第三十話 樹海探索紀行
聖竜の守人達の集落へ向かう道の途中、見張り用に作られた櫓の手前を曲がったその先、樹海の入り口のうちの一つがそこにあった。
「うー、重いー……。誰か助けてー……」
リノラが中身の詰まった袋を両手に持ち、ふらつきながら林道を歩いている。
「調子に乗ってあれもこれも買いすぎですわよ、まったく……。探索前と言う事を忘れていたんじゃありませんの?」
クローディアが、呆れながらもそのうちの一つを持ってやる。両腕で袋を抱えながら半目でリノラを見る。
「うぇーん、だって面白そうなものや美味しそうなお酒とかいっぱいあったからぁ……。ねえ、マルちゃん。あの子出して、荷物沢山持ってくれるやつ。カバン君、いやバンクちゃんだっけ……?」
「どちらも違う。やれやれ、まったく仕方ないな……。来い、カーバンクル!!」
「きゅーい!!」
マルヴァスが虚空に呼びかけると、カーバンクルが姿を現す。既に話を聞いていたのか、自分の乗っている扉を開いては、リノラやクローディアが持っている袋を預かって中に放りこんでいく。
「いや、ホント助かるわ。マルちゃん凄いね。幻獣なんて本来人前にめったに姿を現さないのに、契約までしてるだなんて」
「別にオレが凄いわけじゃない。師から受け継いだだけだしな」
マルヴァスはカーバンクルの頭をなでると、腰に下げた鞄から大ぶりの木の実を取り出して渡す。
扉が閉じられ、カーバンクルがマルヴァスの肩に乗る。木の実を齧りながら耳をピコピコと動かし。
「さ、そろそろ進むとするか。とりあえずは道に沿って行けばいい」
「樹海っていうからもっとなんか入り組んでいると思ったけど、そうでもないんだね」
身軽になったリノラがしっかり整備された林道の上を軽く走っていって、辺りを見回すとくるっと振り返る。
「守人たちのおかげだろう。彼らにとって樹海は狩りの場でもある。彼らの作った道から外れさえしなければ、そうそう迷うことはないはずだ。途中からはそれも頼りにできんが」
「それは一体どうしてですの?」
カーバンクルの膨らんだ頬袋をつつきながら、クローディアが尋ねる。
「求めてる薬草を手に入れるためには、林道から外れる必要があるからな。おっと……、どうした?」
カーバンクルが何かに感づいたかのように肩から降りて、マルヴァスの後ろに移動する。
一行が複数の足音に気づき、視線を向けるとそこには狼の群れが居た。久しく得物を口に出来ていないのか、どれもこれも痩せ細っていて、口からは大量の涎を垂らしている。
レドが腰に下げた武器を抜く。新調されたナイフの黒き刃が光を反射してきらめき。
「まあ当然いますよね、こういうの……。ヒトが通りかかると思って見張ってたんですかね?」
「随分と腹を空かせているようだ。だが、こちらはおとなしく肉をかじらせてやるほど聖人じゃない。迎え撃つぞ」
「おっけ。そいじゃ樹海での初戦闘といきましょーかね」
リノラも黒き刃の剣を鞘から引き抜いて構える。横目でマルヴァスが何も取り出さない所を見ると、軽く首を傾げて。
「てかマルちゃん、武器持ってないけどやれるの?」
「問題ない」
マルヴァスが虚空に手をかざす。すると、一瞬空間が歪み、その内より金属製の真っ直ぐな杖が姿を現す。
「微睡みの彼方より死の刃よ、来たれ。エクスキューション」
杖を引き抜き、詠唱する。杖の片側に魔力の刃が宿る。医者を名乗るものにはあまりにも不似合いな命を刈り取るための武器、悪魔の大鎌が顕現する。
それを見ていたクローディアが怪訝そうに眉をひそめる。
「随分と物騒な武器ですのね……」
「もっと大人しい物を使うと想像していたか? 生憎、これが一番使い慣れてるものでな。それより、来るぞ」
堪えきれなくなった狼が一匹、飛び出してくる。続けて二匹目も走り出し、その牙を剝き出しにする。
「んじゃ、お先っと」
リノラが踏み出し、先頭の一匹を瞬く間に斬り捨てる。続く二匹目……は、あえてスルーし、未だに様子を伺っていた群れに飛び込んでは、暴れまわって次々と仕留める。
「クロちゃん、そっちに向かった奴よろしく!!」
「はいはい。……ふっ!!」
抜けてきた狼がクローディアにかじり付こうと口を開いた瞬間、クローディアが狼の顎に拳打をお見舞いする。
「遅いっ!!」
直撃を受けた狼がふらついたところで、続けてその頬に膝を入れる。吹き飛んだ狼が、地面に転がるとそのままピクリとも動かなくなる。
その光景を見ていたマルヴァスが目を見張る。
「ほう、見事なものだ。だが、気を付けろ。こいつらはメルティハウンド。唾液に血液の凝固を阻害する成分が含まれている。牙が掠っただけでも、血が止まらなくなるぞ」
「うぇ!? そういう事は早く言ってくださいまし!! ……っと、感謝致しますわ!!」
慌てたクローディアが、拳や膝に狼の唾液がついていないか確かめる。
カーバンクルが布を彼女に手渡してくると礼を言い、必死になって体を拭く。
「まあ、竜族に効くかどうかは分からんが。そもそも、お前の皮膚にあの程度の牙が通るのか?」
「それでも、嫌なものは嫌なの!! 唾液は唾液ですし!! というか、大層な武器を出しておいて、貴方は戦いませんの!?」
「戦うとも。だが、オレの戦闘スタイルは魔法よりでな。おっと……」
マルヴァスが、林道の外より奇襲を仕掛けてきた狼の攻撃を躱す。鎌で狼の体に傷を刻むと、相手が怯んでいる隙に地面に映った自らの影に手を置き、詠唱を開始する。
「我が影に命ず。己が形を変え、立ち塞がる敵を穿て。シャドウスパイク!!」
マルヴァスの影が歪み、狼の方へと伸びていくと、複数の棘が突き出して串刺しにする。
「このように鎌で敵を捌きつつ、魔法で仕留めるといった場合が多い。だが、出来れば前衛は他の奴に任せたい。手が空けばそれだけやれることが増えるからな」
「なるほど……。っと、レド……? レドはどこに行きましたの?」
クローディアが辺りを見回す。
もはや群れの殆どを仕留めているリノラや、隣にいるマルヴァスの姿は確認できる。だが、彼の姿だけがどこにも見当たらない。
彼を探していると、残っていた狼のうち一匹が、クローディアに向かってくる。
「貴方はお呼びではなくてよ、……なっ!?」
クローディアが構えた瞬間、狼の上にレドが降って来る。背に馬乗りになると、脳天に刃を突き立て、即座に引き抜く。そして喉にも突き立て、肉を裂き殺す。
「……よし、と。あっ、呼びましたかお嬢様」
狼の頭から噴き出した血で汚れた顔のまま、レドがいつもの様に柔らかな笑みをクローディアに向ける。
どうやらいつの間にか樹の上に登り、確実に仕留めるタイミングを伺っていたらしい。木の葉が数枚ほど、ひらひらと落ちてきていた。
「わ、わぁ……」
あまりの光景にクローディアはドン引きしていた。
カーバンクルも若干怯えながら、レドに新しい布を差し出す。
それらを見て、レドは自分が今どんな状態か気づくと、布を受け取りつつ申し訳なさそうにする。
「あ、すいません。驚かせちゃいましたね……」
「割とえげつない倒し方するねぇ、レド君」
レドが顔を拭いてると、群れを壊滅させたリノラが戻って来る。こちらは返り血の一滴も浴びなかったのか、身綺麗なままだ。
「僕の力量だと、こうでもしないとやってけませんからね……。後一匹残ってるみたいですけど、どうします?」
遅れてやってきた少々のろまな一匹が、ぶるぶる震えたかと思うと、そのまま踵を返して逃走する。
「まあ、仕留めなくてもいいかな。怯えての逃走っぽいし。仲間を呼ぶつもりなら、速攻で首はねたけど」
「マルヴァスさん。さっきから私の仲間達がなんとなく怖いのですけど……」
レドとリノラの会話を聞いていたクローディアが、マルヴァスの袖を引っ張る。この中では一番強大な存在であるはずの彼女が、一番普通のヒトらしい反応を見せていた。
「オレに言われてもな。ん……? おい、待て」
クローディアに袖を引かれながら、逃走する狼の様子を見ていたマルヴァスが、その先に落ちている巨大な二枚の赤い葉に気づく。
狼が葉に足を踏み入れた瞬間、二枚の葉が閉じ、狼を捕えて持ち上げる。
狼は鳴き声をあげながら、逃げようとしばらく足をジタバタさせていたが、葉の間より滲み出た粘着質な液体に包み込まれると全く動かなくなってしまった。
「こいつは……。おい、全員下がれ!!」
マルヴァスに従い全員がその場から少し退くと、木々をなぎ倒しながら小屋ほどの大きさを持った四足の怪物が姿を現す。頭の代わりにハエトリグサを思わせる奇妙な葉がいくつも垂れ下がっていた。
「なんだこいつ!? でっかいしキモイ!!」
さすがのリノラもこの手の存在は見たことがなかったらしく、怪物を見上げながら騒ぎ立てる。
「動物……、いや植物? どちらにせよ、友好的では無さそうですけど……」
レドが様子を伺っていると、怪物は捕えた狼を溶かし吸収してしまう。そして、『次はお前たちだ』と言わんばかりにその足を踏み出し始めた。
「狼一匹で満足……、してくれるわけありませんよね……」
「ちょ、マルちゃん!! こいつの情報なんかないの!?」
怪物がクローディア達を捕えようと茎をのばしてきた。リノラが葉を斬り落としながら、マルヴァスに尋ねる。
「ファームスキプラだな。聞いて驚け、食う時は牛を四頭ほど頂くらしいぞ」
「そういうのではありませんわよ!? ええい、こうなれば炎で燃やし尽くしてしまえば……。んぐぐっ!?」
クローディアが喉奥より金色の炎を吐き出そうとすると、レドがすぐさまその口を手で塞ぐ。
「火器厳禁ですお嬢様!! 木々に燃え移ったら大惨事じゃ済みませんよ!!」
「やれやれ、仕方ないな。皆、少しの間だけ時間稼ぎを頼む」
マルヴァスがその場から飛び退き、クローディア達の後方へ移動する。
「ぷは……。それは良いのですけど一体何を……?」
「なぁに、必殺の大魔法というヤツさ」
マルヴァスが大鎌の柄尻を地面に突き立て、ニヤリと笑う。
「うえー!! 斬っても斬っても再生するー!! やっぱこういうタイプ嫌いー!! ずるいー!!」
リノラがひゅんひゅん怪物の周りを跳び回る。
泣き言を言いつつも、再生する先からあっさりと葉の付いた茎を斬り落としていく辺り、さすがと言うべきだろうか。
「どこに急所があるかもわからないのが……。ああ、ここじゃないか。危なっ……!?」
大振りな攻撃の隙をついて、レドが怪物の体にナイフを突き立てる。それに怒った怪物が前足を大きく上げる。
「竜化すれば楽にはなるのでしょうけど!! まだ樹海の入り口なのにいたずらに消耗するわけには……っ」
クローディアが踏みつけてこようとした前足を拳で弾き飛ばす。怪物が少しばかり体勢を崩すが直ぐに持ち直して。
「ええいっ、厄介な!! マルヴァスさん、早く!!」
「そう急かすな。ファームスキプラめ、生餌以外に興味を示さなかったのは失敗だったな。魔族の前でそんな真似をすればこうもなる」
マルヴァスが目を閉じて神経を集中し、詠唱を開始する。同時に、先程倒れた狼たちから漏れ出た血液が彼の上に集い、淡い色をした魔力の塊に変換される。
「地の底、氷の獄に繋がれた孤独の王狼よ。我が魔力、そして我が捧げし贄を喰らいて、その牙と爪を、怒りのまま存分に振るいたまえ」
その場の気温が急激に下がり、空間に突如断裂が生じる。それを押し開きながら、異形なる白き獣が姿を現し、魔力の塊を一口で喰らう。
『シ、ハ、ハ、ハ!! アアアァア!!』
言葉とも咆哮とも取れない歪な叫び声を上げながら、獣が怪物を巨大な爪で捕えた。
「コーキュートス・ブレイクアウト!!」
マルヴァスが目を開き、その紅い瞳を微かに発光させながら、大鎌の柄尻で地面を叩く。
それを合図に獣が怪物に喰らいつき、そのまま氷のブレスを吐き出す。瞬く間に怪物が氷漬けにされてしまった。
「なんだアレ……。冷たっ!?」
レドが呆然とその光景を見上げていると、氷漬けになった怪物から落ちてきた雫が顔に当たる。それを拭っている隙に、白き獣の姿は消えていた。
クローディア達の後ろから、マルヴァスがゆっくりと歩いてくる。
「本来は膨大な魔力を消費しなければ使えない召喚術だが、こうして死んだ魔物の血液を使えばほとんど消耗せずに済む。さあクローディア、あと一押しを頼む。砕くのは得意だろう?」
「え、ええ……。では、行きますわよ!! ふっ!!」
氷漬けになった怪物をクローディアが拳で粉砕する。あれだけ強大だった存在が、無残にも砕かれて地面に散らばっていった。
「いやー、すっごいわ。血がなきゃいけないのはちょっと大変だけど。あ、でも夢魔だからもしかして血の代わりにもがぁ……」
「ストップストップ。駄目ですよそれ以上は……」
勢いのまま問題発言をしようとしたリノラの口を、レドの手が塞ぐ。一日に二人の口を塞ぐことなんて、そうそうないだろう。
「ま、その辺は想像に任せるさ。さて、随分と冷やしてしまったがちょっとは回収できるかな。目当てのものでないにしろ、こいつも良い薬になる」
砕かれた怪物の体をマルヴァスが拾い集める。小さな籠をもったカーバンクルが彼の後ろに続き、その中に薬の材料として放りこんでいく。
「ねえ、マルヴァスさん」
「ん、どうした?」
少しすると、後ろからクローディアが話しかけてくる。
マルヴァスが手を止めて、振り返る。そこには彼女の不安そうな顔があった。
「ひょっとして今の技を貴方は昔ヒトに……。いや……」
「お嬢様……」
何かを言いかけて、途中で止めたクローディアにレドが近寄る。
心配そうに声をかけようとした彼をクローディアは手で制し、首を振った。
「なんでもない。なんでもないの」
その様子を見ていたマルヴァスが軽く息を吐き出す。微妙に視線を逸らし、首に手を当てて少しの間だけ何かを考えて。
「……とにかく先に進むぞ。それを話すにしても落ち着ける場所の方が良いからな」
そう言うと、白衣を翻しそのまま林道を一人先に進んでいく。
後ろにはカーバンクル、そしてリノラが続いて。
「りょーかい。それまでまた大物が出てこないといいけどねー……。ほら、レド君とクロちゃんも行くよ」
「あ、はい……。行きましょう、お嬢様」
「ええ、ごめんなさい。また変に色々と考えこんでしまったみたい……。頭を冷やしたらすぐに後を追うから、先に行っていて頂戴」
「分かりました……」
レドが行ってしまうと、クローディアは振り返って血を吸いだされた狼たちの遺骸を見る。まったく違うはずなのに、それらがヒトに見えてしまって思わず目を伏せる。
マルヴァスが魔族であり、百年前の戦争の経験者であるということを知ってからずっと考えていたこと。
欠片遺構。死んでしまった世界。魔王とその配下達。彼らを打ち倒した勇者達の英雄譚。地上に落ちてから知った断片的な情報を頭の中で紡ぎ合わせる。
そして浮かび上がってきたモノに軽く吐きそうになる。
「百年前のヒトと魔族達との戦いが、討魔戦争の事を指しているのなら……、それは……」
深呼吸して、息を整えて、知らねばならないと自分に言い聞かせる。そして仲間たちの後を追うために歩き出す。
目を逸らしてしまえばきっと楽なのだろうけど、それは出来ない。一度、向き合うと決めたのだから。
たとえこの先、どのような事実が待ち受けていようとも。