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第十巻 初出張!!お供するのは理科教師

ようこそ。妖怪たちが蔓延る世界へ。


気になる点があるかもしれませんが、温かい目で流してください。

 出張。それは働く者のほとんどが経験する、普段の職場とは別な環境で仕事をこなさなければならない業務のこと。

 社会人一年目。私、針女こと針葉樹マチも、今新しい業務を託された。これは、その時私が人間として成長することができた体験談である。


 第一話「出張命令」


「そこでだ。君の授業をより良いものにしてもらうために、研究授業に行ってきなさい」


 木戸先生の奥さんを助けてから数日後。校長にそう言われた私は、山ノ浦から少し離れた場所へやってきていた。この日は午後の授業は受け持っていなかったため、給食の時間になる前から移動していた。


「顔が硬いですよ。緊張してます?」


 そのため、移動先の学校の近くで昼食を取っていたのだが、何故か同行している豪羽先生とご一緒する形になっていた。


「そうですね…。緊張してないと言えば、嘘になりますかね」


 確かに緊張はしている。だがそんなことよりも学年主任と二人きりといったこの状況の方が、私を余計に強張らせていた。


「あはは。それはそうでよね。初めての出張なんですから、緊張するのは当然ですよね。野暮なことを聞きました」


 強張る私とは裏腹に、にこやかな声をかける豪羽先生の眼差しは、教え子を見守るかのように穏やかだった。


「それに加えて、学年主任と二人きりなんです。余計に肩に力が入るでしょう」


「へっ!?あっ!?はいっ!!?」


 ば、バレてる。思わず素っ頓狂な声を漏らして、使っていたフォークを手放し、パスタの盛られた皿に落としてしまう。


「図星のようですね」


 にやりと、いたずらっ子のような笑みを浮かべている。私を揶揄うことを楽しむような、意地の悪い、けれどどこか親しみを感じさせる眼差しだった。


「ショックですね〜。私と二人きりは苦痛でしたか」


 わざとらしく肩を落として見せる豪羽先生に、私は顔が火照るのを感じた。冗談だと分かっていても、これほどストレートに核心を突かれると反論の言葉が見つからない。


「ち、違います!苦痛だなんて、そんな…。ただ、なんと言うか、その…」


 しどろもどろになる私を見て、豪羽先生はまた楽しげに目を細めた。その仕草が私の緊張を少しだけ和らげた。


「懐かしいですね〜。雷羽先生を思い出します」


「雷羽先生をですか?」


 雷羽先生も私のように、テンパってしまうようなことがあったんだ。

 普段から木戸先生や豪羽先生にタメ口で、兄弟や従姉妹のような距離感で関わっているのに…。意外だ。


「意外だと思いましたか?」


「えっ?まあ…」


 またもや考えを読まれてドキッとしてしまったが、今回は取り乱すことほどではなかった。


「雷羽先生だって、最初から私にタメ口だったわけじゃないんですよ。去年の教師になりたての頃は、丁寧な敬語を使っていて、今では考えられないくらい模範的な新人だったんですから」


 未だ想像がつかないが、豪羽先生に敬語で話してぺこぺこしてる雷羽先生、少し気になるかも…。


「ですが、私と木戸先生が彼を揶揄い過ぎましたね。先輩と後輩、上司と部下というより、兄と弟のような関わり方になってしまいました」


 おかしくて仕方ないといった様子で、楽しそうに話してくれた。その屈託のない笑顔を見ているうちに、私は胸の奥に燻っていた疑問を抑えきれなくなった。 いつから雷羽先生の正体を知り、妖怪と戦うようになったのか…。

 木戸先生が雷羽先生や私の秘密を知っている理由は前に聞いたため、ある程度はわかっている。だが、豪羽先生が私たちのことを知っている理由は、まだ教えてもらっていなかった。


「…あの、豪羽先生」


「ん…?──どうかしましたか?」


「…何故妖怪のことを?」


 私の問いは、少しばかり唐突だったかもしれない。けれど、一度口にしてしまえば、止まっていた疑問が次々と溢れ出してきた。


「どうして雷羽先生の正体を知っているんですか? それに、木戸先生と一緒に戦うようになった理由も……」


「……なるほど。まあ、そうなりますよね。いつかは聞かれると思っていました」


 豪羽先生は、持ち上げていたコップをそっとテーブルに戻した。氷がカランと涼しげな音を立てる。


「どこから話しましょうか…。時間も迫ってきてるので、手短に話すとしましょう」


 豪羽先生がそう言うと、私は固唾を呑んで次の言葉を待った。


「私も実は、あなたたちと同じ妖怪なんですよ」


 その言葉に声を上げそうになるが、ぐっと抑えて続きを聞くために耳を立てる。


「『さとり妖怪』って知ってますか?相手の心を読むことができる妖怪です。私が先ほどから、あなたの考えていることを先回りして答えていたのは、単なる洞察力ではなく、私の性質そのものなんですよ」


 驚きで思考が停止しそうになる私を置いて、先生は穏やかな、けれどどこか寂しげな笑みを浮かべた。


「人の心が読めてしまうというのは、案外不便なものでしてね。だからこそ、妖怪としての自分を隠し、人間として教育の現場に身を置くことで、心を律する方法を学んできたんです」


 なるほど。豪羽先生も妖怪なら、私たちの秘密を見抜いたことや妖怪相手に対等に戦えることに納得が行く。だが、もしそうなら、雷羽先生や木戸先生が教えてくれそうなものだが…。


「ま、嘘ですけど」


「えっ?」


 あまりにもあっさりと放たれた言葉に、私の思考は完全にフリーズした。さっきまでの納得感や、少しだけ芽生え始めていた先生への共感を返してほしい。


「あはは! そんなに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしないでください。あまりにあなたが真剣に聞き入るものだから、つい」


 豪羽先生は可笑しくてたまらないといった様子で肩を揺らした。その表情には、先ほどの神秘的な雰囲気など微塵も残っていない。


「もう! 先生、悪趣味ですよ!」


「おっと、怒らせてしまいましたか。しかし良い反応しますね。本気だと?」


「…思いました」


「あはは。前に、雷羽先生に言われたことがあるんですよ。『あんた、さとり妖怪みたいだ』って。残念ながら、私はただの人間ですよ」


「教えてはくれないんですか?ほんとのこと…」


「話せば長くなりますから。──そうですねえ。今日一日何事もなく過ごせたら、ゆっくりお話ししましょうかね」


 豪羽先生はそう言って、悪戯っぽく右目を瞑ってみせた。


「この町は昔から危険が多いので。簡単に話せるとは、思いませんがね」


 怪しく笑うその表情には、私の背筋を冷たく撫でるような、確信めいた響きがあった。まるでこれから何かが起こることを、最初から予見しているかのように。


「まあ、何事も経験です。あなたがこの町の『夜』をどれだけ耐え抜けるか、楽しみにしていますよ」


 流れるように会計を済ませて店を出ると、私たちは出張先である学校へ向かった。私の中に大きなわだかまりを残したままだった。だが、甘いことを言っていられない。気持ちを切り替えて、目の前の仕事に向き合わなくては…。


 第二話「全国一の空手家」


 教育委員会で有名な家庭科教師の授業見学を終え、その後の協議でも上手く話し合いに参加することができた。


「参考になりましたか?」


「はい。教え方だけでなく、生徒への視線の配り方や、言葉選びの一つ一つが本当に勉強になりました。ただ、一つだけ気になることが…」


 私は授業を受ける生徒の態度が少し気になっていた。


「年頃だからでしょうか。窓側の一番後ろに居た生徒、真面目に受けているようには見えませんでした。なんだか、つまらなそう顔して…」


「目の付け所が、新米らしいですね。ここは高校ですから、中学とはまた雰囲気が違います。小学校から中学校に進学するのは、全員似た環境で育ちます。しかし、高校は別な中学校の者同士が集って形成される空間。価値観も、抱えている事情もバラバラです。全員を同じ方向に向かせるのは、至難の業ですよ」


 私はまだ教師になって間もないのは勿論、中学生のことしか相手をしたことがないため、高校生をよく知らない。それに加え、人間としての生活も浅い。大学に通っている時から人間に混じって、それなりに「人間らしく」振る舞う術は身につけてきたつもりだった。けれど、それはあくまで表層をなぞっているだけに過ぎないのだと、豪羽先生の言葉を聞いて痛感した。


「正直、不真面目な子なのかと思っていました。あの子が何を抱えているのか、その背景にまで想像が及ばなかったです」


「あなた自身も、あなたが教える生徒たちも真面目ですからね。理解しかねるのも分かります」


 豪羽先生は、責めるような色を一切見せず、淡々と、けれどどこか諭すように言葉を繋いだ。


「それに、彼はまだまともな方です。そうですね…。私、このあと少しだけここに残るんです。参考になるか分かりませんが、良ければあなたもご一緒しませんか?」


 特に込み入った予定もないため、私は豪羽先生と行動を共にすることにした。

 先生が向かったのは、、本校舎の隣に併設された武道場。初めて訪れるのもあって、体育館とはまた違う床が広がっている空間は新鮮味を感じた。


「豪羽先生。今回もよろしくお願いします」


「ええ。びしびし鍛えてあげますよ」


 道場に着くや否や、豪羽先生のもとに屈強な男性の教員がやってきて、軽く頭を下げてきた。彼に対して、任せなさいと言わんばかりな返事を、豪羽先生は返した。


「そちらの方は?」


「後輩です。研究授業のついでに、頑張る生徒たちを見せに来たんです」


「そうでしたか。それは良い機会ですね。研究授業で頭を使った後は、体を使って学ぶ生徒たちの姿も、きっと良い刺激になるはずです」


 その男性教員は、私に向かって清々しい笑みを浮かべ、軽く会釈してくれた。


「本校の空手部顧問の神林(かんばやし)です」


「針葉樹マチです。今日はよろしくお願いします」


 私がぎこちなく頭を下げると、神林先生は「そんなに堅くならなくても大丈夫ですよ」と豪快に笑った。その腕は道着の上からでも分かるほど太く、日々の鍛錬の凄まじさを物語っている。


「豪羽先生には、年に数回こうして組手の指導をお願いしているんです。先生の動きは、なんというか…、人間離れしていますからね」


「あはは。人聞きが悪いですよ、神林先生」


「何を言いますか師匠。実際そうじゃないですか」


 師匠?豪羽先生よりも遥かに年上に見えて、体つきも明らかにごっついのに、弟子なの?

 と、頭に失礼極まりないことがよぎりながらも、二人の話を聞いていた。


「さて。無駄話もこの辺にして、さっさと始めましょう。準備体操と基礎練は済ませておいているのでしょう?」


「勿論です。今日は部員全員、先生の稽古を受けられるって、イキイキしてますから」


「そうですか。では、私の準備が整ったら、すぐに始めるとしましょう。道着に着替えてくるので、マチ先生はベンチに座って、生徒たちが部活動に励む様子をよく見ていてください」


 豪羽先生はそう言い残すと、更衣室の方へと軽やかな足取りで消えていった。

 私は促されるまま、道場の隅にあるベンチに腰を下ろした。

 視界の先では、神林先生の合図とともに部員たちが一斉に動き出す。突き、蹴り、そして鋭い踏み込み。そのたびに「エイッ!」という気合が武道場全体を震わせ、窓ガラスが微かにカタカタと鳴った。


「凄い…」


 思わず口に漏らしてしまうほど、洗練された動きに目を奪われてしまう。よく観察していると、見覚えのある顔が紛れていた。

 先ほど見学していた授業で、つまらなそうな顔をしていた男子生徒だった。

 彼はさっきの無気力さが嘘のように、眉間に皺を寄せ、必死に拳を突き出している。私は、いつの間にかその子だけを眺めていた。


「お待たせしました」


 しばらくすると、道着姿の豪羽先生が生徒の前に立つ。いつもと違う姿なはずなのに、いつもと同じように見えてしまうのは、彼から放たれる圧倒的な「安定感」が変わらないからだろう。


「お久しぶりですね。前に来た時よりも、気合がよく感じられます。皆さんの体が冷めないうちに、早速始めていきましょう」


 豪羽先生はそう言って、一人ずつ相手をしていった。生徒の攻撃を一切寄せ付けずに、無力化していく。あの体つきからは考えられない強さだった。


「かなり動きは良くなりましたが、まだ力を入れすぎる傾向にあります」


「悪くない一撃でしたが、それでは簡単に防がれてしまいます。もっとに速さを意識するように──」


「型が乱れています──」


 高校生相手に容赦のない動きを振る舞うが、しっかりと対応をして、的確なアドバイスをかけている。部員一人一人の弱点を一瞬で理解しているようだった。


「お願いします…!!」


 最後の一人は、授業をつまらなそうに受けていた生徒。気合いの入った挨拶をすると、授業では見せなかった真剣な顔をさせて、構えを取った。


「始め!!」


 審判を務める神林先生の合図と共に、二人は動き出す。今までの部員は、闇雲に技を仕掛けては動きを読まれ、あっという間に制されていた。だが、あの子だけは違った。

 豪羽先生の動きを凝視し、泥臭く食らいつきながら、反撃の刹那をじりじりと窺っている。その瞳には、先ほどまでの「つまらなそうな色」は微塵も残っていない。

 しかし、力の差は歴然だった。一瞬の呼吸の乱れを突かれ、気づいた時には少年の鼻先の数ミリ手前で、豪羽先生の拳がぴたりと止まっていた。

 防具越しとはいえ、その衝撃波がこちらまで届きそうな鋭い突き。見ていた私は、思わずベンチから腰を浮かせてしまうほどヒヤリとした。


「反応が良くなってきましたね。目標が見えてきましたか?」


 豪羽先生はゆっくりと拳を引くと、その生徒の肩をポンと叩く。生徒は膝をつき、激しい息を吐きながら、自分の前にそびえ立つ「壁」の高さに呆然としていた。

 その後も稽古は続き、アドバイスを受けた部員たちはそれを意識した上で互いを高め合っていた。一方、講師としての仕事を終えた豪羽先生は、道着姿のままこちらに話をかけてきた。それなりの数の部員を相手したはずだが、不思議なことに汗をかいていなかった。


「どうでした?彼の変わりぶりは」


「凄いと思いました。授業で見せなかった真剣な眼差しと本気で取り組もうとする態度、目に見えて分かりました」


「そう思えたなら充分ですかね。我々教育者は、子どもにあった教育をしなくてはいけません。彼のように、周りと同じように学習することができない子も中にはいます。そう言った生徒は見離しちゃいけないんです。彼らが夢中になれることにできるだけ共に向き合ってあげる。それが、人としての成長に繋がる時がありますから」


 豪羽先生はそう言って、再び部員たちの方へ視線を戻した。道着の襟元は整ったままで、激しい動きをした後だというのに、呼吸一つ乱れていない。その超然とした姿は、やはりこの世のことわりから少しだけ浮いているように見えた。


 第三話「出張先の秘密」


 放課後。俺は図書館へ本を借りにきている。


「もうちょっと…」


 手を伸ばして、棚の上の方にある本を取ろうとしていた。


「どわっ!?」


 背伸びしてようやく手にすることができる。だが、本棚から本を抜いた瞬間、隣接していた本も出てきてしまう。その本は俺に降り注ぎ、さらにバランスを崩しては床に倒れてしまう。


「たくっ、もう…。痛っ!」


 床に散らばる本と共に床に倒れていると、遅れて棚から倒れてきた本が頭に直撃する。


「またお前か。どんだけ散らかせば気が済むんだ」


「別に散らかしたくて、散らかしてるわけじゃねぇよ。だいたい、本棚にギッチギチに並べてる方が悪いだろ。イテッ!」


 文句を垂れる俺に対して、図書館を管理する者が頭を辞書の角で軽く殴る。


「身長が低い癖に、高所の本を無理して取ろうとしてるからだろ。台を使え、台を」


 散らかった本を片付けながら、俺にそう言うのは前に知り合った「としよくん」だ。教育の現場から身を引いたらしく、今はこの図書館で働いているらしい。


「時に土蜘蛛。今日はマチと一緒じゃないのか?」


 立ち上がり、服についた埃を払う俺に、としよくんは散らかった本を拾いながら、そう尋ねてきた。


「一緒じゃないが、何か用あったか?」


「いや、特に用はないのだが、美人だし、乳デカいからな。拝むと仕事の励みになる」


「あー。あんたもそっち側か…」


「どういう意味だ?」


「兄さんも似たようなこと言ってたからな。そう感じただけだ。気にしないでくれ」


「そうか…。顔を赤く染めているが、なんだお前、あんな巨乳美人と一緒にいて、いまだに耐性がついていないのか?」


「違う!!そんなんじゃない!!」


 そんなんじゃないけど、マチ先生が美人とかスタイル良いとかの話されると、あの時の事故を思い出して、男としてなんか変な気持ちになる。

 ありありと思い出される光景に、俺は平静を装うことすら難しくなっていた。


「マ、マチ先生は今日、研究授業だって言って、学年主任と出張だよ。隣町の高校に出張だよ。だから、一緒にいない。おけい?」


 日本語がたどたどしくなる俺を見ると、としよくんはフルシカトする。また別な物事が引っ掛かっている様子だった。


「隣町の高校…。あの悪ガキが多いところか?」


「わ、悪ガキ?」


 そんなイメージないけどな。俺も去年豪羽に連れられて、研究授業に付き合わされたが、特にそんな印象は抱かなかったが…。


「悪ガキっていうのは、一体どういったものでしょうか?」


 まだ心と頭が乱れていて、滅多に出ない敬語がでてしまう。そんなことには気にも止めず、としよくんは話を続けてくれた。


「授業も受けずに遊び呆けるやつが一部いるんだ。中には夜中にふらついて、警察沙汰になる連中もいると耳にしたことがある」


「不良ってやつか。今もいるんだな、そういうの」


 熱がようやく冷め、冷静さを取り戻し、いつも通りの会話を交わす。


「まあ。良くも悪くも昔からある文化だからな。とやかく言うつもりはない。だが、人間の闇をまだ知らない妖怪には少々刺激が強い気がしてな」


「…人間の闇か。確かに、マチ先生にはちょっと厳しいものを見ることになるかもな」


 としよくんの言葉に、俺は納得せざるを得なかった。

 マチ先生は、人間に対してあまりに真っ直ぐだ。教育者として「信じる」ことを前提に動いている。だが、理屈も通じなければ反省もしない、ただ純粋な悪意や衝動で動く人間を前にしたとき、彼女のその真っ直ぐさが折れてしまわないか。


「ま、豪羽もいるから大丈夫だろう。あいつはただの人間だが、妖怪のことをよく理解している」


 あいつは半妖怪である俺を受け入れて、教師としても人間としても成長させてくれようとしている。


「お前が信用を置いているなら、問題はないか…」


 散らばった最後の本を棚に戻すと、俺と共に貸し出し機に向かう。本のバーコードに機械を通してもらっていると、先ほどの会話でとしよくんに「土蜘蛛」と呼ばれたことをふと思い出す。


「そう言えば、俺の名前『雷羽』だから。『土蜘蛛』って呼ぶのやめてくれよ」


「『雷羽』…。どこかで聞いたことのある名前だな」


 としよくんは視線を上にし、何かを思い出そうとするように俺の名前を何度も呟く。


「ライウ…雷羽…。ああ。教育委員会で目をつけられてた小童か」


「はっ?」


 最後の一冊がピッとなるのとほぼ同時に、としよくんがそう話した。


「山ノ浦中で働く教員が、口を揃えて言ってだぜ。特に校長や教頭が。話は聞かないし、態度が悪い。服装も相応しくないし、指導案は雑。木登りも平気でする。そんなやつがいるって、愚痴をよく聞いたもんだよ」


「へー。有名人じゃん」


「悪い意味でな」


 俺の担当美術だし、汚れが落ちやすいの選んできてるんだ。そもそも、式典とかではわざわざスーツに変えてやってんだ。てぃーぴーおーがしっかり守れてんだから、多めに見てほしいところだ。これだから頭の硬い昭和の親父苦手なんだよな。


「まあ、安心しろ。その愚痴には続きがあった」


 としよくんはニヤリと口角を上げ、俺の顔を覗き込んだ。


「『だが、彼に救われた生徒も少なくない』──そう言って、校長は苦々しくも笑っていたよ。お前が木に登って見ているのは、景色じゃなくて、生徒の『笑顔』とかだったんじゃないか?」


「…別にそんなんじゃねぇよ。俺はただ、人一倍花見に気合い入れてるだけさ」


 あれだけ僻んでたくせに、急に褒めてこられると、なんだかむず痒いな。


「──そうか。ま、そういうことにしといてやるよ。生徒想いの雷羽先生」


「うっせぇ…。用は済んだ。もう帰るよ」


「おう。またな」


 ぶっきらぼうに別れを告げ、俺は外に出て家に帰った。その途中、自分の名前の由来をふと思い返した。


「『強くて優しい子』か…」


 ありきたりだが、そこに込められた願いの重さを、今の俺は嫌というほど知っている。

 土蜘蛛という恐れられる名ではなく、この「雷羽」という名を俺にくれたあの人は、今の俺を見てなんて言うだろうか。


木下(きのした)先生…」


 第四話「琥珀色の独白」


 部活動の見学も終わり、日が傾いてきた頃。私は豪羽先生と夕食も共にすることにした。


「良いんですか?私と飲んだら、帰り遅くなりますよ

?」


 駅の近くに店が並ぶ居酒屋街に向かう途中、豪羽先生はそんなことを聞いてきて。


「大丈夫です。私、お酒は結構強いんです。それに、約束しましたから」


 私の答えに、先生は「おや」と意外そうに眉を上げた。


「無事に出張を終えたら、先生が妖怪のことを知った理由を話す──。その約束、忘れていませんから」


 少し強引だったかもしれないが、私はどうしても知りたかった。いつも飄々と私たちを見守るこの人が、なぜ「裏側」の事情に通じているのかを。


「ははあ、手厳しい。……嬉しいですね、そうまでして私に興味を持ってもらえるとは──。誰かと飲むのは久しぶりですよ。家に帰っても、嫁は飲んでくれませんからね」


 豪羽先生はそう言って楽しげに笑った。その横顔は、昼間のミステリアスな雰囲気とは違う、どこにでもいる「少し寂しがり屋な旦那さん」のようにも見えた。


「まあ。無理に飲めとも言えませんし…」


「大切な方なんですね。どんな方なんですか?」


「小さくて、可愛らしい。天使みたいで、守りたくなるような存在です」


 まるで宝物のことを語る子供のような、純粋な表情でそう言った。怪しさのない微笑みを見せるほど、その言葉が嘘偽りのない本心であることを物語っていると感じた。

 ん?小さくて、可愛らしい。尚且つお酒が飲めない…。


「奥さん、未成年ですか?」


「そんなわけないでしょう」


 豪羽先生は、今日一番の呆れたような、それでいて吹き出したいのを堪えるような顔で私を見た。


「本当に、面白い人ですね。マチ先生は」


 楽しく会話をしていると、あっという間に目的地にしていた居酒屋に到着した。どうやら、豪羽先生がこちらに来た時、よく来る店らしい。

 暖簾を潜ると「いらっしゃいませ」と声が響き、すぐに席へ案内される。席に着いた直後、豪羽先生は生ビールとおつまみを二種類ほど注文してくださった。


「さて。私が何故妖怪の存在を知っているのか、ということでしたね」


 お酒が進んでから話を始めると思っていたが、案外早く始まった。それほど、長い話になるのだろうか…。


「はい──。お願いします」


「──私には頼りになる兄がいました。誰にでも優しく、正義感の強い。それこそ、今の雷羽先生のような兄が…。十年以上前に亡くなったのですがね」


 豪羽先生の言葉は、静かだった。居酒屋の賑やかな喧騒が、その瞬間だけ遠い世界の出来事のように感じられた。


「兄は生前、私やあなたと同じ、教師を勤めていました。山火事でなくなった村の小学校で、子供の未来を誰よりも信じる人でした」


「お待たせしましたー。ビール二つと枝豆でーす」


「あっ、ありがとうございます」


 真面目な顔で話していた表情が、ふんわりと和らいだと思ったら、再び真剣な顔に変わる。

 山火事でなくなった村…。


「私も兄も、その村で生まれ、その村で育ち、その村で先生をやりたい。そう思って過ごしていました。やがて、兄が先に夢を叶えて小学校の教師になり、私もその後を追うように勉強に励んでいた…。そんな矢先のこでした」


 豪羽先生は、届いたばかりの枝豆には目もくれず、遠い過去をなぞるように言葉を紡いでいく。


「その村に妖怪『土蜘蛛』が現れたのです」


 それを聞いた瞬間、私は驚愕して言葉を詰まらせた。


______________________________________________


「無茶だ兄さん!!止められやしない!!」


「それでも、俺はあいつの担任なんだ。俺はあいつに幸せを知ってもらいたいんだよ!!」


「児童はもう全員殺されたんだ…。何故そこまで、彼にこだわる…。彼は妖怪なんだぞ。俺たちとは違う…。なのにどうして!!」


「ここであいつを見放したら、俺はもう二度と、胸を張って『教師』だなんて名乗れなくなる。…あいつが妖怪だろうが何だろうが、俺にとっては、守るべき一人の教え子なんだよ」


「死んだら、名乗るも何も無いじゃないか…」


「──そん時は、お前に俺の夢を託す。あいつを、『雷羽』を、『強くて、優しいやつ』にしてやってくれ…」


「…分かった。約束する。だから、必ず救ってこいよ。もしも失敗したら、後を追ってでもあんたを殴りに行く」


「ああ。必ず救ってみせる──。またな。豪羽…」


______________________________________________


「私が妖怪の存在を知ったのは、この一連の流れがあったからです」


 豪羽先生は、琥珀色のビールを見つめたまま、独白を続ける。


「兄は最後まで、彼を『妖怪』としてではなく『教え子』として見ていました。周囲が彼を疫病神だと蔑んでも、兄だけは彼の手を離さなかった。…兄の犠牲が彼を救ったのか、今となってはわかりません。ですが、兄が見せたかったものは、きっと彼に見せることができていると思います」


「豪羽先生…。彼というのは、もしかして…」


「…ええ。あなたのよく知る『土亜田雷羽』先生のことです」


 その瞬間、私の中でバラバラだったパズルが、音を立てて繋がった。

 ただの人間である豪羽先生が私たち妖怪に精通していること、雷羽先生が半妖怪であることを知っていること。


「だからあなたは、雷羽先生を実の弟のように…」


「…そうかもしれませんね」


「雷羽先生はその事を、知ってるんですか…」


 自分が生まれた故郷を自らの手で滅ぼしたことは、雷羽先生本人から聞いている。その時に、大切な人まで手にかけたということも…。


「どうなんでしょうね…。彼に直接話したことはありませんが…。雷羽先生のことです。もしかしたら、もう薄々察しが付いちゃってるのではないですか」


 そう言って、ようやくビールに口をつけ、半分ほど喉に注ぐ。重い話を洗い流すかのように…。


「ふぅ〜…。いつ飲んでも、お酒は美味しいですね」


 その後、枝豆を二、三個ほど口に運んだ。そして、また一口ビールを飲んでから口を開いた。


「空気を重くしてしまいましたね。せっかくのお酒の席なのに、すいません」


「いえいえ、そんな…。話してほしいと無理に聞いた私のせいですから。むしろ、大切なことを話してくださって、ありがとうございます」


 私は慌てて首を振った。そして、続け様に言葉が出てきた。


「それに、色々解消出来て、スッキリしました。これからまた、迷わずに雷羽先生や皆さんと向き合えそうです!」


 私の言葉に、豪羽先生は少しだけ意外そうに目を見開き、それから今日一番の、嘘偽りのない柔らかな笑みを浮かべた。


「…そうですか。それは良かった。教え子に、あなたのような真っ直ぐな人が同僚できて、兄も喜んでいるでしょう。──頼りにしていますよ。針葉樹マチ先生」


「──はい!!」


 私の迷いのない返事に、豪羽先生は満足そうに頷いた。それとほぼ同時に注文した品が届いた。お酒によく合いそうな品々が、机に並ぶ。


「どうぞ、召し上がってください」


「いただきます!」


 出汁の効いた卵焼きを口に運ぶと、じんわりとした温かさが体中に広がった。

 その後も、いつもの調子の豪羽先生と会話が弾んだ。


「数々の妖怪を目にしてきましたが、マチ先生はお若く見えますね。おいくつなんですか?」


 先生の話題はごく普通の世間話へと移る。深い話が終わったあとの解放感からか、いつもより口も軽くなっていた。


「えっ、一七〇くらいですけど」


「……ごほっ、げほっ!!」


 豪羽先生は、飲み込もうとしたビールを盛大に吹き出しそうになり、激しくむせた。慌てておしぼりで口元を押さえ、信じられないものを見るような目で私を見つめる。


「……ひゃ、一七○、ですか?」


「はい。あ、でも、この姿は二十代半ばくらいに見えるように調整してるつもりなんですけど…。やっぱり、ちょっと老けて見えますか?」


「いいえとんでもない。どう見ても年下にしか見えません。というか、妖怪の姿もかなり若い気が…」


「え〜、ホントですか!嬉しいです〜」


「先輩である私たちよりも遥かに年上ですか。年齢だけ聞くと、どっちが先輩だか…。今から「マチ姐さん」とお呼びした方がいいですかね」


「もう、やめてくださいよ。あっ、でも雷羽先生に呼ばれるのは、悪くないかも…」


「あはは…(ここに来る前、お酒には強いとおっしゃってたような…)」


「えへへ〜。マチ姐さん…♪」


「(完全に酔ってるーっ!!)」


 第五話「酔いどれの守護者」


「すいません…。飲み過ぎました…」


「飲み過ぎましたって、あなたジョッキ一杯も飲んでませんよ。めちゃくちゃお酒弱いじゃないですか…」


 目を覚ました時には、すでに涼しげな風が肌に触れていた。お店で何を口走ったか、すごく恥ずかしいことを言ってたことだけは覚えている。アルコールの抜けつつある今は思い出したくないけど…。


「普段は平気なんです。本当です」


「酒に酔いやすい人は、皆んな同じ事を言ってますよ。その様子だと、まだお酒が残ってるみたいですね」


 そう言って、私の肩に貸して歩いていた豪羽先生は、コンビニのベンチに座らせた。


「お水、買ってきますから。少し待っててください…」


 豪羽先生の背中がコンビニの自動ドアの向こうに消える。私は夜の冷たい空気の中で、ぼんやりと街灯を見上げた。

 先ほどまでの居酒屋の喧騒が嘘のように静かだ。


「そう言えば、姉さんに似たようなこと言われたっけな…」


 私は姉とお酒を飲んでいた時のことを思い出す。


『マチ、あなた飲み過ぎじゃない?』


『平気だよ姉さん。私、めっちゃお酒強いから♪」


『弱い人は、皆んなそう言うわ。どう見たって出来上がってるじゃない』


『えへへ〜♪』


『まったく…。鬼じゃないんだから、ほどほどにしなさいよ』


「──あれから長い年月経っているのに、変わってないな、私…」


 小虎さんを白虎・擬から救った後、姉さんはちょくちょく顔を見せてくれていた。あったことは誰にも話すなとのことだったが、学外学習の前に雷羽先生と木戸先生に話してしまった。以来、姿を見せてくれなくなっていた。


「また、会いたいな…」


 そう口にした瞬間、どこからか女性の声が聞こえてくる。      

 懐かし惜しんでいた姉に似た声。切羽詰まった、助けを求めるような震える声だった。

 酒に酔っていた体が一気に冷めた。ベンチから立ち上がり、聞こえた声を追って、私はコンビニの駐車場を飛び出す。


「どこから…」


 私には雷羽先生のように、探索に使える術がない。己の聴覚しか頼りになるものがなかった。神経を尖らせて、耳に届く音と、視界に映る情報から探し出す。


「──な…し……くだ…!」


 徐々に目標にしていた声が鮮明になっていく。

 路地裏の突き当たり、街灯が激しく明滅するゴミ置き場の影。そこで数人の男たちに囲まれ、地面にへたり込んでいる女性の姿が目に入った。


「あなたたち、その人に何してるの!!」


 私が咄嗟に声を上げると、男たちはこちらの存在に気づき、獲物を変えるようにゆっくりと私の方へ向き直った。その時、私は何人か比較的若い男の着ている服に目が行く。


「その服装…。今日行った高校の…」


間違いない。昼間、出張先で見かけた生徒たちの制服だ。だが、その着こなしは乱れ、瞳には学生らしい瑞々しさなど微塵もなかった。


「──なんだよ、姉ちゃん。俺たちは今、お楽しみの途中なんだ。痛い目に遭いたくなかったら、さっさと引っ込みな」


 集団の中で一人だけ私服を混ぜた、リーダー格らしい男が鼻で笑いながら言ってくる。取り巻きの生徒たちは、まるでお守りでもするようにその男を囲んでいた。


「…その人が嫌がってるのが、分からないの!!」


「お前には関係ねえだろ──。それともなんだ?代わりに姉ちゃんが遊んでくれんのか?」


「望むところ…」


 私は戦闘態勢を取り、男たちの襲撃に備える。


「お前ら分からせてやれ…」


 偉そうな男が指示を出すと、取り巻きらしき男たちが一斉にかかってくる。

 私は近くにあったゴミ袋を蹴り飛ばし、迫ってくる男たちの足取りを悪くさせる。


「はっ!!」


 地面に強く蹴り、空中に高く飛ぶ。飛んだ衝撃で起きた風圧でさらに取り巻きを怯ませる。一瞬で偉そうな男の前に姿を現す。そして、拳を作り、顔面に叩き込む。


「なっ…!!?」


 男が言葉を発するより早く、私の拳がその顔面に深く沈み込み、鈍い音とともに男が後方へ吹き飛んだ。

 その後、私はすぐに襲われていた女性に声をかけて、無事かどうかを確かめる。


「大丈夫ですか!?怪我とかは!」


「…大丈夫です。ありがとうございます…」


 目の前で聞いた声で私は確信した。男たちに襲われていたのは、やはり姉さんだった。


「マチ…?」


 私を見るや否や、すぐに私だと気づいてくれた。私は再び会えたことで溢れてくる涙を堪えて、深く頷いた。


「ごめんなさい…。私、約束破っちゃった…。誰にも話さない約束だったのに…」


 泣くのを堪えて話す私を、慰めるように優しく抱きしめてくれる。


「良いのよ、マチ。突然のことだったものね。信じきれない節があったのも分かるわ」


 この温もり前に再会した時と同じ。頭を撫でられると、疑った自分を恥じるように涙が溢れる。


「よくも、お頭をっ!!」


「女、テメェ──!!」


 泣きじゃくるのはまた後だ。私は姉さんから離れて、私たちを取り囲む男子校生たちの方を向く。男子校生たちは、敵を取るかのように再度かかってくる。


「──ッ!!!」


 私は静かに目を閉じた後、妖気を体の外へ溢れさせる。その瞬間、男子校生たちは次々と倒れていった。


「少しだけ、眠っててください…」


 そう残して、再び姉に向き直る。


「強くなったわね、マチ」


「──姉さん。相手は人間の男の子だよ。針女の私が負けるはずがないよ」


 私が誇らし気にそう言うと、姉さんはにこやかな表情をさせた。だが、その笑顔はすぐに消え、私の背後に目をやる。


「うっ…!?」


 不覚を取った。頭に痛みが走り、地面に横たわってしまう。とても硬いもので殴られてしまったようだ。


「女が、調子に乗んなよ…」


 さっき私が殴った男が、鉄パイプを握ってそう言葉を放つ。そして、姉にまでその棒を振り下ろす。

 私はすぐに体を起こして、鉄パイプを握る男の腕を掴む。力を込めてその腕を握り、無理矢理それを手放させる。そして、男を軽く突き飛ばした。


「うちの姉さんが何したか知らないけど、怪我だけはさせな…っ!?」


 その瞬間、喉から何かが込み上げ、口から血が吐き出てきた。


 第六話「幻影の姉の真実」


「がはっ…がはっ…!」


 背中から胸にかけて、私の体に鋭い何かが貫き、激痛を走らせる。それが素早く引き抜かれると、さらに吐血が激しくなる。

 私は地面に膝を着けてしまう。出せる力で地面に手を着き、体を持ち堪えるがそれが精一杯だった。


「ありがとう、マチ。でも、自分の身は自分で守れますよ」


 私の名を呼んだ直後、姉さんの声質と、話し方が変わる。その聞き覚えのある声は、私の感情をごちゃ混ぜにした。


「針女の体は便利ですね。いつでも鋭利なものが出せます」


 私はどうにか力を振り絞り、背後に立つ姉さんの姿を見る。見た目はどう見ても、大好きだった姉。だが、声とそいつの笑顔は、彼女とは別物だった。


「なんだよ!?もう!!?」


「うわっ!あーっ!!?」


「ばば、ばっ!化け物!!?」


 私を殴った男が声を上げながら、腰を抜かし、その声で目を覚ました取り巻きの男子校生たちも次々と声を上げて、その場から逃げ出す。


「あ〜。騒がれては面倒ですね」


「あがっ、あっ!」


「ぎゃ、がっ!」


 逃げ出す男たちは次々と体を針で貫かれて、静かにさせられる。その場は彼らの血で赤く染められた。

 やめて…。

 その3文字が頭の中に浮かぶ。優しかった姉が、次々と虐殺をする姿に耐えきれなかった。


「姉、さ…。どう、して…」


 頭では自分の知る姉ではないことを既に理解している。それでも最後まで信じたかった。だが、姉さんはそれを踏み躙るように、膝と手をつく私を蹴り飛ばす。


「あなた…、姉さん、に」


「あ〜。さすがに気付きますか。あなたの良く知る姉じゃないって…」


 この声と話し方、聞き覚えがある。人を嘲笑うような、そんな話し方。

 こいつは、白井さんを「白虎・擬」に変え、雷羽先生の妖獣化を暴走させた…。


「幽霊蜘蛛…」


 傷が深く、呼吸がとてもしづらい。私はよろつく足で何とか立ち上がる。


「周知してくれてたんですね。光栄です。さて、あなたのお姉さんに何をしたか、でしたっけ──。大したことはしてませんよ。死体をお借りしているだけです」


 やはり、姉さんは殺されていた。生きてなんかなかった。私の前に現れてきてくれていたのは、姉さんの皮を被った偽物だった。


「お姉さんは、随分あなたを愛していたみたいですね。死体に残った記憶を見させていただきましたよ。本当に美しい姉妹愛でした。吐き気がするほどにね…」


「黙れ…。もう喋るな…」


「おやおや…。どうされました?」


 貫かれた痛みが既に感じなくなっている。それを上回るほどに、怒りや悲しみが込み上げていた。抑えたいのに、抑えきれない…。抑えなきゃ、いけないのに…。


「姉さんの姿で、ふざけた真似してんじゃねぇよ!!」


 力が込み上げてくる。妖力が高まっていく。


「良いですよ。もっと陰気に染まれ。そして、暴れろ」


 何かが私を蝕んでいる。私の意に反して、姿が妖怪の姿になろうとしている。怒りに任せて姫蜘蛛を葬りたい。だが、そうすればここら一体どうなるか…。


「試しに、小手調べです──」


 姫蜘蛛は指を鳴らした音が響くと、先ほど殺された男子校生達が起き上がり、こちらに歩み寄ってくる。


「クッ…、うう…」


 私は妖怪の姿になることを拒みながら、近づいてくる者たちを次々と突き飛ばす。


「なかなかしぶといですね。私が憎いんのでは?」


「──ええ…。本当に、あなたに無数の穴を開けてやりたいくらい憎いよ」


「では何故妖怪の姿にならないのです?なってしまえば、気が楽でしょうに…」


「私が憧れた人が言ってました。同じ過ちを犯さないために、目の前にいる弱き命を守るために力を使う、と…」


「はあ…?」


「だから私も、その人と一緒に弱き者を守りたい…。怒りや悲しみに任せて、力を振るうような真似は絶対にしたくない!!」


 私が叫ぶと同時に、体中を駆け巡っていたどす黒い衝動が、意志の力によってねじ伏せられていく。私の周りを漂う邪気が晴れると、体から一気に力が抜けた。


「…そうですか。やはり、あの半妖怪に唆された者は、使い物になりませんね…」


 幽霊蜘蛛がそう言うと、先ほどの死体が二人掛りで私を捕える。力の入らない私は、両腕を左右に広げられて、なす術もなく固定される。


「少しは役に立つと思ったのですが、残念です。別な使い方にしましょう…。あなたの首、あなたが『憧れる人』に見せたらどうなるでしょう」


 幽霊蜘蛛の指先から、今までで最も太く、禍々しい輝きを放つ針が伸びる。それは正確に私の胸の真ん中を狙い、ゆっくりと引き絞られた。


「さようなら、マチ先生。姉が待つ、黄泉の国へ…」


「そうはさせませんよー」


 どこからか声が聞こえてくる。その瞬間、私のことを固定していた死体の一人がよろけて、私を射止めようとする幽霊蜘蛛の方へ倒れる。その影響で狙いがずれ、針はもう片方の死体を射抜く。


「まったく探しましたよ、マチ先生。戻ってきたら、ベンチから消えていたので、びっくりしました」


「すみません…、豪羽先生…。ありがとうございます。助けに来てくださって…」


「当然です。私は学年主任である前にあなたの先輩ですよ。面倒を最後まで見るのも、仕事の一つです」


 この状況とは似つかないほどに、いつも通り飄々としている豪羽先生だ。なんだか、すごく安心する。


「何者ですか、あなたは…」


「誰でも良いでしょう。私の可愛い後輩に手を出した者に名乗る義理もありません…」


 幽霊蜘蛛の質問に対して冷徹に答えると、豪羽先生はたばこを咥えて、それに火をつける。そして、勢いよく吸うと、激しくむせ込んだ


「けほっ、けほっ…。はぁ…。やれやれ…。たばこスパスパキャラを演じてみたかったのですが、慣れないことするもんじゃありませんね」


 豪羽先生は涙目になりながら、火のついたままの煙草を足元に落とし、靴の先で丁寧に踏み消した。その動作一つ一つがどこか抜けているのに、彼がまとう空気は一瞬たりとも緩まない。


「……ふざけているのですか」


 幽霊蜘蛛の声が、地を這うような怒りに染まる。

 自分の必殺の一撃を邪魔され、挙句の果てに目の前でコントのような真似をされたのだ。無理もない。


「大真面目ですよ。私、ここまで走ってきたので、少し休憩したかっただけです」


 豪羽先生が話していると、息を吹き返した死体たちが私たちを取り囲む。


「その制服…。なるほど、本気で私を怒らせたいようですね。──マチ先生、下がっててください。暴れますから…」


 そう言って、鞄の取っ手を握りしめ、死体のもとへ駆け出す。


「ふんっ!とりゃ!!」


 鞄を振り回し、次々と死体たちを蹴散らしていく。彼の近場にいた者をあらかた片付けると、豪羽先生は少し距離の離れた死体に目をつける。


「はっ!──エイヤーッ!!」


 死体に向かって持っていた鞄を投げると、それを受け止めた死体は鞄に腕を持っていかれ、態勢を崩した。怯んだところを豪羽先生は飛び蹴りをする。その蹴りを喰らった死体が吹っ飛び、背後にいた死体まで巻き込まれる。


「ふぅ…、スッキリしました」


「……何なのですか、あなたは。そんな滑稽な動きで、私の傀儡くぐつを……」


 幽霊蜘蛛が、姉さんの顔のまま眉根を寄せた。無理もない。高尚な術式でも、圧倒的な妖力でもなく、ただの「重たい鞄」と「がむしゃらな飛び蹴り」で自分の駒が蹴散らされたのだ。


「良い準備運動になりましたよ。…次はあなたです」


 そう言って、着ているスーツの内側に手を入れると、何かを取り出してすぐさま幽霊蜘蛛に向かって投げた。


「クッ…!?」


 突然のことに幽霊蜘蛛は身構えるが、豪羽先生が投げた物は、幽霊蜘蛛の足下に着弾し、パリンっと音をたてる。その瞬間、煙が立ち、幽霊蜘蛛を包み込む。煙が晴れると、姉の姿から元の幽霊蜘蛛の姿に戻った。


「貴様…!!」


「やめた方が良いですよ。今のあなたじゃ、私に勝てませんから」


「何を馬鹿なことを…、何っ!?」


 幽霊蜘蛛は妖術を放とうと、手を前に出すが何も起こらない。


「あなたは今、その辺の人間となんだ変わりありません。姿が元に戻ったのも、私の調合した薬品によって、妖術を使うことを禁じられたからでしょう」


「…クッ、死術が撃てない…。チッ…」


 鈍い舌打ちをたてた後、幽霊蜘蛛は壁を駆け上がってその場から去っていった。それと同時に男子校生の死体が消滅していく。豪羽先生はそれをただ見ているだけだった。


「やれやれ、飛んだ災難でしたね。お召し物まで汚されて…」


 豪羽先生は鞄を拾いながら、私にそう尋ねる。


「いえ…。本当にありがとうございました。助けてくださって…」


 私は、溢れそうになる涙を必死に堪えながら、震える声で答えた。姉さんがもうこの世にいないという絶望。そして、その死体を利用されていたという吐き気をもよおすような屈辱。それらが、一気に押し寄せてくる。


「さっきも言ったでしょう。学年主任である前に、先輩だと…。あれ以上、大切なものを失いたくなかっただけです」


 豪羽先生の言葉に、私はようやく呼吸の仕方を思い出した。姉さんの死という事実は、鋭い棘となって胸に刺さったままだ。けれど、その痛みを分かち合うように隣に立ってくれる人がいる。それだけで、世界から色が消えてしまうのを食い止められた気がした。


「さあ、帰りましょう。終電がなくなってしまいます。肩貸しますよ」


「すいません。ありがとうございます」


 私は遠慮なく豪羽先生の肩を借りて、駅まで向かった。


 出張。それは普段とは別な環境で仕事をこなさなければならない業務のこと。

 けれど私にとっては、過去を乗り越え、明日へと踏み出すための大切な「研究」の時間となった。

 ──いつか、あの幽霊蜘蛛と再び対峙するその日まで。

 私はこの学び舎で、生徒たちと共に、強く、優しく成長し続けてみせる。

〜次回のお話〜

 次々と襲いかかる妖怪たちを退けた雷羽先生。だが、この戦いは単なる勝利では終わらない。過酷な試練の先に、彼が掴み取った「答え」とは…!

 次回、『半妖怪の導き 特別巻「半妖怪の記録」』

 お楽しみに~


 投稿のペースは、都合も相まって一定ではありませんが、今後も雷羽先生の活躍の応援をよろしくお願いします。

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