第十二話 宝の中に想いは眠る①
「んー。こちらのお洋服も素敵よね? ねえレド、どうかしら?」
ヴェルキスの街の大通りでクローディアが、洋服店の店内に飾られた色鮮やかなドレスを窓越しに見物している。庶民にとってはあまり手が出ない代物。
もし手に入れられたとしても精々一着が限度で、もったいないあまりしまい込んで無駄にしてしまうであろうそれに爛々と目を輝かせていた。
そんな微笑ましい光景を、レドは少しげんなりした様子で眺めていた。
女性のお洒落に興味がないだとか別にそういった理由ではない。
「ええ素敵ですお嬢様。ですが、このやりとりはこれでもう九回目な上に、そのお店にも入りません……」
「んもう、少しは付き合ってくれたっていいじゃないじゃありませんの。そんなことではレディにモテませんわよ」
文句を言いつつも、その場から離れてレドに付いていくクローディア。顔には明らかに不満の色が見える。
それにレドは少しばかり後ろめたさを感じつつも、クローディアにきちんと言い聞かせようとする。
「モテる代わりに目的果たせなくなるのはちょっと。具体的に言うと買い物する時間がなくなって、依頼されたものが手に入らずティナさんが泣きます」
「ティナさんが……」
『どおじでがっでぎでぐれながっだんでづが、びゃああああん』
クローディアの頭の中に浮かんできたのは、嘆きのあまりそれはもう凄まじいくらいに顔をぐちゃぐちゃにしたティナの姿だった。思わず苦い顔になって足を速める。
「確かにそれは由々しき問題ですわね……。人前で鼻水垂れ流しは……」
「こっちより数倍酷い想像してません? っと、ここですここ」
レドがとある店の前で足を止める。
垂れ下がった木製の看板には『カプラ・コプラン』という文字とドレスとネックレスの絵が描かれていた。
「ごめんくださーい」
扉に付けられたベルが軽快な音を立てる。
中に入るとそこは外とは全くの別世界。
丸いランプの温かな光に照らされた店内には、色とりどりの衣服や帽子が飾られ、自らで着飾るであろう主を今か今かと待ちわびている。
仕立て前の多彩な布と糸達が行儀よく棚に収まっているかと思えば、誰かがうっかりしたのか籠の中に入った毛糸玉が零れ落ちそうになっていて。
足踏み式の糸車の主の姿は今無く、それでも店の奥から聞こえてくる織機の音がその存在を来客に知らせていた。
ここにあるのは衣服だけではない。
いくつもの煌びやかな宝石が収まった木箱も置いてあり、金や銀で作られた装飾品も少しだけだが飾られている。
盗難防止のためか、残念ながら多くは棚や金庫に収められているのだろうが、店主に頼めば快く見せてくれるだろう。
来客に気づき、宝石や金銀に命を吹き込む仕事の手を止めて、笑みを向けて来たこの男に。
「いらっしゃい。より良い物をより多くの人に。カプラ・コプランにようこそ……。ってあら、レドちゃんじゃないの。少し久しぶりかしら?」
男とはいうが、その仕草は極めて女性的であった。口調も、桃色に染められた髪もそれを感じさせている。背は高く、顔は美麗ですべてが組み合わさって不思議な調和を生み出している。
「ええ、ヘリックさん。ご無沙汰してます。……アイビーさんは店の奥ですかね?」
「ヘリックにアイビー……。ああ、先ほどイルメさんが言っていたのはこちらの方達のことでしたのね」
会話をかわす二人の後ろでクローディアが一人納得していた。
「ええ、あの子なら今は裏で作業中よ。でも多分もうすぐ飛んでくるわ。なんていったってレドちゃんの声が聞こえたんですもの」
店奥から聞こえてきていた織機の音が止まる。
同時に聞こえてきたのはドタドタとうるさい足音。
「うわあああああ、レド君だあああ!! お久しぶりだねー!!」
その足音の主がレドに向かって唐突に飛び込んできた。
亜麻色の髪、店主と同じように高い背。それでいて言動はどこか騒がしい女性。
「うおっと……。はい、お久しぶりですアイビーさん。相変わらずお元気そうで何よりです」
「なんですのこのパワフルな子は!?」
レドが崩れそうになりながらも、巨体を受け止める。
その横でクローディアが目を丸くしていた。
「ふぁ……」
「ふぁ?」
じっとクローディアを見つめてくるアイビー。口から勢いで漏れ出たであろう声をクローディアも真似をしてしまう。
「ふおおおおお、美人さんだあああ!! ね、ね。レド君が連れてきたの? キラキラしててとってもハピハピだね!! 尻尾も角もカッコいい!!」
「ハ、ハピハピ……?」
アイビーのとても大きな声と、何となく意味は掴めるが不可思議な言葉に目を白黒させるクローディア。それにかまわずアイビーは縦横無尽に動き回り、クローディアを観察していた。
「こーら、アイビー。お客さんにダメでしょ。ごめんなさいね。この子ってちょっと変わってるの。職人としての腕は確かなんだけど」
「はーい、パパ」
アイビーを抱えて後ろに下げるヘリック。双方とも長身のせいか少し珍妙な光景だ。
アイビーは少々不満げにしつつも彼に従うと少しばかり静かになった。
「パパ? お父様にしては少し若いような……」
二人を見比べるクローディア。
確かに見た感じはヘリックが多少年上に見えるくらいで、とても二人が親子には見えない。どちらかというと兄妹といったところだろうか。
「アタシ達、エルフなの。人間に比べて長命で元々は森に生きる者たち。正確にはアイビーはハーフなのだけどね。」
よく見ると、彼らの耳は長く先が尖がっている。アイビーの方が少しだけ短い。
「ママは人間だったけどエルフの一番さんに負けないくらい、凄い美人さんだったんだ~」
店内の壁に飾られた一枚の水彩画。そこにはアイビーに似た綺麗な女性が色鮮やかな花と共に描かれていた。
一瞬だけ寂し気にヘリックがその絵を眺める。
「そうね……本当に。って浸ってる場合じゃなかったわ。今日はレドちゃんの防具を新調しに来たのよね?」
「とってもボロボロになっちゃってるもんね~。そっちの美人さんのは多分『妖精の絹布』使ってるのかな? 勝手に紡ぎ直してくれるからしばらく必要無さそうだけど」
「そうですけど……。もしかして、見ただけでわかりますの?」
自分の身に着けているドレスの生地を当てられて、クローディアが驚嘆する。
見た目は普通の絹布と何ら変わりはないはずだった。なのに、目の前の仕立て職人はそれを言い当てた。
特別な眼を持っているのかもと思いそれとなく尋ねてみたものの、首を横にふった彼女に否定される。
「ううん。ただレド君の装備がボロボロなのに比べてこっちは全然綺麗だし、修繕の後も見えないから新品かそれかなーって。靴は割と履き減らしてるし」
あくまで長年の勘と状況から判断したらしい。
これはこれで職人として多くの経験を彼女が積んできたことを表しているというもの。
「妖精の絹布?」
聞き覚えのない言葉を耳にしたレドがクローディアの身に着けているドレスに視線を送る。
大怪鳥にその一部を切り裂かれてもいつの間にか直っていたり、汚れたり濡れたりしてもすぐに綺麗な状態に戻っていたからそういう魔法でもかかっているのかとは思っていた。
しかしまさか生地からして違うとは考えておらず内心驚いている。
「妖精達が戯れに織った布のことね。うちでもまれに取り扱いはあるけど、森奥の領域に住むイタズラ好きの彼らと交渉する必要があるから大変なのよ。ドレス一着分となると相当だわ。お金だけじゃない、手間だって随分かかったはず。どこで手に入れたのかしら?」
「えっと……」
ヘリックが問うとクローディアが一瞬だけ声と共に息を吐く。
聞き伝えで、本当に正しいかどうかの自信がなくて。答えるかどうかも迷ってしまった。
「一応、お父様とお母様から……と聞いておりますけど……」
それでも覚えていることを口から捻りだすと、ヘリックは優しい笑みを見せた。
「そう……、なら貴女。その二人にとっても大切にされていたのね」
それを聞いたクローディアの瞳が一瞬だけ潤む。その脳裏に在りし日の光景が思い浮かぶ。
――――――――――――
幼い頃のクローディアがヒトの状態で、祭壇に座する年老いた巨大な竜を見上げている。
不安を一杯にため込み、年老いた竜に問いかけるクローディア。
『お祖父様。何故私のお父様とお母様はいつまでも姿を見せてくれないの? 私のことが嫌いなのかしら』
そんな彼女に、お祖父様と呼ばれた竜は温かな息を吐きながら優し気な声で返事をした。
『そんなことはないよ、クローディア。お父様とお母様はお前のことをとても大事に思ってくれている。今お前の抱えているドレスだって彼らからのものだ』
だが安心させようとする彼の言葉はクローディアに届きはしなかった。
両親が何も言わずに消えてから彼女に蓄積された孤独感が、彼女の感情を捻じ曲げてしまっていた。
『いつか地上に降りたときのための物よね?とても綺麗ではあるけどもっと高そうなものは沢山あるし、これがその証拠だなんて、私全然思えないわ』
彼女のにいる宮殿に貯め込まれた財宝。それは確かにどれもこれも貴重なものではあったが彼女の孤独を満たすに到底いたらなかった。
『もういい、どうせ私は愛されてなんかいなかったのよ!!』
『クローディア、そんなことを言ってしまっては……!!そのドレスは……。あ、こら待ちなさい!!ああ、どうしてこう……』
クローディア涙を一杯に貯めて走り去っていく。
彼女の祖父は祭壇から動けぬ自分自身を呪いつつも彼女の身を案じることしかできなかった。
『こんなもの、こんなもの……残されたって!! 私は……私は、お父様とお母様に側にいて欲しかっただけなのに!!』
――――――――――――
捨てることも出来ず、一度だけ着てそのまましまいこんだ一着。いつしかヒトの状態になっても体が大きくなり、ずっとほったらかしにしていたもの。
多くの財宝と力を失い、地上に落ちる際にも何故かこれはクローディアの手元に残ってくれた。
「このサイズなら縮んだ身体に丁度いいと思って、身に付けていただけなのに……。今になって知ることになるだなんて……」
「クローディアお嬢様?」
心配そうにレドが顔を覗き込んできていた。クローディアは泣きそうになるのを堪える。
彼に変に不安を与えたくないというのもあった。だがそれだけではない。
「なんでも……、なんでもありませんのよ。だってこれはとても嬉しい事なのですから……」
そうだ。胸が詰まるくらいに嬉しいことなのだ。
だったら笑わなければ駄目だろうと。そうしなければ、このドレスを送ってくれた両親に申し訳ない。
目に溜まった涙を拭ぐう。顔に一杯の笑みを浮かべてレドに向ける。
「そうですね……」
彼は穏やかに笑い返してくれた。
もしかしたら、少し泣いていたことはバレてしまったかもしれないが。
「え、何?あらやだ。今、アタシ悪い事しちゃった感じになっちゃってる?」
その様子を見ていたヘリックが少し戸惑う様子を見せる。
その光景がちょっとおかしくて、クローディアは吹き出しそうになるのを手で抑えた。
「ふふっ。大丈夫ですからお気遣いなく。むしろお礼を言いたいぐらいですもの。それよりレドの防具の事なのですけど……」
「そうね、本題を忘れちゃいけなかったわ。確かレドちゃんの採寸した時の記録が棚の何処かに……」
「あ、それなら私覚えてるよー!!それでね、サイズも含めてたぶん今レド君にちょうどいいのがこれとこれだと思うのっ!!」
ヘリックが一つの棚に向かおうとした瞬間、アイビーが駆けて行って数枚の衣服を持ってきた。
「これは……黒いベストとズボン?」
「美人さんのこと、さっきお嬢様って言ってたからこれかなーって。シャツもあるよほらほら」
執事用、または従者用の衣服ということだろう。それを見ていたクローディアが少し難色を示す。
「たしかに今のレドにそれはあっておりますけど。冒険する上では大丈夫なのかしら?」
綺麗ではある。自分のドレスとの相性も良い。まさしくお嬢様とその従者にふさわしい。
しかし大事なのはこれらがレドの身を守るにふさわしいとかということ。
それに対してヘリックが穏やかに笑う。
笑いつつも、少し悩むような仕草を見せる。
「大丈夫よ。確かに元はただの布だけど繊維に色々と染みこませてあるから、今まで使ってた皮の鎧よりずっと丈夫でしっかりしてるわ。ただ、問題は値段ね。妖精絹布を使ったドレスよりは随分と安いけどそれでもかかるのよ」
工数が増え加工素材の費用が余分にかかっている分、当然値段は上がる。
普段から比較的良心的な値段でやっている分、逆にそれ以上はまけられない。
レドは彼らにとって友人に等しい関係にあるが、それ以上にこれは商売なのだ。
薦めておいてなんだが、払えなければ諦めてもらうほかない。
「だったらそれは私が払わせて頂きます」
まあもっとも、このお嬢様がいる以上そんな心配は無用だが。
「お嬢様それは……」
レドが戸惑いの表情を見せる。
「あら、従者の面倒を見るのも主人の役目でしょう?それぐらい出せなくて何がお嬢様ですか」
そんな彼にクローディアは胸を張る。いつもの如く自信満々に笑った。
いくらかかろうとそれは溜め込まれた財宝から捻出すればいい。そのせいで多少身が小さくなるのだとしても構わなかった。
「ありがとうございます……」
レドが深々と頭を下げる。
それに対してクローディアは苦笑する。どうせまたこれから二人で稼ぐだろうに、と。
「まったく、そんなにしなくても……。顔を上げなさい、レド。それに私も、彼らに数着程作って頂きたいの。大きいのと小さいの」
「大きいのと小さいの?」
アイビーが不思議そうに首を傾げた。
当然クローディアの力については把握していない。財宝を使いすぎれば小さくなってしまうことも、取り込み過ぎれば大きくなることも知らない。
「ちゃんと説明させていただきますわ。だから採寸お願いできますかしら」
「うんうんっ、よくわからないけどとにかく採寸するねっ。こっちこっち!!」
「こ、こら!?腕をひっぱってはいけませんわ!!」
アイビーはヘリックにレド用の衣服を手渡すと、店奥にクローディアを引っ張っていった。
「あ、お嬢様!!作ってもらうのはいいですけど普段何処に置いておくんですかー!?」
完全に体が見えなくなる前に、レドがクローディアに呼びかける。
「素敵なお洋服もお宝でしてよー。身体の中に大事にしまっておけますわー」
なんとか返事をすると、彼女の姿が完全に見えなくなった。
「あ、そういうのアリなんだ……」
「……レドちゃん、さっきからちょっと気になったのだけど。あの子何か特殊な能力の持主なのかしら?」
呆然とするレドに、ヘリックが問いかける。
「あ、実はですね……」
ちゃんと説明すべきだろうと思い、採寸している二人を待つ間にレドはヘリックに語っていく。
クローディアの事、一緒に冒険をしたこと。彼女の力と正体を含めてその殆どを。
ヘリックはただ頷き、途中で口を挟むことなくその話に耳を傾けていた。