【コミカライズ】柴犬を讃えよ
「オデット=コリントン、君との婚約を破棄する!」
次の教室へ移動している時のこと。
婚約者である第二王子に声をかけられた。
いや、いきなり高らかに宣言し始めたと言った方が正しいかもしれない。
前世の記憶を取り戻してから三年が経つが、この世界の上位貴族や王族の傲慢さや独自ルールには慣れない。そして妙に仰々しい名前にも。
今世で育った記憶がなくなっていたら、付き合いがある貴族の名前さえも覚え直せる自信はない。
特に目の前の王子の名前の長いこと長いこと。
たまに他の貴族の名前とごっちゃになるので、いつも『王子』と略している。
「王子、理由をお聞きしても?」
「白々しい! 十日前、君が光の聖女を階段から突き落として殺害しようとしたことは分かっている! それも愛犬が吠えたからなんて理由で。君が彼女にその手を食いちぎってやると暴言を吐いたことはここにいる者のほとんどが耳にしたはずだ」
ああ、あの女の事か。
いつも王子は光の聖女と人目を憚らずいちゃいちゃいちゃいちゃしているのだが、ここ数日は彼女の姿を見ていない。
風邪でも引いたのかと思っていたが、どうやら階段から突き落とされたらしい。
王子以外にも何人か顔の良い男子生徒にちょっかいをかけていたので恨みを買ったのだろう。
自業自得なので大した興味もない。
我がコリントン家の愛犬、柴犬のムサシが吠えたのも完全にあちらが悪い。
お父様との約束もあるので次の授業には遅れたくないのだが、このまま王子を放置すれば面倒くさいことになるのは確実。
こんな空気を読まない男でも王族で、発言権だけは無駄にある。
口元まで出かかった面倒くさいの言葉とため息を呑み込んだ。
「確かにうちの子は彼女に向かって吠えましたが、私が彼女に注意した言葉は少し違います。『その手を食いちぎられたくなかったら、迂闊に動物の前に手を出すな』と言ったのです」
「多少言葉が違えど変わらないだろう。魔獣の血で濡れた悪女め!」
「全く違います。動物は自分の身を守るために吠え、時には噛みつくのです。ムサシは彼女を敵と認識して吠え、彼からの警告に構わず近づいてきたから注意したまでです」
ムサシはとても賢いので誰にでも吠える訳ではない。
親戚のちびっこが家にやってきて、ムサシにいきなり飛びついた時は軽く吠えていた程度。
柴犬はパーソナルスペースを大事にし、他人から触られるのを嫌がる。
それでも相手がどんな人物か見分け、数種類ある吠え方を使い分けるのである。
だが光の聖女への吠え方は警戒を示すものだった。
我が家に怪しい商人が訪れた時よりも強い拒絶で、すぐに彼女の手の中にあるビスケットがヤバいものなのだと気付いた。
さすがはムサシ。人を見る目と嗅覚が優れている。
だから強い言葉を吐いた。
実際ムサシはとある目的のため、ほぼ毎日私とダンジョンに潜っているので人間の手の肉を噛みちぎるくらいの力はある。
牽制にはちょうど良かった。
「犬が吠えるのは主人の教育がなってないからだ」
「ではそこの聖女が我がコリントン公爵家の愛犬に手を出したのは、彼女を管理している教会と王家の問題になりますね。ちゃんと教育してくださらないと困ります」
「君は聖女を犬と同じだと言うのか!」
「いやですわ、王子。うちのムサシの方が賢いに決まっているではありませんか」
「なっ!」
私に目の前の男への恋心などない。
前世の記憶を思い出すまでは好きだったが、今はムサシの抜け毛の方が愛おしい。
愛犬友達と一緒に抜け毛でぬいぐるみを作ろうと計画しているほどだ。
そのためにメイドから毛の洗い方を学んだし、羊毛ぬいぐるみ作家を何度も家に招いた。そのくらい私達は本気なのである。
だがこの男に対してはそんな想い、小指の爪ほどもない。
それでも彼は私の婚約者である。それは彼も認識していて、だからこそ婚約破棄を言い出した。
そう、今この時まで婚約関係は続いていたのだ。
なのに彼は光の聖女が現れてからというもの、彼女と共に過ごしていた。
学園内だけではなく、夜会でも私ではなく彼女をエスコートした。
半年前からドレスさえ送られることはなくなった。
それはここで足を止め、聴衆と化した彼らも知っている。
なにせちょうど半年前から光の聖女が身に着けるようになったドレスは王子の瞳の色と同じだったのだから。
男性が女性に自分の髪や瞳の色と同じドレスを贈ることは所有の意味を示す。
通常、婚約者や恋人に贈るものである。つまり彼は夜会で光の聖女が自らの恋人、将来の愛人であることを伝えたのだ。
今では寝所まで共にしたのではないかと囁かれているほど。
恋心はなくとも結婚前からそんなことをされてはコリントン公爵家のメンツは丸つぶれである。
そのため、少し前から王家に婚約解消を申し出ていたのだが、なかなか良い返事がもらえなかった。
王家としても光の聖女を第二王子の妻として迎え入れるつもりはないようで、私が抜ければ次は誰を犠牲にするかという話になるからだ。
当然、ここまで噂になれば後釜に収まりたいという令嬢も、娘を差し出そうとする親もいない。
彼の口から『婚約破棄』の言葉を聞けたことは好都合だった。
少し前の私なら「承知いたしました」の一言でこの場を去ったことだろう。
だが今はそれだけでは足りない。
王子だけではなく光の聖女を引きずり下ろすための、もっと決定打となる言葉が欲しい。
「注意されたことすら理解出来ないのですから当然でしょう? 第一、光の聖女といっても何の役にも立っていないではありませんか。今だってなぜこの場にいないのですか。彼女にかかるお金は全て国民の税金によって賄われております。それを一週間以上サボるだなんて……」
煽るような言葉を吐けば、王子の顔はみるみる赤くなっていく。
「光の聖女を愚弄するか!」
「光の聖女という役職について批判しているのではなく、彼女個人を批判しているのです。数日前、書面で王家に提出しておりますが、ご存じありませんでしたか」
書面を出したのは私ではなく父である。
王家がなかなか婚約解消に応じないもので、標的を光の聖女に移した。
第二王子が彼女を侍らせても上位貴族から文句を言われないのは、彼女が光の聖女だから。
現在何の役にも立っていなくとも、一応は幻の力を持つ存在である。
有事の際を想定した場合、敵になるよりも放置した方が得策だと考えたのだ。
なにより王位を継ぐのは第一王子であり、第二王子の婚約者はあくまで公爵令嬢。愛人なら特別な力など持たない。精々教会が今までよりも優遇される程度だろうと。
だが光の聖女という地位がなくなれば別だ。
多少遠回りしようとも立場を奪えば、あの女を潰せる。
父がここまで本気になったのはメンツを潰されたからだけではない。あの女がムサシに手を出そうとしたから。
ムサシは我が家の愛犬だ。我が家の末っ子と言ってもいい。癒し担当でもある。
父も母も兄もムサシにメロメロで、だからこそ本気で光の聖女を敵と断定したのである。
第二王子の妻の座がなんぼのもんじゃい!
前世の記憶を取り戻すきっかけとなった、前世からの愛犬ムサシの方が何百倍も大事だ。
あの子は私のためにこっちの世界まで付いてきてくれたのだ。そうでなければ柴犬のいないこの世界に柴犬のムサシが存在するはずがない。
三年前、我が家の庭の植え込みの中から、その時まだ子犬だったムサシがひょっこりと現れた。
突然現れた子犬は赤胡麻の柴犬で、頭には白い毛のハートマークがあった。
大きくなったことで丸に変化してしまったが、その姿は私が出会ったムサシの姿と同じだった。
これは運命だ。運命以外の何物でもない。
ムサシを長生きさせるため、私は日々、ダンジョンを巡っている。
この世界には大陸中にダンジョンがあるのだが、その中にあるダンジョンコアを破壊し、ドロップした『ダンジョンコアの欠片』を十個集めて神殿に捧げればどんな願いでも叶うのである。
しかもこの十個は全て違うダンジョンから獲得したものでなければならない。簡単なダンジョンでコア集めをしていては意味がないのだ。
私は当然、ムサシの延命を望むつもりで欠片を集めている。
前世で私と一緒に交通事故で死んでしまったムサシと少しでも長く一緒に生きるために。
すでに五か所のダンジョンでコアを破壊し、欠片を手に入れている。
ここに来るまで何度も怪我をした。
その度に新しい魔法を覚え、武器や防具を新調し、ダンジョン内で追加の薬が作れるように薬学を学んだ。
同じく動物を愛する者からの邪魔が入ったこともある。
定められた命を人間の身勝手で伸ばすことは愛する者への冒涜にあたるのではないかと。
彼らの気持ちは本物で、何度も話し合いを重ねた。
そして私の夢は『ムサシが望む限り、命を延ばすこと』に形を変えた。
そして彼らも納得し、今では動物を愛する会を運営する仲間やダンジョンに潜る仲間となった。
私のムサシへの想いは本物だ。
ダンジョンコアの欠片を神に捧げ、この願いが叶うまで邪魔されてたまるものか。
ましてや婚約者に向かって血濡れた悪女とは……。
証拠もろくに取れていない段階で公爵令嬢を批判するなんて、それこそ愚弄と言わず何というか。
「国の決定に異論を申すなど、身の程を弁えろ!」
「王子こそ、身の振りかたを考え直した方がよろしいのではなくて?」
王子は自分の方が優位であると疑いもしていない。
自分は王家の人間で、私は公爵家の人間だから。身分の優位性は変わることはないと思い込んでいるのだろう。
あまりにも愚かだ。
だからこそ初歩的なミスを犯す。
いくら怒鳴られようとも、私はすでに勝利を確信している。
「何を」
「王子は私が十日前に光の聖女を階段から突き落としたとおっしゃいましたが、ちょうどその日、私、第三ダンジョンを踏破いたしましたの。目撃情報はもちろんあるかと思いますが、こちらをお見せした方が早いかと。その時破壊したダンジョンコアの欠片ですわ」
普段から肌身離さず持っているダンジョンコアの欠片の一つを袋から取り出した。
海のように真っ青な欠片は第三ダンジョン前に飾られたものと全く同じ。
ダンジョンごとに欠片の色が違うので、冒険者やそのダンジョンから近い地域に住む者なら色を見ればどこのダンジョンから取れたものなのかを瞬時に判断することが出来る。
実際、たまたま居合わせた第三ダンジョンを管理する家の令息が「確かにあれは第三ダンジョンコアの欠片だ……」とぼそりと呟いた。
廊下を塞ぐほどに集まった聴衆も役に立つものである。
十日前は確かに私の登校日だった。
だがその日の朝に届いた友人からの手紙で急遽ダンジョン行きを決めた。
ムサシもレベルが上がってきているのでそろそろ魔法が使えるのではないかと書かれていたのである。
ダンジョンに入る前に魔法本屋に寄ってスクロールを購入した。
そしてムサシに魔法を覚えさせ、ダンジョンで試してみたところ、友人の推測の正しさが証明された。
可愛くて強くて賢いだけではなく、魔法も使えるパーフェクトな柴犬になったムサシと共にダンジョンを踏破したのである。
帰宅後、父には授業をさぼったことがバレて散々怒られたが。
以降、授業はさぼらないと約束させられた。
今、思いっきり破っているがこれは例外だ。
だがあの日、ダンジョンを踏破したおかげで確たる証拠をこうして提示できる。
ムサシへの愛情の証を前にしては王子も反論できまい。
唇を噛みしめる王子はもう何も言ってこないだろう。そう思ったのだが、彼はない頭を回してそれらしい言葉を吐いた。
「そんな馬鹿な……。第三ダンジョンは今も稼働している。コアが破壊されれば、次のコアが完成するまでダンジョンとしての機能を停止するはずだ。そんな報告はどこにもない! それは冒険者から買い取ったものだろう!」
一応調べてきたのかもしれない。
どうせ調べるなら私の出席を確認した方が確実だったのに……。
まぁダンジョンに潜っているとはいえ、公爵令嬢だ。学園をずる休みするなんて思わなかったのだろう。詰めが甘すぎる。
今まで堪えていた溜息が私からこぼれた。
「本気でそうおっしゃっているのであれば、もう一度『魔獣学』を受けなおした方がよろしいかと」
「まさか!」
王子はようやく自分のミスに気付いたらしい。
通常、王子がダンジョンに潜らなければならない事態は早々起こらない。
基本的にはダンジョンの魔物がダンジョン内から出てくることはなく、ダンジョン内には沢山の魔物と宝物があるので、多くのダンジョンは生まれてからずっと放置され続けている。
利益が出るため、大きなダンジョンの近くにはダンジョン都市なんてものが生まれ、そこを治めている領は多くの収入を得ることになる。
基本的にダンジョンは国にとってプラスの存在なのだが、ごく稀にダンジョン内で異常に増えすぎた魔物が外へと出てくることがある。
被害が確認されれば国民を守るため、すぐさまそこのダンジョンを消滅させなければならない。
これは我が国に限らず、どこの国でも同じような対策を取っている。
それがダンジョンというものと共存する方法なのだ。なので知識は正しく覚える必要がある。
「正しくは『ダンジョンとしての機能を停止させるためには、ダンジョン内にある全てのダンジョンコアを破壊すること』ですわ。私の目的はそれぞれのダンジョンからコアを集めることでしたので、壊したのは最下層のコアだけ。途中に見つけたコアは二つありましたから、少なくとも第三ダンジョンには三つのコアが存在するはずです。そのどれかが残っているうちに壊したコアも復活したのでしょう」
ダンジョンごとに存在するコアの数は異なる。
生まれた際に数が固定されるので増えることはないが、破壊したコアは一定時間経てば復活する。
ダンジョンを破壊するためには時間内にダンジョン内のコアを全て破壊する必要があるのだ。
そのためダンジョン都市を管理する貴族は有事の時に備え、ダンジョンが出来てすぐに優秀な冒険者を雇い、コアの数と場所を地図に記すのである。
復活前に全て破壊されてダンジョンが消滅することを防ぐ意味もある。
コアを探すためには全階層をくまなく探す必要があるため、冒険者の中でも一番厄介な仕事として認識されている。
なにせ一つは必ず最下層のボスが守っているのだが、他のコアは変なところにある場合が多い。なのでコアの数が多いダンジョンほど消滅させるのが難しいとされている。
ダンジョンコアを破壊し、破壊後にドロップする欠片を回収することが目的の私としてはさっさと壊したかったのだが、今回も妙に高い場所にあったり、池の中にあったり。
見つけることは出来たが私とムサシでは破壊することが出来なかった。
仕方ないのでそれらは諦めて、最下層のコアを破壊すると決めたのである。
もし別の冒険者に破壊された後でコアが存在していなくとも復活後にまた潜ればいい。今までもそうしてきた。
今回は幸運にも一回目で回収出来たので私もムサシもご機嫌だった。
「そ、そんな……。では彼女は嘘を……」
「王子。私は結婚相手が愛人を囲うことまでは許容できますが、その愛人を教育出来ない相手とは結婚などしたくありませんので。婚約破棄の申し出、謹んでお受けいたしますわ」
その言葉で王子は膝をついた。
これ以上、ムサシを侮辱されたら手が出そうだったが、自分の過ちを認めてくれたようで何よりである。
これで婚約は無事破棄されることだろう。
解消よりもずっと良い結果に終わった。なにせ王家に罪があるのだから。
お父様はこちらが解消を伝えていたこともあり、がっぽりと慰謝料なりなんなりをふんだくってくれることだろう。
とりあえずムサシのおやつ分くらいは確保してもらわねば。
多めに入ってきたら、私のお小遣いに反映されると良いのだが……。
ムサシ用の新しいスクロールがいくつか欲しい。
あと首輪も新調したい。
こちらはダンジョンから持ち帰った宝石類を売り払って資金を稼ごうと思っていたのだが、今回持ち帰った宝石はお母様が気に入ってしまった。
ムサシも犬友達にあげたいものがあるようなので、首輪代ももらえないかお父様と相談してみよう。
今はそれより勉強だ。
王子のせいですっかりと遅れてしまった。
必要以上に遅れれば父との交渉が不利になってしまう。今からでも教室に向かわねば。
「ほら王子も次の授業に行ってください」
ついでに座り込んでいる王子にも声をかける。
すると廊下に集まった人の中から笑い声が聞こえてきた。それも聞き覚えのある声である。
「ロベルト……」
呆れた視線を向ければ、彼は他の生徒をかき分けてこちらへとやってきた。
「すまん。オデットが婚約破棄されていると聞いて駆け付けたんだが、こんなことになるとはな」
なんとか笑いを堪えようとして失敗している男の名はロベルト。
大国の第四王子で、留学生としてこの国に来ている。
そして彼こそが私に『定められた命を人間の身勝手で伸ばすことは愛する者への冒涜にあたるのではないか』と説いた相手である。
国に置いてきた愛犬の写真が入ったロケットを握りしめて訴えかける彼に心打たれた。
ちなみに彼の国の王様には子供が多く、牽制の意味を込めて第二王子・第一姫より王位継承権が低い子供は皆、他国に留学させられるのだとか。
ほとんどの王子と姫が自らの役目を受け入れる中、彼は愛犬と離れたくないがために兄と王位継承順位を交換しようとしたほど。
それも武術大会で優勝した次兄を剣で倒したほどの筋金入りの愛犬家である。
といってもロベルトは王になる気はさらさらないので継承権の交換は受け入れられず、この国の留学生としてやってきた。
ならせめて愛犬を連れてこようと画策したのだが、留学中はその国の王城で世話になるため、動物を連れていくことは出来なかったそうだ。
その鬱憤も籠っていたのだろう。
理由が理由なので笑って受け流し、今では友人の一人である。親友と言っても過言ではない。
そんな彼は私の前までやってきて跪いた。
「だが俺には好都合だ。オデット、俺と結婚しよう」
「結婚?」
いきなりのことに目を丸くする。
けれどロベルトにはこんな反応は想定内だったらしい。
「ああ。ムサシと一緒に俺の家族になってくれ」
「返事はムサシの許可を取ってからでもいいかしら?」
ムサシがいなくなれば父はショックを受けるはずだ。
兄と母も声を上げるかもしれない。
だが一番の問題は彼の国とは距離が離れていること。
転移魔法を使うにしてもムサシには少なからずストレスがかかるはずだ。
新しい環境の適応については何も心配していないのだが……。
「当然ムサシの気持ちも大切にするつもりだ。だが、オデットの気持ちは?」
「私?」
「結婚だぞ? 一緒にダンジョンに行こうというのとは訳が違う」
「分かっているわ。私、あなたのこと好きだから問題ないわ。結婚するならムサシのことも受け入れてくれる人がいいって改めて思ったの。それよりジョセフィーヌは大丈夫なの?」
ジョセフィーヌとはロベルトの愛犬である。犬種はセントバーナード。
ちなみに彼に婚約者がいない理由も愛犬が関係しており、婚約候補者の令嬢が先々代・先代・そして今代のジョセフィーヌを怖がったのである。
セントバーナードは温厚なことで知られているが、身体はかなり大きい。
そのため怖がられてしまい、ジョセフィーヌはとても落ち込んでしまったそうだ。なので全員お断りをしたそう。
といってもジョセフィーヌに慣れたところで、次兄はマスティフ、叔父はシェパード、弟はボクサーを飼っているそうなので、断った方が令嬢のためでもあったそうだ。
彼の家族が犬好きであるというのも、ロベルトの申し出についての自分の意思を即決した理由である。
「ああ、この前ムサシからもらったはぎれとこの前描かせてもらった姿絵を本国に送ったところ、気に入っていたとの連絡が入った」
「それって私も一緒に描いてもらった絵のこと?」
三週間ほど前、国に帰った後にも思い出が欲しいから絵を書かせてくれと言われ、彼が連れてきた絵師に絵を描いてもらった。
その時、ムサシもお気に入りのタオルを引き裂いてはぎれをあげたのである。
まさかあれらにそんな意図があったなんて……。
「絵は父上と母上にも見せたぞ」
ロベルトはニコリと微笑み、そして私に「婚約者さえいなければ嫁に貰ってこいと言われた」と耳打ちをした。
なるほど。すでに王家にも伝わっているのか。
私が思っている以上にこの求婚は大きな意味を持っているようだ。
「帰ったら両親にも伝えておくわ」
「一緒に挨拶に行ってもいいだろうか」
「ああ、そっちの方が話が早そうね」
そうしましょう、と返事をすれば、ロベルトは心底嬉しそうに笑った。
すぐ側で見ていた王子は何を思ったのか、全速力でその場から去っていった。
王子が何をしたのか。
それが分かるのは私がロベルトと共に授業を最後まで受け、屋敷に帰ってからのことだった。
私達が学園にいる間に王様から謝罪の手紙と共に最高級犬用おやつが大量に届いたのである。
手紙によると、どうやら王子はあの後、城に戻って王様に自分がしたことを話したそうだ。
光の聖女の嘘を信じ、婚約破棄を言い出したことはもうどうしようもない。ならば即謝罪をしようと考えたのだろう。光の聖女についても関係を切るそうだ。
私がロベルトに求婚されたのも、受け入れる姿勢を見せていたことも全て見ていたからこそ出来ることではあるが、あの短時間でよく頭が回るものだ。
特に手紙と共にムサシの大好物を付けてきたところは、なぜ今までそのリサーチ力を発揮してこなかったのかと突っ込みたくなるほど。王様の判断かもしれないけれど。
あまりの対応の早さに、家族は私達が帰ってくるよりも前にプロポーズの件を知っていた。
玄関の前でムサシと一緒に待っていた父はロベルトの姿を見て失神しかけ、彼が大の犬好きだと分かると歓迎し、私の嫁入りの際にはムサシも一緒にという言葉を聞いて再び失神しかけた。
けれど最後は「オデットとムサシがいいのなら」と受け入れてくれた。
父の名誉のために付け加えるならば、大国の王子には逆らえなかったという訳ではない。
話し合いの間、ムサシはずっと私の足元でもらったばかりのおやつを堪能していたのだが、かなり美味しいらしい。自分の取り分から私と父、そしてロベルトにもおすそ分けしてくれたのだ。
その様子を見て、ムサシが懐いているのならばと、ロベルトとの結婚を認めてくれたのである。
ついでに王子の婚約破棄騒動の件も大事にはせず、少額の慰謝料だけで水に流すことにした。
ムサシ様様である。
ただしムサシを害そうとした光の聖女については許すつもりは全くないので、王家には是非ともそこで名誉挽回して欲しいものである。