第三十九話 星は輝き、夢魔は星を追う②
ヴェルキスの街の一角、魔法雑貨店『火鼠の大釜』。店内のこじゃれたカウンターには紅茶の注がれたティーカップが二つ置かれ、それを店主と一人の客が嗜んでいる。
「とまあこんな具合だ」
客、もといマルヴァスが此度の顛末を語り終えると、雑貨店の店主であるグラウケーがティーカップから口を離し、くすくすと笑った。
「あらあら、夢魔に釣られたばっかりに、レド君も災難ねぇ……」
「釣ったつもりはない。それよりあの薬の事なんだが……」
「ええ、それなら大丈夫。キングマンドラさんのツタが多かったおかげね。予定より余分に出来たし、必要なヒト達にちゃんと行きわたるはずよ」
それを聞いたマルヴァスがほっと息を吐き出す。力が抜けたのか、そのままカウンターに突っ伏してしまった。
「……助かる。製法はあるのに、材料そのものが足らず命を落とすことほど、残酷なことは無いからな」
「ええ、そうね。……マルヴァスちゃん?」
中々顔を上げないマルヴァスに対して、グラウケーが心配そうに声をかける。
寝てしまったのだろうか、と彼女が覗きこもうとすると、彼がすっと顔をあげる。
「ん、ああ。すまない、少しぼーっとしていたようだ。ひと段落ついたのだし、少しは休まなければな。……どうした?」
「ううん、問題ないならいいの。それにしても驚いたわ」
「驚いた?」
マルヴァスが首を軽く捻る。今までの話にそんな要素があっただろうか、と思考を巡らせて。
だが答えが出るより先にグラウケーが口を開く。
「そうよ~。だって、群れることをあまり好まなかった貴方が誰かの仲間に加わるだなんて、思いもしなかったもの。それもレド君達とだなんて。どういう風の吹き回し?」
「なんだそのことか」
「きゅいっ」
彼の足元で動物用のクッキーを齧っていたルビーがカウンターの上に飛び乗ってくる。
マルヴァスは姿勢を正すと、それをやさしく撫でてやり。
「最近発見された、『楽園』の欠片遺構の調査団に、オレが参加したことは覚えて居るだろう?」
「ええ、医に携わる施設の遺構だからと。そういえば結果を聞けて無かったわ。あの後、すぐに薬の精製が必要になったから……。でもそれがどうしたの?」
「とても有意義な時間だった。失われたはずの多くの命を救う術がそこにあり、それに必要な機材も既に稼働はせずとも、良い状態で保存されていた。発見と驚きの連続だったよ」
欠片遺構。かつて存在していた異世界の残滓。
そこにある『失われた技術』は、このファルクレスの地において文明を発展させるための重要な要素の一つであり、遺構の規模によっては国から調査団が派遣される。
時には、冒険者ギルドを通じて調査員を募集することもある。マルヴァスはそれに参加していたのだ。
「だが、オレが何よりも一番驚いたのは……。調査員に配られた資料に記されていた、その遺構の発見者の言葉だった」
マルヴァスは目を閉じ、その時に受けた衝撃を噛み締めると。吐息と共にその言葉を吐き出す。
『この遺構にある医療の技術は、遠い昔の人々が、誰かの命の為にと大切に積み上げ遺したもの。故にこれは全てお譲り致します』
「えっ、それって……。せっかく獲得した権利を放棄したってこと?」
紅茶のカップを口に運ぼうとしていたグラウケーの手が止まる。それほどまでに、欠片遺構の権利の放棄は本来有りえないことだった。
「ああ、思わず目を疑ったよ。通常、欠片遺構の権利は他でもない発見者が有し、そこからギルドを通じて国や種族、時には個人と交渉する形で分配される。次第によっては大金を得ることも可能だったんだ。今回のような場合は特に」
マルヴァスの言葉が段々と熱を帯びていく。口が止まらなくなり、聞き手の相槌も待たずして語っていく。
「ただの冒険者が、そいつを自分から投げ捨てるだなんてオレには到底信じられなかった。いてもたってもいられず、ギルドの職員に問い合わせたんだ。『こいつは一体どんな奴なんだ。何を目的として冒険者になったんだ』とな」
そこでマルヴァスが笑う。常に皮肉ぽい笑みか、微かな笑みしか浮かべない彼が、無邪気に笑ったのだ。まるで新しい宝物を発見した子供のように目を輝かせて。
「そしたらだ。なんて返ってきたと思う? 『多くのお宝を手に入れ、自分の戻るべき場所へ帰ること』だとさ」
「それって、まさかクローディアちゃん……? まさかあの子達があの欠片遺構を?」
グラウケーが最近知り合った竜の少女……、マルヴァスが仲間になったパーティの一人の名を口に出す。
すると、マルヴァスはそれに深く頷く。
「大馬鹿野郎だと思った。それは余りにも矛盾しすぎている。おかしくなって、人目もはばからず、ひとしきり笑って、それから……」
マルヴァスが視線を落とした。そこには自身の紅茶しかなかったが、きっとクローディア達の事を思い浮かべていたのだろう。
「胸に熱いものがこみ上げてきたんだ……、抑えきれないくらいに」
自身の胸に手を当てる。その時の事を反芻し、今度は天を仰ぐ。当然、店の中だから空が見えるはずもない。しかし、彼の瞳は輝き続けていた。
まるで夜空に浮かぶ星々を眺めたかのように。
「『楽園』に遺されたものの多くは、今はまだ技術的に生かすことが出来なくとも、そう遠くない未来に多くの命を救うだろう。自由に解放された分、早く……。もちろんあいつにそんな意図はなかったと思う。ただ、これらで金銭を得るべきではないと思ったんだろうな……」
マルヴァスは上げていた顔を戻すと、「ルビー」と己のカーバンクルの名を呼ぶ。
するとルビーがクッキーを齧るのを止め、小さく声をあげる。空中に小さな扉を出して、その中から巻かれた一枚の紙を持ってくる。
ルビーがまたクッキーを齧りだしたところで、マルヴァスは糸をほどき、紙をカウンターの上に広げた。
そこには欠片遺構の権利を放棄するという旨と、クローディア達の名が刻まれていた。そしてこれは写しであるというギルドの判も。
「周りにいた奴らも二つ返事で賛同していたと聞いた。ギルドとしてはそういうわけにもいかないから、多少の謝礼金は出しただろう。だが、それでも本来稼げるはずの額よりはずっと少ない」
クローディア・ドラゴディウス。レド・ヴィクトリアム。リノラード・ペンタクル。それぞれ個性のあるサインをマルヴァスはゆっくりと指でなぞる。
「この人類全体が受けた大恩を、どうすれば彼女達に返すことができるのだろう? どうしたらこの胸に沸いた情動を収めることができる? 寝ても覚めても考えるのはそればかりになった」
彼の赤い瞳が少し潤む。
それは瞬きをすれば直ぐに戻ってしまったが、グラウケーにとって、とても珍しいものだったようで、彼女は口を開けたまま彼の顔を眺めてしまっていた。
その視線に気づかず、マルヴァスは続ける。
「……だから決めたんだ。もしこいつらが……、クローディア達がオレの力を必要としたのなら、その時は存分に振るおうと。まさか、その後すぐに勧誘されるとは思わなかったが」
「ふふっ……」
話を聞いていたグラウケーが、唐突に口を抑えて笑う。
マルヴァスもそれには流石に話を止めて、彼女を軽く睨む。
「なんだ……。何がおかしい」
「いえ、ごめんなさい。さっき私は、レド君が夢魔に釣られた、なんて言っちゃったけど、違ったんだなって思って。マルヴァスちゃんの方が、あの子達に夢中になっちゃったんだなーって」
「なっ……!?」
顔を赤らめたマルヴァスが身体を急に引くと、椅子が激しく音を立てる。
それを見たグラウケ―は、余程おかしくなったのかさらに笑ってしまう。
「だってそうでしょう? こんなに熱く語るマルヴァスちゃんは初めて見たもの。それとも違うの?」
そんな問いに、マルヴァスは少しばかり沈黙していたが、言い訳を諦めたかのようにため息を吐くと椅子に座り直した。
「……違わないな。そういうものはとうに枯れ果てたと思っていたのに、まったく困ったものだ」
「中々消えないものよ。燻っているものは、もう一度火がつけば激しく燃え上っちゃうことだってあるんだから」
「お前が言うとぞっとしないが……」
「まあ失礼ね。あら……?」
と、そこで店の扉が開く。飛び込んできたのは店主にとっては馴染みの黒髪の青年だった。
彼は息を整えながら店内を見回していたが、マルヴァスの姿を確認するとホッと胸を撫でおろす。
「あっ、いたいた。よかったぁ……、ここにもいなかったらどうしようかと」
「あら、レド君。いらっしゃい、そんなに息を切らしてどうしたの? マルヴァスちゃんに用事?」
「お邪魔します、グラウケーさん。えっと、ギルド前の大通りで馬車の事故がありまして」
「まあそれは大変!! マルヴァスちゃ……、いや言うまでも無かったわね」
グラウケーが声をかけるより先に、マルヴァスは椅子から離れ、木製のコートハンガーに掛けられた白衣を羽織った。医者用の鞄を持ち、ルビーに手招きをしながら店の外に向かって歩きはじめる。
「レド、行きながらでいいから負傷者の人数と容体、それと現場の様子を把握してる分だけ伝えてくれ」
「はいっ。ええと、数は七名で……」
「行ってらっしゃい。でも、私も向かったほうが良いかしら?」
そんなグラウケーの問いに、マルヴァスは振り返ることなく答える。
「現場では治療に当たってくれている他の者もいるだろうから、無理はしなくていい。だが、万が一ということもある。その時に備え、出来るだけ医薬品の類を持ってきてくれると助かる」
「分かったわ」
マルヴァスとレド、そしてルビーが出ていき、店内にはグラウケー一人が残された。
「あんなに生き生きしちゃって……。あの子のお師匠様が見たらきっと腰を抜かすんじゃないかしら」
彼女は、先程までのマルヴァスの様子を思い出すと、嬉しそうに、しかし同時に少し寂しそうに呟いた。
「……っと、いけないいけない準備しなきゃ。……あら?」
と、そこでグラウケ―があることに気づく。
カウンターの上に置いてあったインク入りの瓶が転がって、中身が出てしまっていた。それだけならまだよいのだが、それをルビーが踏み、さらには先ほどマルヴァスが広げていた紙に足跡をつけてしまっていた。
「これ、どうしましょう~。……そうだ」
どうせ写しなら、とグラウケ―が羽ペンにインクを付け、何かを書き足していく。紙を両手で持ち上げると、小さく頷き。
「これで良し、と」
特に意味はないし、勝手にやったからちょっと怒られるかもしれない。
でも同時に、クローディア達なら笑ってくれるだろう、と考えそれを柱に張り付ける。
かつて楽園の欠片遺構を旅した、クローディア達の名前が刻まれている部分の少し斜め下、カーバンクルの足跡がついたその下。そこにマルヴァスの名が書き足されていた。