第四十話 ホーンテッド・ドラゴンマンション①
遠い日の記憶。
ヴェルキスの街に冬が近づき、街路樹の葉が枯れ落ち始めた頃。
『すまぬ。これ以上、お主とは一緒には居られぬ』
『え、いや……。いきなり何言ってるんだよ……。昨日の依頼だって二人で上手くやったじゃないか。なんで……』
二人の冒険者が言い争いをしていた。
いや、言い争いというには片側の女が淡々としすぎているというべきか。
その女はこのヴェルキスでは殆ど見られない異国の装束を纏っていた。
『理由は言えぬ。ともかく、明日からは別々に行動するにござる』
『ふ、ふざけるなよ!! 僕が何か悪い事したなら言ってくれよ!! じゃなきゃ納得できないよ!!』
そして、焦りのあまり声を荒げているのは……。
『お主が悪いとかそういうわけではござらん。では、達者でな。レド』
『おい、どこ行くんだよ!! 待ってよ!! 待てって、おい!! ツ――!! ツ――キ!!』
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「……っ!!」
レドが目を覚まし、ベッドとから急に体を起こす。ぼんやりとした視界のまま辺りを確認する。
簡素ではあるがしっかりした家具、青々とした街路樹の見える木枠の窓。彼にとっては見慣れた光景だ。
冒険者ギルドの提携している宿の一室。それが分かると急に力が抜けて後ろに倒れ、再びベッドに沈み込む。
「……夢か」
ほっとしたような、ちょっと残念なような。もしあの時やり直せたらという場面を見てしまったからこそ訪れた複雑な気持ち。
「なんで、今になってあの時の夢見ちゃうかなー。もしかしてまだ未練が……、ん?」
と、そこでふんわりと着地した手に少し違和感があった。自分の身体以外で、柔らかいものがベッドにある。
顔を動かさぬままにその正体を推察する。
「ああ、ルビー君か。それともこの宿の看板猫ちゃんだったり? たまに入って来るんだよね」
レドが苦笑する。しょうがないから、起きたついでに宿の主人の元に抱えて行こうかと考え、再び体を起こす。
だが、そんな彼の目の前に入ってきたのはカーバンクルでもなく、猫でもなかった。
「うーん……、今日のおつまみは鶏肉のニンニク揚げ……」
そこに居たのは余りにも無防備な姿で彼のベッドに横たわっている、元勇者の姿であった。
色気のあまりない寝巻で、食い物と酒関連の寝言を繰り返しながらすやすや寝息を立てている。
レドの手のあった位置が、歪んだ食生活のせいかちょっとむにっとした彼女の腹であったのは幸いというべきか、否か。
「……ほぎゃああああい!?」
レドの凄まじい叫び声が朝の宿に響き渡る。他の客から苦情が来たのは言うまでもない。
「というわけでそろそろ僕らの拠点を用意しましょう。流石に男女混合一部屋のままは不味いです」
冒険者ギルドに併設された酒場。一行が朝食を取っている途中で、レドが険しい顔をしながら会議を始める。
「えー、ボクは今のままでもいいんだけど」
唐突に始まった会議にまず文句を垂れたのは他でもないリノラだった。暖かいココアの入ったカップの横で頬をべったりテーブルにつけながらめんどくさそうな顔をしている。
「こっちの身が持たないんですよ!! リノラさんは酔っぱらってベッドに転がり込んでくる!! お嬢様もたまに寝ぼけて侵入!! ちょっとは自身の身を大切にしてください!!」
レドがビシバシと問題点を指摘していく。安易に欲に流されず、相手の心配をするあたりが彼らしい。まあ、最近気を緩めてしまい痛い目にあったのもあるのかもしれないが。
そんな彼に対してラピスが何を思いあたったか、ポンと手を打つ。
「なるほど、ゆうべはおたのしみでしたね、というわけですね」
「というわけではないですからね? それと、ティナさんは後でちょっとお話があるので」
「えっ、なんでしょう……。まさかギルドの裏に呼び出されて、ドキドキ……」
相変わらずギルド職員としての仕事をほったらかし、クローディア達の席に混じっていたティナが、レドの言葉にわざとらしく顔を赤らめ身をくねくねさせる。
上目遣いでちらりとレドを見るが、彼はまったくその手には乗らず。
「ラピスさんにまた変なこと教えてることに対してのお説教です。僕はキリキリしてますよ、主に胃が……」
レドが険しい顔を解き、ため息を吐きながら自らの腹を抑える。流石にちょっと痛ましい。
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、リノラがのんびりとココアをすすりながらのたまう。
「まあレド君は変なことしないって分かり切ってるから。ボクもクロちゃんも信頼を寄せてるんだよ、たぶんきっとメイビー」
「そこで多分とかつけないでください……。というか僕ってどう思われてるんでしょう。もしかして男として見られてないのでは……」
「つまりヘタレ」
と、ここでティナのとんでもない爆弾発言。
この遠慮のない横槍にはレドも流石にキレた。
「すいませーん、ここにサボり職員がいまーす!!」
「あっ、酷い!! ウワー!? 鬼畜生の先輩が来た!! 鬼畜生の先輩に連れ去られてます、たぁすけてぇ!!」
「誰が鬼畜生だバカタレ。書類仕事が溜まってんだよ」
ティナの抵抗空しく、赤髪の目つきの悪い職員が彼女の襟首を掴み、引き摺っていった。
『先輩の馬鹿力!! 無駄にデカイ!! 憎たらしい程ナイスゥバディ!!』等と罵倒だかなんだかわからない言葉を吐いたティナが頭に拳骨を喰らう。どうやらヴェルキス支部では名物扱いらしく、周りの冒険者たちも特に気にしている様子はなかった。
テーブル席が少しばかり静かになったあたりで、マルヴァスが軽く片手を上げる。
「まあ、オレもレドと同意見だ。そろそろラボが欲しい。緊急時には診療所にもなるしな」
「私はどちらでも。しかし、これで二対一といったところでしょうか。後はお嬢様次第ですが」
ラピスがちらり、とクローディアに視線を向ける。
お喋りな彼女にしては珍しく、先程からまったく発言せず、静かに朝食をとっているだけだった。
それが今になって何やら不敵な笑みを見せている。
「ふっふっふっ……」
「あー、お嬢様まさかとは思いますけど……」
「そのまさかですわ、レド!! 私、ずっと待っていましたの、誰かが言い出すのを!!」
クローディアの黄金色の瞳が眩いばかりに輝く。椅子から立ち上がり、何故か天を力強く指さす。
「お嬢様が住む場所と言えば……、そう!! お屋敷!! 豪華で、巨大で、誰もが羨むようなお屋敷を拠点にしましょう!!」
それはとても力強い宣言だった。
当然受け入れられるだろうと思って、堂々と胸を張り仲間たちの言葉を待つ。
「無理だね」
「無理だな」
「無理ですよ」
クローディアが凄まじい勢いでその場にずっこける。
よろよろと立ち上がると、あまりにも間抜けな顔を晒しながら、情けない声を上げる。
「……なんで???」
マルヴァスが彼女を哀れむような眼で見て、淡々と指摘する。
「まず、それだけの金が足りん。ド田舎ならともかく、ヴェルキスで土地ごとでかい屋敷を買おうとすると金貨の山がすっ飛ぶぞ」
「でかい屋敷だと使用人も欲しいしねー。今それだけの甲斐性ある? ないよね?」
リノラも厳しいことは言いつつ、手に持った串焼きをクローディアに差し出した。
「はぁん!? このままでは屋敷なしの貧乏お嬢様になってしまいますわ!! もぐもぐ……」
串焼きは有難く頂戴しつつ、クローディアが絶望に暮れる。
「それはまあ元からな気がする。そもそもクロちゃん、お嬢様なドラゴンじゃなくて、お嬢様になろうとしてる豪快ドラゴンでしかないし」
「はぐぁ!?」
「すいません、それ禁句なんで……。お嬢様本気でへこむので勘弁してやってください、事実でも」
「ぐふぅ!?」
リノラとレドの心無い言葉により、クローディアが床に沈んでいった。
レドが椅子から降り、心配そうに彼女に近寄る。
「ああ、やっぱり……。大丈夫ですか?」
「今とどめを刺したのは、お前のような気がするが」
マルヴァスがやれやれ、と肩をすくめる。
クローディアが床に伏したまま、ぶつぶつと独り言呟く。
「うふふー……、どうせ私は地に堕ちただけのちっぽけなゴージャスドラゴンですわ……。お屋敷なんて夢のまた夢……。せいぜい丘の上の一戸建ての綺麗なハウスで、白くてふわふわの犬を飼うのが関の山……」
「随分とまだ余裕がありそうだな」
「少しずつランクアップしていきましょう、お嬢様……」
レドが彼女の肩にポンと手を置く。
床で大人しく自分の食事をとっていたカーバンクルのルビーも、レドの真似をして彼女の腰に手を当てた。
クローディアが落ち込むその一方で、リノラは前後に椅子を揺らしながら、酒場の天井を見上げ何かを考え始める。
「んー、お屋敷。お屋敷かー……」
椅子は倒れそうで倒れない絶妙なバランスを保っていたが、ラピスが後ろからその背に手を当てるとゆらゆらとした動きをやめて元の状態に戻った。
「リノラ様、どうかされたのですか?」
「あ、んとね。もしかしたらあるかもしれない、お屋敷」
そんなリノラの言葉に、床に沈んでいたはずのクローディアが即座に反応し彼女の肩を掴み激しく揺らす。
「どどどどど、どういうことですのぅ!? リノラさん!!」
「ふはははは、落ち着けクロちゃん。いやさ、バルディス……、勇者時代にヴェルキスでもらった気がするのよお屋敷」
「えっ、でも今までそんなこと一言も……」
レドが驚きの声を上げながら、クローディアに揺さぶられているリノラを見る。
「いや、うん。どーでもいいと思ってたことは大抵忘れてるからさ。今ちょっと思い出したんだよ。大海魔だっけ? 港を襲ったそいつをちょいっとやっつけた時にだね」
「それバルディスの英雄譚で有名なエピソードの一つじゃないですか!? ちょいっとってレベルじゃないですよ!?」
ヴェルキスの港にはバルディスとその一行の偉業を称える石碑がある。つまりそれほどの大事件だったはずなのだが、肝心の彼女にとってはただの通過点の一つに過ぎなかったようだ。
「魔王とは関係なかったからさー。そん時の仲間もみーんな豪邸には興味なかったし、もらってほったらかしだったと思う」
「つまり完全に空き家状態というわけか。これは思わぬチャンスかもしれんぞ」
マルヴァスが話を聞きながら、空になった食器類をまとめてラピスに渡す。
ラピスは軽く一礼をすると、それをキッチンの方へと運んで行った。
そしてクローディアはといえば、これ以上ないくらいに綺麗な笑みを浮かべていた。余りにも綺麗すぎてむしろ怪しい、裏切ってきそうな気すらするタイプの笑みだった。
「ありがとう、リノラさん……。貴女に出会えて本当に良かった……」
「こういうのを現金っていうんだよ? 皆覚えてね?」
「誰に向かって言ってるんですか、それ……」
レドが思わずつっこみを入れたが、まともな答えは返ってきそうにない。
「そうと決まれば、早速観に行きましょう!! おっやしき、おっやしき!!」
力が溢れんばかりに満ちたクローディアが建物の出口に向かって駆け出していく。それはまるで猪のよう。
「いやいや、先に行ってどうすんのクロちゃん。場所知らないでしょ君? ボクもおぼろげではあるんだけどさ」
「お嬢様、待ってくださーい!!」
リノラとレドも彼女を追っていった。途中ぶつかりそうになった他の冒険者にレドが頭を下げて。
「そもそも権利がちゃんと残ってるか分からんだろうに、やれやれ……」
仲間たちの慌ただしい様子を見ながら、焦ることもなくゆっくりと椅子から立ちあがるマルヴァス。
そこで食器を片付けたラピスが戻って来る。
「急がなくてよろしいのですか?」
「どうせ途中で止まる。そうでなくても、置き去りにしたと思えば戻って来るだろう、あいつらは。さ、行くぞ」
「あ、はい……」
ラピスがほんの少しだけ頬を緩ませる。自分も一行に含んでもらえたことを少し喜んでいるようだ。
それから酒場のマスターのカレルに対して許可を取ろうと顔を向けるが、彼が笑みを浮かべながら小さく頷くと、それに対して深く一礼をする。
クローディア達が出ていった後、カウンター兼キッチンの裏にティナがひょっこりと顔を出した。
「ふむ、勇者バルディスが貰ったお屋敷……、ですか」
「あれ? ティナ君、仕事は?」
特に動じることもなくカレルがティナに尋ねると、彼女は自分の口の前に指を立て静寂を促す。
「しー、ですよカレルさん。ちょっと逃げて来たので」
カレルが辺りを見渡すと、怒りのあまり本当に鬼のような形相を浮かべた赤髪のギルド職員がティナを探し回っていた。
それに思わず吹き出しそうになりつつ、自分の背に隠れ始めたティナをちょっとだけ匿ってやる。
「いいのかなぁ……」
「いいんですよ、たまには。それより、リノラさんが言ってたお屋敷ですが、たしか……」
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「ゆ……」
立派なお屋敷だった。それは間違いない。
辺りの建物の中では随一というほどの敷地面積を誇っていて、外壁や門に施された装飾も細かくまるで芸術品のように美しい。見事な彫像すら広大な庭に備えている。
まさしくクローディアが望む理想のお屋敷といったところだろう。ただ一点を除いては。
「幽霊屋敷じゃありませんのよおおおおおおおお!?」