつも私の邪魔ばかりして、暇なんですか?」
「まあ…最近の言葉で言うなら「ニート」ってやつだからね」
二人の戦いは会話を挟むほどの余裕はあるようだが、周りを気にする考えはまるでないようだ。
「『炎術・送り火』」
蟻蜘蛛兄さんは相手の攻撃を躱し、腹部に手のひらを当て、得意の炎術を使い、相手を吹っ飛ばして互いの距離を取る。
「くっ…」
相手は怯む姿を一瞬見せるが、すぐに体勢を立て直し、妖術を放とうと構えを取る。
「『死術・髑髏』」
彼女が術を撃つと、蟻蜘蛛兄さん目掛けて青い炎を纏った骸骨の頭が、カタカタと音を言わせながら向かっていく。
「『炎術・岳散炎』」
それを迎え撃つように、蟻蜘蛛兄さんも負けじと沢山の火球を放ちまくる。二人の妖術はぶつかり合い、それは白井の方まで飛び火した。
「あああ~もう!!」
俺は覚悟を決めて、二人の戦いに白井が巻き込まれないよう、彼女の前に立ち、糸術で障壁を張る。
「雷羽…先生…?」
「今は何も言うな。じっとだけしとけ…」
躊躇いはあるが、今回は仕方ない。これしか白井を守る方法が思いつかなかった。
「ん?あれは…」
先にこちらの存在を気づいたのは、見知らぬ蜘蛛妖怪。白銀の長い髪に、灰色の瞳をさせ、水色の帯の白い和服を召した少女の蜘蛛妖怪だった。
「半妖怪の土蜘蛛。あの濡れ女との戦いで死んだかと思っていましたが…」
なぜあの戦いのことを…。
「まあ良いです。ここで始末すれば済む話ですから」
そう言い放つと、蟻蜘蛛兄さんに骸骨を放ち続けながら、こちらにも術を撃ってくる。
「やばい…」
青い炎が俺の糸術の障壁にひびを入れ始める。このままここで受け続けても、白井まで犠牲になってしまう。それはなんとしてもさけねぇと…。
「白井…今から目にしたこと、誰にも話さないって…約束してくれるか…」
まるで脅しだ。自分が情けなくなった。自分の正体を明かしたら最後、俺は教師でいられなくなることを理由に、一人の生徒すらまともに助けられないなんて…。
「分かりました。でも、条件があります」
白井は立ち上がって、自分の胸に拳を軽く当てて、不安を感じながらも話を続けてくれる。
「必ず生きて、帰って来てください」
俺はその言葉を聞いて、目が見開くほどにはっとした。
「先生が一生懸命に修復してたあのクマのぬいぐるみ、綺麗に仕上がるの、楽しみにしてるんですから」
戦う意志が漲ってくる。鵺や濡れ女との戦いで、生徒を守る決意を固めたのに、いざその状況を前にしたら情けなく懇願する自分に強い鞭を打ってくれた。
「分かった。必ず帰ってくる」
そう彼女に言い残して、俺は地面を強く蹴って瞳を水色に変えながら妖力を解放し、障壁を盾にして青い炎を返しながら、相手に突っ込んだ。
「くっ!?」
ぶつかると同時に、相手の妖術も治まる。蟻蜘蛛兄さんも炎術を止め、加勢するようにこちらに飛んでくる。
「たあっ!!」
俺は相手と少し距離を取り、蟻蜘蛛兄さんはその隙に拳の攻撃を仕掛ける。見事な連携が連なり、こちらが優勢になる。
「うっ!?」
白銀の女蜘蛛妖怪は腹を抱えて怯み、こちらを睨みつけてくる。
「あんた、何者だ。なぜ俺たち蜘蛛妖怪と戦う」
相手の情報を聞き出そうと質問をするが、返ってきたのは答えではなく、気味の悪い妖術だった。
「『死術・霊魂融合幽囚生類』」
陰気を纏った青紫の濃い煙が一直線に向かってくる。俺たちは左右に別れてその妖術を避けた。しかし、それは良くない判断になってしまう。
「しまった!!?」
その妖術は俺たちを狙って放っていなかった。最初から背後で俺たちの戦闘を見ていた白井を狙っていたのだ。
「きゃーっ!!」
青紫の煙は瞬く間に白井を包み、虎のぬいぐるみと共に宙に浮かせる。
「ケタケタケタケタ…」
今度はそれ目掛けて、不気味に笑う死霊が憑依する。白井とぬいぐるみはあっという間に煙に飲み込まれ、その煙が膨張すると一瞬で消散し、『白虎』の姿が現れる。
「ガオーンッ!!!」
白井の声が入り混じったような雄叫びが、周囲に鳴り響く。
「半妖怪の土蜘蛛。私はあなたに名乗る気は一切ありませんが、あなた方と戦う理由は教えてあげましょう私はだらけきった蜘蛛妖怪をかつてのように正すのが目的。その計画を果たすには、あなたみたいな余所者が邪魔なんですよ」
不敵に笑いながら、こちらを威圧するように話した。
「では、またどこかでお会いしましょう。まあ…怨み持ってを彷徨う死霊と、様々な不安を抱え生きる人間。二つの負を兼ね備えたこの『白虎・擬』に勝てたならの話ですがね」
そう言い残して悪い笑顔を浮かべながら、紫の妖煙とに身を包んでその場から消えた。
「追うな、雷羽君。どうせまた姿を現す」
「蟻蜘蛛兄さん。なんだよ、蜘蛛妖怪がだらけきってるって…。それにあいつは一体…」
俺は蟻蜘蛛兄さんの方を向かずに、出ずらい声を震わせながら聞いた。
「あとで話すよ…。今はあの白虎を…」
第五話「運命を分ける糸」
俺の油断で白井が妖怪にも変えられてしまい、気が動転してしまう。
「ガオーッン!!!」
周囲に響く白虎の雄叫び。俺にはそれが、白井が助けを求める心の叫びだと感じた。
「炎術・光炎…」
「待ってくれ兄さん」
俺は妖術を撃とうとする蟻蜘蛛兄さんを引き止める。そして、俺の想いを伝えた。
「約束したんだ。あいつに手縫いで直したぬいぐるみを見せるって…」
蟻蜘蛛兄さんは黙って話を聞いてくれた。
「俺はあいつを助けたい。俺の我儘、聞いてくれないか…」
「まったく、本当に世話の焼ける弟だ」
大きくため息を吐いた後、蟻蜘蛛兄さんはそう言い、話を続けた。
「まあ…彼女がああなってしまったのは、僕の責任でもあるしね。手を貸すよ。彼女を死霊と分離させる方法が一つだけある」
「なんだ?」
「糸術だ」
話している間に隙ありと感じたのか、白井を取り込んだ白虎・擬はなりふり構わずこちら攻撃を仕掛けてくる。
「糸術…一体どうやって?」
二人で鋭い爪を振るう攻撃を躱しながら、話を続ける。
「糸術は、妖気を持たないものに対しては、ただの糸に過ぎない。その力を利用すれば、死霊だけを倒して、生体を分離させることなんて容易い。ただ…」
「ただ?」
「あの白虎を完全に葬るつもりで、技を撃て。生温い術をぶつけても、一体化が進むだけだ。全力でやれ」
生徒に妖術を撃つなんてやりたくないが、今はやるしかねぇか。
「僕が隙を作る。とどめは頼んだよ」
そう言って蟻蜘蛛兄さんは地面を蹴って、白虎・擬に攻撃する。
「『炎撃蹴り』」
炎を纏わせた蹴りを喰らわせ、白虎・擬の狙いを蟻蜘蛛兄さんに向ける。
「糸術…」
俺は右手に妖気を集中させて、超強力な糸術を放つ準備をさせる。無数の鋭い糸を束にさせ、両端に鋭利な鋭角を描いた双円錐を作り出す。
「ガオーッ!!」
一方、蟻蜘蛛兄さんに矛先を向けた白虎・擬は口を開けて、そこに妖気を集中し、溜まった妖気を光弾にして放つ。その光弾を蟻蜘蛛兄さんは鎌を回して、弾き飛ばす。
「ガァーッ!!」
光弾を弾かれた白虎・擬は蟻蜘蛛兄さんの周りを高速に動いて、何匹かで兄さんを囲んだように見せる術を使う。
「目眩しのつもりかな?僕にはバレてるよ」
蟻蜘蛛兄さんは鎌を振り下ろして、柄で白虎・擬をぶん殴る。そして、怯んだ相手の後ろ足を両腕で抱え、ドラゴンスクリューをする。
「ガァ…アッ…」
いい当たりだったようだ。白虎・擬の息は上がり、動きは鈍くなっている。俺の糸術ももう少しで完全になる。もう少しの辛抱…。
「ガァーッ!!!」
「しまったっ!?」
「ーッ!!?」
白虎・擬がこちらに向かって風のような速さで走ってきた。こちらの策に気づいたのか…。まだ完全じゃねぇけど、やるしか…。
「はあっ!!」
その時、白い髪が俺を守るよう包み込む。そのお陰で、俺は術を放たずに最大まで妖気を貯めることが出来た。あとはこれを確実に当てるだけだ。
「雷羽先生、少しだけ堪えて下さい」
マチ先生、一体何を…。
「どわっ!?」
俺を包んだ髪玉が浮いたのか、ふわっとした感覚足元を襲う。
「ガァーッ!!?」
何かに追突する音が外から聞こえた。そして、視界が急に明るくなる。目の前には怯んで動きが止まった白虎・擬の姿があった。
「今です!!雷羽先生!!」
「『鋭尖糸束』!!」
全力の糸術を振り下ろして、白虎・擬を真っ二つに切り裂く。白虎・擬の姿は消え、トラのぬいぐるみを抱いた白井と彼女に取り憑いていた死霊が分離する。
「クソッ。せめてこのまま終わると…」
俺は一瞬で白井のことを抱える。そして、マチ先生と共に白井の体に再度取り憑こうとする死霊の前に立つ。
「俺たちの大事な生徒に」
「二度と手を出すんじゃねぇよ」
マチ先生と同時に死霊に向かって拳を叩き込む。
「うぎゃーっ!?!?」
強力な一撃を貰った死霊は存在のない体を保つことが出来ず、そのまま消滅していった。
「ふぅ…。ありがとな、マチ先生」
「い、いえ…。私は白井さんを助けたくて一心で…」
何かを誤魔化すかのように早口でマチ先生は話した。
「それに…、私の憧れの先輩だったらどうするか考えた時、自分が何者であろうと生徒を守るために咄嗟に動くな、って思って…」
「そうか…。憧れの先輩か…」
「ああもう、忘れてください」
「なんでだよ。別に良いだろ」
「恥ずかしいですから…」
顔を赤ながら目を逸らした。
「まぁ、良いや。白井を頼んだ。荷物は俺が後で持っていってやる」
「分かりました」
マチ先生に白井を預けて、保健室に連れて行くように頼んだ。白井を抱えて、この場を後にしようとするマチ先生を呼び止め、話をする。
「妖怪は、人間と仲良くするのは難しいかもしれねぇ。でも、妖怪なら妖怪なりの考え方で人間と接すれば良いんじゃないか」
「私に出来ますかね…」
「出来るさ。生徒を守るために妖怪として動けたあんたならな」
妖怪である以上、人間の気持ちを理解するのは難しい。でも、これを機にマチ先生も、生徒の気持ちくらいは分かることが出来るようになれたかもしれない。そう願いながら、蟻蜘蛛兄さんの方に向かった。
第六話「赤赫刃の蜘蛛妖怪」
「それで、蟻蜘蛛兄さん。さっきの話の続きを聞かしてもらおうか…」
俺はパーカーのポケットに手を入れて、先ほど現れた女の蜘蛛妖怪と、かつての蜘蛛妖怪について問いただす。
「いつか話さなきゃならない日が来るとは分かっていたけど、こんなに急だとは思わなかったよ」
「もったいぶってねぇで、さっさと話してくれ。まだ、仕事があんだから」
まだ五時間目と六時間目の授業が残ってる俺は、ここで蟻蜘蛛兄さんとゆっくり話す余裕はなかった。
いつものにこやかな表情から一変し、目を鋭くさせて真剣な眼差しで話を始めた。
「僕たち蜘蛛妖怪は、かつて二つの組織に分かれていた。僕たちのように、現世で彷徨う霊をあの世に導く『蒼耀刃』」
知らなかった。固有の名前があったなんて、考えもしなかった。霊を導くことが、蜘蛛妖怪の仕事だと思っていたから。
「そして、もう一つの組織が『赤赫刃』だ」
どちらも聞かぬ言葉だが、蒼耀刃の役割は分かった。しかし、赤赫刃は一体何をする組織なんだろうか。
「赤赫刃は現世で生きるに相応しくない命をその場で刈る組織だ」
「なんで、そんなことを…」
そもそも、蜘蛛妖怪が命を奪うのは、禁止されていたんじゃなかったのか…。
「人間を醜い生き物だと思っていたからだよ。領土を奪い合って、命まで奪い合う人間に呆れたのさ。だから、罪のない命を奪っていく、野蛮な命を滅するために蜘蛛妖怪の当時の長は赤赫刃を結成し、命を刈っていった」
確かに、昔の人間の考え方には理解しかねるところもある。だが、命を奪う権利は無関係である蜘蛛妖怪が介入する資格なんてねぇのに、なんでそんなことを…。
「赤赫刃の活躍が大きく見られて、時期に命を奪い合う国は少なくなり、人間たちは平和な道を自らの手で掴もうと努力し始めた。しかし、そんな中、赤赫刃の蜘蛛妖怪は命を奪う快楽を覚え始めて、無差別に殺しを楽しみ始めた。人間、妖怪、男だろうが女だろうが関係ない子供だって、赤赫刃の蜘蛛妖怪たちに殺されていった。彼らはただの怪物になっていった」
酷い話だ。かつてはそんな蜘蛛妖怪が存在していたなんて…。考えたくねぇ、信じたくねぇ…。今の蜘蛛妖怪は皆んな優しくて親切だから、余計にそう思う。
「その赤赫刃は、今はどうなってんだよ」
「あぁ…。閻魔王が現在の代に変わり、蜘蛛妖怪の長も父上が選ばれたことで、赤赫刃は解散を命じられ、今の規則が制定された。だから、もう赤赫刃はいないよ」
「でも、赤赫刃は諦めが悪かった」
「まさか…!」
「そう…。さっきの女が…ッ!!?」
蟻蜘蛛兄さんが先ほどの女の真相を明かそうとした瞬間、兄さんの胸を何かが貫く。
「蟻蜘蛛兄さんッ!?」
貫かれた蟻蜘蛛兄さんは地面に倒れて、意識を失う。いつもなら不意を突かれても、簡単に対処して避けてしまうのに…。えげつねぇ術の使い手だ。
「赤赫刃は確かに解散した。しかし、同時に蜘蛛妖怪の名も捨てた…」
「誰だ!?」
フードで顔が見えないが、和風なローブを纏った女だってことはだけは分かった。それに、こいつこの前の濡れ女並に妖力が高ぇ…。
「あんたがよく知る妖怪よ」
そう言って、女は倒れた俺に対して妖術を放ち、倒れた蟻蜘蛛兄さんの側にいた俺を吹っ飛ばす。
「どわっ!?冷たっ!?」
氷の妖術か。痛ぇし冷てぇ…。かっちかちの雪玉を豪速球で投げられ、それを思いっきりぶつけられた感覚が胸部を襲ってくる。
「待てっ…。兄さんをどこに連れてく気だ」
俺は一本だけ鎌を取り出して、女に反撃しようとする。が、立ち上がった直後、木の根が俺の動きを封じる。
「あまり暴れない方が良いよ。体、斬れちゃうから」
氷の妖術を使う女とは別の女が、そう言って術の妖力を高め、俺に痛みを与える。
「ぐっ…」
氷の妖術を使う女は蟻蜘蛛兄さんを担いで、紫煙に包まれて姿を消した。そして、俺を拘束していた桃色の髪で黄緑の和服を着た女も姿を消した。同時に動きも自由になるが、その場に膝を着けてしまう。
「今のも、赤赫刃の蜘蛛妖怪…。無差別に命を奪っていった、化け物…」
もしも、それが本当なら、マチ先生の姉を殺した蜘蛛妖怪もあいつらなんじゃ…。
「マチ先生…」
俺は急いでマチ先生の所へ向かった。
______________________________________________
私は白井さんを保健室に連れて、あとは養護の先生に任せて、その場を後にした。そして、次の授業の教室に向かう。
「マチ…」
予鈴がなる廊下を歩いていた時、何年も聞いていない懐かしい声が私の名を呼ぶ。私は誰もいないはずの廊下で後ろを振り向くと、目頭が熱くなるほどに会いたかった人物がいた。
「姉…さん…」
最初は白井さんと一緒に保健室で寝てしまって、夢でも見てるのかと思ったが、色んな疑問も吹っ切れるほどの嬉しさに、少しも疑うこともなく、姉さんに飛び付いた。
「姉さんっ…。会いたかったよ…」
姉の温もりが私の心に空いていた穴を埋めるような感覚と、亡くなったはずの姉が私の側にいることの嬉しさが相まって、涙が頬を伝う。
「あたし…てっきり…蜘蛛妖怪に…あああああっ…」
「落ち着いて、マチ」
姉は私のことを抱き寄せ、優しく語りかけ、昔のように泣く私を落ち着かせる。
「うぅ…ぐすんっ…ひぐっ…」
「可愛い妹を一人にするわけがないじゃない」
「ぐすっ…姉さん…」
姉との突然の再会に仕事のことも忘れてしまっていた。思い出せたのは、聞き馴染みのある男の人の声がどこからか私を探す声が聞こえたからだ。
「ごめん姉さん、仕事に戻らなきゃ…」
姉に抱きつくのをやめる…。
「…そう…。頑張りなさい。あっ、そうだマチ」
私が教室に再度向かおうとした時、姉が呼び止める。
「私と会ったことは、誰にも話してはダメよ」
私は振り向いた瞬間、姉は空中を浮かびながら、私の顎を指でくいっと上げてそう言った。
「また会いましょ、私の大事なマチ」
そう言い残して、薄らと消えていった。
「マチ先生。なにかあったか?」
雷羽先生は少し慌てた様子で、私に話しかけた。最後の姉の言葉がよぎり、私は「いえ」とだけ答えて、話を濁した。
「早く教室行かないと、授業に遅れちゃうますよ」
その場から逃げるようにそう言って、その場を後にし、涙を拭きながら急いで教室に向かった。
〜次回のお話〜
学外学習の下見のために、福島県の会津に向かった。僕たち御一行。そこで待ち受けたのは、デカく恐ろしい怪獣?妖怪とか死霊とかを相手してきた雷羽先生にあんなの倒せるの?秘策があるって…
次回、『半妖怪の導き 第七巻「学外学習を成功させるために」』
お楽しみに〜
「俺が理性を失ったら、お前が殴って止めてくれ…」
読んでくださりありがとうございます。そして、前作の投稿からかなり空いてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
投稿のペースは、都合も相まって一定ではありませんが、今後も雷羽先生の活躍の応援をよろしくお願いします。