第一話 竜が来たりて
「あー、もう無理……。やってけない……」
ある昼下がりの事、酒場内のテーブルに突っ伏しながら一人の青年が呟いた。彼の名はレド。レド・ヴィクトリアム。年にしては少々幼げで可愛らしいともいえる顔からは力が抜けきっており、綺麗なはずの緑色の瞳はひどく濁り切り、後ろで縛られた黒髪が無造作にテーブル上に散らばっている。
「もう冒険者なんてやめて帰ろうかなー……。盗賊なんてもはや必要とされてないもんなぁ……」
そう言いながらテーブル上に置かれたジョッキに手を伸ばすが中身がないことに気づくとまた脱力しきってしまう。悲惨ここに極まりけり、といったところだ。
今、世の中はありとあらゆる場所で冒険者が溢れかえっている。各地をただ当てもなく旅をする者。人類未開の地に飛び込んではそこに眠る謎を解き明かす者。助けを求める人々に手を差し伸べる者。宝を求め暗き洞窟の奥深くまで足を踏み入れる者。
レドもそういった者の一人であり、彼らと同じ世界に踏み込んでみたのはいいものの、思うように上手くいかずこうしてぐだぐだと項垂れてしまっていた。
それも無理もない。彼の素質にあったのはその危機感地能力を生かし、危険な罠や強大な敵を避け、宝を漁ることのできる盗賊であった。以前であれば貴重な技能を持っている職として持てはやされたものだが、今現在は競合相手となる職が増えすぎたことにより割を食らってしまっている。
忍び寄って敵の殺害を得意としたアサシンや、宝を漁ることにより特化したトレージャーハンター。自然との調和を重んじ、弓術に長けたレンジャー。さらにははるか東方の地より伝来した忍者等。
「なんでこう、たくさん増えるの……。特にいきなり東からきたやつ……」
そうしてあらゆるパーティからあぶれてしまい、かといって他の職にも上手く移行できなかった哀れな存在は、ちょっとした依頼を一人で受けて日銭を稼ぐだけの生活を続けてしまっていた。まあよくある話ではあるし、勝手に無謀な挑戦をして死ぬよりはマシな判断をしているのだが。
「刺激ーがー、欲しいーなー…ぁー…。もっとこう、さぁ……」
ふと、口からそんな言葉が出た。周りの人間達は楽し気に酒を飲んで談笑していたり、次の冒険の計画を立てていたりしていて、それに返事をする者はない。
だが、それに呼応するかのように今回は奇妙なことが起こる。
「でーすーかーらー!! そのように一攫千金を狙える依頼を初心者にいきなりは出せませんってば!!」
急に悲痛な叫び声が上がった。突っ伏したままレドが顔だけをそちらに向けると声の発信源には、少々涙目になっている金髪の女性の姿があった。
名前はティナ。冒険者の旅を支援し、人々より寄せられた依頼をまとめ彼らに斡旋する『冒険者ギルド』の職員だ。レドにとっても馴染みの存在である彼女が、酒場に併設されたギルドのカウンターで何者かと言い争いをしている。
ティナと同じく女性のようだが、その姿は少し、いや…かなり変わっていた。
綺麗な白銀の髪が腰まで伸び、さらに頭には大きな黒い角が左右に二本生えている。金の装飾がついた白いドレスを身にまとい、そのスカートから髪と同色の爬虫類を思わせる形状をした大きな尻尾が飛び出している。
後ろから見てもその異様さは際立っていた。一応リザードマンというトカゲに似た種族がいることにはいるのでその一種に見えなくもないが。
「んもう!! そこをどうにかできないかって聞いてらっしゃるんですわ!!」
「ひぅわ!?」
推定リザードマンの女性が勢いよく木製のカウンターを両の手のひらで叩く。あまりにも大きな音がしたものだから、ティナは自身の頭を抱えて後ずさってしまった。
「おっと、いけない…これはお見苦しい所を……」
さすがに周囲からの視線が集まり、それに気づいた女性は軽く咳ばらいをして取り繕おうとする。
「とにかく私、手っ取り早く稼げる依頼が欲しいんですの。それが出来ないのであれば、金銀財宝、そのようなお宝を見つけ出すような能力に特化した人材でも紹介していただけませんかしら?」
「そう言われましてもですねぇ…そうそう都合よい方が見つかるわけではー……、あ……」
と、そこでティナとレドの視線がふと合う。そしてしばらくの間、綺麗な青色の瞳でじーっと見つめてくる。穴が開くほど見つめてくる。レドが視線をそらしてもあっちは向け続ける。口の端が少々上がったようにも見える。
「うん?あっ……、これ不味いやつなんじゃ」
その予感は的中する、職員の女性が滑るようにしてカウンターの横についた小さなドアを開けて通り抜け、レドの肩に手を当ててにこやかに微笑んだ。
「というわけで、こちら。貴女様におすすめの同行役のレドさんでございます♪」
「いきなり何言ってんですかこの人!?」
「いやー、だって彼女の欲しがってる人材に合致致しますし、暇そうにしてましたし」
「だからってこっちの了解なく勝手に差し出そうとしないでくださいよ!! いや力強っ!?」
逃げようとして立ち上がろうとしたリドをティナがきっちり抑え込んでいる。笑顔のままで。
か細い腕の癖に力の使い方がうまいのか、それとも何か他に要素があるのか。
それは分からなかったが、どうも抜け出させてはくれないらしい。
「ねね、いいでしょう? 今日の食事代くらいは負担しますから。引き受けてくださいよぉっ…ね?」
「その頼み方されるときは大体ロクな目に会わないんですけど……」
耳元で小さくささやかれると、こそばゆくて力が抜けてしまう。
ギルドの受付係として、愛嬌を振りまくために鍛えている彼女の甘めの声はこの距離で聞くには少しばかり毒である。
罠と分かっていても受け入れてしまいやすい。盗賊としては割と致命的かもしれないが。
「ふーん。なるほど…そちらお方がそうですのね? 何やら、先ほどまで項垂れていたようですが」
そうこうしているうちに、ティナと言い争っていた女性がこちらの方へと近づいてきて、テーブル越しに顔を覗きこんできた。黄金色に輝く瞳がレドの顔を映し返している。
人間のものとは違って瞳孔が縦に細長いそれはとても美しく、しかしどこか恐ろしいものであるような気がして思わず息を呑みそうになった。
「あら、別に取って食ったりはしませんわよ。そういう意味では必要としていませんし、食べたところで美味しくはなさそうですもの、あなた」
女性は端正な顔を軽くゆがめながら柔和な笑みを見せ、少々物騒なことを言いつつ距離を取った。そうして、金の装飾が施された白きドレスの裾を持つと恭しく一礼をする。
「失礼、自己紹介がまだでしたわね、私、クローディア・ドラゴディウスと申しますわ」
「あ、どうも…、レド・ヴィクトリアムです…」
つられるようにしてレドも頭だけ傾けて会釈をする。ふと気が付くと、自分を抑えていたティナの腕から力が抜けている。それでも何故か動く気にはなれなかった。
「先ほども言いましたが、金銀財宝の類のものが入り用ですの」
クローディアと名乗る女性は、困ったように肩を竦める。吐き出される息からは少しばかり疲労の色が見える。
しかし、はしたないと思ったのが直ぐに口を手で塞いで先ほどまでのように余裕をある笑みを浮かべた。
「もしあなたが本当にそれらを探すのに有用な能力を持っているのなら、私のお供をしてみませんこと? ……いいえ、こう言ったほうがよろしいかもしれませんわね」
クローディアがレドの目の前に手を指し伸ばす。そうして、ゆっくりと自尊心に満ちた声で告げる。彼がそれを受け入れるのが当然と、言わんばかりに。
「私の従者になりなさい、レド」