たがいの寝顔に思うこと
7巻発売を記念して追加。
雪遊びをした後で眠りこんじゃったネリアと、それを見守るレオポルド。
「緊張感がなさすぎる……」
レオポルドは腕に抱いていた娘の寝顔を見るのにも飽きて、ぽつりとつぶやいた。そのひとことがでるまでにだいぶ長いこと眺めていたのは、とくに今気にすることではない。
ふに。長い指を伸ばしてためしにほほの肉をつまんでみた。やわらかい。ふにふにふに。そのまましばらく指先で感触をたしかめてから、ほっぺたをひっぱったり戻したりしてみる。
いつみても何も食べてなくともふっくらとしているから、何となく気になっていた。
起きていたらこんなふうに触らせてはもらえない。つい指が動いた。
「…………」
腕のなかでスヤスヤと眠る娘は起きる気配がない。
こんどは指に力をこめ、少々強めにグイッと引っ張った。娘のほほ肉につられて赤い唇も横にのび、小さな口に並んだ歯がちらりとみえた。
「ふみゅ……にゃふ……」
唇から漏れた言葉になっていない寝言に指をはなすと、また規則正しい寝息が聞こえる。ふっと息をついたレオポルドは、こんどはつまむのはやめてそっと寝顔にふれた。
顔がよくみえるように前髪を手で軽く持ちあげまぶたに触れる。
閉じられたまぶたはぴくりとも動かず、レオポルドはまぶたの曲線をたしかめるようにゆっくりと指をすべらせ、それから娘のほほを手ですっぽりと包んだ。手のひら全体で味わう感触はやはりやわらかい。
「無防備にもほどがある……」
レオポルド自身はこんなふうに眠ったことがない。同時にここまで無防備になれるのは、男を知らぬせいもあるのだろう……という考えが一瞬頭をよぎる。
(よけいなことを考えるな)
眉間にぐっとシワを寄せて心の中で自分をしかり飛ばし、しっかりと抱えなおして小さな体を胸にもたれさせると、平和な顔で寝ている娘は素直に体をあずけてきた。
その重みを感じながらレオポルドはため息をつき、ふわふわした赤茶の髪をなでて、何もつけてない耳たぶに目を留めながら耳元でささやく。
「……食べてしまうぞ?」
ぼやきに近いささやきに当然返事はなく、レオポルドも娘の体温を味わいながら目を閉じた。
(あたたかい……けど何だろ。クッションよりもっと硬くて暖かい。)
なんだかいつもより深く眠れた気がして、その深みから意識が浮上してくると、わたしは自分がしがみついているものが布団でないことに気づいた。
(……レオポルド⁉︎)
わたしの両手は彼のあったかもこもこパジャマをにぎりしめ、彼に抱きこまれるようにして眠っていた。
(……え、何でわたしレオポルドの抱き枕になってんの⁉︎)
彼の両目は閉じられていて、まつ毛と同じ色の髪が乱れて顔にかかっている。まだ夜明け前なのか部屋の外はぼんやりと暗い。
どうしてこんなことに……と必死に記憶をたどると、昨日は雪遊びをしたことを思いだした。
デーダスの荒野に雪を降らせ、雪像をつくりクマル酒で乾杯し、それから暖かい室内に戻って暖炉の前で温まっていたら……そのまま寝ちゃったらしい。
色っぽいことのカケラもなくてホッとすると同時に、さてどうやって抜けだそう……と考える。
あったかもこもこパジャマのおかげで風邪もひいていないし、困ったことにレオポルドの体は温かくて離れたくない……と思うほど居心地がいい。
(いやいやいや、これ、レオポルドだから!あったか毛布じゃないから!)
彼のパジャマに両手でしがみついたままなことに気づき、あわてて手を離してもぞ……と動こうとすると、きゅっと抱きこまれた。
(ふひゃっ⁉︎)
重そうに彼のまぶたがひらき、銀色のまつ毛のむこうから黄昏色の瞳がぼんやりとこちらをみた。
「…………」
息がとまりそうになったわたしの体にまわした左腕を持ちあげ、彼は軽くにぎった指の背でわたしのほほをするりとなでた。
(ええええ⁉︎)
生まれたての赤ちゃんみたいに無防備な笑顔でうれしそうに彼が笑い、わたしが目をみひらいているとその薄い唇が動く。
「かわいい」
かすれた寝ぼけ声でたったひとことささやき、また瞳を隠すようにゆっくりとまぶたが閉じられた後は、すぐに規則正しい呼吸音が聞こえはじめた。
(寝ぼけたんだ……レオポルドってば寝ぼけただけだ)
顔が一気に熱を持つ。ギュンとあがったわたしの心拍数はバクバクとうるさいほどに胸のなかで騒がしいのに、彼の鼓動に変化はなく寝息も同じく規則正しいままだ。
コーヒーブレイクで抱きしめられたときには、彼の鼓動だって暴れていたのに……。
(目が覚めて彼に気づかれませんように!)
必死に祈りながら固まっていると、彼は抱きこむくせでもあるのか、ますますわたしの体を自分の腕でくるむようにして身を寄せてくる。スリ……と髪に頬ずりまでされた。
(ちょっと、待ってえええぇ!)
仲良くなれたらな、と思った。おたがいのことを理解して歩み寄って、デーダスの工房やグレンのことを相談しあえる関係になれたらって。
一足飛びにこれですよ!
抱きこまれたままでわたしは、そろそろと亀みたいに首を伸ばして、彼の寝顔を視界にいれたとたんに後悔した。
長いまつ毛がまぶたを縁どり、眉間のシワもなくスヤスヤと眠るレオポルドは、いつものビシッとした威圧感がある師団長のローブではなく、あったかもこもこパジャマにくるまっている。
ふぞろいな銀髪が顔にかかり、正直めちゃめちゃかわいい!
直視できずひゅっと亀みたいに首を縮めてしまったわたしを許してほしい。
彼の胸元にもぐりこむような体勢になってしまったことはいたしかたない。ダメだ、顔面破壊力がすごすぎる。
彼の大胸筋で目隠ししているわたしもどうかと思うけど!
(寝顔ってまずい……)
そもそも寝顔なんてものは当然プライベートじゃないと見せないわけで、でも寝室も別だしだいじょうぶかなぁ……と。
そう思っていたときがわたしにもありました!
だいじょうぶじゃなかった!
これはわたしが悪いの⁉
それかレオポルドのまつ毛が長いから⁉
それとも彼の銀髪がふぞろいになって乱れているから⁉
それともそれとも……あったかもこもこパジャマのせい⁉
いや全部かなぁ、全部だよねぇ、これ。
とりあえずモゾモゾ動き後退して逃げようとして。
ますます強く抱きこまれ、ひゃあぁ!となる。
転移、そうよ転移して逃げれば!
そう思いついたわたしはよほど焦っていたのだろう、自分の部屋に転移してすぐに思いっきり後悔した。
ギシ……と聞き慣れた音をさせてベッドに落ちたのは、わたしの体を抱きかかえたままのレオポルドもいっしょなわけで。
もっと状況が悪くなってるうぅ⁉️
銀髪を乱したままでわたしの体を抱いて、部屋でいっしょのベッドに眠るレオポルド……文章にするとすごくない⁉️
ギシッ!
ベッドから大きな音がして焦るわたしを抱いたまま、レオポルドが顔をしかめた。
「ん……」
待った待った待ったあああぁ!
きみは目を開けてはいけない!
ギュンッと擬音が聞こえる勢いでもういちど転移し、暖炉の前にそぉっと着地すると、わたしはもう彼の腕から抜けだすことはあきらめて、もとの体勢で息をひそめた。
ただ体に軽く回しているだけなのに、彼の腕はしっかりとわたしをホールドしている。
(ずっといっしょにいてくれる……って、こういうことなんだろうか)
彼の体は温かくて心地いい。それでも無意識にすがったときみたいに、その体にしがみつくことはできなくて。
ただ彼の胸に身を寄せて、ぼんやりと寝息と鼓動を聞いているうちに、わたしはいつのまにかまた眠ってしまった。
朝の日差しが部屋に差しこんだ気配に目を覚ませば、すぐそばに黄昏色の瞳があって心臓が止まりそうになる。
どうやら先に起きた彼が頬杖をつくようにして身を起こし、寝ているわたしを眺めていたらしい。
光のかげんで薄紫の瞳が不思議な色に輝いて、長い銀色のまつ毛が上下に動く……しばらくぼんやりと見つめあい、ハッとわれにかえったわたしはガバリと身を起こし、飛びすさって叫んだ。
「朝からとんでもないもの、見せんじゃないわよ!」
「とんでもないもの……?」
けだるげに髪をかきあげるしぐささえ悩ましい、首をひねる彼からわたしはダッシュで逃げだして、自分の部屋まで駆けこんだのは言うまでもない。