第七話 白き塔の螺旋の果てに⑥
ああ、やはり。自分のあの感覚は間違っていなかった。
クローディアの背を押し、代わりに大怪鳥に掴み上げられた時、レドはそんなことを頭に思い浮かべた。
そして次に見えたのは、日の沈む直前の茜色の空。
いつもであれば、寂しさを覚えつつもその暖かな色の美しさに惹かれてぼんやりと眺めていた光景が、今日はやたらと眩しい。
落下する速度がやたらとゆっくりに感じる。その間に様々な想いを頭に巡らせる。
冒険者を心ざしたあの日から覚悟は出来ていた。
だから死を目の前にしてもあまり怖くはなかった。他の人間にも当たり前のように訪れるそれが自分の所に来ただけなのだと、そう認識した。
しかしそれでも、親しかった人たちの事を思い出すと少しばかり寂しくなる。
冒険者になりたいと無理を言った時、反対しながらも最後には自分を快く送り出してくれた母。何も言わず、ある日、そっと机の上に旅に必要な道具を置いていってくれた父。
暫く顔を合わせていなかったが二人は元気にしているだろうか?今頃は夕食の支度でもしているだろうか?
こんな形で先立つ自分を許してくれるのだろうか。それとも最期に人の命を救ったことを誇りに思ってくれるのだろうか。
二人だけではない。
友人や恩師、冒険者を始めた頃から面倒を見てくれたあの子。それ以外にも自分がもう会う事はできないだろう多くの人々。
そして最後に浮かぶのが、あの奇妙で何もかもが滅茶苦茶なお嬢様の顔だった。
自分がいなくなった後も彼女に冒険者を続けて欲しいと願う。
仲間を得て、多くの体験をし、彼女自身の望みを叶えて欲しいと祈る。
彼女は自分に冒険をする楽しさを思い出させてくれた、失いかけたものを取り戻させてくれた。
だから……。
「だから、どうか彼女がよき旅路を描かんことを…」
小さき呟き、目を閉じる。そうして終わりの時を待ち、そして……。
「いや、何を勝手に終わりにしてますの貴方」
「……は?」
間抜けな声が、出た。
目を開き確認する。
最後に思い起こした彼女がいる。
あろうことか自分と一緒に落下している。器用にも逆さになって。
「なんですのその顔」
「いや、あの。その、コレ、死」
「言いたいことははっきり言いなさいな。伝えたいこと、伝えられてませんわよ。それと少しの間、口を閉じていなさい。舌をかまないように」
「へ? あっ? んっ……」
クローディアに呆れ果てたようにため息をつかれてしまう。
言われた通り口を閉じると、彼女に抱えられる。
抱えられた際、色々とちょっと柔らかかったとかそんなことを気にしている余裕はない。
クローディアの背中から白く輝く翼が現れ、地面に激突する前に空へと舞い上がる。
「クローディアさん一体、なんなんですかコレ!? 魔法?」
「んー、説明が難しいですわね。どちらかというと本性を見せる途中的な」
「本性!?」
驚いてばかりのレドに、クローディアは苦笑する。
そして先ほどまで聞いたことのない、凛とした声で語り掛ける。
「小さき人の子よ。貴方は窮地に有りと見た私を命を賭して救おうと身を投げ出しました。勇猛と無謀は似ているようで遠きものであり、褒められることではありません。されどそれが他者を思いやる貴方の心の内から生まれ出たものであるのならば、私もそれに答えましょう」
輝きが広がっていき、クローディアの身体全体を覆いつくす。
彼女の身体の形状が変化し、肥大化していく。
「クローディアさん、あなたは……」
レドを抱え上げていた腕も離れていってしまうが不思議と彼は下に落ちずそれどころか浮き上がり、その雄大なる背中にゆっくりと乗せられる。
美しき白銀の肢体は夕日に照らされて、黄金のようにも見える。牙は鋭く、爪は尖り。されど優しくゆるやかな美しい目をしていた。
レドは言葉を失い思わず息を呑む。それも仕方のないことだろう。今、彼が居るのは人の間で語られはするものの、歴戦の冒険者ですら旅先で出会うことは滅多にない伝説そのものの上なのだ。
幼い頃、冒険者を心指す切っ掛けになったとある英雄の冒険譚。
竜の背に乗り空を駆け行くたった一節の、されど幾度となく読み返したその箇所に挿絵として描かれた竜の風貌。それと同じ、いやそれよりも美しい姿をした竜が今、自分を乗せて巨大な翼をはためかせ、黄昏の空を駆けている。
落下した際に激しく鼓動した心臓が、今は別の理由で高鳴っている。
思わず背の白き鱗の境目を手でなぞる。そうすると竜が静かな咆哮を口から吐き出す。
やってしまったか!?なんて焦り手を引っ込める。見えるはずもないのに頭を下げ。
「あっ……!! す、すいません!! 物珍しかったもので!!」
そんな風に狼狽えるレド。それを聞いていた竜が再び咆哮を吐き出した。今度は先ほどよりも少々音が高くゆるやかで、なんとなくだが笑ったかのように感じられた。
「構いません事よ。少々くすぐったかっただけですし。確かに人の状態でそんなデリカシーのない事をされたらさすがの私も怒りますが、今の私は人ではありませんもの」
咆哮の後に聞こえてきたのは、聞き覚えのあるクローディアの声。
それを聞いて漸く安堵する。この竜は間違いなく彼女であり、自身の味方なのだと。
「それよりレド。あなた、私が竜の一族であることにとっくに気づいてらっしゃると思っていたのですが。その様子だと違ったようですわね。例えば、リザードマンの一種と勘違いしていたとか?」
「……」
図星である。まあ仕方のないことだ。人に化けた伝説上の存在が、自身の身近なところにこうもあっさり現れるとは思うまい。
「まったくもう……、仕方ありませんわね。それなら、しっかり覚えておきなさい。我が名は『財宝竜クローディア』。この世のありとあらゆる価値のあるものを自らの力と化す竜の一族。その末裔ですわ」
「はい、覚えました…。忘れません、というか忘れられません。こんな事」
素直に小さく頷く。
それに対して先ほどと同じ、音が高い咆哮が聞こえて来た。
「よろしい。さて、さすがにあちらもこちらに気づいたご様子。これから激しく飛び回りますから、落とされないようにしっかり捕まっておくこと!!」
「あ、はいっ……」
クローディアの指示に従いつつ、前方をの様子を伺うと大怪鳥がこちらに向かってくるのが見える。
唐突に自分よりも巨大な存在が出現したというのに、手負いの状態で逃げずに立ち向かおうとするのは勇ましいというべきか、恐ろしい程の気性の荒さというべきか。
既に臨戦態勢で大量の羽根をばらまきつつ、そのすべてをこちらに向けてくる。
「大方レドを巻き込めば隙が出来るとふんでの事でしょうが、そう甘くはありませんわよ!!」
飛んでくる刃を急上昇して躱し、続けて回転しながら大怪鳥に向かって突撃する。
すんでのところで大怪鳥に突撃を回避されるが、瞬時に旋回し、口を大きく開いて黄金色のブレスを吐き出し相手を焼き尽くす。
「熱っ……。いや、大丈夫です。続けてください!!」
レドもブレスによる熱気に思わず声を出してしまったが、気を使わなくて良いとクローディアに叫び、クローディアもそれに答えるようにブレスを吐き続ける。
しかし炎を抜けて来た大怪鳥に体当たりをされてブレスを中断させられると同時に、そのまま大灯台の外壁に向かって叩きつけられそうになる。
身をよじり位置を反転させると逆に大怪鳥を外壁に叩きつけ、暴れる大怪鳥に爪や牙を突き立てる。
「こいつ、なんでまだ動け……いやこれは……」
何処か様子がおかしい。とっくに体力は尽きていておかしくないのに、体が崩れそうにまでなっているのに、それでも戦うことをやめない。
不思議に思ったレドが身を少し乗り出して、大怪鳥を覗き込む。
「もしかして死んでるのに動いている……?」
「どういうことですの?」
「どうしてこんな……。ん……?これは、額の水晶が……」
クローディアが大怪鳥を抑え込んでいる間、観察していたレドが大怪鳥の額の石に変化に気づく。フィビロ鳥には羽根を刃として飛ばすための魔力を制御する特有の器官が備わっている。
額についた赤い水晶。フィビロの成長した個体である大怪鳥にも例に漏れず存在していた。
だがそれが、唐突に黒く濁っている。色が変った、というよりかは何らかの偽装が剥がれたように見える。
「フィビロ鳥の水晶がこんな風になるなんて聞いたことがないですけど……」
「となると誰かの仕業、と考えるのが妥当でしょうね。元々あった水晶を変質させたのか、入れ替えたのかは分かりませんが……。まったく……厄介ですこと!!」
クローディアが不機嫌そうに唸る。
思えば不審な点がいくつかあった。何度も強力な攻撃をくらっても耐えきっていたこと。そして、いくら不利な状況であっても逃げる素振りを見せなかったこと。
生ける屍状態になった…つまり死んだのは先ほどのブレスをくらってからだろうが、それより前に何かによる影響でより強靭にそしてより狂暴にさせられていたのだ。
「クローディアさん、後ろです!!」
「んもう、しつこい!!」
背後より強襲する羽根の刃を察知したレドの警告に反応して、クローディアが大怪鳥を抑え込んでいた腕を離して一旦離脱する。
かわした刃が大怪鳥の身体に突き刺さり、まるで標本のように貼り付けにしてしまう。しかし肉が引き裂けるのにも構わず力づくで抜け出してクローディアを追ってくる。
「もはやあれではゾンビと変わりませんわ!!しかし、原因さえ分かってしまえばこっちのもの!!次で決めますわよ!!」
「決めるって言ったってどうやって?」
「要はあの怪しい石ころをどうにかしてしまえばよいのでしょう? レド。貴方、先ほどのように勇気を振り絞れて?」
「……何をさせる気なんです?」
クローディアの背中が光り輝くと同時に、黄金色の剣の柄がせり上がってくる。
「これ、は………」
「『宝剣クラウディアシス』、私のとっておきのうちの一本。貴方にこれを託します。私があの憎っくき鳥を抑え込んでいる間にこれを一発、ぶちかましてしまいなさい」
「ナイフならともかく、剣なんて殆ど扱ったことないんですが……」
「と言いつつも、しっかり持ち手を握ってるじゃありませんの。埋まった剣を引き抜くとかそういうのに憧れてるのでしょう。貴方、やっぱり男の子ですわね」
「なっ……。何を言ってるんですかねこの人は、いや竜は……っておわっと!?」
からかってくるクローディアにレドが真っ赤になって反論していると、急に足元がぐらつく。大怪鳥がレド狙いの羽根をとばして、それをクローディアが横に動いて躱したためだ。剣の柄を掴んで事なきを得る。
だが何度もこんなことを繰り返していれば、羽根が自分に当たったり、落ちてしまう可能性だってある。これ以上もたついている暇はない。
「やるしか、ないか!!」
意を決して宝剣を引き抜く。そうすれば刀身が初めて露わになるが、同時にあふれ出た光が眩しく目を細める。
輝く黄金の柄に、透き通った七つの色が溶け混ざったかのような不可思議な刀身。
「なんだこれ……。まるで……」
呆けたかのように宝剣を見つめる。ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうだ。
「じっくり観察してる間はありませんわよ、レド!!」
「はっ!! す、すいません!! いけます!!」
クラウディアの怒声にはっと、我に返るとしっかりと剣を握りしめる。
同時に空にクローディアの大きな咆哮が轟いた。
「ブレスの後、奴を抑え込みますわ!! 頼みましたわよ!!」
「はいっ!!」
飛んでくる羽根達をブレスで焼き払うと、そのまま頭突きをかまして大怪鳥を抱え込む。爪を背中に食い込ませながら、首に齧り付き固定する。大怪鳥は力の限り暴れまわろうとするが、竜の全力にまったく適わず。そのまま抑え込まれてしまって。
「ありがとうございます、クローディアさん……。これなら!!」
レドは竜の背中を駆け上がり頭まで到達すると、そこから思い切って跳躍する。
狙いは大怪鳥の額の真上。
自身の上から来る脅威に気づいた大怪鳥が力を振り絞って羽根を飛ばして来る。
ここで危機感知能力が再び発動する。背筋がぞっとし、鼻の奥が熱くなる。当たれば確実に致命傷を負う。その事実に気圧されそうになる。
羽根が一本頬を掠めた。痛みが走り軽く血が噴き出す。
「っ……!! こんなもので……臆してたまるかあっ!!」
両手できつく剣の柄を握りしめる。着地と同時に大怪鳥の額の黒ずんだ水晶に刃を突き立てる。軽くヒビが入り、パキパキと音を立てて割れていく。
だがそこで刃が止まる。まだ足りない。これでは水晶を破壊しきれない。
「ぐ、ううう……っ!!」
大怪鳥が悲鳴を上げる、羽根の刃が乱雑に飛び回り革の鎧を裂き肌を斬りつけていく。
だが、狙いが定まり切らず致命傷を与えるには至っていない。
痛みに耐えながら力強く押し込みなおす。ヒビが大きく広がっていく。
「いいからさっさと、砕け散れえええええっ!!」
宝剣が呼応する。七色の光が溢れ出し辺りを包み込む。
それは暗雲を散らし、空を晴らす虹の剣。雲を越え行くもの。