第五話 白き塔の螺旋の果てに④
「とにかく出血を止めて、と…」
レドは負傷者を床に寝かせると、鞄より取り出した麻布で腕にできた大きめの傷口を抑えて圧迫する。想定していたよりも傷が浅いため最悪の事態は免れられそうだ。おびき寄せる餌として、死なぬようにあの魔物が加減していなければどうなっていたことか。
「治療のための呪文を覚えていられれば良かったのだけど……」
口から自身の魔術に対する才能のなさに対する愚痴が漏れ出る。だが、手を止めている暇はない。血が止まったのを確認すれば回復薬をかけて傷を洗い流すのと同時に治癒力を促進させる。
「うっ…。あっ……」
薬が染みたせいか、負傷者の口からうめき声が漏れる。クローディアの言う通り負傷者は女性であり、しかも年端もいかない赤毛の少女であった。レドに似た軽装や腰に下げられたナイフや小さな道具類がはみ出しているポーチから判断するに、彼女も同業者といったところだろう。
「いてえ……いてえよぉ……、オレまだ死にたく……」
「大丈夫、死なないよ君は」
痛みと死に対する恐怖から弱音を吐きだした彼女を慰めつつ、麻布を取り換えその上から包帯で巻いていく。後でしっかり診てもらう必要はありそうだが今のところはこれで問題ないだろう。
「悪ぃな、兄ちゃん……」
治療が済むとようやく落ち着いたのか、涙でぐしゃぐしゃになった顔でレドに笑みを見せる。口は粗暴だが、根っこは素直で人懐っこそうだ。それにレドは笑みを返す。返しながら、一つ気になっていることを尋ねる。
「どういたしまして。ところで…途中まで僕らの後を付けてきたの、君だよね?どうしてまた?」
「あっ……」
ふっと彼女の表情が曇った。なにかやましいことがあるのは確実だ。
「えっと、その……。あんたら、高そうな首輪を取り戻す依頼を受けただろ?」
深く掘り返すべきかどうか迷っていると少女が先に語り始めた。下手に刺激せず、頷きながら次の言葉を待つ。
「オレ、かあちゃんの反対を押し切って家出同然で冒険者になったんだけどよ…。なかなか上手くいかなくて、手持ちの金もほとんど尽きちまうし。怒られるかもしれないけど、家に帰ろうって思ったんだ。そんで今日、冒険者なんかやめようってギルドに寄ったんだ」
「そっか……」
「そしたらあんたらがなんか騒がしくやってるのが見えて、なんだろうって思ってこっそり様子を伺ってたんだ。あんたらが割りのいい依頼を受けてて、うらやましいって思ったと同時に……考えちまったんだよ」
少女の声が震え始める。
少々予測はついていた。もし自分もこの依頼に一枚噛みたいという事ならば隠れている必要はないし、真正面から頼み込めばよかったはずだ。
それをしなかったという事はつまり……。
「もしあれを横取りしてどっかに売っぱらったら、取り戻して持ち主に返すよりもいい金になるんだろうなって……。それがあれば大手を振って、かあちゃんのもとに帰れるんじゃないかって……」
少女が傷のない方の腕で目を覆った。唇をかみしめて、目からは涙が零れ落ち、再び顔を濡らしている。罪悪感に押しつぶされそうになったのだろう。弱ヶしく小さな声だった。
「確かに高くは売れるだろうね……」
所有者の分からぬものをダンジョンで見つけて自分のものとするのであれば一応は問題はない。もし持ち主が所有権を主張した場合、ギルドを介しての交渉によって返されることもある。
だが依頼として受理され、取り戻されるはずだったものを無断で売りさばくことは冒険者ギルドによって硬く禁じられている。彼女はその禁を犯すところだった。
「あんたらが途中で休憩を取った時、チャンスだと思った。フィビロ鳥はほとんど片づけてくれてたし、あとは上まで行って首輪があるかどうか確かめるだけでいい。音を立てたらバレるから、昇格機は使えなかったけど」
少女が体を起こす。うつむいたまま、治療された片腕を手で抑えて。
そして小さく首を振った。自分のやろうとしたことに嫌気がさし、深くため息をつく。
「でも、駄目だな。そんなことしようとしたからバチが当たったんだ……。首輪を見つけて取ろうとした瞬間にあいつに襲われた。あの化け物鳥、オレ以外にも人がいることが分かってたんだろうな。傷を負わされて、あんたらをおびき寄せるための餌にされた」
少女が上を見上げる。
そこからは時々派手な打撃音と同時に振動が伝わってい来る。どうやらクローディアがあの鳥と激しく戦っているらしい。こうして響いてきているうちは、まだ彼女も無事という事が分かる。
「結局、あんたらにとんでもねえ迷惑をかけちまった。こんなのかあちゃんにも顔見せできなっ……」
少女が顔を戻したところで突如としてレドが少女に向かって腕を伸ばす。それに一瞬少女は怯える様子を見せた。殴られるとでも思ったのだろう。
だがその意に反し、レドは少女の頭にそっと手を置くと優しく撫で始める。
それに少女はきょとんとして。
「怒らねえのか……?」
「怒らないよ」
撫でながらリドが優しく微笑む。目の前の少女を責める気にはならなかった。それは良心によるものだとか、そういうものではなくて。彼女の境遇が多少違いはあれど、自分とあまりに似通っていたものだから抱いてしまったもの。同情というよりは共感に近い。それが彼に今この行動を取らせていた。
「そりゃまあやろうとしたことは悪い事だと思う、うん。けど気持ちはわかるから。なんなら依頼を受ける前は立場ほとんど同じだったしね……。ちょっとタイミングがずれてたら僕ら逆だったかも、なんて……」
「あんた……」
頬をかきながらちょっとだけ気まずそうにするレド。
自分だって金ナシ、やる気ナシ、あてナシの状態で健全な心が保てるかというとそうは限らなくて。
「まあこの件についてはまた後で、クローディアさんを含めてちゃんと話をするとして。今はともかくあの鳥を……。……っ!!」
少女の頭から手を離したところでレドが顔を歪める。
あの感覚だ。誰かに決定的な危機が迫るとやってくるこれが来たという事は恐らくクローディアの身が危ない。そう考えながら、自身の顔を抑えて立ち上がる。
「おい、大丈夫か!?」
心配そうに少女が声をかけてくる。
彼女からすればレドが突然苦しみだしたように見えたのだ。無理もない。
「ああ、僕はなんとも……。けどごめん、治療も終わったしクローディアさんの元に戻らないと」
「戻るって……。危ねえよ!! 殺されちまう!! あの姉ちゃんは強そうだったからなんとかなるかもしれねえけど、兄ちゃんオレとそう変わらねえだろ!? あの鳥もう加減しねえだろうから下手すりゃ……」
「それでもだよ。あの人がどれだけ強くても、僕がとてもかなわなくても。行かなきゃならない。じゃないときっと後悔する」
空となった回復薬の瓶に、血液の染みた布を突っ込み。雑に鞄に入れて背負い込む。
いったん深呼吸をして、心と息を整える。自身の頬を両側から叩いて気合を入れる。
「そりゃハチャメチャだし、お宝を目の前にすると油断して罠にはあっさりひかっかるし。叫び声はいちいち汚いしでこれのどこがお嬢様なんだ、とはなるけれど。終わりかけていた僕の旅を、成り行きといえもう一度つなぎ直してくれたんだ。だったら、その分を返さなきゃ……」
それだけ楽しかったのだ、短くとも彼女とした冒険が。二人だけなのにとても騒がしく、驚くことばかりで。冒険者を始めたあの頃を思い出させてくれた。何より必要とされたことが嬉しかった。だからここにとどまることも、逃げることも出来ない。出来るわけがない。
「もし動けるようになったらそのまま街へ帰るんだよ。昇格機をつかって降りて後は道に沿っていけば迷うことはないだろうし、大丈夫だと思うけど……。万が一襲われそうになったらこれを使って。弱い魔物ならすぐに逃げちゃうから…」
腰のポーチに入っている、ナッツ・クラッカーの残りを彼女の横に置いていく。そして階段に向かって走り出す。覚悟は決まった。
「……分かった。でも、絶対無事に帰ってきてくれよな……!!二人で、……二人でだぞ!!」
レドは少女の必死な願いに返答する代わりに、背を向けた状態で手を振った。そして階段を再び駆け上がり戦いの場へと戻っていった。