第十話 ヴェルキスの人々
「あ゛ー……。まったくやる気がございませんわー」
ヴェルキスの街の酒場。朝っぱらからクローディアが何とも言えない声を上げながらテーブルでだらけきっている。
「お嬢様、声と行儀がえらいことになってますよ」
目玉焼きとそれに添えられたトマトなどの野菜類、そしてパンとコーヒー。二人で軽めの朝食を取っていたが先に食べ終えてしまったクローディアの様子がどうもおかしい。
みっともない姿を晒しているクローディアにレドが苦言を呈すと、頬杖をつきながら文句を垂らし始める。
「だってここのところ大した依頼が受けられてませんもの。農場に現れる弱い魔物の駆除、行方不明のペットの捜索。果ては野菜の収穫の手伝い。干からびますわよこれ。いや全部お仕事としては大変なことだと理解はしてるのですけど……。あなたを刺激たっぷりの旅へと招待する。あれだけの事を言っておいてこれでは面目が立ちませんし」
「あー……」
レドはそれ以上何も言えなくなってしまった。自分の不満だけではなく、こちらの事も含めた上でこのお嬢様は不貞腐れている。それを無下に扱うのは流石に酷に思えた。
冒険者の初めの頃の下積み時代。ギルドに認められるまではこのような依頼が続いていく。芽の出始めた存在を育てるための大事な期間でもあるのだが、同時にこれで冒険者をやめてしまう人々も多い。
実力の伴わない者や、冒険者自体が合わない人間を弾くためにあると噂されてもいる。まあ、死人を多く出すよりはやめられた方がマシ。と言われれば反論の余地はないが。
馴染みの職員に頼んでもう少し歯ごたえのある依頼を回してもらうという手もなくはないが無駄骨に終わる可能性も高いし、何よりティナに無理をさせるのは気が引ける。
彼女に悪いというだけでなく、代わりに何か理不尽な交換条件を飲まされる可能性が高いというのもある。可愛らしく見えて、ちょっとばかしズル賢いのだ、彼女は。
いっそ依頼を受けずにクローディアと一緒に街を飛び出してみるか?とも思ったが当てのない旅もそれはそれで怖いというもの。依頼による確定の報酬がない以上ゼロどころかマイナスの結果になる可能性だってある。
「なら、気分転換にヴェルキスの街を見回ってきたらどうだい?レド君が案内できるだろうし」
どうしたものか、とレドが考えているとどこからか声をかけられた。レドにとっては少々懐かしく、クローディアにとっては初めて聞く声。穏やかで優しく暖かみのある男の声だ。
「あ、マスターさん」
「やあレド君。久しぶりだね」
声のする方にレドが顔を向けて見上げると、黒いエプロンを身に着けた壮年の男性が柔和な笑みを浮かべていた。白髪交じりの黒髪が少しばかり哀愁を漂わせている。
「レド、この方は……?」
クローディアが思わず姿勢を正す。そして何故か分からないが自分が少しばかり緊張状態になっていることに首をかしげた。
「この人はここの酒場のマスターさんのカレルさんですよ。お嬢様が来た時には休養してていませんでしたけど。腰の方はもう大丈夫なんですか?」
「おかげさまでね。いやあ、歳をとるとあちこち身体のガタがきはじめて色々と辛いね」
こんなにも穏やかだし、レドが笑みを浮かべて応対している以上悪い人間ではないのだろう。
それでもクローディアは自分に向けられた彼の視線が何か気になっていた。
今のところ敵意はなさそうだ。だが何やら警戒されている?
こちらが竜であるということを知っているならば一応納得はできる。ティナが教えてる可能性だってある。
だが一介の酒場のマスターに過ぎない弱いはずの人間がそのような意図の視線を向けて来たところで、本来であればこんなにも背中はざわつかない筈だ。
本能が訴えかけている。彼はいったい何者なのかと。なぜ警戒してきているのかと。
しかしそのような思考も少しばかり遠くから聞こえて来た快活なギルド職員の声に打ち消されてしまう。
「あ、はいはーい。街に出るならついでにお二人にギルドからの依頼を出してもよろしいでしょうかー!!依頼書に使う紙とか不足してしまいまして……」
「ティナさん。それ、結局またお使いの類じゃありませんこと?」
「うっ……。いえいえ、正式な、ギルドからのぉ…依頼ですよぅ?」
クローディアがギロリ、とそちらの方に目を向けた。指摘されたティナの目が泳いでいる。手元には今だ!!といわんばかりに手早く書き殴られた即席の依頼書が置かれていた。
「まったくもう……」
思わずため息をつくクローディア。一気に気が抜けてしまった。
「まあまあ……。でもそうですね、この際だから色々と買っておきたいかも」
宥めてくるレドに目を移す。身に着けている皮の鎧の損耗が激しい。少しばかり修繕されてはいるがそれでも痛ましく見えてしまう。ナイフだって鞘から抜けば刃こぼれが酷いことを知っている。ここ数日の依頼でそれを何度も目撃してきた。
「分かりました。そろそろあなたの装備も買い変える必要がありそうですし……、いざという時に鎧が崩れてあなたの身に何かあってはたまりませんもの」
「なら決まりですね。今日の予定は買い出しということで」
気を向けてもらえたことがよほど嬉しかったのかレドのほほが緩む。
まったく、子供じゃないのだから。とクローディアは思いつつも、レドに少しばかりの慈しみの目を向ける。
それと同時に先程まで自分に向けられていた警戒が解かれるのを感じた。
ティナとのやり取り。そしてレドに対する気遣いを見て『問題なし』と認められたのだろう。
ああ、そういう事。と、クローディアはひとりでに納得する。
彼はレドやティナの身を案じていたのだ。得体のしれない『何か』が彼らに危害を及ぼす可能性を危惧していた。これから共に旅をしていくであろうレドに対しては特に。
それが理由ならば、クローディアもカレルに対する余計な詮索はしないようにしよう、と考える。
少なくともレドの味方でいてくれるならそれでいい。例え彼が何者であったとしても。
「じゃあ僕がお昼用にサンドイッチでもバスケットに詰めておこう」
カレルがそう言って、酒場のカウンターの裏へと移動していった。そこには酒だけでなく当然調理器具や食材もある。ここで出される料理のほとんどはそこで作られていた。
「それはありがたいですけど……、いいんですか?」
レドがすまなさそうにしつつも、バスケットを取り出しているカレルを興味深そうに眺めている。
「何、ギルドのお使いも頼んでるからね。これぐらいなら構わないさ。おすすめの場所は今なら中央広場かな。最近新しい石像を建てるのと一緒に色々と新調されたから綺麗なんだ」
「マスター、これはどうもご丁寧に。有難く頂戴致しますわね?」
クローディアが謝辞を述べた。
「あ、じゃあ私も今日のお昼はマスター特製のサンドイッチで……えへ」
とそこで何故かティナが会話に乱入してきた。
いつの間にかギルドのカウンターの方から酒場のカウンターの方へ移動している。
「はいはい。コーヒーもちゃんと入れておくから。ミルクと砂糖多めでね」
そんな彼女に嫌な顔一つもせずに対応するカレル。
こんなやり取りはもはや慣れっこなのだろう。
「やったー!!」
「レド、ティナさんの年齢っていくつでしたっけ……」
「さ、さあ?」
大声を上げて喜ぶティナに対して若干引き気味になるクローディア。
レドも同じように引きつつ答えに詰まった。
彼女の年齢こそある意味一番の謎なのかもしれない。