第二十七話 それは夢幻の如く①
ヴェルキスの街の一角、小さな教会の扉の前でレドが何やら一人の男性と交渉をしていた。
穏やかな感じの男性が申し訳なさそうに謝ると、レドもまた彼と同じような態度を取る。
「いえ、こちらこそ無理を言ってすいません。ありがとうございました」
男性に見送られた後、海辺近くのビアガーデンまで足を運ぶ。すると、先にテーブルについていた仲間たちの中からリノラが手を振って彼を出迎えた。相変わらず飲んでいるようで、もう片方の手にはビールジョッキが携えられていた。
「レド君おつかれ。その様子だとあんま芳しくなかった感じかな」
「駄目ですね……。そちらはどうでした?」
「まあ無理だったね。興味を持ってくれた人はいたけど、大体が既にパーティを組んでいてこちらに手を貸せる余裕はなさそうだったよ」
リノラがクラッカーの上にチーズとトマトを乗せたつまみを口にする。もごもご口を動かした後、酒で流し込む。
「残りの方々も聖職者としての職務があるから街を離れられないとのことで、丁重にお断りされてしまいましたわ」
横で紅茶を嗜んでいたクローディアも、カップから口を離すと会話に加わってくる。
このビアガーデンでは、いくらか注文すれば外からの持ち込みも許可されていて、この紅茶もラピスが独自に淹れてくれたものだった。
流石にティーワゴン一式持ってこられるのは想定していなかっただろうが、怒られはしなかったので大丈夫だろう。多分。
「やっぱり、ヒーラーってのはどこも引く手あまたの存在だから、簡単には見つからないんだよねー」
リノラがめんどくさそうに後頭部を掻く。彼女も過去にそうであったのか、その言葉には実感が籠っていた。
「素質の問題もありますしね。信仰、知識、または潤沢な魔力。僕なんかはそのへん全部からっきしですし……」
軽くため息を吐きながらレドが席につく。
リノラが手を伸ばしてレドの前におつまみの乗った皿を寄せて、
「ボクもちょっとは使えるけどね。ただやっぱ深い傷とか負った時の事を考えると、専門のヒトが居たほうがいいよ。生存率が全然違う」
「申し訳ございません、私がダビデさんのように治療をするための機能を持っていればこんな事にはならなかったのですが……」
ラピスが新しく紅茶を淹れてレドの前に置く。責任を感じているようで、いつもは無表情に見えるその顔にほんの少しばかり陰りがあった。
「ラピスさんが気にするところではありませんわ。いえ、そもそも今の貴女を危険な場に連れて行くことは出来ませんもの。貴女の体を直すための設備がこの時代にはないのですから、大きな傷を負ってしまえば今度こそ……」
クローディアが彼女に苦言を呈する。役に立ちたい気持ちは分かるが、多くの想いと奇跡を経て繋げられた命を無駄にして欲しくない。そのように思ったからこそ、ここでははっきりと口にした。
「ラピスちゃんの居た欠片遺構の研究が進めばどうにかなるかもしれないけど、まだまだ先の話だろうしねぇ……。さてさて、どうしたもんか。いっそあの子でも……、いやでもな……」
リノラがジョッキをテーブルの上に置いて空を見上げる。その頭に浮かんでいたのはかつての仲間の一人か、または勇者としての旅の途中で出会った誰かか。だが、どうにも芳しくない模様で、眉間に皺を寄せる。
「大変だなあ、ヒーラー不足ってのも。その分うちはハニーが回復魔法の天才過ぎて本当に助かるぜ……。ハニー、愛してるよ……」
「やーだー、ダーリンったら♡ 人前でそんなこと……」
と、唐突に聞こえて来た声の方向に一行が目をやると、そこでは恋仲であろう一組の男女がいちゃついていた。
その様子があまりにも甘ったるかったので、レドとクローディアは若干引きつった表情になる。
「わぁ、絵にかいたようなバカップル。でもどうする? この人ら引き込む? 一応バランスはとれるけど」
と、リノラが急な提言をすると、レド達はさらにげっそりした顔つきになる。
筋骨隆々で逞しい人間の男性と、線は細いが漂う雰囲気が只物ではないエルフの女性。近くに立てかけられている豪華な装飾の斧と杖からして、熟練の戦士と魔術師といったところだろうか。
確かにパーティのバランスはとれるし頼りになりそうだ。だがそれよりなにより、見ているだけで砂糖を口から吐きそうになるくらいのいちゃいちゃっぷりが辛かった。
「見てるだけで胸やけしそうなので却下で……」
「同じく却下しますわ……。恐らく数日と持たないでしょうし……、私達が……」
レドとクローディアが胸を掻きむしりたい衝動に駆られている傍ら、カップルの甘さはさらに増していいく。
「ふっ、悪いな。俺達はまだ二人で旅を続けたいんだ。聖竜様の御座す領域に二人の愛の証を打ち立てるその時まではな……」
「んもう、ダーリン!! それは私達だけの秘密でしょう? でも好き……」
「却下って言ったのですけど……。この方々まったく聞いておりませんわね……」
すぐにでもカップルを焼き尽くしたくなる気持ち抑え、紅茶を一気に飲み干すクローディア。
空になったカップにラピスがお代わりの紅茶を淹れてくれた。
「そもそも聖竜様も扱いに困るでしょうこんなの……。男のヒトの方は大分お酒飲んでるみたいですし、水かければ治まりますかねアレ。いや、無理かな。アレが素っぽそうだもんなぁ……」
レドがカップルの居るテーブルに目をやる。女性の方は全く飲んでいないようで、ジュースの入った小さいコップが一つだけ置いてあるのに比べて、男性の方には空になったジョッキがいくつも並べられていた。
「扱いに困る? そうかもしれないな。何せ、俺達の愛は聖竜様にすら刺激が強すぎるか……らぁ……?」
さらに男性がのろけようとしたところで急にふらついて椅子から転げ落ちる。
「ダーリン? ちょっともう……、また飲みすぎで倒れちゃったの?」
女性が席を立ち、地面に転がった男性の近くにしゃがみ込む。いつもの事のようで、あまり慌てた様子は無かった。
それを見ていたリノラがジョッキを傾けつつにんまりと笑い、
「んふふ、酒は飲んでも吞まれるなってね」
「リノラさんが言うと説得力があるようなないような……」
リノラも浴びるくらい沢山飲むし、酔って変なことはするし、いつの間にか寝こけていたりすることもある。ただ、そんな彼女も酒によって剣の腕が落ちたりはしないし、緊急時には急に酒が抜けたようにしっかりする。呑まれないという事なのだろうか? と、レドは妙に納得していた。
「起きて、ねえ起きてってば。え、違う……。これ、お酒のせいじゃない……?」
女性が倒れた相方の体を揺らしていたが、その途中で手が止まる。
先ほどまで出していた甘ったるいような声が、焦りを感じさせるようなものに変わっていた。
「どうかしましたの?」
異変に気付いたクローディアが席を立って彼女の近くへ歩いていき、後ろから男性の様子を覗き込む。
目を閉じたまま、苦しそうに顔を歪めている。時々体が痙攣し、ビアガーデンの床とこすれて音を立てていた。
「これは……、さすがに不味くありません?」
「あ、いや……。大丈夫よ……。前に毒蛇にかまれた時にもこんな感じだったし、こういうときは解毒の呪文をかければすぐに……。なんでこうなっちゃったかは分からないけど……」
女性が相方の胸の上に手をかざし、呪文を唱える。すると、苦しそうな男性の顔が安らかなものへと変わり、痙攣も収まった。だが、すぐに症状がぶり返す。
「嘘……、良くならない……? いや、もう一度……」
女性が何度も呪文を唱えるが、一向に完治しない。少しは楽になるが、またすぐ悪くなる。その繰り返しで。
「ダーリンこのままだと……。なんで……? やだ……、やだやだやだやだ!!」
最悪の予想をしてしまった女性がパニックになり大声を上げる。髪を掻きむしり、目から大量の涙をこぼす。
その肩を後ろからしっかりとクローディアが掴んで。
「落ち着いて……!! 取り乱したら助かるものも助かりませんわ!! 店主さんは……」
クローディアが辺りを見回す。先ほどまでいたはずの店主の姿がない。代わりにぽつんと置かれた魔導人形の首には「ただいま配達中。ご用件の際はこの人形まで」と書かれた板が垂れ下がっていた。
「こんな時にっ……!! レド、お医者を呼んで来てくださいまし!!」
「は、はい……!! えっと、ここから一番近くはどこだっけな……」
レドが席を立ってすぐに駆けだす。頭の中にはすぐに馴染みの医院が浮かんだが、ここからは少し遠い場所にあることを思い出し、迷う。
そこに行くよりも、先ほど自分が訪ねた教会に行き事情を説明して協力を仰ぐべきだろうか? そうすれば近くの医療施設を紹介してもらえると同時に、治療に長けた人間を連れてくることが出来る。そう考えながら走っていると、ビアガーデンの入り口に来ていた紫髪の男性にぶつかりそうになる。
「あっ、すいません!! ちょっとどいてくださ……」
「急患だろう?」
「えっ……」
男性が発した言葉にレドが驚き、足を止める。
男性はレドをルビーの様な紅く美しい瞳で一瞬だけ見つめ、その視線を直ぐに倒れている人間の方へと向ける。
「道を開けてくれ、その男を診させてもらう」
「あなたは……、お医者さんですか?」
レドはそう尋ねつつも、彼が本当に医療に携わる者であるとなんとなく分かっていた。それは直感とかそういうものではなく、彼が羽織っていたものに見覚えがあったからで。
楽園の欠片遺構で見た過去の記録の中で、院長やその娘が身に着けていた白衣と呼ばれるもの。
男性が頷くとレドが道を空ける。医者は倒れた患者の前までたどり着くとしゃがみ込んで観察し、
「こいつは……、神経毒の類だな。放っておけば取り返しのつかないことになる」
「あれ? でも毒なら解毒用の魔法でもある程度抜けるはずじゃ……」
「今それについて探る。目立った外傷はなし……。となると……」
医者が患者の胸に手をかざし、目を閉じる。呪文は唱えていない、しかし辺りに居た人間は一瞬、眠くなるような不思議な感覚に襲われた。
「今、何が……?」
クローディア達が困惑していると、医者の口から舌打ちが聞こえてくる。
「やはりか。こいつ、ここに来る前に森でレトラフィリスの実を食ったな……」
「えっ、あれが原因なの? でもダーリン、子供の頃よく食べてたって……」
女性が戸惑う。医者が来てくれたことにより若干落ち着いていたが、それでもまだ不安そうだ。
彼女の言葉に医者が頷いて、
「ああ、子供が食べる分なら問題ない。だがコイツの厄介な所はアルコールに反応して毒素を発生させるところだ。胃に実と酒が残ったままだから、どれだけ呪文で解毒しようがすぐにまた侵される」
「じゃあまず吐き出させたほうがよろしいんですの?」
クローディアが口を挟む。毒の事は詳しくなかったが、とにかく原因があるならそれを排したほうが良いのではないかと思った。
「そうだな、出来れば胃の洗浄なども済ませたいが、時間もなければそのための設備もない。となると……、カーバンクル!!」
医者が虚空を見上げながら、何かの名を叫ぶ。
すると、空間が小さく歪み、両開きの扉に乗った小さくふかふかの獣が姿を現す。額には綺麗な宝石が埋め込まれていた。
「きゅーいおー!!」
「か、かわいい……」
思わずクローディアの口からそんな言葉が漏れた。ラピスもこういうものが好きなのかそれをジーっと眺めている。
「幻獣か。こりゃまた珍しいヤツが出てきたな」
リノラは獣の可愛さというより、その存在そのものに興味を抱いていた。
「六十二番の薬とレモンの実をあるだけ出してくれ。それと注射器とカップも」
「きゅいっ」
医者の要請にカーバンクルが小さく声を上げる。扉を開き体を突っ込むと、ぽいぽいっと頼まれたものを取り出して。
それにクローディアが首を傾げる。
「薬……は分かりますけれど、レモンを何に使いますの?」
「先ほど言ったが、レトラフィリスの実とアルコールを混ぜると毒が出る。だが、その毒にさらにレモンの果汁を混ぜると一転して強壮の薬になるんだ。直に飲むのは酸っぱくて辛いが、死ぬよりはマシだろう」
医者が注射器に薬を移し替える。本来、こういった医療器具がここまでの発展を見せるのはもう少し後の事である。だが、欠片遺構より掘り起こされたいくらかの遺物のおかげで、こういった技術は数世代分先のものを扱うことが出来ている。
この世界の独自の発展性を奪うのでは? と、危ぶむ者もいる。それでも、誰かのためにと積み上げられて来た異なる世界の技術はこうして受け継がれ、誰かの命を救っていた。
「すまないが、オレが患者に薬を打ってる間に誰かレモンを絞ってくれないか? 少しばかり数がいる」
「それでしたら私が。この程度ならば刃物なども要りません。ふっ!!」
クローディアがカーバンクルの出したレモンを掴み、爪を鋭くとがらせるとあっという間に皮を剥ぎ取ってそのまま手で握りつぶす。そこから滴り落ちた汁がカップに注がれた。
「……頼もしいな。助かる」
医者は一瞬唖然としていたが、そのまま小さく笑った。
「あの、私はどうしたら……」
治療の途中、女性が恐る恐る訊ねて来た。
「解毒の術を続けて頼めるか? そしてできれば、患者の手を握ってやってくれ」
「え? 手を……?」
それが治療にどうつながるのだろう? そう女性が困惑していると、医者は穏やかな笑みを見せた。
「愛する人なのだろう? ならばそれが何よりも支えになる」
「あっ……、はいっ。ダーリン、しっかり……。すぐよくなるからね……」
「残りの者は後からくる者に事情の説明と、近くの医院に連絡を。近くの階段を上り、そのまま通りを真っ直ぐ行けば見えてくるだろう。帽子をかぶった鷹の石像が目印だ」
「分かりました、すぐに行って来ますっ」
レドが医者の指示に従って再度駆け出す。しっかりと場所を教えられたおかげだろう。その足取りに先程までの様な迷いはない。
ようやく戻って来た店主にラピスが事情を説明していると、医者の元にリノラが寄って来た。
「一応、ボクもこっちで待機してる。軽い回復呪文なら扱えるから、念のためね」
「ああ、頼む。さて、後はお前次第だ。持ち直してくれよ……。愛しのヒトを置いていきたくはないだろう?」
医者が絞り出されたレモンの汁を患者の口に注ぐ。患者は酸っぱさに思わず顔をしかめたが、喉をならしちゃんと飲み込んだ。医者はそれに安堵しつつも気を緩めることなく治療を続けていった。
――――――――――――
患者が担架に乗せられて近くの医院に運ばれていく。その顔はすっかり穏やかになって、静かに寝息を立てていた。
それを見送りつつ、医者が相方の女性に向かって口を開く。
「峠は越えた。完全に安心はできないが、ひとまずはこれで大丈夫だろう。今後は、野生の果実を安易に口にしないよう伝えておいてくれ」
「ありがとうございますっ……」
女性が深々と頭を下げた。魔力を使い切ったせいか疲労困憊といった様子で、髪もぐしゃぐしゃ、さらには泣いたせいで目が腫れていたが、それでも安堵して浮かべた笑顔は眩しかった。
「それで、お代の方はどうすれば……」
「ん、ああ……。実はツケてる店があってな。代わりにその金を払ってくれればそれでいい。店主にマルヴァスという名を出せばすぐ分かってくれるだろう」
「え、いや、それいいんですの……?」
クローディアが医者に不審そうな目を向ける。医療費の代わりに自分のツケを払わせるなんて腕はともかく医者としてどうなのだろうと思う。
しかしそのような視線もこの医者は全く意に介さずといった様子で。
「大した額じゃあないさ。場所は火鼠の大釜という魔法雑貨店だ」
「そういうことではなくっ、……火鼠の大釜? それって……」
医者に詰め寄ろうとしたところで、クローディアがぴたりと止まる。聞き覚えのある店の名前が医者の口から出てきたからだ。
「あっ、そっか。この人どっかで見たことがあると思ったら、グラウケーさんのお店ですれ違った方ですよ」
レドも気が付いた模様で、その店の主の名を口にする。
それに医者は少し驚いた様子で、
「なんだ覚えていたのか。まあ初めて会ったのはその時ではないが」
「え、でも……?」
レドが困惑する。そう、以前この医者とすれ違った時に感じた違和感。記憶の中に彼がいるのにそれがどこだったか思い出せないような妙な感覚。それが今再び自分の中にある。
「アンナという少女を治療してやっただろう? 代金の代わりとして竜の血の採取を頼んだら断られたが」
そんな医者の言葉に、レドの困惑がさらに深まる。
「ん、んん……?」
「どしたのレド君? なんか滅茶苦茶面白い顔してるけど」
頭を捻っているとリノラが顔を覗き込んでくる。よほど変な顔をしていたのだろうか、ちょっと笑いそうになっている。だが、今それはいい。
「いや、確かに同じような雰囲気を持った方は居ました。治療もしてもらいました。でもその人は確か……」
レドはさらに記憶を探る。そして該当する人物をようやく見つける。ただしそこには決定的な違いがあった。
「ああ成程、その時はそちらの姿だったか……。少し待て」
レドの様子に医者が一人納得したかのように頷くと、目をゆっくり閉じる。
そして突如、霧ようなものが医者の体を包み込む。
「ちょ、なんですのこの霧は!? えっ、体の形が変わって……」
クローディアが仰天する。医者の体のあちこちが丸みを帯びて、更には胸に膨らみが出来る。
「な、な……。女の子になった……!?」
レドも眼前で起こっている現象に目を丸くする。
しかし、それだけに留まらない。頭からは羊を思わせるような丸みを帯びた角が生え、股下には先端がハートともスペードともとれる形の尻尾が垂れ下がった。
医者が静かに目を開く。真紅の瞳は魔性の輝きを放ち、見つめた者の心を掴んで離さない。
「自己紹介が遅れたな。オレの名はマルヴァス。医者であり、冒険者であり……」
唇を妖しく歪ませる。恭しく一礼し、自らの正体を明かす。
「そして闇に生き、微睡みに潜む、夢魔の一族の者だ」