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第十一巻 山ノ浦中学校七不思議

ようこそ。妖怪たちが蔓延る世界へ。


気になる点があるかもしれませんが、温かい目で流してください。

 雷羽がシン(狂骨)に飲みへつられている頃。山ノ浦中学校では、戸締りをする教師と用務員がいた。これはその二人が階段で二階に向かう途中の話。


「夜の戸締りが怖いっていくつですか」


「す、すみません…。で、でも、よく言うじゃないですか。…。誰もいない音楽室から楽器の音がするとか…」


「『七不思議』ってやつですか?なるわけないじゃないですか。あんなのくだらない噂話でしょう。──佐々木先生…?」


 第一話「双子の片割れ」


 月曜日。朝の職員室にて、会議が行われていた。あまり楽しい内容ではないようだった。

 朝の会議を終え、俺は重い足取りで教室へ向かった。出席確認を終えると、教卓を軽く叩いて生徒たちの注意を引く。


「……あー。連絡事項がある。皆も国語の授業で世話になっている佐々木先生が、しばらく休みに入ることになった。理由は、質の悪い夏風邪だそうだ。しっかり治り次第戻るそうだが、それまでは学校に来ない」


 そこまで話すと、案の定、教室内がざわつき始めた。「まじで?」「ラッキー!」と拳を突き出す不届き者もいれば、真面目な女子生徒たちは「大丈夫かな」と心配そうな声を上げている。


「静かにしろ。…それでだ。国語はしばらく無し、自習にする」


 一瞬、クラスが歓喜に沸きかけた。だが、俺はニヤリと口角を上げて、その希望を打ち砕く。


「…というわけにもいかないのが、この学校の世知辛いところだ。佐々木先生が戻るまでの間、国語は他の教師が務めることになった。せいぜい、楽しみにしとけよ」


 俺の言葉に、生徒たちが「えーっ?」「誰だろう?」と顔を見合わせる。


「それともう一つ。他クラスや他の学年で、欠席者が続出している。寒暖差で体調を崩しやすい時期だ。体調管理を勤しむように。以上、解散。授業の準備」


 と言った感じで話して、教室のデスクの椅子にもたれかかったが、中身の内容はほとんど偽り。国語担当の佐々木先生は夏風邪なんて情報はないし、生徒の欠席理由も体調不良ではない。

 端的に言えば、行方不明だ。

 欠席の連絡が来るより先に、保護者からは自分の子供が帰ってきてないという連絡が数件あった。佐々木先生も連絡が取れていないし、他にも用務員の姿もない。

 不審者情報も警察からの通告もないこの状況。考えられるのは、怪奇。


「七不思議か…」


 俺はデスクに頬杖をついた。すると、一人の生徒な声をかけてくる。


「雷羽先生、またいつもの独り言ですか?」


 美化委員でも面識があり、前に鵺が召喚した猿共から守った「如月伊央里(きさらぎいおり)」だ。


「ああ。…いや、なんでもない。ちょっと授業の構成を考えてただけだ」


「にしては、随分怖い顔してましたよ」


 俺が答えると、今度はもう一人の生徒が伊央里の背後から覗き込んでくる。『朱里雀(しゅりすずめ)』だ。

 二人は共に美化委員を務めており、さらには俺が副顧問をしている吹奏楽部の部員でもある。どちらも俺の管轄ということもあって、必然的に関わる機会は多かった。そのせいか、最近では担任である俺に対して、妙に遠慮のない構い方をしてくる。


「お前ら知らないだろうから教えておくが、先生って大変なんだぞ。気難しい表情くらいするさ。それで、何の用だ」


 俺が用件を尋ねると、いつも明るい朱里の表情が、目に見えて曇った。伊央里も不安げに視線を落としている。


「実は、助けてほしい子がいて…」


「助けてほしい子?」


 キーンコーン…カーンコーン…。


 聞き返した瞬間、最悪のタイミングで、無機質なチャイムが教室や廊下に鳴り響いた。生徒たちが一斉に自分の席へと動き出す。


「すまない。また後で俺のところに来てくれ」


 俺は朱里の目を見て、短くそう告げた。

 朱里は何かを言いかけ、けれど小さく頷くと、伊央里と共に自分の席へと戻っていった。

 二人の背中を見送りながら、俺は胸のざわつきを抑えられなかった。

 今の朱里の言い方は、単なる喧嘩や悩み相談の類じゃない。行方不明者が続出しているこの状況で、彼女たちの口から出た「助けてほしい」という言葉。

 頭の中で嫌な想像が膨らむ最中、俺は教卓を立ち上がり、国語の教科書を開いた。


「日直、挨拶を」


 俺は今日の日直に指示を出すと、なぜか戸惑いながら挨拶をした。


「起立、礼…」


 当然だ。普段美術を担当している俺が、国語の授業で教壇に立っているのだから。

 挨拶を終えると生徒を着席させて、自分は教卓に体重をかけて楽な体勢を取る。


「見ての通り、佐々木先生の代打は俺だ」


 俺がそう宣言すると、教室内には静まり返ったような、あるいは「マジかよ」と言いたげな、なんとも言えない微妙な空気が漂った。

 普段は美術室で絵筆を握ったり、粘土をこねたりしている男が、神妙な顔をして黒板の前に立っている。生徒たちからすれば、放課後の部活動の延長線に迷い込んでしまったような、居心地の悪さがあるんだろう。


「なんだその顔は。俺はただの絵描きお兄さんじゃないんだぞ」


 なんとかクラスの数箇所から小さな失笑が漏れた。少しだけ、空気が軽くなる。

 だが、俺の心臓の奥にある、あのざわつきは一向に収まらない。


「えっと、どこまでやったんだ?」


 気持ちを切り替えて、俺は生徒に尋ねる。

 どうやら古典分野のようだ。ありがたいことに得意な項目だ。美術をやる人間にとって、古い物語や絵巻物は切っても切り離せない背景知識だからな。

 俺はどこまで読み進めたのかを生徒たちに聞き、続きを読んでは読ませて、現代語訳を板書していった。黒板に文字を書くなんて何時ぶりだろう。

 何本かチョークは折ったが、着々と授業は進み、気づけば終わりのチャイムが鳴っていた。


「よし、今日はここまでだ。日直」


「起立。礼」


「「「ありがとうございました」」」


 号令と終わりの挨拶を終えると、生徒たちは各々休み時間に入った。教室にガヤガヤとした喧騒が戻る。そんな中、朱里と如月はデスクに座る俺のもとに来る。二人に連れられてきたのか、もう一人の女子生徒の姿もあった。

 目が隠れるほどの前髪で表情こそ読み取りにくいが、浮かない雰囲気をさせてやってきたのは、「武井玄乃(たけいくろの)」だった。入学式の時、俺と木戸が最初に出会い、教室まで案内した男女の双子の妹の方だ。


「武井…。何かあったか?」


 武井が朱里たちの言う「助けてほしい子」というのを察した俺は、すぐに話を聞き出した。


「…」


 だが、武井は黙ったままだった。長い前髪で隠れた瞳は伏せられ、固く結ばれた唇からは言葉がこぼれてこない。


「ここでは、話しづらいか?」


 視線を下に落としたまま、武井は小さく、けれど切実な様子で頷いた。


「朱里、如月。次の授業の先生が来たら、武井は俺と話して少し遅れると、伝えておいてくれ。なるべく早く終わらす」


 二人は「わかりました」と顔を見合わせ、不安げに武井を一度振り返ってから、この場を離れて行った。

 俺は、武井を連れて廊下に出て、美術室へと向かった。


「ここなら話せるか?」


「…はい」


 虫の羽音ぐらい小さな声で、彼女はようやく肯定を返した。俺はそれなら良かったと思いながら、自分がよく一人で考え事をする時に座る席に腰を下ろす。


「あの…ッ!」


 俺が椅子に座る間際、さっきまでの消え入りそうな声が嘘のように、武井が悲鳴に近い声を上げた。

 座りかけた俺の身体が、その切迫した響きに反射的に止まる。


「どうした急に…?」


「先生は…、雷羽先生は…、普通の『人』じゃないんですか…」


 その問いは俺の胸をキュッと締め付けた。

 怯えるように一歩後退りし、自分を抱きしめる武井。その瞳には、得体の知れない怪異を見つめる時と同じ、混じりけのない「恐怖」が宿っていた。


「何故それを…」


「否定…、してくれないんですね…」


 俺は冷静さを保つのに精一杯だった。隠してきたことを、自身が半妖怪ということを、ずっと黙っていたのに、今ここで自クラスの生徒に暴かれたのだ。


「ああ…。バレちまったなら、隠すこともないからな」


 俺は瞳の色を水色へと変え、武井の方を見つめた。そして、指先から出した細い糸を紡ぎ、少し太い糸を作って得意なあやとりをして見せる。


「いつどこで見抜かれちまったのか知らねえが、お前の言う通り、俺は普通の『人』じゃない。妖怪と人間の間に生まれし存在だ」


 目の前の事実を受け入れきれないのだろう。武井に口は開いたまま閉じない。前髪の裏から、俺の糸裁きを眺めるだけだった。

 「網」から「川」、「馬の目」などと一人あやとりを一通り披露する。


「なんで黙ってたんですか…」


 ようやく絞り出されたのは、意外な言葉だった。悲鳴を上げて、逃げだすかと思ったが、意外と根性あるな。


「人ならず者は、正体を隠したくなるんだよ。それに、『俺人間じゃありませ~ん』っていう教師、やばい奴に決まってんだろ」


 おどけた口調で言って、俺は一人あやとりを止めた。指先に絡んでいた銀の糸をすっと解くと、それは行き場を失った煙のように空中に消滅した。


「黙ってて、悪かったな」


 それから、俺は瞳の色をいつもの色へと戻した。人外の冷たい輝きが消え、美術室の薄暗い光に馴染む、ありふれた人間の瞳に。

 武井はまだ呆然としていたが、俺が「普通」の姿に戻ったのを見て、ようやく肺に溜まっていた息を小さく吐き出した。


「本当に、妖怪なんですね…」


「怖かったか?」


「いえ…。もっと怖い思いは、もうしてますから」


「なんだって?」


 つい、間の抜けた声が出てしまった。目の前で担任が指から糸出して、あやとりしだすんだぞ。これより怖いことないだろ。


「妖怪だって聞いたから、もっと恐ろしいものを想像しちゃってました。でも、雷羽先生は雷羽先生でした」


 その言葉にほっとさせられる。少しだけ口角が上がっていた。

 俺が人間じゃねえって言っても、この対応か。白井といい、こいつといい、出来すぎた生徒が多いな。今年の一年はよ。


「ところで、もっと怖い思いをしたっていうのは……」


 俺が問い返すと、武井は視線を落とし、自分の両腕を抱くようにして身体を縮めた。美術室の窓から差し込む光が、彼女の顔に深い影を落とす。


「私の兄を…、『玄斗(くろと)』を助けてください…」


 第二話「歪な放課後への招待状」


 俺が正体を明かす時よりも遥かに怯えた様子だった。ずっと堪えていたのだろう。前髪に隠れた瞳から、涙が溢れて頰を伝っている。


「玄斗…」


 一組、木戸のクラスの生徒だ。

 武井玄乃の双子の兄であり、学年でも指折りの秀才だと聞いている。


「兄貴に何かあったのか?」


「玄斗が、私を庇って…」


 何かトラウマを思い出してしまったのか、武井は声を震えさせていた。彼女は両手をぎゅっと握りしめ、唇を噛みながら言葉を紡ぎ始める。


「玄斗と二人で帰っている時、不気味な仮面をつけた人に襲われて、玄斗が捕まっちゃったんです。その人が、玄斗を解放して欲しかったら、紫の衣服を着た半妖怪を連れて来い。さもなくば、玄斗の命はないって脅されて…」


 なるほど、だから俺の正体を知っていたのか。にしても、俺の生徒を怖がらせてまで俺を呼び出すとは、喧嘩の売り方が上手いやつだな。虫唾が走るぜ。


「ありがとな、話してくれて。怖かったな」


 武井に歩み寄りながら、そう話していると、彼女の背後から怪しげな妖気を感じた。その瞬間、武井目掛けて赤色のマフラーが弾丸のような速さで飛んでくる。


「『糸術・糸巣空間』!!」


 俺は咄嗟に自分と武井を囲むようにドーム型の蜘蛛の巣を張り、何とか身を守る。

 銀色の糸が幾重にも重なり、空間を歪ませながら壁を作る。マフラーが激しく叩きつけられるたび、糸がビリビリと悲鳴を上げるように振動した。

 しばらくすると、そのマフラーは渦になっていった。


「なんで『あいつ』の術が…」


 あの赤いマフラーの攻撃。紛れもなく、前に逃した『四時ババ』のものだった。しかし、今は長針が十を指している。四時ババが出現できる時間ではなかった。赤いマフラーが渦巻く中、俺は蜘蛛の巣を円盤にし、回転させて投げ飛ばす。


「なんだこいつら…!?」


 赤いマフラーを斬り刻むと、その破片は別な妖怪へと姿を変える。トイレの花子さんと、二宮金次郎像ざそれぞれ三体ずつ。妖気こそ感じるが、生気を感じられない。本体を模った複製体か…。


「武井、逃げるぞ…」


 俺は彼女の細い手を掴み、美術室から外へと繋がる扉を開けて、美術室を飛び出す。背後からは、あどけなくも不気味な花子さんの笑い声が追いかけてくる。

 ここで戦うのは分が悪い。校庭の中央では、何も知らない生徒たちが体育の授業に汗を流している。あいつらを巻き込むわけにはいかない。

 俺は武井を半ば抱えるようにして、飛ぶような速さで校舎裏の死角へと駆け込んだ。


「ここまで来れば…」


 生徒や他の教員の目がつかないこの場所なら、存分に戦える。

 追ってきた花子さんと金次郎像たちは、歩み寄る速度こそ速いが、その動きはまるでゾンビのようにぎこちない。関節が逆方向に曲がったまま固定されていたり、首がカクカクと不自然に揺れていたりする。


「『糸術・乱れ糸』」


 糸は複製された妖怪たちを貫くが、奴らはまるで効果がないかのように、平然と突き進んでくる。石の体を持つ金次郎像はもちろん、花子さんまでもが胴体に穴を開けたまま、不気味に笑いながら距離を詰めてくる。こいつら、痛覚がないのかよ。


「『糸術・鋭尖糸束(えいせんしそく)』」


 敵に向かって駆けながら、放った鋭い糸を引き抜き、手元に戻して一本の束にした。

 銀色の糸が螺旋を描いて集束し、俺の右腕に一振りの鋭利な槍を形成させる。両端が鋭い槍の中央を持ち、俺を取り囲んだ複製体たちを、円を描くような一閃で薙ぎ払った。


「はっ!!」


 ようやく怯んでくれた隙に、もう一振り。複製体なら遠慮はしない。遠心力を乗せた槍の穂先が、今度は金次郎像の頭部を粉砕し、花子さんの胴体を斜めに切り裂いた。


「きゃーっ!!」


 背後から武井の悲鳴が聞こえる。すぐさま振り返ると、今倒した別の複製体が武井のことを拘束していた。


「武井!!」


 まだ居やがったか…。

 俺は糸で形成した槍を力いっぱい握り、さらに細めて鋭利にさせる。


「ウォリャァーッ!!」


 空気を切り裂く咆哮と共に、その槍を、武井を背後から羽交い締めにしている花子さん目掛けてぶん投げた。

 銀光を放つ槍は一直線に空を飛び、武井の頬の数センチ横をかすめる。

 ドゴォッ、という衝撃音。

 槍は花子さんの眉間を正確に貫き、そのまま背後の桜の巨樹へと奴を縫い付けた。

 断末魔すら上げさせず、怪異の核を完全に消失させる一撃。


「……大丈夫か、武井」


 俺はすぐに駆け寄り、腰が抜けて座り込んでいた彼女に手を差し伸べる。


「先生……ッ!!」


 武井はその手を掴むより先に、俺の胸に飛び込んできた。細い肩が激しく震えている。俺の衣服を掴む彼女の指先から、言葉にできない恐怖と、張り詰めていた糸が切れたような安堵が伝わってきた。


「大丈夫だ。俺が守ってやる」


「久しいな、蜘蛛妖怪」


 不気味な笑い声と共に、マフラーが渦巻く影からあの老婆が現れた。俺は武井を背後に隠し、一歩前に出る。


「なんだ四時ババ。わざわざ自分から地獄に送られに来たか?」


「相変わらず達者な口だな…。気づいているだろう? この学校に漂う、心地よい絶望の香りに。七不思議の連中も、今や私の血肉。もはや『四時』という鎖に縛られる私ではないのだよ」


 この学校の七不思議を喰らって、力を得たというわけか。随分とえげつない共食いするじゃねえか。


「それで、お前か?生徒や職員に手を出したのは…」


 俺は短鎌を取り出して、両手に握る。


「ほう…。教え子を前にしても尚、戦う意思を見せるか」


「さっさと答えやがれッ!!」


 俺は四時ババに向かって斬りかかる。だが、寸前で短鎌を振り下ろせなくなった。

 四時ババは、マフラーで拘束した少年を前にした。武井の双子の兄貴を盾にしてきたのだ。


「これが答えだ」


「どわっ!?」


 寸止めで動きが止まった俺は、赤いマフラーで腹部をどつかれる。続け様首を縛られ、そのまま床に叩き伏せられてしまう。


「が、はっ…ッ!!」


「蜘蛛妖怪の教師よ。人間ども開放したくば、この学校の体育館へ一人で来い。さすれば、人間ども返してやろう」


 四時ババは冷たい哄笑を残し、赤いマフラーの渦と共に霧のように霧散していく。連れ去られた兄の姿と共に。


「玄斗!!」


 校舎裏の冷たい地面に、無様に倒れ伏す俺だけが残された。


「雷羽先生…」


 武井は震えた声で呟く。恐怖で強張った彼女の指先から、絶望が伝わってくるようだった。


「大丈夫だ。必ず兄貴を救ってやる」


 俺は武井を教室に送った。扉の前に立つと、授業中の教員がこちらに気づき、廊下まで来てくれる。偶然にも、現在行われていた科目が数学だったため、木戸に事情を説明した。


「…分かった」


 木戸は短く応じると、震える武井の肩に手を置き、教室内へと促した。そして、階段へ向かおうとする俺の背中に、声をかける。


「雷羽先生。ほんとに君一人で行くの?」


「ああ。一人で来いって、招待状を貰っちまったからな」


「…じゃあさ、約束してほしいな。無事に帰って来るって…。僕と杏ちゃんとの子、雷羽先生にも会ってほしいからさ」


 木戸のその言葉は、いつになく湿っぽくて、らしくないものだった。──こいつの嫁の腹には、新しい命が宿っている。そんな幸せの真っ只中にいる男に、こんな不吉な遺言じみた真似をさせていいはずがない。


「…あたりまえだろ。この俺を誰だと思ってんだ?」


 俺は背を向けたまま、ヒラヒラと手を振った。

 守るべきものは、武井兄妹だけじゃない。こうして俺を信じて背中を預けてくれる、お節介な同僚たちの日常もだ。

 本来、夕方の四時にしか姿を現せないはずのあいつが、朝っぱらから俺に宣戦布告を叩きつけてきた。その慢心、あるいは底知れぬ悪意──。

 上等だ、道化野郎。そっちがその気ならこっちだって受けて立つ。今度は逃がさない。

 俺は戦いの時間になるまで、教師として過ごした。


 第三話「旋律は糸に引かれて」


 放課後。生徒も職員も誰もいない時刻。学校の門の前に立つと、怪しげな妖気が立ち込めていた。かなり強力な陰気が風に乗り、俺の髪を靡かせる。


「どうやら、簡単には通してくれないみたいだな…」


 門へと歩みを進めると、二宮金次郎像が姿を現す。今朝戦った複製体の本体といったところか。姿こそ同じだが、佇まいが大分異なっていた。複製体はただぎこちなく動く人形に過ぎなかったが、目の前のこいつからは重厚な「意志」を感じる。


「校庭で生徒を見守ってた銅像が、こんなところで番犬代わりか?」


「半妖怪ごときが、言ってくれるじゃねぇか」


 低く、地響きのような声が返ってきた。

 金次郎像がゆっくりと顔を上げる。その瞳には、今朝の複製体にはなかった禍々しい紅い光が宿っていた。石の首が動くたび、ギチギチと嫌な摩擦音が周囲の空気を震わせる。


「痛い目合う前に退いとけ」


 俺はパーカーの両ポケットに手を入れて、相手の動きを待つ。


「舐めたことを!!」


 金次郎像が地を蹴った。石の巨体とは思えない爆発的な踏み込みに、アスファルトが悲鳴を上げて弾け飛ぶ。


「やれやれ…」


 一瞬で間合いを詰めた奴は、丸太のような太い腕を横一文字に振るってきた。まともに喰らえば身体がバラバラになりかねない、暴力的なまでの質量。


「砕け散れッ!!」


 石造りの咆哮が響くが、俺はパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、最小限の動作でスッと後退した。

 空を切った拳は、その勢いのまま地面を思いっきりぶん殴る。


「…随分と荒っぽい読書家だな。そんなんじゃ、本が破れちまうぞ」


「小癪…なっ!?」


 金次郎蔵は次の攻撃に移ろうとするが、もう遅い。俺の仕掛けといた罠が、既に奴の膝下までを絡め取っている。


「地蔵は地蔵らしく、じっとしとけ」


 小さく鼻で笑いながら、ポケットから手を出す。右腕に濃密な妖気を集中させると、肌の質感が鈍い光を放つ岩石のそれへと変貌していく。


「『岩術・金剛岩』」


 硬化させた右拳で動きの封じられた金次郎蔵に対して、胸元をまっすぐ叩きつける。


「ぐはっ!!?」


 重低音と共に、衝撃波が背後の校舎まで突き抜けた。糸で固定されていた金次郎像の体は逃げ場を失い、俺の攻撃をもろに受けた。

 衝撃が石の体を内側から揺さぶり、金次郎像は白目を向いて、その場に崩れ落ちた。


「安心しろ。殺しはしねぇ。そういう掟なんでな」


 俺は硬化を解いた右手を軽く振り、再びパーカーのポケットに突っ込んだ。

 その場を離れて、体育館の裏口へと向かった。その途中、瞳を水色に染めて妖怪態となり、袖のない外套も羽織る。当然鍵など開いていない。施錠された扉をすり抜けるためだ。


「お邪魔します…」


 上半身を扉にすり抜けさせて、その後すぐ全身を侵入させる。その瞬間、体育館の裏玄関へと出たはずの体が、音楽室へと移った。


「『十三段目の階段』を、応用したのか…!!」


 学校の怪談──階段を上りきると別の場所へ繋がるという特性を、この校舎全域に張り巡らせているらしい。

 推察をしている間に、鋭い風を切る音が聞こえた。

 シュッ、と空気を切り裂き、銀色に光る指揮棒が足元に飛んでくる。


「あぶねっ!?」


 反射的に跳んで躱すと、指揮棒は俺がいた場所の床に深々と突き刺さった。

 顔を上げると、そこには誰もいない。だが、妖気は感じる。その直後、部屋にピアノが鳴り響く。


「四時ババ様のとこには行かセ〜ん♪」


 作曲家たちの肖像画の目が赤く光り、聴くに絶えないひどいハモリを響かせた。その咆哮は、俺の身動きを奪う。


「うる、せぇ…!」


 耳を抑えても脳へ振動が伝わってくる。あまりの重圧に膝をついてしまうほどだった。


「不快な音が、よく分かってるじゃねぇか…。流石、音楽家だぜ…」


 俺は耳を抑えるのを止めた。そして、糸を生成し、親指以外の四本の指の間に一本ずつ挟んで、反対側を口に咥えて引き伸ばした。


「『糸術・音波』」


 弦楽器の如く指で弾いて、肖像画たちの声をかき消すほど、糸を振動させる。


 ──ギィィィィィィィィィンッ!!


 その音は、肖像画たちを黙らせ、今度は奴らが耳を抑えるほどのものだった。それもそのはず、俺が奏でた糸の()は黒板に爪を立てた時に出るあの音と同等。それ以上に不快な音だった。


「やめ、ろ…ッ!?…」


「やっと静かになったか。近所迷惑になるから、二度と騒ぐんじゃねえぞ」


 俺が自らの口元にリップを塗るような仕草をすると、見えない糸が肖像画たちの口を瞬時に縫い合わせた。

 もがもがと無様に身悶える作曲家たちを無視し、俺は依然として鍵盤が独りでに乱舞しているピアノの前へ、飛んでくる指揮棒を躱しながら歩み寄る。


「いやー、非常に良い演奏だな。ぜひ声を聞いてみたいものだ」


 俺は口角を吊り上げると、狂ったように踊り続ける鍵盤の上へと手を伸ばした。

 そして、一切の躊躇なく──。


 ──バンッ!!


 凄まじい衝撃音と共に、重厚なピアノの蓋を思いっきり叩きつけた。


「ぎ、ぎゃあああああああッ!!?」


 演奏者は、鍵盤と重い蓋の間に指を挟まれ、血の気の引くような悲鳴を上げながら、ボーイッシュで青年のような女の霊が姿を現す。

 先ほどまでの優雅な旋律はどこへやら、今はただ、指を潰された怪異の醜い絶叫だけが室内に響き渡っていた。


「演奏中にこんなことするやつがある!?」


「悪い悪い。お前の演奏呑気に聞いてると、飛んでくる指揮棒に串刺しにされそうだったからよ」


 さっきから俺を目掛けて飛んできていた指揮棒はこいつの演奏がなり続けることで、弾丸として加速していた。


「あとお前、霊なんだから痛覚ないだろ」


 俺が呆れたようにそう言うと、潰れた指を抱えて悶絶していた演奏者が、ピタリと動きを止めた。


「いや、やっといた方が良いかと思って…」


 怪異はバツが悪そうに呟くと、何事もなかったかのように指の形を元に戻した。…こいつ、完全に雰囲気で痛がってやがったな。


「やれやれ…。俺はもう行くぞ。ぶん殴らなきゃいけないやつがいるからよ」


 踵を返そうとした俺の背中に、弱々しい声がかけられた。


「待ってくれ。もっと僕の演奏を聴いてってくれよ。初めてなんだ。生きた人間に、聴いてもらうの…」


 振り返ると、さっきまでの禍々しい気配は霧散し、そこには所在なさげに佇む影があった。寂しげに、縋るように。この音楽室に縛られ、誰にも届かない旋律を何十年も奏で続けてきた孤独が、その声から漏れ出していた。


「俺は人間じゃなくて、半妖怪だからな。お前が言う生きた人間の観客にカウントされるかどうかは、分からねえが…」


 俺は少しだけ足を止めた。水色の瞳から少しずつ鋭さが抜け、教師としての顔が覗く。


「たまには聴きに来てやるよ。お前の演奏、悪くない腕だからな」


「本当かい?」


 青年のような身なりをした女の霊が、ぱあっと顔を輝かせた。その瞳に宿っていた暗い情念が、まるで朝露が消えるように晴れていく。


「嬉しいよ。君は僕のお客さん第一号だ。あっ…」


 歓喜のあまりか、俺の手を取ろうとしてくる。だが、するっとすり抜けてしまう。


「僕、幽霊だったね…」


「…たくっ、特別だぞ」


 俺は指先から糸を出して、空中でミサンガを編む。そして、彼女の腕にかけてやった。


「これなら、触れれるだろ」


 そして、自分の手首を彼女の前に差し出した。

 彼女は恐るおそる、震える指先を俺の腕へと伸ばしてくる。


「本当だ…!触れられる!」


 驚きながらも、その顔にはパッと花が咲いたような笑みが浮かんだ。

 ミサンガを介して伝わってくるのは、ひんやりとした霊体特有の温度。だが、俺の手首を握る彼女の指先からは、言葉にならないほどの喜びが拍動のように伝わってきた。


「温かい…。懐かしいな。なんだか、木下先生を思い出すよ…」


 その苗字に胸がきゅっとなる。俺にとっても懐かしい響きであり、過去の過ちを彷彿とさせるものだった。


「ごめんね。用事があるってはなしだったのに、長居させちゃって…」


 彼女がそっと手を離すと、音楽室の空気が一段と澄み渡っていく。


「そうだった。早くいかねえと…」


 彼女の詳細も気になるところだが、今は四時ババをぶっ飛ばして、生徒たちを助けるのが最優先だ。

 俺は気持ちを切り替えて、音楽を後にしようとする。だが、そう簡単にはいかなかった。


「あの方のとこへは行かせんぞ」


 俺が口を紡いだはずの肖像画がたちが話し出す。そして、額の中から這い出て来た。


「術を弾き飛ばしたのか…!」


 三枚の額から体が全身姿を現すと、ゆっくりと立ち上がり、楽器を構える。


「喰らえ!!」


 チェロ、フルート、トランペットが一斉に奏でられ、その音は音符の形の妖気を漂わせると、質量を持った弾丸となってこちらに飛んでくる。


「くっ…、はっ…。どわっ!?」


 二つ三つと躱してみせるが、不覚にも避け切れず、鋭利な八分音符の先端が俺の頬を掠め、さらには強烈な振動を伴ったト音記号が脇腹に直撃した。


「うわーっ!!?」


 衝突の瞬間、俺の内側から爆音の衝撃波が突き抜ける。その衝撃波は暴力的に俺の平衡感覚を掻き乱し、たまらずその場に膝を着かせた。


「ぐっ…ッ!」


 内臓が直接震わされているような不快感に、視界がぐらりと歪む。

 膝から伝わる床の感触すら遠のき、耳の奥ではキィィィンと高止まりした耳鳴りが鳴り止まない。


「トドメだ…」


「貴様の断末魔でこの曲を締めようぞ」


fine(フィーネ)を飾れ」


 額から出てきた三体の肖像画たちは、再度楽器を構える。そして、大きく息を吸い、ブレスを行って音を奏でようとする。

 そんな最中、俺の目の前に指揮棒を握った霊の少女が立つ。


「させない…。『音術・共鳴レゾナンス』」


 マウスピースが唇に、弓が弦に触れた瞬間奏でられた音たちが、少女の術と重なり、そのまま肖像画の下は飛んでいく。


「「「どわーっ!!?」」」


 自分たちが放ったはずの殺意の音塊に直撃し、肖像画たちは無様に吹き飛んだ。


「お前……」


 膝を突き、肩で息をしながら俺は彼女の背中を見上げた。

 

「ここは僕が食い止めるから、早く用事済ませちゃいなよ」


「……すまない。ありがとう」


 俺はふらつく足で立ち上がり、彼女の横を通り抜ける。すれ違いざま、彼女はいたずらっぽく笑って付け加えた。


「四時ババの所に行くんでしょ…。僕もあいつ気に入らないから、思いっきりやってきなよ」


 ……?


「ああ」


 俺は振り返らずに音楽室を飛び出した。

 背後からは再び、荒れ狂う不協和音と、それを真っ向から迎え撃つ力強いピアノの旋律が聞こえてくる。


 第四話「四時の鎖、崩れる時」


 なんとか音楽室を後にし、廊下を駆けては階段を飛び降りる。壁をすり抜けて近道をしようとしても、おそらくさっきみたいに別な場所に飛ばされる。全速力で体育館の正面入り口に向かった。


「ケケケ…。金次郎と音楽室を突破したみたいだね。でも、ここで終わりだよ。四天王最強であるこの私が…」


「うるせぇっ!!」


「がはっ!?」


 途中、廊下でトイレの花子さんに遭遇したが、名乗らせる間もなく糸でぐるぐる巻きにして、女子便所に蹴り入れた。

 ミノムシ状態のまま床を転がり、個室トイレの中にシュートされる花子さんを見届ける余裕すらない。

 体育館入り口付近になってくると、今朝戦ったトイレの花子さんや二宮金次郎像の複製体が行手を阻んでくる。ざっと数えて二十。廊下でこの数相手するのは少々手厳しい。


「チッ…」


 これでは入り口に近づくこともできない。俺は短鎌を二本取り出して、両手に構えた。

 複製体とはいえ、二十体もの怪異がひしめく廊下は、まさに生きた肉の壁だ。一体を斬り伏せても、その隙を突いて背後から三体が飛びかかってくる。


「『糸術・糸車』」


 鎌を回転させて、複製体を切り刻みながらなんとか道を切り開いて見せるが、目先の奴らばかり相手していると、今度は背後から迫ってくる。


「切りがねえな…。」


 右手に持った短鎌を投げ、その腕を真上に上げる。妖気を込めた手のひらを天井に向けた。


「『糸術・五月雨糸さみだれいと』」


 上に向けて放った糸は、空中で火花が散るようにまばらに散らばり、重力に従って鋭利な銀の針へと変貌しながら降り注いだ。


「ギ、ギャアアアッ!?」


「アガ、ガ……ッ!」


 俺を取り囲んでいた二十体の複製体たちを容赦なく貫いていく。一方投げた短鎌は回転しながら、敵を次々と斬り裂いていった。


「ふぅ…」


 戻ってきた鎌の柄を逆手にキャッチすると、短く息を吐く。


「なんとか片付いたな…」


 いよいよ四時ババとのご対面だ。体育館の扉の前に立つと、陰気が漏れ出しているのがよくわかる。お相手も準備万端のようだ。

 扉を開けて、体育館へと入る。空間は赤いマフラーで彩られ、囚われた生徒や職員たちが吊るされている。趣味の悪い飾り付けだ。


「待たせたな、四時ババ」


 体育館のど真ん中でふわふわと浮いている四時ババを睨みつける。約束通り一人で来てやったから、囚われた人間たちを解放してほしいものだが、そう安安とは行かないか。


「ようやく来たか。蜘蛛妖怪」


「自分からあんな迷宮と刺客を用意しといて、その口ぶりかよ。まあ、お陰で良い準備体操になったがな」


 短鎌の柄で肩を軽く叩きながら、そう言ってみせる。すると、不気味に笑い返してくる。


「その虚勢がいつまで持つか、見ものだな」


 そう言うと、一瞬にして俺の目の前に現れて、大きな鎌を振り下ろしてくる。俺はすぐさま後ろに跳んで避けた。


「『十三段目の階段』の転移妖術」


 その直後、俺は四時ババの背後に周り短鎌を振る。だが、刃が奴に触れるも斬れるどころか刺さりもしなかった。


「『二宮金次郎像』の硬化妖術」


 四時ババは鎌が弾かれ怯む俺の腕を掴むと、俺を空中に持ち上げる。一瞬天井が低く見えたが、すぐに床へと叩きつけられた。


「ぐっ…!?」


 叩きつけられた背中の痛みに続いて、別な何かが俺を襲った。重たいものが、肺を押しつぶすようなそんな感覚が俺を苦しめてくる。


「『誰もいない音楽室』の音術」


 俺を叩きつけた時に発したドンッという音を術に変えたようだ。その重低音の余韻が体育館の空気を震わせ、目に見えない圧力となって俺を床に縫い止める。ここだけ重力が倍の倍の倍になったみてぇだ…。


「どうだ?素晴らしいだろう、この力」


 自分の能力かのように誇りやがって…。


「うわっ!?」


 妖術を解除したのか、急に体が軽くなる。四時ババは急なことに驚く俺を楽しそうに眺める。


「さあ。もっと楽しませてみろ」


「…楽しませろだと?良いぜ。とっておきを見せてやる」


 袖のない外套を外し、俺は妖気を全身に巡らせて、妖力を高める。

 俺の影が大きく膨れ上がり、一瞬、八本の脚を持つ巨大な土蜘蛛の異形を映し出すが、それはすぐに凝縮され、新たな人型へと変貌を遂げる。そして、頭に猫耳、獣ように鋭い爪と牙。顔には猫の髭のような紋様を浮かべた、あの姿になる。


「なんだその姿。随分滑稽な…ッ!?」


「ん?何か言おうとしてたか?悪いな。聞きそびれた」


 空中から俺を見物していた四時ババを思いっきりぶん殴った。空中から俺を見物していた四時ババは、回避する間もなく弾け飛び、二階の狭い通路の柵をへし折って叩きつけられた。


「強くなったのはお前だけじゃねえ。俺も前に会った時とは違うぜ」


「…ほう。ただの人好きな蜘蛛妖怪だと思っていたが、貴様、土蜘蛛だったのか…」


 四時ババはゆっくりと態勢を元に戻すと、口元を手の甲で拭って、歪んだ笑みを深くした。


「半分だけだがな。…さぁ来いよ。続きと行こうぜ」


「良かろう。土蜘蛛だろうが、半妖怪だろうが関係ない。憎き蜘蛛妖怪に属するなら殺してやるぞ!!」


 戦闘は白熱し、俺の鋭い爪と四時ババの鎌の刃がジリジリとぶつかり合う。

 金属同士が擦れ合うような嫌な音が、静まり返った体育館に火花と共に響き渡る。


「オラァッ!!」


 力任せに鎌を押し返し、わずかな距離ができた瞬間、俺は指先を扇状に広げた。


「『糸術・乱れ糸』!!」


 空中から放たれた無数の銀糸が、鋭利な雨となって四時ババを襲う。だが、奴は歪んだ笑みを崩さない。


「『赤がいる?』!!」


 四時ババの背後から、血のように鮮やかな赤いマフラーが噴水のように噴き出した。それは生き物のようにのた打ち、俺の銀糸を一本残らず絡め取り、空中で叩き落としていく。そして、糸を介さぬままこちらに向かってくる。


「はっ!!」


 俺は最短距離を突き進み、正面から迫る赤いマフラーを獣の爪で切り裂いて道を作る。切り裂かれた布切れが周囲に舞うが、奴は止まらない。


「『青がいる?』」


 鎌の刃を青く光らせ、横に大きく振ると、半月型の斬撃を飛ばしてくる。

 俺は走行中に膝を床に着けてから背中も反り、滑り込むように斬撃の下を潜り抜けた。


「とりゃっ!!」


 奴と距離が縮んだ直後、素早く態勢を元に戻して、金剛岩で硬化した拳で腹部を狙った。だが、二宮金次郎像の妖術を利用した硬化術で、その箇所だけを頑丈にする。後ろに吹っ飛んではいったが、ほとんどダメージなどないだろう。


「ふふふ…」


 殴られた腹部をさすりながら不敵に笑う。すると、また別の妖術を構える。奴の周囲に赤、青、黄の折り鶴が漂い始める。


「折り紙…。花子さんの術か」


「『鶴の舞』!!」


「『岩術・砂岩』!!」


 迫りくるたくさんの折り鶴に対して、俺は矢じり上の妖気弾で迎え撃つ。一枚一枚着実に撃ち抜いてみせると煙が上がる。

 煙の中で、四時ババが口角を上げたのが見えた。奴は煙が晴れるほどの速さでこちらに向かってくる。再び激しい攻防が始まった。


「はっ!しやっ!!うっ…!?」


「ふんっ!はあっ!!くっ…!?」


 首元を鎌の柄で叩かれて少し怯むが、その鎌を掴んで、反撃に連続蹴りを入れる。二回三回と打ち込むが、膝で受け止められ、鎌からも振り解かれる。だが、俺はすかさず懐に入り、マウントを取って、硬化される前に拳での連打を喰らわせた。


「貴様…ッ!!」


 四時ババは俺の背中に膝で蹴りを入れて、俺を退ける。前に飛ばされた俺は前転して受け身を取りながら、両腕に妖気を溜め、妖術を撃つ準備をし、奴の方を向く。

 一方四時ババも速攻で立ち上がり、距離を取ると、鎌の中央を掴んで回転させ始める。赤、青、黄色の妖気が集まり黒色に染まる。


「『岩術・礫岩』!!」


「『漆黒』!!」


 俺が放った紫の光線と、奴の放つ禍々しい黒の奔流が真っ向から激突した。

 初めは互角かと思われた。だが、妖気を溜め込む量が少し劣り、徐々に押されてしまう。


「くっ…ッ!?」


 抗う術もなく押し切られ、バリアを張る間もなかった。胸部を中心に、漆黒の奔流が直接叩きつけられた。

 衝撃に喘ぐ俺へ、奴は追い打ちをかける。蛇のように伸びた赤いマフラーが身体に巻き付き、その布を伝って電撃へと変貌した妖気が駆け抜けた。


「うああああああッ!!」


 続けてダメージを負った俺は思わず膝を着いてしまう。妖獣化を制御したこの姿を保つのはやっとだった。


「はぁ…はぁ…」


「ふはははは…。思い知ったか、半妖怪」


「……まだだ…。まだやれるぞ…!!」


 視界が赤く染まる中、俺は震える足に力を込めた。泥を噛むような思いで、どうにか立ち上がる。だが、肝心の両腕には力が入らず、だらりと垂れ下がったまま持ち上がらない。


「しぶといやつだ…」


「……取り柄なんでな…」


「ならば、とっておきな方法で貴様を処刑してやろう」


 第五話「半端者の意地」


 立つことがやっとな俺を尻目に置いて、四時ババは静かに空中へと浮かび上がる。


「半妖怪の土蜘蛛。これがなんだか分かるか?」


 不敵な笑みを浮かべながら、懐から何かを取り出す。それは独特な形をした石ころだった。しかし、ただの石ころではないことはここからでもよく分かる。目に見えるほどの禍々しい妖気を放っていた。


「これは『玄武石げんぶせき』と呼ばれる妖石だ。四聖獣の一体、『玄武』の力を手にすることができる」


 玄武石…。


 昔、現実家の書物で読んだことがあった。かつて『蜘蛛の糸』を納めていた当時の長に仕えていた四聖獣が、役目を終えた後に膨大な妖気を結晶化させて、各地方に残したものだ。その後起きた第二次世界大戦ををきっかけに砕け散り、石ころとなって散ったと聞いてはいたが、その破片の一つをこんな非道なやつに拾われるとはな…。


「手に入れるのにかなり苦労した。私を地獄から開放した『姫蜘蛛』とかいうやつから身を隠したり、変な黒猫に追われたりしてな…。だが、それもここで報われそうだ」


 すると、四時ババは周囲に妖気を漂わせる。同時に赤いマフラーで吊るされた玄斗を初めとする生徒や教員たちが奴を囲った。


「やめろッ…!!くっ…」


 四時ババは囚われた人間たちを取り込もうとしていた。俺は止めるべく地面を蹴ろうとするが、動かない体では叫ぶことしかできなかった。


「はああああああああああっ!!」


 その叫びも虚しく、奴の咆哮に吸い込まれてしまう。そして、周囲の人間たちを魂の形状に変え、自らの体へと取り込んでいった。


「ここが貴様の墓場だ、半妖怪。うおおおおおおっ──!!」


 四時ババから放たれた陰気は衝撃波となり、俺の態勢を崩らせる。耐えかねた俺は壁へと吹き飛んだ。


「どわーっ!!」


 壁に衝突した拍子に姿がいつもの人間態に戻ってしまう。一方、四時ババは体格が大きくなっていき、人型から離れていく。胴は甲羅に包まれ、手足は深緑に染まりながら極太になり、甲羅の隙間から蛇の尾が生えてくる。奴は赤いローブを被った道化師から玄武の姿へと変わり果てた。

 悍ましい陰気だ…。

 床に倒れるを俺をさらに押しつぶすような重たい妖気の圧がかかってくる。


「終わりだ!半妖怪!!」


 奴の顎が大きく裂け、水の妖気を纏った妖術が俺を目掛けて放たれる。

 指一本動かせない俺に、抗う術はない。迫りくる死の奔流を、俺はただ見つめることしかできなかった。


「くっ…!!」


 だが、俺に妖術が到達する寸前、体に何かが巻かれて宙に浮く。放たれた妖術は壁に風穴を開けた。


「……ッ!? 何者だ!」


 不意を突かれた四時ババが、怒りと驚愕の混じった声を上げた。突然の介入に驚いたのは、俺も同じだった。


「──マチ、先生…」


 俺をお姫様抱っこで抱えるのは、髪を白く染めて長く伸ばし、瞳を赤く変えたマチ先生だった。


「『あの時』の恩返し、これでできましたかね」


 マチ先生は俺を傷つけないよう静かに床へ下ろすと、悪戯っぽく、けれど慈しむように微笑んだ。

 あの時のって、入学式前に四時ババから助けた時のことか…。


「ああ…。助かったぜ」


 ずっと前からそのお返しは貰ってる。今まで、俺が蜘蛛妖怪として仕事を熟せてきたのは、マチ先生がいてこその時が沢山あったからな。


「ありがとな」


 状況が状況だ。俺は短く、けれど精一杯の感謝を伝えた。


「貴様は、あの時殺しそびれた針女か。自ら首を差し出しに来たか」


「そんなわけないだろう。私は雷羽先生を助けに来たんだ」


 マチ先生の声は、どこまでも澄んでいた。四時ババは鼻で笑い、さらに言葉を重ねる。


「あの時に比べて随分面構えが変わったな。その半妖怪に何か吹き込まれたか?」


「ああ。少しばかりな」


 白銀の髪を揺らし、マチ先生は一歩前に出る。その背中は、かつて俺が守った時よりもずっと大きく、頼もしく見えた。


「彼と出会って、この力をどう使うか答えが出たんだ。お前みたいなやつを倒して、弱きものを守るってな」


「くだらんを戯言を…。妖怪が弱きものを守るだと?妖怪は人間を脅やかす存在だ。それを捨てて何が残る!!」


 四時ババが言葉を吐き捨てた瞬間、黒い影が奴に襲いかかる。重苦しい打撃音が、静まり返った体育館に激しく響き渡った。


「グッ…!?」


「そうやって、古い考えに飲み込まれてるうちは、僕たちに勝てないよ」


 四時ババをはたき伏せたのは、スタイリッシュな狩衣に翻し、竹刀を構えた木戸だった。


「木戸、どうして…」


「雷羽先生に、僕との約束を破ってほしくなかった。それに、自分の教え子が捕らわれているのに担任である僕が戦わなきゃ、格好がつかないでしょ」


 木戸らしい答えに自然と口角が上がる。

 こいつとの約束──生まれてくる子供に会うって話だったな。確かにあのままだと守れてなかったかもな。


「次から次へと…。まあいい。ここで全員始末してやる」


 四時ババが低く唸ると、奴の足元にどろりとした妖気が凝縮されていく。その妖気は不気味に膨れ上がり、やがて人型を成した。

 現れたのは、先ほどまで戦っていた「道化師」の姿をした三体の分身。それぞれが赤、青、黄の一色に塗り潰され、三方から俺たちを包囲する。


「雷羽先生、これを……!」


 マチ先生が俺の背に手を添え、清冽な妖気を流し込んできた。

 熱い奔流が全身の回路を駆け巡る。麻痺していた感覚が急速に蘇り、ようやく指先の一本一本まで自分の意志で動かせるようになった。


「さんきゅー、マチ先生。──もう察しがついてるかもしれねえけど、生徒や職員はあいつに取り込まれちまった」


「早く切り離しましょう」


 マチ先生が鋭い視線を本体へ向けた、その時だ。三体の分身が俺たちの行く手を阻むように、猛烈な勢いで躍りかかってくる。


「あの分身は僕が引き受ける。君たちは四時ババを──」


 木戸が竹刀を正眼に構え、三体の道化師の前に立ちはだかる。

 一方俺たち二人は、玄武の姿になった四時ババへと挑んだ。


「やあっ!!」


「『糸術・乱れ糸』!!」


 左右に散らばり、それぞれ遠距離から攻撃を試みる。しかし、手応えを感じない。硬い装甲が、俺たちの技を跳ね返しているようだ。

 それでも俺たちは攻撃の手を緩めない。どこかにあるはずの弱点を探るべく、妖術を打ち続ける。


「岩術・編斬岩あんざんがん!!」


 俺は岩の妖気を練り上げ、それを蜘蛛の巣状の鋭利な刃へと変質させる。回転を伴いながら放たれた数発の岩刃が、唸りを上げて玄武の巨体へと襲いかかった。

 しかしながら、この術も前足の一振りで、まるで羽虫でも払うかのように容易く粉砕されてしまう。


「はあっ!!」


 マチ先生がその隙を見逃さず距離を詰め、鋼のように硬質化させた髪の鋭針を突き立てる。しかし、奴は微塵も怯むことなく、即座に巨躯を翻した。


「っ…!?」


 回避不能な至近距離からのカウンター。重戦車のような一撃をまともに受け、マチ先生の体が木の葉のように吹き飛んだ。


「『青がいる?』」


 四時ババは爪を長くし、鎌のように変形させる。そして、爪を青く光らせ、さらに追い討ちをかけるようにマチ先生へ斬撃を飛ばした。


「『糸術・糸巣空間』」


 マチ先生を糸のドームで囲い、彼女の身を守る。俺はそのドームの上に立ち、右手に『糸術・鋭尖糸束』で槍を手にした。


「往生際が悪い。まだやるか?」


「当たり前だ。お前を倒して、地獄に送る。それが俺の仕事だ」


「ほざけ!!所詮貴様は半妖怪。妖怪としても人間としても半端な存在な貴様に、今の私を倒すことなどできぬわ!!」


 四時ババは激情に任せ、青く輝く刃を矢継ぎ早に放ってくる。

 空を切り裂くような速度で迫る斬撃。だが、俺は冷静に『鋭尖糸束』の槍を旋回させた。


 キィィィィィィィン!!


 激しい火花が散り、鋼をも断つ水の刃が、高速回転する糸の槍によって次々と弾き飛ばされていく。


「半端者だからこそ、両方の意地があるんだよ。……お前には一生理解できないだろうけどな」


 全て弾き終えると、四時ババに向かって飛び上がり、マチ先生を守っていたドームを解いた。彼女も俺に続いて飛び上がる。

 先に四時ババへ近づいた俺は、奴の首元を狙って槍を突き出すが、大きく体を回転され、遠心力のついた蛇の尻尾の攻撃を受けてしまい、失敗に終わる。だが、ただでは終わらない。

 吹っ飛ばされながらも、すれ違いざまマチ先生の腕を掴み、飛ばされた反動を生かしながら彼女をぶん投げた。俺に投げられたマチ先生は足側を四時ババに向ける。


「『針術しんじゅつ絶針貫ぜっしんかん』」


 マチ先生は髪を自らの体を包み、一本の大きな鋭い針となり、横回転をかけた。


「なにっ!?」


 そのまま四時ババの腹の下に入り込み、奴の腹から背中にかけて突き抜けた。


「がはっ!!?」


「今だ!!」


 俺は態勢を立て直して床に上手く着地し、手にした槍を貫かれた箇所に投げ込む。

 回転のかかった槍は奴の体に入り込むと、取り込まれるときに魂化した人間たち絡め取りながら通り抜けた。


「待て、私の力…ッ!!?」


 取り込んだ人間たちが体から抜けた四時ババは、玄武の姿から、元のローブを着た道化師の姿に戻る。そして、木戸が相手をしていた分身たちの姿が消えた。


 第六話「最期の四時」


 俺の『鋭尖糸束』の槍が絡め取った人間たちは、元の姿に戻りながらゆっくりと床に落ちてくる。行方不明になったいた者たちは、気こそ失っているが皆無事のようだ。


「くっ…!……うぅ……!!」


 四時ババは地面を這って、玄武石へと手を伸ばす。

 その玄武石を拾われる前に、『岩術・金剛岩』で硬化した拳で破壊した。


「もう終わりだ。さっさとお縄につけ」


 砕けた石の破片が塵となって消えていく中、俺は冷徹に言い放った。


「私の負けだ…。やはり強いな、貴様たちは…」


 その言葉には、先ほどまでの傲慢さは微塵もなかった。ただ、自らの敗北を静かに受け入れた、一人の妖怪としての未練だけが漂っていた。


「なんで、他の妖怪や人間たちを取り込んでまで、強くなろうとしたんだ。お前の実力なら、俺を相手にすることなんて容易かったはずだ…」


「…戻りたくなかったんだよ。地獄にな…」


 四時ババの声が、微かに震える。


「今までの力で、貴様に勝てたとしても、かつて私を地獄にに送った蜘蛛妖怪にまた目を付けられれば、手に入れた自由を失ってしまうだろう」


 一度味わった自由と、それ以上に刻み込まれた「罰」への恐怖。こいつが周囲を喰らい、巨大な鎧を纏おうとしたのは、強さへの野心ではなく、二度と連れ戻されないための必死な「盾」を求めての行動だったのだ。


「だから私は力を得ようとした。かつて共に人間たちを脅かしてきた怪異たちを喰らってまで…」


 生徒らに手を出しいてるから、同情なんてしてやれないと思ったけど、こんなやつにも仲間がいたんだもんな。この学校の七不思議と呼ばれ続けた妖たちが…。

 少女の霊と音楽室で別れたあの時、彼女の励ましから切なさを感じたのは、この四時ババを憎んでなんかいなかったからだったのか…。


「四時ババ…」


 噂をすればなんとやら。音楽室で出会った少女の霊が体育館へとやってきた。彼女の背後には、俺がこの場に来るまでに対面してきた二宮金次郎の像、肖像画、花子さんが顔を揃えている。


「お前たち、私の支配が解けたのか?」


「ああ。お前がそいつに敗れたことで、効力が切れたみたいだ」


 四時ババが驚愕に目を見開く。その問いに、石造りの二宮金次郎像が、動かぬはずの口を微かに震わせて答えた。


「…迷惑をかけた。すまなかったな」


「気にしないでよ。一時間しか会えなかったのに、たくさんの時を過ごせるようになったから、嬉しかったよ」


 四時ババの謝罪に、花子さんが屈託のない笑みを浮かべて答えた。

 彼らも俺たちのように絆が結ばれている。四時ババのやり方が、もしも別な形で行われていたのなら、力ではなく、目の前にある絆を選べたなら、新たな出会い方をしていたかもしれないな。


「四時ババ。もう時間だ」


 七不思議の連中には辛い思いをさせることは承知の上。罪を重ねた妖怪は、地獄で償うのが妖怪の世界の掟だ。

 四時ババは、ゆっくりと立ち上がり、一気をいっぱい吸って、同じ量を吐く。


「うむ。受け入れよう」


 返事を聞き入れ、俺は『糸術・封印網』を撃とうと、印を結んだその時、嫌になる程感じ取ってきた妖気を感じた。


「この気配は…!?」


「赤赫刃…」


 俺とマチ先生が一番に反応を示す。

 幽霊蜘蛛…、いや、違う。あいつの妖気はもっと冷徹で、その名の通り死者の魂が漂うような薄ら寒いものだ。だが、今この場に満ちているのは、隠そうともしない剥き出しの「殺意」。

 俺や木戸、マチ先生はもちろん、七不思議の妖怪たちまでもが本能的な恐怖にその身を固く強張らせた。


「「「「うわぁぁぁっ!?」」」


「「「どわぁぁぁっ!?」」」


「「「きゃあああっ!?」」」


 風の如く速い何かが襲ってくる。目に見えぬ速度に加え、重い一撃が、この場にいた全員を床に倒れ込ませた。


「なにもんだ…」


 俺は震える腕に力を込め、血を吐き捨てるようにして立ち上がった。

 朦朧もうろうとする視界の先、舞い上がる塵の向こう側に、そいつは平然と佇んでいた。


「お前が、幽霊蜘蛛が話していた半妖怪の土蜘蛛か…。耳にしていたよりも、軟弱そうだな…」


 鋭く釣り上がった目に、怪しく金色に輝く瞳を宿した男は、心底退屈そうにため息を吐くと、邪魔そうに垂れた黒い前髪をさらりと耳に掛けた。

 人が一仕事を終わらせた直後に襲っておいて、随分な言い草だな。


「俺が何者か、だっけか…。俺は皿蜘蛛…」


 あいつが自らの名を口にした瞬間、奴はその場から消え、すぐそばで鈍い音と、短い悲鳴が聞こえた。


「…ッ!!?……う、ぐっ…!!」


 肖像画の一体が胸を鎌で貫かれていた。

 奴が鎌の刃をひき抜くと、肖像画は断末魔もあげることなく、跡形もなく消滅した。


「赤赫刃の始末人だ…」


 予備動作も、空気を震わせる予兆さえも一切なかった。

 あまりの速さに驚愕し、体が強張る。その横で、仲間が同士が目の前で殺された他の肖像画たちが動き出した。


「貴様、よくもバッハを…!!」


「許さんッ!!」


「ダメだ!?よせっ!!」


 怒りに任せ、敵討ちに向かう肖像画達を、彼らに一番近くにいた木戸が声を上げて止めようとする。歯が立たないことが、あいつにも目に見えていたのだ。


「…ッ!!?」


「なっ…!!?」


 だが、木戸の声は届かず、肖像画達は瞬きをする間に刃の餌食となってしまう。


「付喪神如きが…。俺に勝てると思うなよ…」


 速い…。俺のあの姿でも、追いつけるか分かりない攻撃速度だった。

 まずい状況だ。このまま奴と戦いを始めても全滅するだけ…。とはいえ、簡単に退避できるとは思えない。


「…土蜘蛛」


 四時ババが思考する俺に話しかけてくる。


「『柚月』を頼めるか」


 彼の視線の先には、震えながら立ちすくむピアノを弾いていた少女の姿があった。


「花子、金次郎」


「「「はっ!!」」」


 四時ババの呼びかけで、トイレの花子さんと二宮金次郎像がからの下に駆け寄る。


「お前ら、何する気だ──。おいっ!!」


 俺の制止も聞かず、四時ババたちは皿蜘蛛に向かって飛び出す。武器の鎌も持たぬまま、素手で立ち向かい、四時ババは皿蜘蛛の両肩を掴んだ。


「その傷で…、どういうつもりだ…」


「ケジメをつけるのさ。あいつらから貴様を遠ざけるためにな」


「無駄なことを…」


 皿蜘蛛は動じることなく、手にした鎌で肩を掴む四時ババを貫いた。


「…グッ…ッ!!」


 だが、四時ババは怯むことなく、皿蜘蛛を捕え続けた。それに続いて、花子さんと二宮金次郎像が皿蜘蛛の腕を捕えた。そして、周囲に赤いマフラーを漂い始める。


「四時ババのやつ、まさか…」


 行動を察した俺は皿蜘蛛を押さえる四時ババの所へ走る。


「来るな!!半妖怪」


 だが、四時ババの地鳴りのような咆哮が俺の足を止めた。


「私は、どれだけ力を手に入れても、貴様に敗北した。その理由が少し分かった気がするよ。──今の私にはこんなやり方でしか、それを成し遂げることができないが、私は貴様と最後に戦えたことを誇りに思う」


 四時ババは、皿蜘蛛を捕える二人の妖と共に自らのことを赤いマフラーで包み込んだ。


「最後のショータイムだ。喰らえ!!!」


 赤いマフラーに包まれた彼らはその中で大きな爆破を起こした。四時ババは皿蜘蛛に大きな痛手を負わせるために、自爆を選んだのだ。


「ふっ…。なかなか粋なことをするじゃないか…」


 あの爆破を間近で受けながらも、皿蜘蛛は身についた埃を払うように肩をはたいた。


「使命は済んだ…。今日のところはこの辺にしておいてやる…」


 表情一つ変えぬまま、奴はその場から消えていった。

 俺は奴を追うこともできず、その場に両膝をつけて俯くことしかできなかった。


 体育館には、ピアノを弾いていた少女の泣き声だけが響いていた。

〜次回のお話〜

 一人残された学校七不思議の妖、ピアノを弾く少女。本来はあの世に連れる対象みたいだけど、雷羽先生はあまり乗り気じゃないみたい…。

 友として彼女をこの世へ滞在を許可するか、蜘蛛妖怪としての任務を果たすか。雷羽先生が見せる選択とは…。

 次回、『半妖怪の導き 第十二巻「二人の恩師」』

 お楽しみに〜


「木下先生…」


 読んでくださりありがとうございます。

 投稿のペースは、都合も相まって一定ではありませんが、今後も雷羽先生の活躍の応援をよろしくお願いします。

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