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特別巻 半妖怪の記録

ようこそ。妖怪たちが蔓延る世界へ。


気になる点があるかもしれませんが、温かい目で流してください。

 時は木戸の嫁「杏奈」を姑獲鳥から救出する前の頃。俺が現実家の親父に呼び出され、閻魔王と話をさせられたあの時──。


「帰ってきてたなら、一言言って下さいよ~」


 用を済ませた後、すぐさま生活している「この世」に戻ろうとしていたが、茶色のショートヘアで、赤いフレームの眼鏡をかけたレディーススーツ姿の女性、「シンさん」と鉢合わせてしまい、日を跨ぐまで残された時の話だ。


 第一話「守るために戦う者たち」


 現実家にある自分の部屋。中学高校と過ごしてきた空間だが、今はどうも居心地が悪い。


「ねぇ…。いつまでこの状態にさせる気…」


「『いつまで』って、私が満足するまでですよ」


「それがいつまでだって、聞いてんだよ!!」


 御年二十四。土亜田雷羽。自分に面倒をかけてくれていた従者の膝の上に座らされ、腹あたりに腕を巻かれて固定されている。

 キツイだろ…。

 彼女とか、嫁とか、そういうのならまだ分かる。世話係だぞ。ほぼ母親と変わらねぇぞ。三つくらいしか変わらないけど…。

 キチィだろ…。


「もう、そんな顔しないでくださいよ。ほら、これあげますから」


 シンさんはそう言って、腕をくいっと動かし、手品のようにアイスを取り出す。


「いくつだと思ってんだ。そんなお菓子で俺が釣られるわけ…。ゴクンッ…。釣られるわけ…」


 ただのアイスなら、ここまで心が揺れることはなかっただろう。だが、差し出されたのはよりによって俺の好物である小豆が含まれたものだ。白いミルクに、ぎっしり詰まった粒あんの重みを想像しただけで、決意が砂城のように崩れていく。


「…分かったよ。しばらく、この状態でいてあげる…」


 俺が半ば投げやりな態度で降参を示すと、シンさんからアイスを奪うようにとり、すぐに口に咥える。


「ふふ。素直で宜しいです」


「今回だけだからな!!」


「はいはい(そう言って、毎回付き合ってくれるくせに)。ところで、あっちでは最近どうですか?聞かせてくださいよ」


「別に、いつも通りだと思うけど…。強いて言えば、職場が賑やかになったかな」


 俺は新任で入ってきたマチ先生のことが初めに頭に浮かんだ。

 山ノ浦中学校家庭科担当教師、針葉樹マチ先生こと針女(はりおなご)との出会いを思い出す。


「今年度から、一学年を見ることになったんだけど、担当の教員が、『木戸』と『豪羽』。それに加えて、新任の『針葉樹マチ』って人になったんだ」


「そのお三方なら、幽霊蜘蛛が起こした『会津の怪獣多発事変』が起きた時に、お見掛けしたと思います。ゆっくり話している暇もなかったので、自己紹介しかできませんでしたが…」


 あの事件、そんな名称がつけられたのか。


「三人揃って、人間にはない特別な何かを感じましたが、何か隠し事でも?」


「さすがシンさん、鋭いな」


 俺は苦笑いしながら、シンさんの腕の中で少しだけ体勢を入れ替えた。


「赤い丸眼鏡が特徴的でなのが『木戸正志(きどまさし)』。二つ上の先輩教師で、担当教科は数学。実は中学から高校でも付き合いがあったりする馴染み深い人でもあるんだ」


「へー。そんなお友達がいたんですね。あまり学校のことは話されなかったので、存じ上げなかったです」


「友達…。まあ、そんな感じなのかな。──実は木戸は、『山ノ浦神社』の現巫女のもとに婿入りしていて、次の神主を引く者なんだ。それだけあって、かなり強くなったな。あいつの竹刀捌きは、並の妖怪くらいなら相手できると思うぞ」


「山ノ浦神社。蜘蛛妖怪と昔から面識がある神社でしたね。そう考えると、かなり縁のある方なんですね」


「そうだな。ついでにそいつの嫁の杏奈の話も…」


「いえ、結構です」


「あ、あそう…」


 即答かよ。まあ、シンさんの言う通り、山ノ浦神社と蜘蛛妖怪は古くから関係を持っていると聞いている。今慌てて話さなくても、いつか直接関わる機会があるだろう。子供ができたって話だから、まだ先の話になると思うが…。

 切り替えて、引き続き共に働く同僚たちの紹介に戻る。


「白髪の男が『木下豪羽(きのしたこうは)』。学年主任を務めている俺たちの上司で、担当教科は理科だな。豪羽はただの人間なんだけど、とにかく強いんだよ。なんでも、高校時代に空手で全国一を取ったとか…」


「本当ですか?非常に細かったですよ。とても筋肉があるようには…」


「まあ、疑うのも分かるよ。いかにも研究熱心な引きこもりって感じだし。でも、中身は別物だ。会津の怪獣とはまともにやり合えるし、それに加えて、理解教師らしく薬品の調合ができる」 


「薬の調合ですか。どんなものでも作れるんですかね?」


「さぁ…」


 豪羽にどんな薬作らせるつもりだよ…。あんま触れないで置こう…。


「あとは、洞察力が高いな。考えてる事とか隠し事はすぐに見抜いてくる。最初会った時も、俺が半妖怪ってすぐに気付いてたな。──それに、何故かあいつといると懐かしい気持ちになる時があるんだよな。なんだか、落ち着く、というか…」


 苗字も「あの人」と同じだし…。話し方も全然違うし、まさかな…。


「少しサボり癖な一面があるやつだけど、頼りになる上司ではあるよ」


「正志さんに豪羽さん。いい先輩に恵まれたみたいですね」


「恵まれたのは、先輩にだけじゃないよ。とっても良い後輩もできたよ」


「『針葉樹マチ』さんですね。彼女が放つ、あの刺すような鋭い妖気。…あれは『針女』そのもののそれでした」


 あの時は、俺も暴走して妖獣の姿で大暴れしちまったからな。シンさんにしてみれば、マチ先生とゆっくり言葉を交わす余裕なんて、これっぽっちもなかったはずなのに、そこまで見抜くとは、妖怪を長年やってだけあるぜ。


「それで…、どういった関係なんですか?」


「痛い痛い痛いっ!?」


 腹部に凄まじい圧力がかかる。シンさんが、まるで獲物を締め上げるかのように腕の力を強めてきた。


「…さっきから後輩って言ってるだろ。ただの同僚だ」


「知ってますか、雷羽さん。針女って男を連れ去る怪異として有名なんですよ。雷羽さん、魅入られたりしてませんよね?」


「昔の話だろ。それに、マチ先生は針女だけど、そんな無理やり男を絡め取るような古臭いタイプじゃない。むしろ、家庭科の教師として生徒に真っ当な『生きる術』を教えようとしてる、お節介なぐらい真面目な人なんだよ」


 腹部が少し楽になる。どうやら俺の必死な弁明が、シンさんの心の琴線に触れたらしい。


「そりゃ、出会った時は彼女に事情があって、敵対視されてたけど、今じゃ誤解も解けて、俺の心強い協力者になってくれたよ」


「事情ですか?」


 シンさんの声から、先ほどまでの刺すような嫉妬が消え、いつも通りの雰囲気が戻ってきた。


「ああ。マチ先生は、姉が蜘蛛妖怪に殺されたっていう過去を持つんだ。初めて聞いた時は、かなり驚いたけど…。その時は、蜘蛛妖怪の仕事が、彷徨う死者をあの世に導いて、悪事を働く妖たちを地獄に送ることだけだと思っていたから…」


「──『赤赫刃(せきかくじん)』ですか…」


 第二話「強者たちの集い」


「赤赫刃…」


 最近彼女たちの動きが目立ってきている。このまま放っておけば、人間も妖怪も、全ての生命が彼女の手によって支配されしまう。

 そこで僕は、赤赫刃を討つための戦力を整えるべく、二人の強力な妖怪を呼び出した。少々気が引けたが…。


「兄貴、医者はいつだって多忙なんだぞ。…わざわざ呼び出したからには、相応の理由があるんだろうな」


 一人は、緊迫した命の現場——病院から。

 彼の名は「黄金蜘蛛」。白衣姿の長髪美男子で「風術」を得意とする蜘蛛妖怪だであり、僕の弟だ。


「子ども達が寝静まって、一息吐こうとしてたんだが…」


 もう一人は、騒がしくも温かな——保育園から。

 彼の名は「コロシア」。いや、今は「五六大輔(ふのぼりだいすけ)」と呼ぶべきか。この保育士は、猫友(にゃんとも)保育園の園長を務めて、人間の生活に紛れ込んでいるが、その正体は「コロシア」という猫又妖怪。かつては最凶と名を轟かし、無差別に命を狩っていた悪い妖怪だったみたいだけど、最近じゃ血の気が多く立つのが目立つくらいで、特に害はない。むしろ、蜘蛛妖怪に協力的な妖怪だ。


「「「ていうか、この女みたいなやつ誰だよ」」」


「「「あーっ!!誰が女みてぇだ!!」」」


 一語一句、寸分の狂いもなく声が重なった。お互いをディすり合い、お互いにキレている。あまりのシンクロ率に、僕は思わず尋ねる。


「初対面、だよね?」


 しかし、僕の質問に耳を貸さずに、二人は凄まじい勢いで至近距離まで詰め寄り、額を突き合わせていがみ合い始めてしまった。

 先に仕掛けたのは、医者の方…。


「なんだその桃色の前掛け。猫の肉球までプリントされて、保育士でもしてんのか?」


 黄金君、保育士は男の人がやっても、今の時代おかしくないよ。

 そう心の中でツッコミを入れると、今度は保育士が言い返す。


「ああその通りだよ。なんか文句あるか?お前こそ、髪伸ばしすぎだろ。医者なら、結ぶくらいしたらどうだ?」


「業務中はしっかりまとめてるわ。休憩中は下ろしてる方が、女子受けがいいんだよ」


「女子受けって…、お前、そんな理由で職場で髪なびかせてんのかよ。軽薄な医者もいたもんだな」


 別に手術とかしないからいいんじゃないかな?医者に詳しくないから、とやかくは言わないけど…。


「これ、いつまで続く感じ?」


 僕が痺れを切らして、再度二人に尋ねてみると、二人は声を合わせて…


「「「うっせえ!!お前は黙ってろ!!」」」


 と、声を荒げる。


「どはっ!?」


「ぐへっ!?」


 いい加減頭に来た僕は、二人の頭に拳骨を喰らわす。

 赤赫刃の脅威が迫っているというのに、この二人を選んだのは間違いだっただろうか…。


「話、しても良いかな?」


「はい…」


「どうぞ…」


 やっと熱が冷めくれたみたいだ。


「じゃあまずは、仲直りの印にお互いに自己紹介を」


 二人は赤くなった頭をさすりながら、心底面倒そうに、それでいてどこか気怠げな様子で口を開いた。


「…蜘蛛妖怪の黄金蜘蛛。この姿(人間)では、風井小鐘(かざいこがね)って名前で、医者をやってる」


「…猫友保育園園長、五六大輔だ」


「ちなみに、黄金君は僕の弟ね」


 大輔君に紹介する。


「そして、大輔君は『コロシア』っていう、赤蝦夷の戦時人と現地の黒猫の魂が融合して誕生した猫又妖怪だよ」


 同様に、黄金君にも紹介をした。

 無事に互いのことが分かったところで、本題に入る。僕はこの二人にここ直近の赤赫刃の動き、封印が解かれて現世に出現した妖怪を知っている範囲で伝える。


「『幽霊蜘蛛(ゆうれいぐも)』ってやつが活発に動いているようだな」


 与えた書類を眺めながら、大輔君が先に口を開く。この書類とは、蜘蛛妖怪兵士の肩書を持つ者(例えば雷羽君とか)が、戦った妖怪を記録したものである。


「そのようだな。俺たちの弟も、あの娘の陰気に犯されて、妖獣化を暴走させたもんな。それに加えて、会津の怪獣まで複製して、町に解き放ちやがったし…」


 黄金君のその発言に、大輔君は首を傾げて、さっきまでの歪み合い嘘だったかのように話しかける。


「お前たち蜘蛛妖怪に『妖獣』の姿なんてあったか?」


 妖獣。文字通り、獣の形をした妖だ。

 彼が疑問符を立てるのも当然だろう。僕たち蜘蛛妖怪にはその姿はない。例えるなら、生まれつき妖気を持って生まれる人間みたいなものだ。たが、僕たちの弟、雷羽君だけは別だった。


「いや。僕たちには妖獣の姿はない。でも一人だけ特別な子がいる」


「特別な子?」


 大輔君が、書類から顔を上げて僕を凝視する。その瞳には、保育士としての穏やかさではなく、かつて戦場を駆けた猫又としての鋭い光が宿っていた。


「うん。僕たちにはもう一人弟がいてね。その子が特別な子。弟だけど、血のつながりがないんだ」


「そいつは、土蜘蛛と人間の血を引いた半妖怪でな。燃えて滅んだ村の付近の森の中で倒れてたところを俺が拾ってきたんだ」


「拾ってきたって、お前らの親は許したのかよ?半妖怪とは言え、災厄を呼ぶ妖怪の一体だぞ」


「ああ。最初はさすがに戸惑っていたよ。でも、その時から医者の端くれだった俺は、災厄の子といえ、幼い子供をその場で見捨てるなんてできないと、胸の内を話したら、快く受け入れてくれたよ」


 黄金君はそう言って、どこか懐かしむように空を仰いだ。  大輔君は少し意外そうに眉を上げたが、すぐに納得したように鼻を鳴らす。


「どんな藪医者かと思っていたが、案外真っ当な魂を持ってやがったか」


「…うっせぇ。話し戻すぞ」


 黄金君は、居心地が悪そうにそっぽを向くと、耳のあたりを赤くしながら乱暴に髪を掻き上げた。完全に照れ隠しだ。そんな彼の様子を見て、大輔君はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。


「そうだね。ここ最近、地獄に送られた妖怪たちがこの世に復活するケースも増えてきている。『(ぬえ)』に『濡れ女』、それに『四次元(よじげん)ばばあ』…」


「俺の保育園に『四時ババ』も現れたぞ。あの道化野郎、園児に手を出しやがって…。次会ったら、ゼッテエぶっ飛ばしてやる」


 大輔君が拳を強く握りしめると、周囲の空気がミシミシと鳴動した。やはり、ただの保育園長で終わる男ではない。


「これら全ての怪異の裏には、間違いなく赤赫刃…、特にあの幽霊蜘蛛が関与していると僕は見ているんだ」


「地獄の門をこじ開けて、罪人をこの世に引きずり出す…。死術を使いこなすあいつなら、たわいもない話ってことか」


 黄金君は忌々しげに吐き捨て、白衣の下で腕を組んだ。


「赤赫刃も幽霊蜘蛛だけじゃないのが、また厄介だな…」


「そうだな…。偶然見つけた蟻蜘蛛に手を貸した時に、数体同時に相手したが、あいつらなかなか楽しめるぜ」


 正面からやり合うなら、僕や大輔君も余裕で相手できるだが、不意をつかれると話は別。彼女たちは、どんな卑怯な手を使ってでも、こちらを潰しに来ているのも明らかだった。今後、どんな力をつけてくるか…。


「なんにせよ、戦力を高めるのが先決だと思う。雷羽君にも頼もしい仲間が増えてきている。後は、彼女たちが本格的に動き出した時に、僕たちが…、そして彼らが、どれだけ太刀打ちできるかだね」


 僕がそう締めくくると、黄金君と大輔君はそれぞれ異なる表情で、けれど同じ方向を見据えた。


「雷羽の周りの連中か。丸眼鏡に、白髪、針女の教師…。あいつらが、どこまで雷羽を支え切れるか見ものだな」


 黄金君は白衣の袖をまくり、医者としてではなく、一人の戦士としての鋭い眼差しを向けた。


「半妖怪の土蜘蛛…。なかなか見込みのありそうなやつだ。いつか、会ってみてえな」


 大輔君は拳に手のひらを打ち付け、好戦的な笑みを浮かべた。その瞳は、強者との出会いを予感する期待に満ち満ちていた。


「期待していいよ。雷羽君は僕たちの自慢の弟だからね。それじゃあ、解散だ。二人とも、急に呼び出して悪かったね」


僕がそう締めくくると、黄金君は白衣の襟を整え、溜息混じりに歩き出した。


「これといった対処法こそ、決まらなかったがな。まあ、なんとかなるか」


「当たり前だ。なんてったって、俺がいるんだからな」


 大輔君が自惚れとも取れる自信を剥き出しに笑う。その傲慢なまでの力強さに、黄金君は「やれやれ」と呆れたように肩をすくめた。

 二人は最後までいがみ合いながらも、それぞれの守るべき場所へ。

 僕は彼らの背中を頼もしく見送った。その途中、黄金君は風術に身を包み、大輔君はヤマネコの如く木々に蹴って姿を消した。

 赤赫刃。君たち野望は、僕たちが止めてみせる。


 第三話「赤赫刃」


 半妖怪の土蜘蛛の新たな姿に敗れた私は、彼につけられた傷を、棚蜘蛛(たなぐも)様に草術で治癒してもらっていた。


「随分派手にやられたようだな」


 美しい桃色の短い髪を靡かせながら、棚蜘蛛たなぐも様は慈しむように私に語りかけてくださる。鮮やかな黄緑の和服を優雅に着こなした彼女の佇まいは、戦場に咲く一輪の花そのものだった。


「申し訳ありません…。手間を掛けさせてしまって…。ですが、次は必ず奴を…」


 手当てを終えた棚蜘蛛様は、私の言葉を遮るように顔を至近距離まで近づけてきた。


「イタッ!?」


 そして、私の額を指で軽く弾く。私は痛みに驚いて、即座にその箇所を押さえる。


「別に、手間などと思ってない。私は赤赫刃の元医療班だ。仲間がどれだけ傷を負って帰ってきても、それを治療するのが仕事だった。死なずに戻ってきてくれる、それだけで充分よ」


 その言葉は刃のように冷徹に響いたが、その奥底には、凍えた心に火を灯すような不思議な温もりが宿っていた。姫様の傍に使えている時には、あまり見せない柔らかい表情だった。


「…感謝いたします、棚蜘蛛様」


 私は深く頭を垂れる。厳しい言葉の裏にある、彼女なりの不器用な慈しみが、傷ついた心に深く染み渡っていく。


「では、私はこれで…。失礼します」


 寂れた医務室から離れて、この建物の屋上へと向かった。その後すぐに、棚蜘蛛様と姫様の会話が聞こえてくる。はっきりとは聞こえなかったが…。


「こんなところで、おサボりかい」


 夜風に当たりながら、半妖怪の土蜘蛛を倒す策を練る私に、群青の髪に桃色の瞳をさせた男が軽薄な声を掛けてくる。同じ赤赫刃の同胞である『地蜘蛛(じぐも)』だった。


「少し、反省」


「幽霊蜘蛛はいつも上手くいってないもんね」


 地蜘蛛は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべて私の隣に腰を下ろした。


「働いてないあなたに、言われたくはない」


「僕は慎重派だからね。君みたいにアグレッシブじゃないんだよ」


 地蜘蛛は細長い指を組み、夜空を仰いでケラケラと笑う。その余裕が、今の私には酷く鼻についた。


「それで、なんのようかしら?邪魔をしにきたなら、さっさと消えてくれる」


 私は夜風に靡く水色の長い髪を耳にかけ、冷ややかな視線を彼に投げた。


「相変わらず冷たいね。僕たち仲間なんだよ。それに君は後輩だ。もう少し…」


「さっさと要件を──」


「…あー、はいはい。実は、僕も任務を姫ちゃんに任されちゃってさ。裏切り者を始末しろって話。君が前にしくじったせいで、僕に回ってきちゃったよ」


 裏切り者の始末。「家蜘蛛」に関する一件か…。忌々しい記憶を呼び覚ます。

 あの日、あの桜の木の下で、私は確かに勝ち確信していた。死した教え子「透」に悪霊の力を与え、家蜘蛛にぶつければ、彼は教え子を手に掛ける絶望の中で自害するはずだったのだ。

 だが、誤算があった。

 家蜘蛛の心は、私が思うよりもずっと強く、精神的に倒すことは不可能に近かった。


「それは、素直に謝る。言い訳も、特にしない…」


「相変わらず真面目だね。君のそういうとこ大好き」


「気持ち悪いです」


 私が心底嫌悪を込めて吐き捨てると、地蜘蛛は傷つくどころか、かえって愉快そうに肩を揺らした。


「酷いなぁ…。文句を言われてる立場だってわかってる?」


「それはそれ、これはこれよ」


「──まあ、いいや。で、本題なんだけどさ」


 地蜘蛛の目が、ふっと細められる。三日月のような薄笑いはそのままに、温度だけが急速に剥落していく。


「その裏切り者……『家蜘蛛』の居場所、もう割れてるんだよね。君、どうする? 汚名返上のチャンス、あげてもいいよ?」


 少しだけ心が揺れるが、ここは堪える。


「結構よ。私には、まだ玩具が残っているもの…」


「そっか。残念。じゃあ僕はこれで失礼するよ。精々、足元を掬われないようにね」


 地蜘蛛はくすくすと不吉な笑いを残し、砂のように散り散りになって夜風に消えていった。


「誰にも話すなと約束を破ったこと。あの針女に酷く後悔させてやる…」


 私は自らに術をかけて姿を変える。月明かりの下に現れたのは、半妖怪の土蜘蛛と親密な関係にある、針女の姉の姿だった。人間たちの生活へ溶け込んだ。


 第四話「妖獣化の代償」


 俺はあずきのアイスを平らげると、ようやくシンさんの膝から降りた。長時間座らされていたせいで、少しだけ尻が痛い。


「良かったです。楽しくやっているみたいで」


 シンさんは満足げに目を細め、シワになった自分のスカートを優雅に撫でて整えた。俺のぶっきらぼうな近況報告を、彼女は一言も漏らさぬよう慈しむように聞いていた。


「まあな」


 俺は鼻の下を指で、さすりながらそう言った。


「ところで、雷羽さん。かなり軽くなってましたけど、最近しっかり食べれてますか?体に違和感とかは…」


 俺より遥かに背が高いシンさんがそう言って、俺の背後から脇の下に手を入れて持ち上げる。もう抵抗するのも面倒だ。俺はぐったりと脱力したまま、彼女のなすがままにされることにした。


「違和感か…」


 最近の食生活を思い返してみる。そんなに偏った食事はしてないな。野菜を自給自足で補ってる分、質の良い肉や魚食えてるけど…。


「強いて言えば、食う量が少し増えたかな」


「本当ですか?めっちゃくちゃ軽いですよ。めっちゃくちゃ!」


 シンさんは信じられないといった様子で声を上げ、持ち上げた俺の体を横に激しく揺さぶった。視界が高速で左右にぶれ、脳みそまでシェイクされる。


「やめろ!酔うッ!!」


 俺が声を上げると、散々揺らした俺をそっと地面に下ろす。


「だって、まるで中身が空っぽの殻を持ち上げているみたいなんです。食べる量が増えて体重が減るなんて、普通の人間なら病気ですが…、あなたは半妖怪。内側の『何か』が、栄養を食い尽くしているんじゃありませんか?まあ、大体察しはつきますが…」


 察しがつくなら、あんなに揺らすなよ。ただ気分悪くなっただけじゃねぇか…。さっき食ったアイスが出ちまうよ…。


「雷羽さん、ここ最近『あの姿』になることありましたか?」


「あの姿…?あー、妖獣化を制御した姿のやつか?あの姿なら二日に一回ぐらいになってるぜ。もっと使いこなせれば、今まで手強かった連中とも対等にやり合えそうだからな」


 強くなるための鍛錬。その手応えを口にする俺に対し、シンさんは珍しく俺に対して、深いため息と呆れ顔を見せる。


「やっぱりですか…。それになった後、すごくお腹空きません?」


「えっ?なんで分かんの?」


 図星だった。あの姿を解いた後は、まるで数日間何も食べていないかのような、感覚に陥っていた。


変化(へんげ)は妖気を大量に消費するのは、妖獣態になっている時にもう理解されてる思います」


「ああ。確かにそうだな」


「ですが、妖気が尽きた後に何が起きるか……ご存じですか?」


「いや…、知らない」


「体に蓄えられたエネルギーを、無理やり妖気に変換し始めるんです。妖力を上げて爆発的な力を得るということは、体内で猛烈な『燃焼』が起きるのと同義ですから」


 なるほど…。だから妖力を高めると体が熱くなるのか。半妖怪になって二十年以上経つが、初めて知ったな。


「でも大したことじゃないだろ。腹が減ったら飯を食えばいいだけの話だろ」


「そうもいきません。戦闘中、肉体まで使い切れば、貴方は文字通り燃え尽きて灰になります」


「じゃあ、どうすればいいんだ?」


 俺は腕を組んでシンさんに尋ねる。


「そうですね。色々方法はあると思いますが、私がおしえられそうなのは…、『望月還流(もちづきかんりゅう)』ですかね」


「なんだ、それ?」


「相手の妖術を利用して、自分の力に変換させる一種の吸収技です」


「相手の妖術を利用する?」


「そうです。敵の放った妖術を敢えて受け吸収し、己の妖気に変換させる。そうすれば、本来の姿をさらに安定して扱えるはずです」


「はあ…?」


「それに、この術が使えれば、ピンチの時に逆転の一手になると思いますよ」


「ふーん…。確かに妖力は格段に上がるが、体力と妖気の消耗が激しいのは事実。試してみる価値はあるか…。教えてくれ。その「望月還流」って術──」


「喜んで!」


 シンさんは満面の笑みを浮かべると、俺の肩に手を置いた。その瞬間、目の前の景色が変わる。俺の部屋から、屋敷の外へ一瞬して移動したのだ。


「ふふ。驚きました?」


「ああ…。こんな術使えたんだな」


 十二の時から高校卒業ぐらいまで世話になってたが、シンさんがここまでの術者とは思わなかった。ただの世話焼きだと思っていたが、閻魔王直属の部下である実力は本物なのかもしれない。


「これくらいはお手の物ですよ。…さて、雷羽さん。実戦形式で始めましょうか」


 そう言うと、シンさんはまだ負えないほどの速度で俺の背後に周り、空中回し蹴りをいきなり振ってくる。


「くっ…!?準備運動も無しかよ!?」


 なんとか体が追いつき、腕でその蹴りを受け止める。タイトなレディーススーツ姿で動いてるとは思えないほど重かった。


「なに言ってるんですか?これが準備運動ですよ」


 シンさんは着地と同時に、さらりと乱れた前髪を直して微笑む。


「冗談キツいぜ…。でも、シンさんとなら楽しくやれそうだ」


 俺は口角を吊り上げると、全身の血が沸騰するような感覚に身を任せた。  直後、黒い虹彩が鮮やかな水色へと染まり、肌を刺すような鋭い妖気が周囲に吹き荒れる。


 第五話「狂骨の修行」


 準備運動という名の組手が激しく続いた。

 シンさんの、空気を切り裂くような鋭い横蹴りを右腕で払い、その勢いのまま裏拳を仕掛ける。

 だが、シンさんは柳のように背中を反らせ、俺の拳を紙一重でかわしてみせた。俺は空振った反動を殺さず、軸足を入れ替えて鋭い回転蹴りを放つ。だが、彼女はまるで見透かしていたかのように、流れるような動作で体勢を低くした。俺の脚が、空しく彼女の頭上を通過する。


「打撃がダメなら…!」


 空を切った足を無理やり引き戻し、俺は渾身の力で地面を蹴り抜いた。ドォンッ! という轟音と共に地面が爆ぜ、大小さまざまな石礫が空中に舞い上がる。滞空する石に妖気を込めて、シンさんに向けて放つ。


「ほう…」


 シンさんはわずかに目を見開いたが、その唇には余裕の笑みが戻る。

 彼女は舞い踊るような、流麗な身のこなしで飛来する弾幕をかわし始めた。闇雲に避けているのではない。まるで全ての石礫の軌道が、彼女にはスローモーションで見えているかのような——そんな、恐ろしいほど無駄のない動きだった。


「打撃から妖術に移行する流れは、素晴らしかったです。ですが、それでは私には通用しません」


 舞い散る砂塵を背に、シンさんは羽毛が降り立つような軽やかさで見事に着地を決めた。乱れたレディーススーツの襟を整える仕草すら、どこか絵になっている。


「…分かってるよ。あんたに本気を出させるのが、どれだけ高い壁かってことくらいな」


 俺は荒くなった息を整えながら、水色の瞳で彼女を射抜く。


「理解が早くて助かります。では、本題に入りましょうか」


 シンさんは余裕の笑みを崩さぬまま、スッと背筋を伸ばして両手を横に広げた。まるで、どんな攻撃でも受け入れると誘っているかのようだ。


「私に向かって、妖術を撃っていただけますか?」


「…避けないんだな?」


「ええ。雷羽さんの全力で構いません。私がこれから見せるのが『望月還流』の完成形です。その目に、そしてその感覚に、しっかりと焼き付けてくださいね」


 ニコニコしているが、シンさんの纏う空気が、一瞬にして冷徹なものへと変貌する。

 俺は迷いを振り払うように深く腰を落とし、掌に全神経を集中させた。逃げることも避けることもしない相手に、手加減など無用。


「『岩術(がんじゅつ)礫岩(れきがん)』!!」


 妖気を貯め終えると、両手を前に出して光線型の妖術を放った。空気を削り取りながら突き進むその一撃は、一直線にシンさんの胸元へと迫る。

 しかし、シンさんは動じることなく、右手を前に出して、俺の妖術を受け止める。


「『月術(つきじゅつ)・望月還流』」


 すると、その妖術は徐々に圧縮される。衝撃も、爆音もない。ただ、彼女の肌を伝って俺の妖気が螺旋を描き、シンさんの全身へと溶けていく。


「すげぇ…」


 この姿で出せる全力を出した。かつて『濡れ女』と死闘を演じた時と同じ、正真正銘のフルパワーだ。それを片手で、しかも無傷で受け止めてみせた。

 驚きと感心が混ざり合い、言葉が出てこない。

 これまで見てきた彼女の姿が、ほんの一端に過ぎなかったことを思い知らされる。その柔らかな微笑みの奥にある、揺るぎない「強さ」に、俺はただただ見惚れるしかなかった。

 シンさんはゆっくりと掌を下ろすと、いつものように艶然と微笑んだ。


「今のが『望月還流』です。コツはやりながら掴んでいきましょう。まずは相手の術を受け止めるところからです」


 シンさんは片腕を真上に掲げると、その上に妖気が溜まっていく。わずか一、二秒で膨張し、学校でよく見るドッヂボールの球ほどの大きさになった。


「いきますよ。受け止めてください」


 来るッ!!


「『月術・満月一輪(まんげついちりん)』」


 シンさんの手から放たれた妖気の塊が、空気を震わせて俺の胸元へと迫る。避けたら真後ろにどんな被害が出るか。そんなことを頭に浮かぶと、その場から動けず、体全体でその術を受けた。


「どわーっ!!?」


 だが、あまりの勢いで飛んできた弾は俺ごと背後に吹っ飛ばす。その後、爆発した。

 爆風に煽られ、俺の体は無様に地面を転がった。全身を焼くような熱さと衝撃。水色の瞳が、苦痛でわずかに細まる。だが、すぐに立ち上がる。


「ほー。避けませんか」


「この程度、どうってことない。ばんばん撃ってこい」


「蟻蜘蛛さんや黄金さんから聞いていましたが、本当にタフですね。これなら、簡単にモノにしてしまいそうですね」


 その後も、何度も何度も同じことを繰り返した。その繰り返しの中で、完全に受け止められるようになっていく。しかし、爆発は抑えられない。


「うわーっ!!?」


 それでもまだ立ち上がる。


「まだだっ!!」


 相手の妖気を自分のものに波長を合わせる。それができれば、爆発も抑えきれるばず…。理屈は分かっちゃいても、圧縮ができない。

 気づけば、もう日は沈みきっていた。

 群青色の空の下、シンさんの指先に灯る妖気の光だけが、残酷なほど美しく辺りを照らしている。


「…そろそろ限界ですね。最後にしましょうか」


 シンさんの声が、静まり返った庭に響く。彼女は密度の高い妖気の塊を練り上げた。


「『月術・満月一輪』」


「くっ…!?うぅ…」


 放たれた妖術を毎度のこと受け止める。後退させられるが、なんとか耐える。

 俺にはシンさんのような高度な術は扱えないかもしれない。だけど、俺が妖獣化をもっと使えるようにって、ここまで付き合ってくれたんだ。一回ぐらいは、成功させたい。


「うおーっ!!!」


 俺はその弾を蜘蛛の巣で包み込み、無理やり小さくさせる。そして、それを体内へ取り込んだ。最初の一瞬だけ取り込んだ箇所を中心に高熱で痛みが走ったが、それも束の間。全身の力が一気に抜けて、膝をついてしまう。妖気が全て抜け、瞳の色が黒色に戻る。


「無茶なことしますね」


 シンさんは、膝をついて息を整える俺に、ゆっくりと近づいて手をのばす。


「月術とはかけ離れていましたし、自らの妖気にも変換できていませんが、感覚は掴めましたかね」


「前に、悪霊化した霊から、陰気を抜き取って、代わりに取り込んだ時があってな…。それを応用してみた…」


 荒い呼吸を整えながら、俺は鉛のように重い体をなんとか持ち上げ、ふらつきながらも立ち上がる。


「あの一時の、無理やり『食った』感覚を思い出せばいける気がしたんだよ。……月術とは、だいぶ別物になっちまったけどな」


 俺は煤けた手を見つめる。 シンさんのやり方が「調和」だとしたら、俺のは「捕食」に近いのかもしれない。


「ふふ、過去の経験を糧にするとは。やはり貴方は、私が教えるまでもなく『野生』の術者なのですね」


 シンさんは歩み寄り、俺の服に付いた土を優しく払ってくれた。


「野生の術者か…。悪くない響きだな」


 俺は煤けた頬を指先で掻き、不敵に笑ってみせた。 洗練された月術とは程遠い、蜘蛛の糸で力任せに手繰り寄せるような泥臭いやり方。でも、それが今の俺の「全力」であり、生きるための「術」だ。


「また、こうやって修行付き合ってよ。俺、もっと強くなって、いつかシンさんに少しでも近づけるように頑張るからさ」


「雷羽さん…」


 シンさんは驚いたように目を見開いたあと、ふっと目尻を下げて微笑んだ。その瞳には、夕闇よりも深い慈愛が湛えられている。

 じっと俺を見つめる彼女の顔が、いつもより少しだけ近く感じられて、俺は思わず鼓動が跳ねるのを感じた。

 そんな静寂を破るように、彼女は茶目っ気たっぷりに首をかしげる。


「それ、告白と受け取っていいですか?」


「な、なぜそうなる!?」


 格好良く決めたはずの決意表明が、一瞬で恥ずかしいセリフへと塗り替えられる。俺は一気に顔が熱くなるのを感じて、慌てて視線を逸らした。


「あら。ずっと側にいて欲しい、貴方を追いかけたい…。そう聞こえましたけれど?」


「そんな意味で言ったんじゃねぇよ! もっと強くなるって意味だろ!」


「遠慮しないでください…。私はずっと、貴方様の傍にいますから…♡」


 柔らかい感触と、耳元で囁かれる甘い吐息。

 俺の腕を恋人のように捉えて、もう離さないという意志すら感じる。


「雷羽さん…♡一緒に飲みに行きましょう…♡」


「行かねえよ」


「なんだったらお風呂も一緒に…♡」


「入らねえって!!」


 ──結局この日は、日を跨ぐまで飲みに付き合わされ、俺の生活するこの世に帰れたのは、日が登り始めた頃だった。


 第六話「小虎の人形ごっこ」


 私のは白井小虎。山ノ浦中学校一年三組の女子生徒。どこにでもいるぬいぐるみ好きな女子だ。ついこないだまでは…。


『白井…今から目にしたこと、誰にも話さないって…約束してくれるか…』


 隣のクラスの雷羽先生の秘密を…。


『雷羽先生、少しだけ堪えて下さい』


 自分の担任であるマチ先生の秘密を…。


 この二人の先生がただの人間ではなく、特別な力を持つ「妖怪」であるという秘密を、私は知ってしまった。

 二人ともかっこよかったなあ。私から悪そうな霊を引き離して、虎の怪物の姿から戻そうとしてくれる二人の勇姿。私は何度もぬいぐるみで、このやり取りを再現している。もちろん、自宅の自分の部屋で一人きりだ。

 怪物を当時の虎のぬいぐるみで、マチ先生を羊のぬいぐるみ。そして、雷羽先生は彼が縫い直して私にくれたクマのぬいぐるみだ。


「『今です!!雷羽先生!!』『えいなんとか!!』」


 虎のぬいぐるみに対して、羊とクマのぬいぐるみで取っ組み合いさせるようにする。


「『ありがとな、マチ先生』『い、いえ…。私は白井さんを助けたくて一心で…』」


 恥ずかしそうにするマチ先生も可愛かったなあ。雷羽先生のお礼の言葉に照れちゃってさあ。なんだかドキドキしちゃった。

 そんな私はこんな妄想をしてしまう。


「『雷羽先生…。私、あなたのことが…』『マチ、それ以上言わなくていい。分かってるから』」


 私はうっとりと溜息をつきながら、羊とクマのぬいぐるみの口元をそっと重ね合わせた。


「……尊い。尊すぎる……っ!!」


 ベッドの上をごろごろと転げ回り、悶絶する。

 あんなに強い二人が、実はお互いを想い合っているかもしれないなんて。学校の誰も知らない秘密の恋…。


 ピンポーン…。


 静かな家の中に、無機質なチャイムの音が響き渡る。

 誰だろう、こんな時間に。お兄ちゃんはまだ塾だし、お父さんとお母さんの仕事が終わるには早すぎる。

 胸の奥にざわざわとした胸騒ぎを覚えながら、私は玄関へと向かった。


「…っ」


 恐る恐る覗き穴に目をやると、そこには知らないツインテールの女の人が…。学生服を着ていて、女子高生のような格好をしているが、うちに娘は私一人。まさかとは思うが、兄にそういった趣味が…。


「そこにいるのは、白井小虎ちゃんであっているかな?」


 そんな冗談じみた思考をさせていると、玄関の外から声が聞こえてくる。私の名を知っている上、私がドアの前に立っていることも見透かされている。恐怖感が募り、私は腰が抜けそうだった。


「驚かせちゃったかな。私、蜘蛛妖怪の『埖蜘蛛(ごみぐも)』というものなんだけど、小虎ちゃんに聞きたいこといくつかあって、お邪魔したいんだ」


 つらつらと、まるで近所のお姉さんが世間話でも持ちかけるような気軽さで、彼女は「妖怪」であることを告げた。

 蜘蛛妖怪…。雷羽先生と同じみたいだけど、蜘蛛妖怪って良い人だけじゃないって言ってたし…。

 私はドアノブに手をやるが、捻ることはできなかった。本能が「開けちゃダメだ」と叫んでいる。

 ──ガタガタと震える私の目の前で、ありえないことが起きた。


「わっ!」


「わあっ!?」


 短い悲鳴が重なった。

 カギも閉まり、隙間一つないはずの分厚いドア。そこから、まるで水面から顔を出すように、あの女性の顔がヌッと突き出してきたのだ。


「おっ?ごめんごめん。思ったより近くに居たみたいだね。頭ぶつかっちゃったかな?少なくとも、お尻は痛かったかもね」


 私のことを気遣いながら、全身をドアの向こう側から引きずり出して、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「ほうほう…。君が蟻(にい)が言ってた子か…。聞いてた子より可愛いじゃないか…」


 普段なら嬉しいけど、今はそんな風に思えない。人がドアをすり抜けてきているのだ。恐怖で息が上がる…。


「おっとっと。変なこと言っちゃったね。そんなに化け物を見るような目で見なくて大丈夫だよ。私は、君のよく知る雷羽先生の仲間だから」


「ら、雷羽先生の…?」


「うん。というかそれ以上の関係かも。雷兄の妹だしね」


「雷羽先生の…、妹っ!!?」


 あまりの衝撃発言に、恐怖で止まりかけていた心臓が跳ね上がった。


「あ、これ名刺ね」


「あ、ありがとうございます…」


 流れるような動作で差し出されたそれを、私は反射的に両手で受け取ってしまった。

 手触りの良い和紙には、筆の手書きで『蜘蛛妖怪兵士 埖蜘蛛』と、驚くほど綺麗な字で記されている。


「そんな固くならないでよ。妖怪見るのは初めてじゃないんだからさ。さて、お部屋に案内してくれる?ここでは、誰か来た時面倒だから」


 雷羽先生とはあまりにもかけ離れた調子だった。だが、何故か彼と重なるような気がしてしまい、私は躊躇いもありながら案内してしまう。


「…ここです」


 私、女子の友達だって入れたことないのに、なんで見知らぬ人、いや妖怪を入れているのかと、一瞬我に帰ったが、時既に遅し。

 埖蜘蛛さんは遠慮という言葉を知らないみたいに、ズカズカと部屋の真ん中まで進んでいく。


「わあ、女の子らしいお部屋だね。あ、このぬいぐるみ可愛い!」


 抱いていた恐怖感がどこかへ霧散してしまうくらいの、あまりに遠慮知らずな態度。その子供のように純粋なはしゃぎっぷりに、私は毒気を抜かれ、不思議と落ち着きすら覚え始めていた。


「このクマさん、雷兄が直したのかな?雷兄の妖気がかすかに感じる」


 埖蜘蛛ごみぐもさんが愛おしそうに、けれどどこか値踏みするような手つきで持ち上げたのは、まさに彼女の言う通り、雷羽先生がボロボロだったところを綺麗に手直しして私に譲ってくれたクマのぬいぐるみだった。

 私にとっては、あの日助けてもらった証であり、先生の優しさが詰まった大切なお守り。

 それを「妖気」という、私には分からない言葉で言い当てられたことで、目の前の女性が本当に先生の身内なのだという実感が、ストンと胸に落ちてきた。


「…分かっちゃうんですね」


「まあね。だって妹だもん。血のつながりこそないけどさ…」


 埖蜘蛛さんはそう言うと、ぬいぐるみの頭をぽんぽんと優しく、けれどどこか機械的な手つきで叩いた。


「どういうことですか?」


 私が思わず聞き返すと、彼女はいたずらっぽく笑った。


「あれ、雷兄から聞いてない?雷兄は半妖怪って」


「それは、聞かされてますけど…。それが何か…」


 私が戸惑いながら答えると、埖蜘蛛さんは「うーん、そっか」と、わざとらしく小首を傾げた。


「説明してないんだ。まあ、そうだよね。ただの人間に、ましてや自分の生徒に家庭の事情なんてぼろっと話すわけないか。…ごめんね、変なこと聞いちゃって」


 彼女は困ったように眉を下げて笑った。

 その「申し訳なさそうな顔」が、逆に私の胸をチクリと刺す。

 私は、先生の秘密を知っている特別な生徒だと思っていた。けれど彼女の言い方だと、私はやっぱり「何も知らないただの部外者」でしかないみたいだ。


「教えてくれませんか?雷羽先生のこと…」


 埖蜘蛛さんは、困ったように、けれどどこか楽しそうに唇の端を吊り上げた。


「君は雷兄に、雷羽先生に大切にされてるんだね。分かった、特別に教えてあげる」


 彼女はそう言うと、持っていたクマのぬいぐるみをベッドの真ん中に置き、その隣に私を座らせるように促した。まるで、これから恐ろしいお伽話でも聞かせるかのような、甘く低い声。


「雷兄が、お母さんは人間で、お父さんは土蜘蛛っていう妖怪の間に生まれた半妖怪っていうのは、多分聞かされているかな」


 私は、静かに頷く。


「雷兄はそれが原因で、子供の頃とっても辛い思いをしてたんだ。大人からも子供からもいじめを受けて、痛いことされて…。そんなことされたら、誰だって、悲しいし、同時に怒りだって募ってくる…」


 先生は普段から、いじめに関することには人一倍口うるさい。それは単なる「教師としての義務」じゃなく、自分のような思いを誰にもさせたくないという、血を吐くような願いだったのかもしれない。

 入学してまだ半年も経っていないけれど、この学校でいじめの話を一度も聞かないのは、きっと先生が誰よりも敏感にその芽を摘み取っていたからなのか…。


「人はいつか感情が爆発するもの。それは妖怪も同じだし、どちらも兼ね備える雷兄だってそう。その時は子供ながらに我慢してたんだと思う。それでも、限界だったんだと思う…」


 語るにつれて、埖蜘蛛ごみぐもさんの口がどんどん重くなっていく。


「私たち妖怪には『妖気』っていうものがあるんだけど、それは大きく二つに分かれるんだ。分かりやすく言うとね、やる気とか気合い…、前向きな心で込み上げてくる力が『陽気』。対して、怒りや憎しみ、悲しみとかの悲観的な感情で力を出すことを『陰気』って言うんだけどね」


 陰と陽。

 初めて聞く言葉だったけれど、その響きだけで今の先生が置かれている状況が、嫌なほど具体的にイメージできてしまった。


「今でこそ、守るものがいっぱいあって、陽気に満ち満ちた雷兄だけど、当時は別。いじめや差別を受け続けた雷兄の感情は爆発。募った怒りや悲しみは陰気へと変わり、制御の効かなかった雷兄は暴走。そして、土蜘蛛本来の姿へと変わり、自分が生まれた故郷、そして、自分を愛してくれた人を自ら手にかけてしまった」


「っ…!」


 私は思わず、自分の口を両手で押さえた。 

 雷羽先生が、人を……。それも、自分を愛してくれた人を。

 先生がいつも纏っている、あのどこか寂しげで、自分を厳しく律するような空気の正体が、今ようやくわかった気がした。

 それは、二度と過ちを繰り返さないための「祈り」であり、消えない罪悪感からくる「罰」だったんだ。


「そんな雷兄を、うちの実兄の一人が、拾ったてきたのさ。私は猛反対したよ。『「蜘蛛妖怪」と「土蜘蛛」は同じ蜘蛛でも別ものでしょ!元の場所に置いてきなさい!』ってさ」


 埖蜘蛛さんは、遠い日の自分を懐かしむように目を細めた。


「でもさ、こんな過去を持ってるって知ったら、話は別じゃん。私は百年以上生きてるのに、この子は私より遥かに若いのに、とても辛い思いをしてる。そう思ったらなんだか、救いたくなっちゃって…」


 彼女の言葉には、長い年月を生きてきた者特有の、重みと哀愁が混じっていた。

 妖怪の「百年」という時間の感覚は私にはわからない。けれど、それほど長い時を生きてきた彼女が「救いたい」と願うほど、子供の頃の雷羽先生は痛ましく、壊れそうだったのだ。


「…埖蜘蛛さんは、本当に先生のことが大切なんですね」


「うん──。大切だよ。私の大事な『お兄ちゃん』だからね」


 彼女はうっとりと目を細め、まるでお気に入りの宝物を愛でるような、甘く粘り気のある声で言った。


「私、聞けてよかったです。雷羽先生のこと。それに、もっと知りたくなりました。妖怪のこととか、先生が歩んできた道のこと……」


 無意識に一歩、彼女の方へ踏み出していた。

 知らないことを知る快感。それは、先生を「助けたい」という正義感と混ざり合って、私の中の警戒心を完全に溶かしてしまった。


「あはは、その言葉が聞けて嬉しいよ。じゃあ、用も済んだし帰ろうかな」


 埖蜘蛛さんは満足そうに頷くと、床から軽やかに立ち上がった。


「あの、ところで用というのは……。まだ何も聞いていないような……」


 私は戸惑いながら彼女の背中に声をかけた。

 雷羽先生の過去という、重すぎる秘密を預けられた。けれど、彼女がわざわざ家まで押しかけてきた本当の理由は、まだ語られていない。


「あー。確かにそうだったね。いやー、大したことではないよ。君が雷兄の秘密を知っている人間として相応しいかをテストしに来ただけだから」


「テスト?」


「うん。もしも相応しくなかったら、記憶を処理する司令だったけど、その必要もなさそうだから」


 さらりと言ったその言葉に、背筋が凍りつく。

 今、この人はなんて言った?

 もし私が「相応しくない」と判断されていたら、私、雷羽先生やマチ先生のことを…。

 そんな恐ろしい選択肢が、今の今まで私のすぐ隣にあったとは…。


「あはは、そんなに怯えないでよ。結果は『合格』なんだからさ」


 埖蜘蛛さんは、まるで「今日のテストの点数、良かったね」と言うくらいの軽さで、話してくる。


「雷兄が命がけで守った子が、もし恩を仇で返すような子だったら悲しいでしょ? …でも安心したよ。君はとっても純粋で、誰よりも雷兄のことを想ってる。安心して雷兄の傍に置いてやれそうだから」


 その言葉は、まるで私が「雷羽先生の特別」であることを、公に承認されたような甘い響きを持っていた。

 恐怖はいつの間にか、誇らしさへとすり替わっている。

 彼女は翻るような動作で黒いマントを羽織ると、私の部屋の窓を音もなく開け、そこからひらりと身を乗り出した。


「じゃあ、帰るね。また話したくなったら呼んでよ。私の連絡先、名刺の裏に書いてあるからさ」


 闇に溶け込む直前、彼女が浮かべた微笑みは、最初に出会った時に見たどんな笑顔よりも妖艶だった。

 私は開いたままの窓に駆け寄り、夜の街を見下ろした。けれど、そこにはもう、ツインテールの少女の姿も、影もなかった。

 手の中に残された名刺を裏返すと、そこには見事な筆致で、モダンな電話番号と「華清心美(かせいここみ)」記されていた。

 私はゆっくりと窓を閉め、鍵をかけた。

 静まり返った部屋。

 ベッドの上のクマのぬいぐるみを見て、私はさっきよりも強く、それを抱きしめた。

〜次回のお話〜

 夜の校舎に響く、誰もいないはずのピアノの音。

 階段を上っても上っても、同じ踊り場に戻ってしまう悪夢のような廊下。

 鏡の前に立つと、映るのは自分の姿ではなく——誰かの、誰かの、誰かの……。

 美化委員会の生徒たちが次々と消え、一学年にも異変が。

 「七不思議」と呼ばれた古い噂が、今、現実に牙を剥き始めた。

 それはただの学校の怪談なんかじゃない。

 次回、『半妖怪の導き 第十一巻「山ノ浦中学校七不思議」』

 お楽しみに〜


「今度は逃がさねえ」


 読んでくださりありがとうございます。

 投稿のペースは、都合も相まって一定ではありませんが、今後も雷羽先生の活躍の応援をよろしくお願いします。

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