第二十五話 楽園残滓機構⑦
「とりあえず色々と気になることはありますけど……。レド。貴方は目を閉じるか、後ろを向いているかなさい。でなければ……」
容器の中に入った青髪の少女を見上げていたクローディアが、指を二本立ててレドを脅し始めた。
それに慌てたレドが体の向きを反対にして少女の裸体を見ないようにする。
「あ、いやっすいません!! 唐突だったんでつい!!」
それにリノラがニヤニヤしていて。
「ふっふー。まあ、レド君も年頃の男の子だし見ちゃうのは仕方ないよねー」
「違いますって!?」
「それにしても……。見た目がボクらと殆ど一緒だから人間だと思ったけど、よくよく考えると肉体が何千年も持つはずはないし純粋な人間じゃないのかな?」
リノラが容器の中を観察する。確かに見てくれは殆ど人間そのものだったが、どこかの機械に繋がっているであろう管が背中から伸びていたりと妙な部分もあった。振り返ってクローディアに尋ねる。
すると彼女は眉をひそめて、
「私に聞かれても困りますわよ。分からないことだらけですし。あ、ダビデさん……。一体何を……」
肩をすくめたクローディアの視界の端に、よろつきながらも部屋の奥の壁に近づいていくダビデの姿が見えた。
一つしかない目を光らせるとそれを壁に当てる。すると、突然二人の人物が壁に映し出された。口に髯を蓄えた中年の男性と年若く美しい女性で、二人とも白い外衣のようなものを身に纏っている。
『……院長、後は我々の船だけです。そろそろこの場からの脱出を』
若い女性のほうが中年の男性に呼びかける。クローディアがその光景に目を丸くしていた。
「……え? いきなり人が……なんですのコレ? そちらの方聞こえましてー?」
「や、届かないよクロちゃん。魔法でもこういうのはあるんだけど、過去に出来事を保存しておいて、それを見せられているようなもん。とりあえず見てよう。レド君もほら」
リノラが首を振る。そして、背を向けていたレドの手を引っ張った。レドはなるべく容器の方へ目を向けないようにして目の前に映し出された記録を二人と共に見る。
場所はこの部屋のようで、男性が女性に背を向ける形になっていた。振り返って彼女に対し首を振る。
『すまないが、私はここに残り彼女の治療を続ける。船に乗せられるだけの機材ではこの子は救えない。皆にもそう伝えておいてくれ。彼女の事を心配していたからな』
女性の表情が険しくなった。彼を諦めきれないのか追い縋ろうとして。
『ですが、楽園の至宝とまで呼ばれた貴方の頭脳がこれからも我々には必要で……』
『残念だがそれを生かす時間もう残り少ないのだ……。この世界も楽園と呼ばれはしたが、結局すべての病を根絶するには至らなかったな……』
『そんな……』
女性の顔から血の気が引いていく。男性はその様子を捉えながらも、自身の確固たる意志を告げる。
『だからこそ残りの時間はこちらで使わせてもらいたい。それが自ら身を捧げてまで、私達のために戦った彼女達へのせめてもの返礼なのだ』
そしてそれから、ふっと表情が緩む。まるで慈しむような視線を女性にむけた。
『何、おまえ達ならうまくやるさ。だから、頼む……。私からの最期のわがままだ。ファ……レ、……ア』
一瞬だけ音が乱れた。女性の名前のようなものを呼んだようだがそれが上手く聞こえない。
『分かりました……。さようなら……、お父さん……』
女性の瞳から涙が零れ落ちる。喉の奥からどうにか声を絞り出すと、背を向けて部屋から去っていく。
『ああ、どうか元気で……』
男性は部屋の扉が閉じて彼女の姿が見えなくなるまで、その背をじっと見つめていた。そして目を閉じ、一人静かに呟く。
『別れがこのような形になってすまない……』
少したってから目を開ける。何やら作業に取り掛かろうとして、こちらに視線を向けた時に何かに気づいたような様子を見せる。近づいて来て声をかけて来た。
『……聞いていたのかダビデ。ん? 録画機能がオンになっているな。また勝手に撮っていたのか、まったく……。私が家に来たばかりの子犬に追い回されていた時もそうだったな。おかげでしばらくの間、それをネタに妻と娘に散々弄られる羽目になったんだぞ』
文句を言う割には声は穏やかで優しい。ダビデもまた、彼の家族の一員だったのだろう。
『……丁度いいか。ダビデ、この後の事もきっちり撮っておいてくれ』
男性は咳ばらいをするとしっかりと姿勢を正す。こちらを見ながら……、もといこの時の事を記録しているダビデを真っ直ぐと見据えて。
『この映像がこうして再生されているということは、ダビデが君をここまで導いてくれたのだろう。唐突ですまない。私はこの病院の院長のギラク・ヨーウィンというものだ』
「病院……。ここ、医療施設だったんですね。だから……」
レドがこの場所であったことを思い出す。治療行為の出来る人形や多くの個室にはベット、そしてここにいる何かを守ろうとする存在達。その殆どがここに居たであろう患者たちの為であろうことを理解する。
リノラもそれに納得したような様子を見せていた。
「シェフ君はここで主に働くヒトや、外から訪ねてきたヒトたちにご飯を振舞ってたのかもね。時には患者さん相手にだって作ってあげてたんだろうけど」
「……」
クローディアは静かだった。流れていく記録に、遠い昔に生きていた男の話にじっと耳を傾けている。
『今、この世界は世にもおぞましい存在によって滅びかけている。人類は全力で抵抗したがついに限界と判断し、自分達の世界を放棄して異なる世界に脱出することを決めた。この世界に残ることを決めた私はどのような形であれもうすぐ死ぬだろう。だがもし、偶然……いや、奇跡が重なりこの場所が残ることがあれば、ここにいる彼女の命だけは未来へ繋げられるかもしれない……』
記録の中の視点が変わる。多くの機械がせわしなく動き、寝台の上に乗せられた青髪の少女の治療にあたっているのが少しだけ見えた。おびただしい傷と、肢体の欠損。焼け焦げた皮膚の隙間からは機械の部品らしきものも見える。
思わず顔をしかめたくなる程の酷い有様だった。だがそれでも彼女は生きていた。何十本もの管に繋がれながら呼吸を繰り返し、生きようと必死に足掻いていた。
『彼女には身体だけではなく脳に損傷が見られた。もちろん全力をもって治療にあたっているが、たとえ完治して目覚めたとしてもほとんどの事を覚えてはいないだろう。自分の名も兵として志願した際に捨ててしまっている。仮に呼称するとすれば……。いや、違うな……』
突然の沈黙と共に、ギラクの方へ視点が戻る。暫く悩むような仕草を見せ、それから何か思いついたのか口元を綻ばせる。
『……これを見ている遠い未来の誰かへ。君が良き人であるなら、どうか彼女の名付け親になって欲しい。仲間も上官も……、何もかも失っても私達の為に駆け付けてくれたような強くて優しい子だ。勝手な押し付けになるのは分かっている。だがその上で頼む。彼女が新たな人生を歩む際に支えになるものを与えてやってくれ』
ギラクが深々と頭を下げる。
彼は少女に名前を付けることを、いつか彼女の目覚めに立ち会うであろう誰かに託したのだ。それを為してくれる者なら、きっと少女にとって大きな助けになってくれると信じて。
『そして最後に……、目覚めるであろう君へ。私達を、この病院に居た多くの命を守ってくれてありがとう。君が守った者達は今日、新たなる地を求めて旅立った。彼女達と君。それぞれが行く道は全く別のものになるだろうが……。その両方に多くの幸せが訪れることを私は祈っている』
最後に柔和な笑みを浮かべる。
と、思えば一仕事終えたかのように思いっきり息を吐きだした。
『こんなものかな……、落ち着いた頃にちゃんと編集しておかなければ。ダビデ、良い人を連れてきてくれよ? いや人かはわからないが……。何せ終った後の世界だ。誰かが訪ねてきてくれること自体、それこそ奇跡でもないと難しい』
「そうだね……。死んだ世界は最終的には殆ど崩れちゃうから本来はこれも……」
リノラが寂しそうにぽつりと呟く。
それを聞いていたレドが彼女に声をかけようとして。
「リノラさ……」
だがそこで、言葉を遮るように記録の中のギラクが続ける。
『それでも、私は諦めきれないんだよ。たとえ無駄に終わるかもしれないと分かっていても、彼女が再び自分の足で大地の上に立って、誰かと共に歩んでいく事を願わずにはいられないんだ。それが……わた、しの……、いやわたし…ちの……』
そこで映し出されていた記録が消え、元の何もない壁に戻る。それと同時に無機質な音声が聞こえて来た。
『映像記録が終了しました。同時に対象の健康状態のチェックを実施。……異常なし。プログラムを終了し、対象を生命維持カプセルより解放します。職員は彼女の保護に当たってください。繰り返します……』
「ねえ、この声。今からアレ開くんじゃない……?」
リノラが少女の収まった容器を指差す。それが下に降りてきて、中に入った液体が抜かれていく。
容器が台座だけ残して上に消えていき、少女の背中に取り付けられていた管が外れた瞬間、彼女がゆっくりと目を開ける。髪と同じように青く美しい瞳がそこにはあって。
しかし唐突に、彼女の顔が歪む。
「かはっ……。ごほっ、ごほっ……」
しゃがみ込み、今まで胃の中を満たしていた液体を吐き出す。それにリノラが焦って。
「いや、どうしようこれ。本来はダビデ君が補助してくれる予定だったんだろうけど……。あれだけボロボロじゃあ」
「ええと、ええと……。とにかく全部吐き出させたほうが……。いや、でも今ちゃんと吐いたのか? だったらそれより体を拭くものとか優先して……。あっ、お嬢様……!?」
レド達が戸惑っている間に、クローディアが少女に向かって駆け出した。
無理に立とうとした少女がふらついて足を滑らせる。
「……っ」
それをクローディアがしっかりと抱き留めた。
身に着けていたドレスも彼女自身も、少女の体に纏わりついていた液体で汚れてしまうが、それでも構わず彼女を支える。
「すいません……。あの……、私。なに、も……覚えてなくて……。名前、も……」
少女がクローディアに申し訳なさそうに謝った。
それに対してクローディアは優しく微笑むと、彼女に小さく呟く。
「ラピス」
「えっ?」
「貴女の名前はラピス。綺麗な青い、宝石のような子。私が今、そう名付けさせてもらいましたの」
クローディアは少女の背中に手をやり、優しくトントンと叩く。彼女が安心できるよう、自身の緩やかな心音を聞かせながら。
「今は何も分からないでしょうし、混乱なさってるでしょうけど。でもどうか、これだけは分かっていて欲しいの。貴女はとても愛された結果、今ここに居るということを……」
その言葉に少女は驚いて、一瞬、目を見開く。彼女にはほんの小さな欠片ほどの記憶しかない。しかしその中に、死にゆく自分を必死になって救おうとしてくれていた人達の事が残っていた。
『大丈夫だ、頑張れ』
『絶対に君を死なせてなるものか』
『お願い……。どうか…、どうかこの子だけは……』
顔を思い出すことはできない。だが、かすかに響いたその声が、彼らが確かにそこに居たということを少女に思い起こさせる。かすかに瞳を潤ませ、頷いて。
「はい……」
クローディアに小さく返事をして、抱きしめ返した。
それを見ていたリノラが優しい笑みを浮かべながら、隣にいるだろうレドに声をかける。
「レド君、部屋の外からラピスちゃんの服とか探してきてくれる? ボクはこの部屋の中を探すから……って、あっ!? もういないとか仕事しに行くの早いな!?」
リノラが視線を向けたところでもはやレドの姿は無く、彼がいつの間にか見つけて来たであろうタオルだけがその場に残されていた。
――――――――――――
二人の体を拭いて、病院着をラピスに着せた後、一行は帰路についた。
ダビデもレドに手を引いてもらいながら、クローディア達についていく。
「あの、これから何処へ向かうのでしょう……?」
おずおずとラピスが、前を歩くクローディアに尋ねる。まだ少しばかり不安そうだ。
「取り合えず私たちの街へ向かいます。きちんと話をするのは落ち着いてからの方が良いでしょうし」
クローディアが軽く振り向き、彼女の疑問に答える。そして再び歩を進めようとして。
「待った、あれは……」
リノラに突如止められる。目の前には人形達が居た。その中には戦闘型のものも含まれている。
だがそれらは、ラピスを認識した途端、まるで安堵したかのように静かに自らの機能を停止していった。
レドがその様子を見つめ、小さく呟く。
「ああ……、最後の一人が無事に退院するから……。君達の仕事は、今ようやく終わったんだね……」
「今まで私のために……?」
ラピスが倒れ伏した人形達の前に立つ。目を伏せて、少し心を痛めているようだった。
それを察したのか、クローディアが一体の人形の内の手を取り、
「あんまり気に病まないように。彼らは使命を全うしただけですから。おやすみなさい、人形さん達」
そう言って、手の甲を優しく撫でて彼らに別れを告げた。
見ていたラピスも同じように別の人形の手を取り、撫でる。
「おやすみなさい……」
もう機能を停止した彼らにその行為が伝わることはない。
そのはずなのにラピスは不思議と自分の心が少し軽くなったように感じた。
――――――――――――
「外の子達も、皆もう動かなくなってるね……」
リノラが辺りを見回す。あちこちで人形達は眠りについていた。それに少し気を取られたりしつつも一行は進んでいく。
欠片遺構と大地の境目を越えて、坂を上ってクローディア達が入って来た場所へ辿り着いたところで、レドの手の中からダビデの手がするりと抜け落ちた。
「ダビデ君……?」
レドが振り返る。ダビデはクローディア達を見つめたまま、その場からもう動こうともしなかった。
それに対して、レドは眉を八の字にして悲しそうな顔になる。
「そうか、君も……。特別とかよばれてたし、もし例外だったら……、って思ってたんだけど……」
「レド君、気持ちは分かるけどさ。そろそろ休ませてあげよう」
リノラがレドの肩に手を置いた。真剣な面持ちで、ダビデのもはやいつ崩れ落ちるかわからない痛ましい体を見つめていた。
ダビデの前にクローディアがゆっくりと歩を進める。彼と向き合いながら、ゆったりと優しい笑みを浮かべる。
「ダビデさん。私たちをここまで導いてくださったこと、戦いの時に自分の身を削ってまで守ってくれたこと、そして何よりラピスさんを託してくれたこと……。そのすべての行為に感謝致します」
そして、スカートの裾を掴みながら丁寧にお辞儀をして。
同時にラピスもまた、彼の前に出る。
「私はその場を見たわけではありません……。ですが、私のために沢山働いてくれていたのは分かります……。だから、えっと……ありがとうございます」
おぼつかないながらも礼を述べ、クローディアを真似してお辞儀をする。
その様子を静かにダビデは見つめていた。そして、
『どうかお大事に……。あなた方の健やかなる生活がいつまでも続きますよう……』
それは本来記録された音声に過ぎない物だった。病院を離れる患者に向けて何千何万と繰り返された、ただの挨拶の言葉。
だが、摩耗して言葉を交わせなくなった彼にとってこれは、クローディア達に唯一送ることのできる精一杯の祈りだった。
「さようなら、ダビデさん。さようなら、この旅で出来た素敵な友達。貴方の事、ずっと忘れません」
クローディアの瞳が潤む。涙が零れ落ちそうにながらも笑顔を作り、手を振って彼に別れを告げる。
――そして彼女達が居なくなって、街の灯りが全て落ちた頃。
夜空に浮かぶ星を見上げながら、楽園の欠片に残された最後の一体は静かに眠りについたのだった。