第四十八話 貪欲①
ヒスイに導かれるようにして、クローディア達は巨大な扉の前に立った。
「こちらが試合の会場になります。今、部屋を繋げますので、少々お待ちください」
ヒスイがいくつもの鍵がまとまった輪を取り出し、鍵のうちの一つを鍵穴に指す。鍵がゆっくりと回されると青白く扉が光った。今までの扉と同じ構造ならば、こうでもしない限り正しい行き先へは行けないようになっているのだろう。
ヒスイの手によってゆっくりと扉が開かれる。
「それではクローディア様、どうぞお先へ」
「……ええ」
途中で別れたラピスの事が気がかりだったが、それにいつまでも捕われているわけにはいかない。意を決して扉を通り抜ける。
「これは……」
中に入って最初に気になったのは、鼻腔をくすぐる料理の香り。そして、吹き抜けの下の階から立ち上る白き湯気だった。
下を覗くとそこには大きな鍋があり、中では色とりどりの具材が入ったシチューがぐつぐつと煮えられている。それをコック帽をつけた白き魔導人形がかき混ぜていた。
「ふむ。二階が観覧席、一階が会場って感じかな」
並べられた椅子の内一つにリノラが腰を下ろす。すると、深く彼女の体が椅子に沈み込んだ。やたらと椅子がふかふかしている。
「む、中々座り心地がいいねこれ……」
「この時の為にとっておきの物を用意致しましたので。ついでにお飲み物とおつまみも用意致しましょうか?」
にこやかにヒスイが微笑んだ。
リノラにそんなことを言えば当然酒をおねだりされるのは必然だ。にへーっと彼女が頬を緩める。
「おーう、だったらワインとチーズとか頼んじゃお……」
「ご厚意はありがたいのですけど結構ですわ。それより相手の姿が見えないようですが……」
無念、リノラのおねだりはクローディアの一言によって露と消えた。残念そうに頬を膨らませるリノラを尻目にクローディアは辺りを見渡す。
向こう側の席には客の代わりにぬいぐるみやら、動力の切れた魔導人形が腰を掛けているだけ。階下を覗き込んでみても調理をしている魔導人形以外に人の姿は見えない。
「もしかして本当に居ないのかしら?」とクローディアが首を傾げていると、マルヴァスが大鍋の陰に向かって指をさす。
「いや、いるな。あそこでなにやらこそこそやっているぞ」
クローディアが指の先に目をやると、何やら茶色の尻尾がピコピコと上下に動いていた。
目つきを鋭くしたヒスイが冷たい声で尻尾に話しかける。
「……シトリン。それは試合に使う料理ですよ」
「わっ!? バレちゃった~、でへへ」
大鍋の陰から出てきたのは犬の耳と尻尾を生やした少女型の人形メイド、シトリンだった。手には空の皿と大きめのスプーンが握られている。
「大方つまみ食いしようと思ったのでしょう……。まったく困った子です」
ヒスイが呆れたようにため息を吐きだす。普段から大量につまみ食いしては彼女を困らせているのだろう。
「あはは……、いっぱい食べれることはいい事ですから。ところで料理を試合に使うってことは……」
レドが苦笑に近い笑いを浮かべながら、ヒスイに尋ねる。
「ええ。お察しの通り、一番最初の試合は『大食い対決』でございます」
「お、大食い……」
「シトリンは調理担当なのだろう? ここは料理対決とかではないのか?」
マルヴァスがもっともな疑問をヒスイに投げ込んだ。一階は見たところ食堂のようになっていて厨房もある。ならば料理で勝負することも可能なはずだ。
「それでもよろしいのですが、その場合に彼女を相手取ることのできる方はそちらにおられますか? 彼女はあれでもプロ級の腕の持ち主ですが」
そんなヒスイの言葉に一行全員が固まる。まず、旅先での料理を担当しているレドに視線が行った。
「あっ、僕は無理ですね。簡単な料理ならともかく。リノラさんは……」
「ボクもむーりー。マルちゃんは?」
「せいぜい鍋物が限界だ。となると、残るはツバキなわけだが」
「拙者も故郷の料理であれば多少はできるでござるが、料亭に出せるほどとなると……」
そして残るクローディアは完全に食べる専門。つまるところ対抗できる存在がいない。ラピスが居れば多少望みはあったかもしれないが、それでも勉強中の身である彼女とプロ級のシトリンとでは雲泥の差がある。
「こちらにも配慮された勝負ということですわね……。でも行くのは誰にしましょう?」
「そりゃクロちゃんでしょ。なんてったってボクらの中で食費がダンチ……うみゃー」
リノラがそこまで言うと、クローディアに頬を引き延ばされた。伸びる、伸びる。面白いように伸びる。引きちぎれなければ良いのだが。
「そこまで言う必要はなくてよ。とはいえ、勝ちを拾いに行くのであれば私が……」
「あ、では拙者がチケットを使うでござる」
「えっ」
ひょい、とツバキが手を上げた。瞬間、彼女の持っていたチケットが一枚、塵になって消失する。
残るは一枚。こちらが誰を出すかを決められるのも後一回となってしまった。
「かしこまりました。では第一勝負を勤めるのはツバキさんということで」
ヒスイが恭しく一礼をした。こうなってしまっては、もう取り消しは効かないだろう。
「ツバ吉、何で勝手に……」
レドが真剣な顔をしながらツバキに詰め寄った。理由があるならそれを求めようとしていて。
すると、彼女の腹からきゅるるるぅ……、と可愛らしい音がなった。彼女が恥ずかし気に手で自身の腹を抑える。
「実は朝から何も食べてなかったでござるぅ……。何か入れたいでござるぅ……」
「君なぁ……」
「というのは半分冗談として、まだ仕様も分からぬ最初の勝負で、こちらの一、二番手であるクローディア殿を投入するのは愚策と思った故にござる。ここは斥候として拙者が赴くのがよかろう。もちろん、勝ち目があれば積極的に狙いにいくでござるがな」
ちらりとツバキが階下に目をやった。一見、怪しい所はない。だが何が潜んでいる可能性もある。そう言いたげだった。
「そういうことなら……。ではツバキさん、初戦をお願いしても?」
クローディアに頼まれると、ツバキが快く頷いた。
「承知!! ……っと、ところでどこから降りれば良いのでござる? 見たところ階段が無いのでござるが」
「ご心配なさらず。すぐに手配されますので」
ヒスイがそう言うと共にツバキの周りを薄い膜が覆う。魔力で出来た大きな泡のようなそれはツバキごと浮かび上がると階下へと彼女を運んで行った。
「っと、なるほど。こういうことにござるか」
食堂に辿りついた瞬間、泡がはじけ飛ぶ。
ツバキが目の前を見ると、シトリンが小さなテーブルに突っ伏しながら、顔を上げてふわっとした尻尾や耳をピコピコ動かしていた。
「や~、いらっしゃい~。はやくはじめよ~。ぼくもう我慢できないの~」
「ずいぶんと緩やかな御仁の模様……。ヒスイ殿、よろしくお願いできるでござるか?」
観覧席にいるヒスイに向けて、ツバキが声をかけた。
食堂から観覧席までは少しばかり距離があるものの、不思議と声が届くようになっていて、ツバキの声はクローディア達にも聞こえていた。
「はい。では、先にこの試合におけるルールを説明いたします。お二人には中央にある大鍋が空になるまでシチューを食べ、皿を重ねて頂きます。一つの皿を片付けるまで次の皿は運ばれてきません。空になった瞬間に皿の数が多い方の勝利となります」
大鍋の中からまずは一皿分、シチューが盛られ運ばれてくる。それぞれのテーブルに丁寧に置かれ、それにシトリンは目を輝かせる。相手の分まで食べてしまいそうな勢いだ。
「ちなみに、対戦相手に対する妨害行為は有りです」
「えっ、マジ?」
リノラが思わず声を上げた。片手にはいつの間にか酒の入った革袋を携えていた。まさしくいつものようにだ。
「はい。ただし、相手の皿をひっくり返して空にした場合には相手の皿のカウントが増えるだけですのでそこはご了承を。そして外野からの妨害は全面禁止。余計なことが起きぬよう魔法障壁を張らせて頂きますが、破るようなことがあれば試合は即刻失格とさせていただきます。これは他の勝負でも同じことです」
「……料理が喉に詰まるなどのアクシデントが起きた場合は?」
席に着いたマルヴァスがヒスイに尋ねる。ゆるっとしたリノラとは対照的に顔が険しい。声のトーンもいくばくか低い。
「その場合は救護に入ることを認めます。当然、求めたほうの失格となりますが」
「そうか」
「不満げだねマルちゃん。こういう勝負はやっぱり好きじゃない?」
革袋を傾け、酒を嗜みながら、リノラが彼に尋ねる。
「あまり、な」
マルヴァスがため息交じりに声を吐き出す。眉間に皺をよせならがら忌々しげに階下を眺めていた。
当然といえば当然だ。医に携わる者だからこそ、食物を喉に詰まらせ苦しむものを何度も見て来た。彼にとってはこの勝負も、命に関わるふざけた遊戯にしか見えないのだろう。
「ま、この場合はそうも言ってられん。となれば備えるだけだ」
「きゅいっ」
「おや、ルビー君だ。おいでおいで」
マルヴァスにもしもの時の為にと呼び出されたカーバンクルのルビーを、リノラが手招きする。
ちょこんと彼女の膝に乗って、一緒に試合を眺めることとなった。
ツバキが席に着くと共に、ヒスイが宣言する。
「これより第一試合を始めさせて頂きます。合図をしましたら、双方料理に手をつけてください」
「了解にござる」
「わくわく……」
それぞれが試合に対し思惑を巡らせる中、シトリンだけは何も考えず、目の前の料理に夢中になっていた。
ヒスイが腕時計に目をやる。時計の針が真上を向いた瞬間、高らかに声を上げた。
「それでは『大食い対決』、始めっ!!」