第二十九話 聖竜の守人
アルビナス山岳。
遠い昔、人間が聖竜に導かれ辿り着いた始まりの地。山の頂には聖竜が座し、その麓には人間と竜が共に暮らしていたという。
邪竜との決戦後、人間達が各地へと旅立つのと同時に、竜達はいつの間にか姿を消した。
創世文明の痕跡が微かに残るその山道を、クローディア達は進む。
「目的の場所まで、結構長いですね……。あ、もうないや……」
レドが革で出来た水筒に口を付ける。だが、もうその中が空であることを認識すると軽く項垂れて。
すると、横から別の水筒が差し出される。渡し主はマルヴァスだった。
「大分回り道をしているからな。もっとも、このルートが一番安全だからだが」
「ありがとうございます……。そういえば結局、男性に戻ったんですね」
旅立つ前までマルヴァスは、蠱惑的な女性型の夢魔の形を取っていた。それが中性的で線の細い、美男といっても差し支えない姿へと戻っている。
「大した意味はないが、二対二でなんとなくバランスがいいからな。お前が女に囲まれて旅をしたいというなら、それに合わせてやらんこともないが」
「ぶっ!!」
マルヴァスのとんでもない言葉に、レドが口に含んでいた水を噴き出す。
それにリノラがニヤついて、
「ほほう。つまりレド君は、ハーレム嗜好であったと。刺激が欲しくてたまらないってそういう……」
「リノラさんもやめてくださいよ!? というか僕、リノラさんの前でそれ言ってませんよね!? もしや、お嬢様……」
冒険者として煮詰まった時に放った、あの恥ずかしい台詞をネタにするような存在は、二名ぐらいしか思い当たらない。一人は馴染みのギルドの職員。そしてもう一人は……。
じっと、クローディアを見つめるレド。それに対して、彼女は目線を逸らして、
「あら、なんの事かしらー。私知りませんわー」
「まったく、この人は……」
あからさまな棒読みでごまかすクローディアに対して、ため息をつくレド。基本的には善良な存在なのだが、たまに好奇心や自分の欲優先で動くこのお嬢様には正直困ったものである。
「とまあ、からかうのはこのくらいにしておいてだ。何人かいるな」
「ですね。上手いこと気配を消してはいますけど……」
マルヴァスとレドが前方に対して、同時に視線を送る。一見、何の変哲もない山道が続いているだけだが、二人には感じ取れるものがあるらしい。
「んー、岩陰と草むらに数名。そこの木の裏に一人ってとこかな。多分、奥にはもっといる。距離的にそいつらは遠距離武器持ちだろうね。厄介だなー」
リノラに至っては、潜んでいる者たちのある程度の詳細まで予測していた。仲間たちの中で、一番修羅場慣れしているだけはある。
「えっ……。これ、気づいてないの私だけですの?」
戸惑っているのは、クローディアのみだった。自分だけ何も感じ取れていないことに内心ショックを受けていて。
それに対してリノラが軽くフォローを入れようとする。
「ほら、クロちゃんはパワーでぶちかますタイプだから……。多分、何かの罠にかかっても粉砕するし……。そこらへんの感覚を鍛える必要がなかったというか……」
「否定はしませんけど、もうちょっと言い方があるでしょう!! ほら、存在が強大すぎる故に小さきものは感知できないとか……」
「それなんかラスボスっぽいよ、クロちゃん。大丈夫? いきなり、『我は深淵なる闇より産まれしもの……』とか言い出したりしない?」
「と、このようにそちらの事は把握している。出てこい」
クローディアとリノラのやり取りを尻目に、マルヴァスが隠れている者達に声をかける。すると、木の裏に隠れていた一人が姿を現す。
「驚いたな……。ただの冒険者達と見くびっていたが……」
短き黒髪に、鋭い目つき。額の左に大きな傷跡のついた、褐色肌の青年が一行の前に立つ。
「ここより先にあるのは、我らの里と聖竜様の領域。許可なき者を通すわけにはいかん。たとえ、そのうちの一人が竜族であろうともな」
身に付けられた黒き甲冑を鳴らしながら、青年が近づいてくる。手には斧と槍が組み合わさったような長柄の武器、ハルバードが握られていて、こちらが妙な動きをすれば、その武器を躊躇うことなく振るうだろう。
「この方、私の正体を……。いえ、別に隠しているわけではないのですけれど」
青年の言葉にクローディアは少しばかり驚いていた。黒き角に白銀の尻尾という独自の特徴はあれど、竜種の希少性が故に、初対面の相手には他の種族の者と思われることが多かったからだ。
「リザードマン達と見間違える者が多いのは確かだ。だが、我らは聖竜の守人。竜族とそうでないものを見分けることなど、造作でもない」
「聖竜の守人……。では本当に、この先にいらっしゃるのね……?」
「ああ。……と言っても聖竜様が居られるのは山頂に存在する秘境の最奥。普段は我らすらお目にかかることは出来ない。だというのに、たまに観光気分でやって来る輩もいてな……。この前は人間とエルフのつがいが、『聖竜様に二人の愛を認めてもらいに来た』とか訳の分からんことを言いながら乗り込んできたので追い返す羽目になった」
青年が目頭を押さえながらため息をつく。声色にも若干疲れが見えた。
「あはは……、あの二人ここに来てたんですね……」
レドが何とも言えない苦笑いを浮かべる。つがいというのは、あの甘ったるいバカップルの事だろう。ここまでくるとある意味すがすがしい。
「でも、どうしても通してもらうことは出来ないんです? 例えば、大事な用があっても……」
「それは無理な話だ。先程も言ったが、許可のないものは通せない決まりでな」
「んん? その割には、そっちからなんかやってきてるんだけど……」
リノラの言葉に、全員が一斉に山道の先を見る。するとそこから、クローディア達にとって見おぼえのある馬車がこちらにやってきていた。
「おうなんだ、竜の嬢ちゃん達じゃねえか」
操縦席に居た、巨大な猫の様な獣人が片手を上げる。以前、楽園の欠片遺構をめぐる冒険の際に、クローディア達を乗せてくれた商人だった。
その姿を確認すると、クローディアの顔が、ぱぁっと明るくなった。
「貴方は……。ナーゴ族の商人さん!! この前はどうもお世話に……」
「おかげで助かりました。でも、どうしてここに?」
クローディアとレドが馬車に駆け寄っていくと、商人が「ニシシ」とちょっと変な笑い声をあげる。
「ここの里の連中は、基本的に自給自足で生活してるんだが、それだけだと、どうしても足りねえもんが出てくるんだよ。そいつをオイラが取引しにきてるってワケ。こいつの革細工とか見事なモンだぜ?」
「ヴァイス殿……。お褒め頂けるのはありがたいのですが、あまり里の内情を話されるのは……」
守護者の青年が咳払いして商人に苦言を呈する。若干声がうわずっているのは、褒められたことが彼にとって少々くすぐったからだろう。
「いや名前カッコいいな」
リノラが思わず横槍を入れる。
すると、ヴァイスはまた「ニシシ」と笑い、自分の髭を指で撫でた。
「だろう? 他の種族のモンもよくそう言ってくれるよ。ま、適当につけたもんだから、対したこだわりはねえけど」
「申し訳ありませんが、話が横道にそれるのでその辺で……」
「おっと悪いな、竜の嬢ちゃん。ところで、オマエらなんでたってこんなとこに居るんだ? アルビナス山岳の奥は、普段は禁足地として国に指定されてるから、ギルドから依頼とかでない筈だろ?」
「オレからの個人的な依頼でな。それに用があるのは、山岳ではなく樹海の方だ。とある薬の材料を採りにきたんだが……」
マルヴァスがそう答えると、ヴァイスが小さく唸る。白くてふわふわの体を捻りながら唸るその姿は、なんとなく可愛らしい。
「なるほどねぇ……。確かにそっちは別に出入りが禁じられちゃいねえ。ジャバ、通してやってもいいんじゃないか? こいつら、悪さしに来るようなタイプじゃねえし。オイラが保証するよ」
「そうですね……、樹海の方であれば特に問題は……。と、言いたいところなんですが……」
ジャバと呼ばれた守人の青年が、首に手を当てて少しばかり悩む姿を見せる。
それでも眉間によった皺が少し和らいでいるのは、クローディア達の目的が里や聖域ではないということを知ったおかげだろう。
「何か問題でもおありでして?」
少々話しやすくなったところで、クローディアが尋ねる。
すると、ジャバは首に当てていた手を離し、
「……先日、樹海に生息する魔物が里に向かって大量に押し寄せて来てな。何とか対処はしたんだが、その原因が未だに分からない。まれに一匹や二匹が迷いこむことはあっても、あれほどの数は初めてだ。まるで、何かから逃げるような様子ではあったが……」
「里の奴らが少々ヒリついてたのはそのせいか。そりゃ警戒度も上がるってモンよ」
ヴァイスがちらり、と岩陰から少し乗り出している他の守人たちに視線をやる。彼らは既にクローディア達でなく、他のものに向けて意識を割いているようだった。空を飛ぶ鳥や、地を走る小動物にまで目を向けている。
「本来であれば、警備もここまで厳しくはないということだな。樹海への道まで塞がれるのはおかしいと思ったよ。他の冒険者に聞いた道筋だからな」
マルヴァスが腕を組み、一人納得していた。
いわば今は、非常時における厳戒態勢ということらしい。
「すまない。だが、落ち着くまでは、余所の者をこれ以上先に進ませるわけにはいかないんだ。里の者達にいらぬ不安を与えることになる。どうしてもというのなら、別の道を当たってくれ。樹海自体への出入りは禁止していない。というより、広すぎて禁じようもないんだが……」
ジャバが再びため息をついた。里と聖域の二つを護るだけで精いっぱい、といったところだろうか。
「だってさ。どうする? 一度引き返して、別のルートを当たる?」
リノラが振り返って、クローディア達に尋ねる。
それにマルヴァスは少々不満げながらも頷いて、
「そうするしかあるまい。出来れば早めに材料を手に入れたいところだったが……」
今からとなると余計に時間はかかってしまうが、かといって無理に押し通ることもできない。
そう思って二番目に安全な道筋を頭の中で探ろうとした瞬間、その場の空気が震え始めた。
「ん……?」
何事かと思い、そちらに意識を向ける。すると直後、轟音が辺り一帯に響き渡った。
「なんだ、これ……はっ……」
あまりの大きさに地は揺れ、木々は騒めき、その場にいた者達は全て硬直してしまう。
クローディアだけが、辛うじてその音の元へと顔を向ける。山道の先、恐らく山頂の方面。
「とんでもない、咆哮っ……。聞くだけで押しつぶされてしまいそうっ……。でもっ……」
それはあまりにも大きくて、自分の放つももなんかよりずっと力強いものだった。思わず逃げ出したくなるほどに。だが、それをグッとこらえる。何故なら、
「なんて、暖かい……お方なのでしょう……。私に、こんな言葉をかけて頂けるなんて……」
咆哮の主が、あまりにも優しかったから、逃げ出すのは失礼だと思った。
辛うじて、一礼をしてから膝をつく。
咆哮が終わった時、すべての者達は地に伏していた。それはまるで偉大なる存在に頭を垂れるかのように。もっとも、咆哮の主にそのような意識はなかっただろうが。
「ふう……、直接聞くのは久々だ……。せめて心の準備はさせて欲しかったが……」
ある程度聞き慣れていたであろう、ジャバの額にも汗がにじんでいた。
クローディアが立ち上がり、膝の砂を払う。
「私もびっくりしてしまいましたわ……。あれほどの咆哮、お祖父様以上ですし……。さて、じゃあ通してもらいますわね。許可も頂けたことですし」
「えっ、今の咆哮ってそういう意味だったんですか?」
レドが唖然とする。転んでしまったのか、尻もちをついていて。
それにクローディアはくすりと笑い、彼に手を差し伸ばす。
「ええ、私達なら通っても良いとのことですわ。何処からか、私達の事を視ていらっしゃるのね……」
「他ならぬ聖竜様がおっしゃるのだから、仕方がないな。だが、こうもあっさりとは。そこの竜の娘、一体何者なんだ?」
ジャバの瞳がクローディアを捉える。敵意はないが、少し疑いを向けるような視線だった。
「私の名はクローディア・ドラゴディウス。財宝竜の名を持つ一族の末裔ですわ」
「ドラゴディウス!? では、貴女が……」
ジャバが一瞬、目を見開いた。
それに対して、クローディアが首を傾げる。
「うん? 私がどうかなさいましたの?」
「あ、いや何でもない……。ともかく、樹海に向かうのであれば気を付けろ。聖竜様の許しはあれど、命の保証までは出来ないからな」
「ご忠告どうも。貴方、本当は凄く優しいのね。商人さんも、またお会いしましょう」
「いや、オイラとしちゃ、このままオマエらを通すわけにはいかねえな」
ヴァイスが首を軽く振った。操縦席から立ちあがって、馬車の中に体を突っ込む。
そんな彼に対して、マルヴァスが眉をひそめる。
「何故だ? ただの一介の商人にオレ達を止める権利などないはずだが?」
「商人だからあんのよ。樹海に向かうんなら、準備は入念に。そうだろ?」
ヴァイスは大袋をいくつも取り出すと、それを地面に投げていき、最後に自身が飛び降りると袋の中身を広げていく。
「さあさあ、寄ってきな見て来な。食料、薬、便利な道具っ。なんでもはねえが、役立つもんは沢山あるぜ。命を繋ぎたきゃ買ってってちょーだいなっ、てね」
冒険に必要な、ありとあらゆるものがそこにはあった。クローディア達に対してそれらを売りつける腹積もりらしい。
「いや、あの……。ヴァイス殿、ここで商売は……」
ジャバが困った様子で、ヴァイスを止めようとした。
すると、ヴァイスは細い目を見開いてわざとらしく潤ませる。
「かてえコト言うなよぅ。オイラとオメエらの仲だろぅ?」
「それはそうなんですが……」
完全に振り回されている。里の人達は、ヴァイスに対して本当に強く出れないらしい。
「うわ、もうコレ入荷してる……。ホントどこから……」
レドが一つの小袋を手に取る。以前ヴァイスに分けてもらった野営キットだ。あの時は試供品だったが、今回は製品版ということなのか、ちょっとばかし袋の質が良い。
「使い勝手良かったし、買ってってもよいよね。あ、もしかして前に分けてくれたのって、こういう時買ってもらうため?」
リノラの問いに対して、ヴァイスがまた「ニシシ」っと笑って。
「ご明察。一度ハマってくれりゃ何度も買ってくれるだろ? ま、必要そうだったから渡したってのもあるが。んで、どうする?」
「仕方がありませんわね。樹海は思ってたよりも手ごわそうな場所ですし、ここでしっかり買い物していきましょうか」
クローディアも商品を覗き込む。手の内からいつの間にか金貨を数枚出していて。ちょっとばかりワクワクしているのか、白銀の尻尾がゆらゆらと揺れている。
「そうこなくっちゃなっ。お、そいつを選ぶたぁお目が高い。いいか? こいつはな……」
肉球の上に商品を乗せながら、ヴァイスが実演販売を始める。
気づけば、クローディア一行だけでなく、見張りについていたはずの他の守人たちも周りに集まってきていた。
「お前たちまで一体何をしてるんだ……。とはいえ、最近張りつめた空気ばかり続いていたしな。止めるわけにもいかないか……」
買い物に興じる人々を後ろから眺めながら、ジャバが一人呆れかえる。
だが、余りにも里の仲間たちが楽しそうで、久々に見る暖かな光景に少しだけ頬を緩めた。
「……」
視線を移していき、クローディアの背中を捉えると少し押し黙る。そして他の誰にも聞こえないほどの声で小さく呟く。
「聖竜様、本当にあの娘が運命の子なのでしょうか?」
その言葉は果たして何を意味したのか。
それを知らされぬまま、クローディア達の旅は続いていく。




